魂の昇華

 私は西園寺蘭子。霊能者です。


 ボクッ娘の柳原まりさんが深刻な顔で現れました。


 以前、よわい百二十五歳の大修験者である名倉英賢さんに言われた事が現実になったのです。


 まりさんの魂に彼女のお兄さんとして生まれるはずだった男の子の魂が絡みついていて、いずれは分離しないと危険なのはわかっていました。


 その時が来てしまったのです。


 男の子の魂はまりさんの身体を乗っ取る事を主張し、これから自分が楽しむと言いました。


 いけない私は吹き飛ばせばいいと乱暴な事を言いますが、弟子の小松崎瑠希弥の見立てでは、とてもそんな事をできる状態ではないのです。


 男の子の魂は瑠希弥の説得も受け入れず、かたくなにまりさんと入れ替わる事を望みました。


 私は、英賢さんに相談しようと連絡を取りましたが、あいにく電話に出られない場所で修業中との事。


 万策尽きてしまった私に、またしてもいけない私が強硬策を進めてきました。


 その時、まるで天啓のように閃きが起こりました。


『どうした、もう一人の蘭子? 急に嬉しそうな顔になって?』


 いけない私が不思議がります。私はまさに鼻高々で、


「まりさん、お兄さんと話してみない? 今はそれが最善の策だと思うんだけど?」


 私の提案にまりさんはびっくりして目を見開きました。


「そうですね。それしかないかも知れません」


 瑠希弥も同意してくれました。親友の八木麗華も、


「そうやな。それがええかも知れんな」


 賛成してくれました。


『そうかなあ。私は無駄だと思うな。もし私が男の子の立場だったら、まりの魂を縛ってでも入れ替わるぞ』


 いけない私はまだそんな物騒な事を考えていました。摩利支天真言で懲らしめましょうか?


