蘭子覚醒?

 私は西園寺蘭子。霊能者です。


 最凶で最強の敵である内海帯刀が現れました。


 いけない私の攻撃を軽く退け、日本最高と言われた退魔師の江原雅功さんも、親友の八木麗華のお父さんである矢部隆史医師の力も通じませんでした。


 そして、江原さんのお師匠様である名倉英賢さんですら、倒されてしまいました。


『そろそろ腹を決めろ、もう一人の蘭子。間に合わなくなっちまうぞ』


 いけない私にそう言われ、弟子の小松崎瑠希弥と彼女のかつての姉弟子である椿直美さんも私をすがるように見ているので、いよいよ何とかしないとまずいようです。


『でも、どうすればいいの?』


 その方法がわからない私はいけない私に心の中で尋ねました。


「西園寺蘭子、うぬが半身のうちにうぬの力、もらい受けるぞ」


 そんな事をやり取りしているうちに、帯刀が私の目の前に来てしまいました。


「ふざけるな、化け物! 私が誰だか忘れたのか!?」


 いけない私は気を全力全開にして、帯刀を睨みつけました。


 その凄まじさは今まで見た事がありません。江原さんの気より強力です。


 何しろ、帯刀が身じろいで一歩後退したのですから。


『先生、蘭子さんは自分の存在を消してでも、帯刀を倒すつもりです。そんな事、させないでください!』


 瑠希弥の悲しみに満ちた声が頭の中に聞こえました。


「瑠希弥、嬉しい事を言ってくれるじゃないか。でもよ、こうでもしないと、みんな揃ってお陀仏なんだよ。この化け物を潰すには、もうこれしか手は残ってないのさ」


 いけない私はニヤリとして、帯刀を睨んだままで瑠希弥に言いました。


「ほう。崇高なこころざしだな、西園寺蘭子の半身よ。だが、その程度で我を倒せると思うとは、愚かな事よ」


 帯刀はそれでも余裕の表情を崩しません。


「やってみなけりゃわからねえだろ、クソジジイ!」


 この期に及んでそんな事はどうでもいいかも知れないのですが、相変わらず言葉が下品です。


 いけない私は印を結びました。それは先程通用しなかった自在天真言の印です。


「もう忘れたのか? そのような世迷よまい言など通じぬという事を?」


 帯刀は哀れむような目で私を見ました。何だかムカつきます。


「だからやってみなけりゃわからねえって言ってるだろうが! オンマケイシバラヤソワカ」


 いけない私は構わずに自在天真言を唱えました。暴風のような気流が帯刀に向かいます。


「うぬらの小賢こざかしい企みなど見切っておる」


 帯刀は自在天真言の気流に背を向けました。どういう事?


