邪悪な罠

久しぶりのG県

 私は西園寺蘭子。霊能者です。


 邪法師の近藤光俊との戦いを終え、助けに来てくれた椿直美さんと別れを惜しみ、彼女から無償でお貸しいただいている邸に帰った私達は、村上法務大臣の娘さんである春菜ちゃんを自宅まで送り届けました。


「ほな、ここで一旦解散でええか?」


 心霊医師の矢部隆史さんが実の父親だと知った親友の八木麗華は、積もる話をするために矢部さんと二人で夜のとばりが下りて来た街へと消えて行きました。


 羨ましいです。私にはもうそんな話をする父はいません。


「先生」


 そんな私の気持ちを察したのか、弟子の小松崎瑠希弥が潤んだ目で声をかけて来ました。


「何?」


 私はつい泣いてしまいそうになるのを堪えて瑠希弥を見ます。


「お父様はいつも先生のそばにいらっしゃいますよ」


 瑠希弥は一筋涙を零して言ってくれました。


「ありがとう、瑠希弥」


 私は瑠希弥の前で父がいない事を悲しんだ自分が恥ずかしくなりました。


 瑠希弥と直美さんは、自分の実の両親に育児を放棄された子供だったのですから。


「私の事はお気になさらず……。お父様は先生をいつも心配されていますから」


 瑠希弥は健気にもそう言い添えてくれました。


「ありがとう、瑠希弥」


 私は堪え切れなくなって号泣し、瑠希弥を抱きしめました。


 瑠希弥は声にこそ出しませんでしたが、泣いていました。


 


 そして三日が経ちました。


 また瑠希弥と二人きりなので、緊張してしまいます。


 そして決めました。もう自分を偽るのはやめようと。


 私は瑠希弥が好き。瑠希弥も私が好き。それでいいのではないかと。


 そう思ってしまったら、気持ちが楽になり、瑠希弥と顔を合わせても笑顔になれました。


「おはよう、瑠希弥」


「おはようございます、先生」


 瑠希弥も爽やかな笑顔で応じてくれます。


『くどいようだけど、私もいるのを忘れるなよ、もう一人の蘭子』


 心の中で、いけない私が釘を刺して来ました。


『はいはい』


 私は苦笑いして、心の中で返します。


 顔を洗ってシャワーをすませ、キッチンに行くと、瑠希弥が朝食の用意をしています。


 普通なら「手伝おうか?」と言うのが礼儀なのでしょうが、包丁を持つと震えてしまう私はキッチンで何かをするのを固く禁じられているので、何も言いません。


「先生、今日はちょっと手抜きです。申し訳ないです」


 瑠希弥がすまなそうに言うので、どんなものなのかとテーブルに着くと、焼き立てのトーストと新鮮な野菜で作ったサラダ、作り置きしてある苺、オレンジ、夏みかんのジャム、インスタントではない鶏のスープ、豆を挽いて落としたコーヒー。


 全然手抜きとは思えません。私が思う手抜きとは、カップ麺とお湯だけとかのレベルです。


「そんな事ないわよ、瑠希弥。朝からたくさんありがとう」


 私はお世辞ではなくそう言い、椅子に座りました。


「ありがとうございます、先生」


 瑠希弥は本当に嬉しそうに微笑みました。それを見て私も顔が綻びます。


「美味しそうね」


 トーストにジャムをぬりながら言いました。


「牛乳はさっき届けてもらった新鮮なものです。ついでにバターも持って来てもらいました」


 瑠希弥はコップに大きな瓶入りの牛乳を注いでくれました。


「もう一枚は新鮮なバターでどうぞ」


 まだ柔らかいバターを小皿に取り出し、瑠希弥が言います。


「いい香りね。一枚と言わず、何枚でも食べられそうな気がするわ」


 私は生クリームのようなバターをトーストに取り分けました。


 


