錦城紅の話

 霊能者である西園寺蘭子は、弟子の小松崎瑠希弥と共に調査対象である錦城紅という霊媒師の邸に赴いた。

 

 錦城は五十鈴華子という霊能者に命を狙われているにも関わらず、全く動じたところがなかった。彼女の言葉によると、華子が仕掛けて来た呪詛を呪詛返しで跳ね除けた結果、別の関係者の女性が命を落としたと言う。


「五十鈴華子と言う霊能者は、私には劣りますが、そこそこ力を持っているようですね。私の呪詛返しをもう一度返したのですから」

 

 蘭子と瑠希弥の向かいに腰を下ろした錦城は余裕の笑みを浮かべて言った。


(この人、五十鈴華子が油断を誘うためにわざとそうしたとは思っていないのね)


 蘭子は真相を話すか話さないか迷っていた。


『話す必要はないよ、もう一人の蘭子。こいつは殺されても仕方がない事をしたんだ』


 蘭子の心の中で裏蘭子が言った。


『そんな簡単に結論を出さないでよ。そのせいで錦城さんが亡くなったりしたら、寝覚めが悪いわ』 


 蘭子は裏蘭子に反論した。


『あんたの思う通りにすればいいよ。私は教えない方がいいと思うけどね』


 裏蘭子は嫌味っぽく言って口を噤む。蘭子は裏蘭子の言いようにムッとしたが、自分の考えを通そうと思った。


「私の見立てでは、五十鈴華子は貴女を油断させるために手を抜いたと思われるのですが?」


 蘭子は錦城が怒り出さないかと思いながら話した。すると錦城は大声で笑い出して、


「西園寺先生ともあろう方が、あの程度の霊能者を買い被り過ぎですよ。あの女はそこまでの知恵も力もありませんよ」


 錦城は笑い過ぎて涙を流していた。それを見て、蘭子は裏蘭子の言葉が正しかったと思った。


(ここまで自分を過信しているのであれば、例え殺されたとしても、自業自得ね)


 蘭子がそう結論づけようとした時、


『先生、それでは五十鈴さんを止めるという依頼を遂行しない事になります』


 瑠希弥が心の中に語りかけて来た。蘭子はあっとなった。


『そうね。ありがとう、瑠希弥。私、大変な事をしてしまうところだったわ』


 蘭子は裏蘭子に乗せられそうになった事を反省した。


『私のせいにするなよ、もう一人の蘭子。決めたのはあんたなんだからな』


 裏蘭子がムッとした調子で口を挟んだ。


『悪かったわよ。私の判断ミス。それでいいでしょ?』


 蘭子が謝罪すると、裏蘭子は、


『わかればよろしい。人間、誰にでも間違いはある。気にするな』


 妙な励ましの言葉をもらい、複雑な思いの蘭子である。


「五十鈴華子の友人の方が、華子を心配して私に依頼して来たのです。いずれにしても、警戒された方がいいですよ」


 蘭子はまだ笑っている錦城に告げた。しかし錦城は、


「ご心配は感謝致しますが、五十鈴如きがどれほど力を使おうとも、私を呪殺する事はできませんよ」


 あくまで強気の構えを崩さない。するとずっと黙っていた瑠希弥が、


「それにしては、お邸のそこかしこにたくさんの結界札が貼られていますね」


 その言葉に錦城の笑いが止まった。彼女はビクッとして瑠希弥を見た。


「日本有数の名だたる霊能者の先生が作られた結界札のようですが、五十鈴華子の呪詛は止め切れないと思います。あくまでも、私の見立てですが」


 瑠希弥は微笑みながら言った。だから余計怖いと蘭子は思った。


(瑠希弥が珍しく怒っているわ。どうしたのかしら?)


 蘭子は瑠希弥の怒りの原因を知りたくなった。


「そ、そんな……」


 錦城は霊能者の格に関してはかなり通じているのは蘭子にもわかった。


 錦城にとっては、一見すると、華子は随分と格下に思えるのかも知れない。


 だが、自分より遥かに格が上と思われる瑠希弥に結界札の不備を指摘されたので、動揺しているのだ。


「五十鈴華子という人は、自分の力を相手に気取らせない術を心得ているようです。このままにしておくと、貴女は確実に呪い殺されますよ、錦城さん」


 瑠希弥の脅しは錦城を一気に追いつめた。


『おいおい、瑠希弥って、私より残酷な性格じゃないのか?』


 裏蘭子が思わずそう呟いたほどだ。


「ど、どうすればいいのですか、小松崎先生?」


 先程までの強気はどこに置いて来てしまったのかと思えるほど、錦城は情けない顔と声になっていた。


 後一押しすれば、泣き出しそうだ。


「結界札そのものの力は十分整っているのですが、貴女の配置の仕方が間違ってるのです。私が言う通りに直せば、守ってくれますよ」


 瑠希弥は微笑んで言った。錦城はとうとう泣き出してしまった。


「ありがとうございます、小松崎先生! 是非お教えください」


 彼女はソファから降り、床に土下座した。これには瑠希弥も面食らってしまったようだった。


 