「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」


 そして、自在天真言を光明真言で打ち消しました。


「ぐうう……」


 帯刀は、背後をとった名倉英賢さんの渾身の突きをまるで予見していたかのように避け、英賢さんの胸元に右拳を叩き込んでいました。


「そちらも見切っている」


 帯刀の左横から接近する結界破りのお札を手にした麗華のお母さんの岡本綾乃教授にも気づいていたのです。


「くは!」


 帯刀の左のてのひらから気の塊が打ち出され、岡本教授は数メートルも吹き飛ばされ、地面に落ちました。


「悲しいぞ、英賢。不意打ちでなければ、我に敵わぬと踏んだとはな」


 帯刀は地面に崩れるように倒れた英賢さんを見下ろして言いました。


「まだよ!」


 ところが、奇襲は完了していませんでした。椿さんが仕掛けていたのです。


「オンマリシエイソワカ」


 椿さんの練りに練った摩利支天真言が放たれました。


「く!」


 さすがにそこまでは読めていなかったのか、帯刀は目を見開き、慌てて結界を張り直そうとしました。


「させねえよ!」


 そこへいけない私が加わります。


「吹き飛べ、化け物!」


 いけない私はもう一度自在天真言を唱えました。


「ぐわあ!」


 帯刀は椿さんへの備えに気を取られていたのか、それをまともに食らい、吹き飛びました。


「ぬああ!」


 更にそこへ椿さんの強力な浄化真言がぶつかり、帯刀は悶絶しました。


「やったか?」


 ようやく起き上がれた矢部医師が奥さんの岡本教授を気遣いながら呟きました。


 しかし、帯刀は無傷でした。彼はスウッと立ち上がりました。


「おのれ、信濃のババア共か!?」


 帯刀は矢部さんの診療所の方を見て歯軋りしました。ふと空を見上げると、闇に包まれていたはずが、いつの間にか青さを取り戻していました。


「貴方の結界を強化する結界は私の先輩方が破ったわ、帯刀。もうさっきみたいな訳にはいかないわよ」


 椿さんは帯刀をキッと睨み据えて言いました。


 地下で結界の強化をしていた霊媒師の皆さんが帯刀の結界を消したのです。


「くう……」


 帯刀は椿さんの言葉通りなのか、悔しそうな表情で椿さんを睨み返しました。


 形勢逆転の気配です。ところが、


「成程。さすがよな。ここまでとは思わなんだ」


 どうした訳か、帯刀は大笑いを始めました。


「てめえ、バカにしてるのか、ジジイ!?」


 いけない私が激怒して怒鳴りました。すると帯刀は笑ったままの顔で私を見て、


「さにあらず。うぬらを見直したのだ。喜べ」


 そんな言い方をされて喜べる人間はいないと思います。


「そういう事か……」


 地面から顔を上げた英賢さんが言いました。


「何だと!?」


 江原さんが椿さんに右腕の手当をされながら目を見開きました。


 それは私にもはっきりとわかりました。


 帯刀の身体にもう一人帯刀がいるのです。


「何だ、こいつ、どういう事だ?」


 滅多な事では慌てないいけない私が酷く動揺しています。


 それはそうです。同じ人間の魂がもう一つその人間に宿っているとしたら、一体それはどういう事なのかと混乱してしまうでしょう。


 瑠希弥はさほど驚いた様子がありません。さっきそれに気づいたのですね。


「帯刀はもう一つ魂を持っています。それを今、一つに戻すつもりです」


 瑠希弥が震えながら言いました。


「何だと!?」


 いけない私は瑠希弥から帯刀に視線を戻しました。


 一つだけでもあれほど苦戦したのにもう一つ魂があってそれを一つに戻すという事がどういう意味なのか、考えるまでもありません。


 単純に計算しても、帯刀は倍強くなるという事なのです。


「これをなすと我はより強くはなれるが、光の力を使えなくなる。だが、まあ、よい」


 帯刀の身体から、かつて戦った死霊魔術師ネクロマンサーの近藤光俊が放ったよりどす黒い妖気が噴き出しました。


「帯刀め、遂に人である事を放棄するのか」


 何故か英賢さんは悲しそうです。兄弟子だった者が完全に邪悪に染まるのを見るのが悔しいのかも知れません。


「何を言うておるのか、英賢よ。我は神へと昇華するのだ。弟弟子として喜ぶのが道理であろう?」


 帯刀はフッと笑って英賢さんを見ました。どこまでも自信に満ちた男です。


「ふざけやがって!」


 いけない私は血が滲むほど強く手を握り締めています。


「では、始めようかの」


 帯刀がそう言った瞬間、また辺りは闇に閉ざされました。


「今度はババア共がどれほど足掻こうとも結界は破れはせぬぞ、霊媒師の娘よ」


 帯刀が目を細めて椿さんを見ると、椿さんは悔しそうに歯軋りしました。


 確かに先程のものとは強度が違うようです。闇も濃くなり、私達は自分達で発光しているので互いの姿が見えている状態です。


「さて、続きだ。西園寺蘭子、うぬの力、もらい受けるぞ」


 再び帯刀が不意に私の目の前に来ました。


「できるものならやってみろよ!」


 いけない私は気を高めて言い返します。ところが気の勢いがさっきとは比べものになりません。


「無駄よ。我が結界の中では、うぬらは思うように力を使えぬ」


 帯刀はゾッとするような笑みを浮かべて言いました。


「さあ、よこせ!」


 帯刀の右手が私の左手を掴んだ瞬間、意識が飛んでしまいました。


 何も見えません。何も聞こえなくなりました。


 いけない私との交信もできなくなったようです。このまま帯刀に力を奪われてしまうのでしょうか?


「蘭子ちゃん、気を指先に集中して、帯刀に渾身の一撃を見舞え!」


 何故か出羽の大修験者である遠野泉進様の声が聞こえました。


「わかった、スケベジジイ!」


 私は応じられませんでしたが、いけない私が反応しました。途端に視界が開け、音が聞こえるようになりました。


「はああ!」


 いけない私は右の人差し指に集中した気を帯刀に放ちました。


「何と!?」


 予想していなかったのか、帯刀はそれをまともに食らい、後方に吹き飛んでしまいました。


「それにしてもスケベジジイはないぞ、蘭子ちゃん」


 泉進様の声が近くで聞こえるのですが、どこにも姿が見えません。


「儂は結界の外から話しているのだ。声が聞こえるのは、蘭子ちゃんの毛を一本もらってそれを媒介して話しているからだ」


 泉進様の声が答えました。私の毛ですか? でも、何故下の方から聞こえてくるのでしょうか?


「実は蘭子ちゃんのしもの毛をもらったのでな。下から聞こえるのはそういう訳だ」


 何てものを持ってるんですか、全く! 泉進様、後できっちりお話しましょうね。


 でも、何とか反撃できる気がしてきました。今度こそ私達のターンでしょうか?


 


 西園寺蘭子でした。

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