呪殺の果てにあるもの

苦手な依頼

 霊能者である西園寺蘭子は、G県で起こった事件で、名倉英賢という超絶的に強い老人に助けられ、その英賢の弟子である江原雅功の妻の菜摘からは強大な敵の存在を知らされた。


 また大変な事が起こりそうな予感がし、蘭子は身を引き締めた。


 


 そして、それからしばらく経った八月のある暑い日。


 しばらくぶりに、蘭子は依頼を受ける事になった。


「お忙しい西園寺先生にお願いするのも申し訳ないのですが、助けて欲しいのです」


 事務所にやって来たのは、二十代後半くらいの女性。長い黒髪に程よくウェーブがかかっている。着ているのは黒のパンツスーツで仕事ができるイメージが湧く。


「私は、エリス女子学院高等部の教師をしている小原理恵と申します」


 蘭子に勧められ、小原と名乗った女性はソファに腰掛ける前に自己紹介をした。


「エリス女子学院ですか?」


 世情に疎い蘭子が救いを求めるように弟子の小松崎瑠希弥を見る。


「神奈川県の私立の名門です。幼稚舎から大学院まであります」


 瑠希弥がiPadで素早く検索して答えた。


「それで、ご依頼の内容はどんな事でしょうか?」


 蘭子は理恵の心の中を覗き見ようとしたが、何故か深い霧に阻まれたように見えなかったので、直接尋ねた。


(嫌な予感がするなあ)


 それは瑠希弥も感じているようで、蘭子に小さく頷く。二人は理恵がソファに腰を下ろすのを見届けてから並んで座った。


「私の友人に五十鈴いすず華子はなこという女性がいます。彼女を止めて欲しいのです」


 理恵がその名を口にした途端、瑠希弥には依頼の全貌が見えた。


(五十鈴華子という人、凄まじい力を持った人だ)


 瑠希弥がいきなり額に汗を滲ませたので、蘭子はハッとしたが、理由は尋ねない。


「その方を止めるというのは、どういう事ですか?」


 蘭子は眉をひそめて理恵に尋ねた。理恵は脇に置いていたショルダーバッグから写真を三枚取り出してテーブルの上に並べた。


「この人達が、華子のせいで命を落としました」


 どれも理恵と同年代の女性を撮ったスナップ写真だ。蘭子は瑠希弥が手を握って来たのでドキッとしてしまったが、彼女が捉えた事件の情報がそこから伝わって来たので、目を見開いた。


(五十鈴さんは霊能者なのね。それも攻撃能力が飛びぬけて高いわ)


 蘭子の額にも汗が滲む。怪訝そうな理恵の表情に気づき、蘭子は、


「具体的には何が起こったのですか?」


 わかっていたが、敢えて尋ねた。理恵はギュッと手にしたハンカチを握り締め、


「華子には、小学校時代からの親友の星野曜子という女性がいました。その曜子さんはインターネットの小説投稿サイトに自作の小説をアップロードしていました」


 蘭子は専門外の言葉がたくさん出て来たので、また救いを求めて瑠希弥を見る。


「パソコンから小説を投稿できる場所があるんです。そこに自分の書いた小説を投稿していたそうです」


 瑠希弥が蘭子にもわかるように説明した。蘭子は苦笑いして、


「そ、そうなんですか」


 驚いた顔の理恵を見た。理恵は一拍置いてから、


「その小説がある一部のユーザにこき下ろされ、曜子さんは小説を削除し、登録も抹消したのですが、その連中は曜子さんのプロフィールに載っていたメールアドレスに直接メールして来て、悪口雑言を浴びせたそうです」


 蘭子はまた意味がわからない言葉がいくつか出て来たのだが、話の腰を折るのはまずいと思い、深刻な表情で頷いた。理恵は蘭子の反応に疑問を抱いたようだったが、


「曜子さんはそのたびに相手のメルアドからの送信をできないようにしたのですが、相手は捨てアドを使って次々に迷惑メールを送りつけて来ました。曜子さんは実生活に支障が生じるほど悩まされ、パソコンを開かなくなったそうです」