 瑠希弥は錦城から邸の間取りを聞き、効果的な結界札の貼り方を指導した。


「ありがとうございます、小松崎先生」


 錦城は瑠希弥信者に変貌してしまった。蘭子は少し呆れ顔になっている。


(この人、ホントに調子がいいのね)




 瑠希弥は信頼を得た錦城から、星野曜子の自殺に関する話を聞き出した。


「星野曜子さんの事を知ったのは、ほんの偶然なんです」


 最初に会った時とは別人のようにしょんぼりとしている錦城を見て、蘭子は笑いそうになった。


「この近くにあるジムで見かけたんです」


 錦城は瑠希弥を見て言った。瑠希弥は頷いて、


「それで?」


 先を促す。錦城は俯いて、


「そのジムのインストラクターに若くてカッコいい男性がいるんです。私は半分その人目当てに通っていました」


 よくある話ね。蘭子は腕組みをして思った。


「ところが、そのインストラクターに彼女がいるらしい事をジムで知り合った女性達の話から知りました」


 錦城の言葉を待っていたかのように瑠希弥は頷き、


「その彼女というのが、星野さんだったのですね?」


「はい……」


 錦城は消え入りそうな声で応じた。


「星野さんかその男性を奪うために嫌がらせをしたのですか?」


 蘭子がつい話を先取りしようとして尋ねた。すると錦城は首を大きく横に振り、


「私の感情だけでやった訳ではないです。あの人を守るためです」


「守るため?」


 蘭子はキョトンとして鸚鵡返しに言い、瑠希弥を見た。


「そこから先は、錦城さんに訊いてください、先生」


 瑠希弥は何故か顔を赤らめてそう言った。蘭子はますます意味不明になったが、


「どういう事なんですか?」


 すると錦城も顔を赤らめながら、


「星野さんは下げマンなんです」


「え?」


 カマトトと言われる蘭子にも、その言葉は理解できた。


「彼女と付き合った男性は破産し、地位を失う運命を辿るのです。それがわかったので、別れさせようといろいろ手を尽くしました」


 蘭子はあまりの衝撃のため、呆然としてしまった。


(星野さんに原因があったの?)


 裏蘭子も何も突っ込んで来ない。彼女も驚いているのだ。


「何にも増して驚いたのは、インストラクターの方が逆の運勢の人なんです。その、上げチンとでも言うのでしょうか……」


 錦城も恥ずかしそうに話すので、蘭子も瑠希弥もどんどん顔が紅潮していくのがわかった。


「その運勢を以てしても、星野さんの下げ運気を止められないほどだったのです。ですから、私は焦ってしまい、やり過ぎたのかも知れません」


 錦城は心から反省しているのが瑠希弥にはわかった。だが、錦城が反省しても、華子を止める事はできないのもわかっていた。


「ですから、最終的には私は命を落としても仕方がないと思っているんです」


 錦城はまた泣き出してしまった。


「今の話をしても、五十鈴華子を説得する事はできないかも知れません。でも全力を尽くし、貴女のためだけではなく、彼女自身のため、そして亡くなった星野さん、依頼者の方にためにも、呪殺は阻止します」


 瑠希弥が肩を震わせて泣く錦城に優しく語りかけた。


「小松崎先生……」


 錦城が真っ赤になった目で瑠希弥を見上げる。


「よろしくお願いします」


 彼女は再び床に土下座して瑠希弥に懇願した。


 


 蘭子と瑠希弥はしばらくして錦城邸を出た。


「きょうの瑠希弥はもう一人の私も怖がるほど迫力があったわね」


 蘭子が助手席で言うと、瑠希弥はまた顔を赤らめて、


「錦城さんが事態をきちんと把握していなかったので、本心を引き出すためにちょっと脅かしたのです」


『あれが瑠希弥の本性なんじゃないか?』


 裏蘭子が無責任な発言をした。瑠希弥は裏蘭子の言葉を聞いたのか、


「そ、そんな事はありません! 確かに私は一時期は自分の宿命に追い詰められて、荒れた時もありましたが、今はそんな考えは全くありません」


 涙ぐんで主張したので、蘭子が裏蘭子に、


『貴女が妙な事を言うから、瑠希弥がか悲しんでるじゃないの! 謝りなさいよ』


 裏蘭子は瑠希弥の気持ちを感じたのか、


『すまない、瑠希弥。不用意な事を言ったな。許してくれ』


 瑠希弥は涙を拭って微笑むと、


「わかっていただければそれでいいんです、蘭子さん」


『ありがとう、瑠希弥。それにしても、上げチンをものともしない下げマンとは、凄い女だったんだな、星野曜子は』


 裏蘭子が改めてそう言ったので、蘭子と瑠希弥はまた真っ赤になってしまった。

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