恐るべき敵の正体

 半分以上瓦解してしまった金堂の中で、寺の主である五十鈴華子は大声で泣き続けていた。


 西園寺蘭子と小松崎瑠希弥は全裸で気絶している男達に吹き飛んで落ちてしまった垂れ幕をかけた。見るに堪えない姿だったからだ。


「これでようやく落ち着いたわね」


 顔を赤らめたままで、蘭子は瑠希弥と微笑み合った。そして、まだ泣いている華子に近づいた。


『もう一人の蘭子、気をつけろ。油断させようとしているのかも知れないぞ』


 裏蘭子が警戒して心の中で言った。


「そんな事ないわよ、もうひとりの私。華子さんは妹さんの無事を知って泣いているのだから」

 

 蘭子は瑠希弥の感じ取った事を彼女から伝えられてそう言った。


『だといいけどな』


 疑い深い裏蘭子はまだ信じていないようだ。蘭子は呆れ顔になって肩を竦め、華子に声をかけ、彼女の僧衣を肩に掛けた。


「妹さんの事、わかったでしょ、華子さん。もう何も心配要らないわ。私達が戦う必要はないのだから」


 すると華子は涙でグチャグチャになった顔を上げて蘭子と瑠希弥を見た。


「妹を助けてくださったのは感謝しています。でも、あの方がこのまま引き下がるとは思えません」


 華子の涙は恐怖を感じての涙に代わっているのを蘭子達は感じた。


「聞かせてくれますか、その人物の事を?」


 蘭子は真顔になって華子に言った。華子は目を伏せて、


「聞けば貴女も只ではすまなくなります」


「聞かなくても、只ではすみそうにないのはわかっています。その人物にとって、私達は邪魔なようですから」


 蘭子の言葉に華子は再び彼女達を見た。


「わかりました。お話します」


 華子は何故その人物に従う事になったのか、話し始めた。


 