 更に意味不明な単語が登場し、蘭子はパニック寸前になった。瑠希弥が彼女に頷き、理恵を見る。


「それからどうなったのですか?」


 理恵は蘭子がインターネットに疎いのを察したのか、瑠希弥に顔を向けた。蘭子はそれを見て悲しくなったが、ホッともした。


「曜子さんはそれで嫌がらせは終わると思ったらしいのですが、その連中はどうやって調べたのか、曜子さんの住所に直接手紙を送って来ました」


 蘭子は華子が霊能力を悪用して写真の女性達にした事よりも、女性達が曜子にした嫌がらせの方がおぞましいと思った。


「毎日送りつけられる罵詈雑言が書かれた手紙のせいで、曜子さんはノイローゼになって入院し、数日後、ベッドの手摺りにナースコールのコードを引っかけて首を吊ってしまいました」


 理恵の目は涙で濡れている。いつもは涙脆い蘭子と瑠希弥だったが、悲しみよりも怒りが湧いていた。


「数日前、華子が私の家に来ました。彼女が不思議な力を持っているのは知っていましたが、まさかあんな事ができるなんて……」


 理恵は華子に聞かされたのだ。曜子を死に追いやった女性達をどんな風に殺害したのかを。


(呪殺……。まずいわね)


 蘭子は華子の報復方法を知り、表情を曇らせた。


(華子さんを止める事はできても、彼女を救う事はできない)


「この写真は、華子が嫌がらせの相手を隠し撮りしたものです。三人共、もう……」

 

 理恵は堪え切れなくなったのか、声を上げて泣き出してしまった。


 もちろん、殺された女性達を哀れんでではない。


 復讐の鬼と化してしまった華子を哀れんでである。


「もう遅いかも知れないのですが、華子はまだ人を殺すつもりです。その人が事件の首謀者らしいんです」


 理恵はハンカチで涙を拭いながら蘭子と瑠希弥を見た。


「それで五十鈴さんの復讐は完結するのですね」


 蘭子は写真を見ながら言った。理恵はハンカチをバッグにしまい、


「恐らくそうだと思います。華子は私の家に来た時、『もう会う事はないでしょうね』とおかしな事を言いました。あの子も自分が許されない事をしているのはわかっているんです」


 蘭子はその言葉に頷き、


「もしかして、私達の事を五十鈴さんからお聞きになったのですか?」


 探るような目で見る。だとすれば、理恵の心の中を覗けない理由がわかるからだ。華子が妨害しているのだ。


「はい。華子は『もし私を止めたいのなら、西園寺蘭子という人を訪ねなさい。そうすれば、最後の殺人は未遂に終わるかも知れないわ』と言いました。彼女は西園寺さんのお邸の住所も知っていました」


 理恵はまた目を潤ませている。蘭子と瑠希弥は顔を見合わせて頷いた。


「貴女の依頼、確かに承りました。五十鈴さんの凶行は必ず止めます。ですが……」


 蘭子は言葉を濁した。すると理恵は涙を流しながら微笑み、


「わかっています。華子は罰を受けてしまうのですよね。それは彼女から聞いています」


「ごめんなさい、小原さん。そればかりは私達にもどうする事もできないんです」


 蘭子は頭を下げて詫びた。しかし、理恵は、


「仕方がありません。華子がそれを承知で始めたのですから。いくら曜子さんを死に追いやった憎い相手でも、もうこれ以上死なせるのは忍びないのです」


 蘭子と瑠希弥は黙って頷いた。


 


 しばらくして、報酬の話を終え、理恵が帰った。


「最後にお金の話をするのが一番辛いわ」


 蘭子はグッタリとしてソファにもたれかかった。瑠希弥も悲しそうな顔になり、


「そうですね。私も辛いです」


 この場に金の亡者の八木麗華がいないのを心から感謝する蘭子であったが、


「それにしても、一つ気になる事があるわ」


「小原さんの心を何故五十鈴さんが覗けないようにしていたのか、ですね?」


 瑠希弥が真顔になって蘭子を見た。蘭子は身を起こして、


「自分のしでかした事を本当に承知しているのであれば、理恵さんの心を読めないようにする必要がないのよね。そこが引っかかるわ」


「裏がありますね、この事件」


 瑠希弥は腕組みした。蘭子は立ち上がって、


「とにかく、手早く片づけるわよ、瑠希弥。麗華が帰って来たら、またややこしくなるから」


「はい、先生」


 瑠希弥も立ち上がり、事務所を後にした。




 蘭子達の予想通り、事件にはまだ裏があったのだ。

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