『やめてくれ、冗談だよ』


 私が考えた事を感じたのか、いけない私が慌てて言いました。


 今でこそ、ごく自然に会話をしている私達ですが、始めはこんな事ができるなんて思いもしませんでした。


 いけない私と話せる事に気づかなければ、私は出羽の修験者である遠野泉進様の教え通り、いけない私を摩利支天真言で少しずつ弱めていたでしょう。


 そうならなくて良かったと今では心の底から思っています。時々後悔しそうになる事もありますが、間違いではなかったと思います。


「私が力を貸すから、男の子、いえ、貴女のお兄さんに語りかけてみて」


 瑠希弥がまりさんの右肩に手をかけ、微笑んで告げました。


「はい……」


 まりさんは顔を赤らめて頷きました。瑠希弥がまりさんの手を握ります。


 少しだけ嫉妬してしまいそうになる自分を戒めます。


「さあ、お兄さんの魂に語りかけてみて、まりさん」


 瑠希弥は感応力をまりさんの手を通じて彼女の身体の中に流し込みました。


 その力のお陰で、まりさんはお兄さんの言葉が聞こえるようになるはずです。


「お兄ちゃん、初めまして。まりです。今まで知らなくてごめんなさい」


 まりさんは涙ぐみながら語りかけ始めました。


『そうだよ、僕はずっとお前の陰で苦しんでいたんだ。だからそろそろ僕に身体を返せ。お前が僕の代わりに逝くべき所に逝けよ』


 まりさんはお兄さんの魂の言葉に顔色を変えました。


「瑠希弥」


 私は私が思っている事を瑠希弥に向かって念じました。瑠希弥は頷き、その言葉を手を通じてまりさんに伝えます。


「お兄ちゃんも逝くべき所に逝く必要はないわ。共に生きましょう」


 瑠希弥が伝えた言葉がまりさんの口から出ました。それこそ私が願う決着の仕方です。


 まりさんとお兄さんの魂にも、私といけない私のような関係を築いて欲しいのです。


『嫌だ。僕は今までずっと影で堪えてきたんだ。、もうそろそろ表に出たいんだよ!』


 どうやら一筋縄ではいかないお兄さんのようです。駄々をねました。


 まりさんはお兄さんの反応を聞き、ギョッとして瑠希弥に救いを求めるように目を向けました。


 瑠希弥がもう一度私の思いをまりさんに手から伝えます。


「私はこれからもずっとお兄ちゃんと一緒にいたい。だからお願い」


 まりさんの奇麗な瞳からまさに真珠のような涙が零れ落ちました。


『嫌だ! この身体は僕だけのものだ! お前はさっさと逝くべき所に逝け、まり!』


 お兄さんの魂は十五年の年月の間にどうしようもなく頑なになってしまったようです。


 聞く耳を持ちません。


『てめえ、さっきから調子こいてるんじゃねえぞ、クソガキ! 下手したてに出てりゃあつけ上がりやがって! ぶちのめされたいのか!?』


 とうとういけない私が激怒してしまい、二人の会話に割って入って来てしまいました。もう最悪です。


『誰だ、お前は!? 僕の邪魔をするのなら、許さないぞ!』


 お兄さんの魂はいけない私を知らないので、命知らずな事を言ってしまいます。


『ガキのくせにずいぶんな口を利くな! てめえこそ許さねえ!』


 いけない私は私を押し退けて出て来てしまいました。もうどうなるかわかりません。


 麗華までビビッてしまっています。


「消えくされ、バカ兄貴! オンマリシエイソワカ!」


 いけない私の強烈な摩利支天真言が放たれ、まりさんにぶつかりました。


『うわああ!』


 男の子の魂は超強力な浄化の力を受け、もがき苦しんでいるようです。


「くうう……」


 男の子の魂はまりさんの魂と絡み合っているので、当然の事ながら、まりさんの魂にも影響が出ます。


「蘭子さん、危険です、やめてください」


 瑠希弥が慌てて立ちはだかりますが、いけない私は止まりません。


「言っていかない奴は、身体に教えるのが一番なんだよ、瑠希弥」


 いけない私はもう一度摩利支天真言を唱えました。


『やめなさいよ、もう一人の私! まりさんも無事ではすまないわ!』


 私もいけない私に抗議しました。でも、身体を動かしているのは今はいけない私なので、どうする事もできません。


「ううう!」


 まりさんも苦しんでいます。お兄さんの魂も同様です。


「もう一発!」


 いけない私は更に印を結びました。


『ごめんなさい、お姉さん! 僕が悪かったです、許してください』


 男の子の魂はいけない私の恐ろしさがわかったのか、低姿勢になりました。


「うるせえ! 今更謝ったって許さねえよ!」


 いけない私がもう一度摩利支天真言を唱えようとした時、


『僕はまりが苦しむ姿を見たくないんです。もう逝くべき所に逝きますから、許してください』


 まりさんの身体から男の子の霊が出て来ました。いけない私はニヤリとして、


「よおし、なら許してやるよ」


 ドヤ顔で言うと、引っ込んでくれました。


『瑠希弥、同魂どうこんの儀、できるな?』


 いけない私が言いました。同魂の儀? 何、それ?


「はい、蘭子さん」


 瑠希弥は嬉しそうに微笑んで応じています。何が始まるのかしら?


「貴方は逝く必要はありません。今からまりさんの魂と一つになってもらいます」


『え、そんな事ができるの?』


 男の子の霊は目を見開きました。まりさんも驚いた顔で瑠希弥を見ました。


「オンカカカビサンマエイソワカ」


 瑠希弥は地蔵真言を唱えました。なるほど、男の子の霊は水子の霊なのね?


『ああ……』


 男の子の霊は嬉しそうに笑うと、光の玉に変わりました。


「貴方が自己を主張せず、常にまりさんと共にある事を願えば、この儀は完成します」


 瑠希弥が言いました。


『はい。ずっとまりを見守ります。まりを助けます』


 男の子の霊の声が応じました。瑠希弥はニコッとして、


「ありがとう」


 その言葉が終わると同時に、光の玉はまりさんの胸に溶け込むように消えてしまいました。


 まりさんを見ると、号泣していました。


「お兄ちゃん……」


 彼女は光の玉が吸い込まれた胸に手を当て、泣き続けました。


 どうやら、事無きを得たようです。


 いけない私の暴走は、全てこのためだったのですね。見直しちゃいました。


『私に抜かりはないよ、もう一人の蘭子』


 そんな事を言わなければもっと素敵なのに。まあ、それがいけない私ですから、仕方ありませんね。


 


 西園寺蘭子でした。

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