戦いの行方

 霊能者の西園寺蘭子は、弟子の小松崎瑠希弥と共に五十鈴華子という類い稀な力を持った霊能者のいる寺院に行った。


 そこで待っていた華子には敵意は微塵もなく、蘭子たちは金堂に案内され、茶を出された。


 そこから二人は華子に試されるという事態に陥ったが、蘭子の鋭い読みで乗り切った。


(この人の心を覗くには、黒幕の干渉を排除しなければならない)


 蘭子は全く感情を読ませない顔で立っている華子を見た。


「貴女方が、小原理恵に依頼されてここにいらしたのはわかっています」


 蘭子は瑠希弥と顔を見合わせた。


「でも、私を止める事などできませんよ。何故なら、貴女方は私と格が違い過ぎます。その辺で悪さをしていたレベルの霊能者を倒したくらいで図に乗らないでいただきたい」

 

 華子はフッと笑って蘭子と瑠希弥を見た。蘭子はビクッとしてしまった。


(今の言葉は恐らく黒幕の指示ね。また敵に認定されたって事かしら?)


 額を一筋汗が伝う。蘭子は華子の背後に見え隠れする超絶的な存在に戦慄しそうだった。


『先生、華子の後ろにいる黒幕が焦っているようです。今なら華子との繋がりを断てるかも知れません』


 瑠希弥が蘭子の心に語りかけて来た。


『瑠希弥、この会話も彼女に聞かれているはずよ。まずいわ』


 蘭子は瑠希弥の不用意とも思える語りかけを危惧した。しかし、同時に瑠希弥ほどの能力を持った者がそんな間の抜けた事をするだろうかとも思えた。


『入れ替われ、もう一人の蘭子! ここからは私のターンだ!』


 いきなり裏蘭子が割り込んだかと思うと、蘭子は強制的に下がらされてしまった。


 その途端、金堂の中に台風が飛び込んで来たかのような風が巻き起こった。


「む?」


 華子も蘭子の異変に気づき、後退あとずさって彼女から離れた。


「蘭子さん?」


 瑠希弥は裏蘭子が出て来たのを感じていた。


「あんたみたいな上からものを言う人間が私は大嫌いなんだ! もっと謙虚になれよ!」


 裏蘭子は大股開きで言い放った。


『貴女が謙虚を口にするとは恐れ入ったわ、もう一人の私』


 下がらされた蘭子が呆れ気味に言った。


「うるさいよ、もう一人の蘭子! ここからはこの西園寺蘭子様の独り舞台になるんだ。どうでもいい事で突っ込むな!」


 裏蘭子が怒鳴った。そして彼女は華子に防御の隙を与えないつもりなのか、いきなり印を結んだ。


「まずは挨拶代わりだ、ありがたく受け取れ!」


 裏蘭子は華子を睨みつけて真言を唱える。


「オンマカキャラヤソワカ!」


 大黒天真言が発動し、金堂の床と壁と天井を破壊しながら華子に迫った。


「力任せしか能がないのか、貴女は?」


 華子は哀れむような目で裏蘭子を見ると、


「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」


 華子は究極の真言である光明真言を唱えた。裏蘭子の大黒天真言は光明真言に打ち消されてしまった。


「想定内だぜ、そんな事はさ!」


 裏蘭子はそれでも怯まず、余裕の笑みを浮かべていた。


「オンマケイシバラヤソワカ!」


 次に自在天真言を唱えた。先程よりも更に強力な破壊の渦が巻き起こり、華子に迫った。


「無駄なのがわからないのか、愚か者め!」


 華子は哀れみの目のまま真言を唱えた。


「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」


 自在天真言は光明真言で打ち消されてしまった。


『何してるのよ、もう一人の私! そんな力攻めでは、五十鈴華子には勝てないわよ!』


 わかり切った事を続けている裏蘭子に苛立った蘭子が心の中で叫ぶ。


『黙って見てろ、もう一人の蘭子』


