黒幕の影
豪奢な寺院の金堂と五重の塔、そして山門を背景にして、五十鈴華子は謎の笑みを浮かべていた。
(余裕綽々という事なのかしら?)
西園寺蘭子は華子の表情に眉をひそめ、その真意を見抜こうとしたが、心の中は高い城壁に囲まれたように見通せず、華子の考えは窺い知れなかった。
「そう焦らずとも、西園寺さん。まずはお茶でもどうぞ」
華子は蘭子の思いを見透かしたかのように言い、踵を返して山門の向こうへと歩き出す。
「先生、とにかく中へ行きましょう」
小松崎瑠希弥が促した。
「そうね」
蘭子は警戒を解かずに頷き、瑠希弥と共に山門をくぐり、境内へと歩を進めた。
山門から金堂までは花崗岩の石畳が続いており、二人の前を華子はゆっくりと歩いている。
(敵意は感じられない……。本当にお茶を飲むつもりなの?)
蘭子が目を細めて華子を見ていると、
「先生、華子はまだ戦うつもりはないようです」
瑠希弥が囁いた。蘭子はようやく気を緩めた。
(即座に殺すつもりなら、山門の外でそうしていたはず。考え過ぎね)
蘭子は苦笑いし、瑠希弥と並んで華子を追った。
「どうぞ」
華子は一足先に金堂の大扉の前に着き、それをギギッと押し開くと、蘭子達を見た。
蘭子と瑠希弥は顔を見合わせてから、大扉を通り抜け、金堂の中に入った。
正面に巨大な大日如来の銅像が鎮座している。
華子は如来像の正面に立つと手を合わせ、真言を唱えた。
「ナウマクサマンダボダナンアビラウンケン」
そして一礼すると蘭子達を見て、手を合わせるように目で合図して来た。
蘭子と瑠希弥も華子と同じように如来像の前で手を合わせ、真言を唱えた。
「こちらへどうぞ」
華子はそれを確認すると蘭子達を呼んだ。
如来像の先には、護摩壇があり、その手前に小さな座敷がある。そこには紫色の座布団が三つ敷かれていた。
「さ、お寛ぎください」
華子は微笑んで言った。蘭子と瑠希弥は座布団に並んで正座した。華子は二人と向かい合わせに敷かれた座布団に正座した。
「毒など入っておりませんから、ご安心ください」
華子はそう言って二人に茶を淹れた。こじんまりとした黒い
「ありがとうございます。いただきます」
蘭子と瑠希弥は茶碗を手に取り、一口飲んだ。苦みの中に
華子も同じ急須から注いだ茶を飲むと、トンと音を立てて茶碗を卓袱台に置いた。蘭子と瑠希弥に一瞬緊張が走った。
「さぞかしいろいろお訊きになりたい事がおありなのでしょうね?」
華子は涼やかと表現するのが一番しっくり来る笑顔で二人を見て言った。
「はい。お答えいただけますか?」
蘭子は躊躇う事なく返した。すると華子は右手で口を隠して笑い、
「それは貴女方の実力次第です。お教えするだけの力量がおありならば、包み隠さずお答えしますが、そうでない場合は、このままお引き取りいただくか……」
意味あり気に言葉を切り、目を細めて蘭子と瑠希弥を見た。
「お引き取りいただくか? それから?」
蘭子は今にも前に出て来そうになっている裏蘭子を押さえ込みながら先を促した。
「お命をいただくかになります」
華子は右の口角を吊り上げた。蘭子は思わず右手を握りしめた。
「まずは小手調べです、西園寺さん、小松崎さん。この金堂から見事脱出してみせてください」
華子は不意に立ち上がってそう言うと、フウッと消えてしまった。
「え?」
蘭子と瑠希弥はギョッとして周囲を見回した。しかし、どこにも華子の姿はない。いやそればかりか、周りの情景が変わっていた。大日如来像は消え、闇が延々と続いている。その真ん中辺りを細い道が通っておるのが辛うじてわかるのは、ポツンポツンと建てられている
「何、これ?」
蘭子は座布団から立ち上がった。瑠希弥も同時に立ち上がる。その途端、座布団は消え、二人の足下には荒涼とした地面が現れた。