 華子は、親友だった星野曜子が、錦城きんじょうくれないらの度重なる嫌がらせに堪えかねて自殺した事を知った。


 最初は殺すつもりはなかった。


 脅かして罪を悔いてくれればいいと思った。ところが、錦城は自分の力を過信し、華子の仕掛けた呪術を呪詛返しで跳ね返し、華子は危うく命を落としかけた。


 相手が霊能者だとわかったので、更に強力な呪詛を送り込んだ。それでも錦城は呪詛を返して来た。


 だが、呪詛は華子には返らず、錦城と共に曜子に嫌がらせをしていた一人を殺してしまった。


 華子は錦城の呪詛返しが失敗したのだとも思ったが、その次も、更にその次も同じ事が起こったので不審に思った。


 しかも、華子の呪詛はせいぜい錦城が怪我を負う程度のものだったのに返された呪詛はそれより強力になっていた事も不信感をあおった。


 何が起こっているのか、調査しようと動き出した時、携帯に非通知の着信があった。


 それが謎の人物からの最初の接触だった。


 華子はその人物が相当な力を持った霊能者である事を瞬時に悟った。


 携帯にかけて来たのは、その人物の念だったのだ。


 その話には、蘭子と瑠希弥も目を見開いてしまった。


「我に力を貸してほしい。お前の力は日本を救う力だ。今危機に瀕しているこの国を救うためにお前の力を使うのだ」


 あまりにも唐突な話だったので、華子は答えを言いよどんだが、


「お前の妹も協力してくれると申しているぞ」


 その脅迫めいた言葉によって、華子の答えは決まってしまった。


 中学生の妹は、華子と違い、霊能力も超能力もない。


 そして、姉である彼女が呪殺をした事など知らないのだ。


 その妹を人質に取られた以上、従う以外道はなかった。


「妹を人質に取られていたとは言え、貴女方にはお詫びのしようもない事をしてしまいました」


 華子はまた泣いていた。蘭子は微笑んで、


「気にしていませんから、大丈夫ですよ。それで、その人物の正体は誰なのですか?」


 華子は涙を拭いながら蘭子を見て、答えようとした。


「あかん、言ったらあかんで、あんた」


 そこへ蘭子の親友である八木麗華と彼女の父親である矢部隆史が駆け込んで来た。


「どういう事、麗華?」


 蘭子と瑠希弥は仰天して麗華と矢部を見た。華子も驚いて目を見開いていた。


「五十鈴さん、貴女と妹さんに強力な呪詛がかけられている。そいつの名を言った途端にその呪詛が発動して、二人とも粉微塵に砕けてしまうよ」


 矢部がいつもの怖い顔で言ったので、蘭子と瑠希弥は顔を引きつらせ、華子は固まってしまったように動かなくなった。


「霊的に縛られていた妹さんを解呪して助けた時にわかったんだ。危なかったね」


 矢部はホッとして微笑んだらしいが、蘭子には引きつったようにしか見えなかった。


「その呪詛、私が引き受けるよ」


 矢部はそう言うと、華子に手をかざした。すると華子の身体から得体の知れない気が噴き出した。


「さっき全部浄化したと思ったのに……」


 蘭子は瑠希弥と顔を見合わせてしまった。


「しゃあないんや、蘭子。その呪詛は光の結界で守られていたんや。今、おとんが解除したから出て来たんよ」


 麗華が説明した。


「でも、それだと矢部さんが……」


 蘭子がハッとしてそう言うと、


「大丈夫。私を呪殺できる人間など、この世にはいないよ」


 矢部はフッと笑ったようだ。蘭子と瑠希弥は苦笑いしてしまった。


 次の瞬間、華子を離れた呪詛の塊が矢部に取り憑いた。かに見えた。


「な、何、今の?」


 蘭子はまた仰天してしまった。矢部に取り憑いたように見えた呪詛の塊が、矢部から出て来たどす黒い気にまるで食われるように取り込まれ、消滅してしまったのだ。


(す、凄い、矢部さん……)


「もうこれで解呪完了だ。それに今ので私にも敵の正体がわかったよ」


 矢部が一同を見渡して言った。


「誰なん、おとん?」


 麗華が興味津々の顔で尋ねた。すると矢部は、


内海うつみ帯刀たてわき。あの名倉英賢さんの兄弟子だ」


 蘭子達には敵の名前はピンと来なかったが、名倉英賢の兄弟子と聞き、緊張感が張り詰めた。


「ほなら、英賢のジイさんが、一人ではどうする事もできないうた奴か!?」


 麗華が大声で言った。矢部はゆっくりと頷き、


「そうだ。とうとうお出ましという事だよ、あらゆる災いの黒幕がね」


 蘭子と瑠希弥は顔を見合わせてから、まだ硬直したように動かない華子を気遣った。


 


 やがて、蘭子達の遥か上を行く存在である名倉英賢の差し向けてくれた弟子達が金堂で倒れている哀れな男達を連れに来た。


「さすがにあんなくさにおいさせてる連中、ウチの車で運びたないからな」


 麗華がガハハと笑いながら言う。蘭子と瑠希弥は苦笑いするしかない。


 男達は後ろ手に手首を縛られ、護送車のように鉄格子が窓に取り付けけられた大型のワゴン車に荷物のように押し込められた。


 華子は蘭子達の車に同乗した。瑠希弥の運転で、蘭子と二人で後部座席である。


「妹さんは、私達の事務所にある結界の間に匿ってあるそうです。絶対に安全ですから心配しないで」


 蘭子が震えている華子をなだめた。


「ありがとうございます。私、どうやってこのお礼をしたらいいのか……」


 華子は目を潤ませて蘭子を見た。蘭子は微笑んで、


「お友達の小原理恵さんに心配をかけた事を詫びてくれればいいですよ。貴女が信頼して、私達に助けを求めるように頼んだ人なのですから」


「はい」


 華子はまた涙を流し、俯いた。


『内海帯刀か。楽しみだぜ、顔を合わせるのがさ』


 裏蘭子がとんでもない事を言い出す。


『何言ってるのよ、もう一人の私! 英賢さんでさえ、一人では勝てない相手なのよ。もうちょっと警戒しなさいよ』


 蘭子がたしなめると、


『あのジイさん、自分が戦いたくないからそんな事言ったんだよ。どうせ大した事ないさ。大体呪詛を使う奴なんてな……』


 蘭子はその後延々と裏蘭子の講釈を聞かされ、うんざりしてしまった。




 最後の戦いの幕がもうすぐ開こうとしていた。

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