 裏蘭子はそれでも笑みを絶やさないで華子を見ていた。


「続けるのですか? もう無駄だとわからないのですか?」


 華子は余裕の表情で裏蘭子を諭すように言った。すると裏蘭子は、


「ああ、まだ続けるさ! ずっと私のターンなんだからね!」


 また印を組み直す。


「インダラヤソワカ!」


 帝釈天真言の雷撃が華子を襲った。


「愚かな」


 華子は目を細めて光明真言を唱え、それを打ち消してしまった。


「愚かなのはそっちだよ、ヘボ女! これで仕上げだ!」


 裏蘭子は高笑いすると自分の気を一気に高めた。足下の床に亀裂が走った。


『何をする気?』


 蘭子が尋ねたが、裏蘭子は答えない。


「はああ!」


 彼女は高めた気を爆発的に放出した。床の亀裂がまるで生き物のように華子に向かって広がって行った。


「何?」


 華子は眉を吊り上げて上を見上げた。


「あんたのありがたい光明真言でも、崩れて来る建物は打ち消せないだろ?」


 裏蘭子はニヤリとして華子を見た。その華子に崩れて来た天井や壁の瓦礫が降り注いだ。


 やがて瓦礫の山の中に華子の姿が消えてしまった。土煙と砂埃が辺りに広がる。


 裏蘭子と瑠希弥はそこから離れた。


「ざまあ見ろ、これが西園寺蘭子様の力と知恵だ!」


 裏蘭子はのけ反って得意そうに笑うが、蘭子はすっきりしなかった。


『こんな騙し討ちみたいな勝ち方で、よくそこまで喜べるわね』


『うるさい、もう一人の蘭子! 勝てばいいんだよ、勝てば!』 


 本当は一人のはずの蘭子が言い争っていた時、瑠希弥は眉をひそめて埃を巻き上げている瓦礫を見つめていた。


(本当に勝ったの?)


 瑠希弥の視線に気づいた裏蘭子が、


「何だ、瑠希弥? お前も不満なのか?」


 ムッとした顔で瑠希弥を見た。瑠希弥は真顔で裏蘭子を見ると、


「探ってみてください。華子の気が瓦礫の下から感じられません」


「何!?」


 その叫びは裏蘭子と蘭子の同時詠唱だった。


「どこまで愚かなのだ、貴女は? そんな子供騙しの方法で、この私を倒せると思うとはな」


 いつの間にか、華子は蘭子達の背後をとっていた。


「何だと!?」


 裏蘭子と瑠希弥が慌てて振り返った時には、もう遅かった。


「オンダキニギャチギャカネイエイソワカ」


 華子が真言を唱えた。


「それは、茶吉尼天真言……」


 瑠希弥が呟いた。だが、そこまでであった。


「貴女達は私達のために尽くす存在です。さあ、不浄のものを全て捨て去りなさい」


 華子が命じると、裏蘭子と瑠希弥は抗う事もできずに服を脱ぎ捨て、全裸になってしまった。


『何してるのよ、もう一人の私! 少しは抵抗しなさいよ!』


 蘭子は完全に術中に嵌ってしまった裏蘭子と入れ替わろうとしたが、それもできない。


「表の蘭子さん、無駄ですよ。もはや裏蘭子さんは私の忠実なるしもべ。何を言っても聞こえません」


 そんな蘭子の焦りを見透かすかのように華子が告げた。


「そして、準備を。貴女方はこれから和合水を作るのです。さあ、互いに睦み合いなさい」


 華子の指示で、裏蘭子と瑠希弥は向き合い、距離を詰めていく。


『ちょっと、何してるの、二人共! やめなさいよ!』


 蘭子がいくら叫んでみても、何の効果もなかった。


 遂に二人は抱き合い、唇を貪り合い始めた。


(これは後期密教と呼ばれているタントラ仏教の流れを組むものなの?)


 一人冷静な蘭子はこれから何が起ころうとしているのかわかり、戦慄した。


(何をするつもりなの、五十鈴華子?)


 蘭子と瑠希弥は未だかつてない危機に瀕していた。

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