 そんな楽しい朝食を終え、コーヒーをじっくりと楽しみながら飲んでいると、麗華が帰って来ました。


「おう、ええ匂いしてるやん。ウチの分もある?」


 麗華は嬉しそうな顔で瑠希弥に尋ねました。


「もちろんありますよ、八木先生」


 瑠希弥もニコッとして応じました。


「もう、挨拶くらいしなさいよ、麗華」


 私はいきなりトーストにかぶりつく麗華に呆れて言いました。


「まあ、ええやん。ウチら、そない気ィ遣う仲でもないんやから」


 麗華はニヤッとして私と瑠希弥を見ました。私は瑠希弥と顔を見合わせました。


 麗華は矢部さんと矢部さんの家で話をしていたそうです。


 矢部さんがどれほど麗華との別れを惜しんだか、麗華のお母さんである岡本綾乃教授もどんなに麗華を手放したくなかったか。


「そないな話聴かされて、矢部ッチがあの顔で泣くんよ。もう何も言えなくなってな……」


 そんな憎まれ口を叩きながらも、麗華の目は潤んでいます。


 まだ充血しているので、きっとたくさん泣いたのでしょう。


「またいつか、育てのおとんとおかんにも矢部ッチと一緒に挨拶に行かなあかんと思うてるねん」


「岡本教授には会いに行かないの?」


 私は不思議に思って訊きました。すると麗華は肩を竦めて、


「岡本のおかんは、今イギリスやねんて。一年の半分以上は海外に行ってるゆうてたわ。メチャ忙しい人らしいねん」


 おどけてみせていますが、本当は残念なのがわかります。


 麗華とひとしきり話をしてから、私達は近藤との戦いで疲れ切った肉体と霊体を癒すために特別なお香を焚きました。


 心身共にリフレッシュできるとても高価なものです。


 実はこれも直美さんのもの。


 もちろん、許可をいただいて使用していますよ。何でも好きなだけ使ってくださいとは言われていますが。


 


 昼食を挟んで、延々と三時間ほど、私達はお香で癒されました。


 少しウトウト仕掛けた時、玄関のドアフォンが鳴りました。


 気功少女の柳原まりさんが来たようです。


 いつの間に用意したのか、瑠希弥はパンケーキを何枚も載せた大皿を運び、リヴィングルームのテーブルに置くと、まりさんを迎え入れました。


「今日は」


 まりさんはいつもの制服姿ではなく、白いTシャツにブルージーンズのショートパンツです。


 もう遠い過去となってしまったので忘れていたのですが、今は夏休みなのですね。


 すらりとした健康的な脚です。同年代の男の子が見たら、悩殺されますね。但し、まりさんは「ボクッ娘」ですから、男子には興味がないですけど。


「おう、まり、またエロい脚剥き出しにして、瑠希弥を落とすつもりか?」


 麗華が不躾な事を訊きます。でもまりさんはニコッとして、


「ボクの貧弱な脚なんか見せても、瑠希弥さんには通じませんよ」


 謙遜しています。麗華に見習って欲しいくらいです。瑠希弥は苦笑いしています。


 よく見ると、まりさんて、結構隠れ巨乳みたいです。負けそう……。


「おなか空いてるでしょ、食べて、まりさん」


 瑠希弥はバターと生クリームと蜂蜜を用意して、まりさんにパンケーキを勧めました。


「ありがとうございます。いただきます!」


 まりさんは舌舐したなめずりして、あっと言う間にそれを平らげてしまいました。


「あ、いっけない」


 まりさんは口の周りをティッシュで拭いながら何かを思い出したように私達を見渡しました。


「実は、G県の箕輪まどかさんからメールが来て、G県に遊びに来ないかって誘われたんです」


「まあ、まどかちゃんから?」


 まどかちゃんは霊感少女。私の数少ないお友達の一人です。


「もちろん、皆さんも一緒にって書かれていました。どうですか?」


 まりさんは私と麗華をチラッと見てから、瑠希弥をジッと見ました。気のせいではないと思います。


「もちろん行かせていただくわ。ねえ、瑠希弥?」


 瑠希弥はまりさんに微笑んで、


「はい、先生」


 私を見てくれました。ああ、今また私、まりさんに嫉妬してしまいました。ダメな大人です。


「もしかして、慶君も来るんか?」


 麗華が身を乗り出して尋ねました。まりさんは一瞬キョトンとしましたが、


「ああ、まどかさんのお兄さんですね? ええ、いらっしゃいますよ。奥さんもご一緒に」


「お、奥さん?」


 麗華が目を見開きました。私もえっと思ってしまいます。


 もしかして、慶一郎さん、ようやく里見まゆ子さんと結婚したのでしょうか?


「あれ、ご存知ではなかったんですか? お兄さんと里見さんが結婚したのですよ、五月に」


 まりさんは少しバツが悪そうです。麗華が慶一郎さんを狙っていたのを知っているのでしょう。


「それから、まどかさんのボーイフレンドの江原耕司君も来ます」


 まりさんのその一言で、麗華が復活しました。


「よし、蘭子、瑠希弥、すぐに出発や!」


 興奮気味の麗華に私と瑠希弥は呆れ、まりさんは唖然としました。


 まりさんの話では、G県のH山にあるオートキャンプ場で一泊し、周辺を観光する予定だそうです。


 出発は明後日。楽しみです。


 でも、楽しい事など何もないというオチが待っているとは、その時の私達は夢にも思わなかったのです。


 


 西園寺蘭子でした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る