{幻術?」
蘭子が呟く。
「でしょうね。移動させられた様子はありませんから。あのお茶に何かの媚薬が含まれていて、華子の術を補助している可能性があります」
瑠希弥はすでに感応力を全開にして周囲を探知していた。
『私に代われ、もう一人の蘭子! 幻術ごと吹き飛ばしてやる!』
蘭子の心の中で裏蘭子が叫んだ。
「ダメよ、もう一人の私。これはそんな力任せのやり方では破れないと思うわ。瑠希弥に任せましょう」
蘭子は裏蘭子を窘め、瑠希弥を微笑んで見た。瑠希弥はその言葉と視線に頬を赤らめ、
「ありがとうございます、先生」
そして更に辺りを細かく探り出した。
「上下左右前後、全てが感知できなくなっています。こんな事ができるなんて、五十鈴華子は相当な術者ですね」
瑠希弥も焦りを感じ始めたのか、額に汗が伝わった。
「そこから出られないのであれば、そのまま死んでいただきますよ、西園寺さん、小松崎さん」
華子の声は四方から聞こえて来た。
(これは一体……?)
蘭子も焦りを感じていた。
(全くさっきまでの位置関係が探れないなんて考えられない。私はともかく、瑠希弥の感応力でもわからないなんて……)
何かある。何かで感応力を妨害されている。蘭子はお茶を飲むまでの一蓮の行動を思い起こしていた。
(お茶のせいで感覚を狂わされているのであれば、私達は互いを見失っているはず。でも、瑠希弥は私を、私は瑠希弥を感知できている。これはどういう事なのかしら?)
周囲の全てのものが認識できないのであれば、瑠希弥がどこにいるのかもわからなくなるのが道理。蘭子はそこにこの幻術のヒントが隠されている気がした。
(そして、闇の中に浮かび上がった小道と松明の火。何か意味があるの?)
蘭子はある仮説を立ててみた。
(もしそうであれば、この幻術は破れるはずだ)
蘭子は法界定印を結んだ。
「瑠希弥、大日如来真言を唱えて!」
蘭子が叫ぶ。瑠希弥は大きく頷き、
「はい、先生!」
二人は息を合わせて真言を唱えた。
「ナウマクサマンダボダナンアビラウンケン」
すると先程まで闇だった場所に光り輝く大日如来像が姿を現し、辺りを照らし出した。
その如来像の放つ光によって闇が払われ、元の情景がまるで洗い出されるように二人の周囲に戻って来た。
「お見事です。さすが名のある方々ですね」
華子も姿を現し、微笑んで拍手をしている。蘭子はキッとして華子を見て、
「私達が互いを見失わなかったのは、繋がりを持っていたから。繋がれば開ける。全てを開く大日如来真言を唱えれば、まずは如来様と繋がれる。そうすれば全部元に戻ると考えたのです」
華子は蘭子の言葉に目を見開いて驚いたような顔をしてみせた。蘭子にはそれが故意に見え、腹立たしくなった。
「まさにその通りです。よくそこにお気づきになりましたね。では貴女のご質問に一つだけお答え致しましょう」
華子の顔がまた読めない表情になる。蘭子は警戒心を強めながら、
「呪術によって人を殺せば、貴女は地獄の責め苦に堪えなければならなくなる。それをわかっていながら、何故呪殺をしたのですか?」
答えてはくれないだろうと思いつつ、尋ねた。すると華子はフッと笑い、
「簡単な事です。私は死にません。ですから、地獄の責め苦を恐れる必要もないのです」
その回答に蘭子は目を見開き、瑠希弥を見た。しかし、瑠希弥は首を横に振り、
「今の答えが本心なのかはわかりません」
そう呟き、更に、
「ですが、ほんの少しだけ、華子の後ろに潜んでいる者の姿が見えました」
華子に鋭い視線を向けた。蘭子はもう一度華子を見やった。
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