大浄化

 私は西園寺蘭子。霊能者です。


 父の公大も戦った事のある邪法師の近藤光俊。


 苦戦した戦いも、心霊医師の矢部隆史さんが私の親友の八木麗華のお父さんだというすごいカミングアウトがあったにも関わらず、完全勝利には至れませんでした。


 あと一歩まで追いつめたはずなのに、近藤はしぶとく力を取り戻しました。


 彼の身体には高僧の魂が取り込まれており、闇の力を持っているのに真言を使えるのです。


 高僧が唱えたのは自在天真言。最大の攻撃真言です。


 私達は直撃を免れるのが精一杯で、吹き飛ばされてしまいました。


「その血をいただく前に愉しもうと思ったが、もうそんな事はどうでもいい。貴様らが抵抗し過ぎたせいで、俺はギリギリまで力を使っちまった。もう時間がねえんだよ!」


 近藤の顔がまた険しくなりました。いよいよまずい事になりそうです。


 どこも骨折とかはしていないと思いますが、真言の影響で身体の自由が効きません。


 今彼に仕掛けられたら、ほとんど抵抗できません。


「麗華……」


 一番酷い怪我をしている矢部さんは、自分の身より娘である麗華を案じています。


「おとん……」


 麗華も顔を上げて矢部さんを見る事しかできないようです。


 近藤を見上げると、彼は服の下から刃渡り一メートルほどはある長い刀を出しました。


 日本刀のようです。本当に切り刻むつもりです。


「美しい父子愛か。見苦しいな、不細工、淫売」


 近藤は血走った目で二人を見ると、大きな口を開けて笑い出しました。


 麗華が歯軋りしました。矢部さんも近藤を睨みつけています。


『もう一人の蘭子、私に代われ!』


 いけない私が心の中で叫びました。


『わかった。頼むね、もう一人の私』 


 私は全てをいけない私に託しました。ちょっと怖い気もしましたが。


「はああ!」


 いけない私が前に出たお陰で、動かなかった身体に力が戻りました。


「む?」


 一番弱っている矢部さんに近づいていた近藤が私の方を見ました。


「食らえ、腐れ外道!」


 いけない私は近藤に駆け寄りながら印を結びます。


「オンマリシエイソワカ!」


 私の摩利支天真言の数倍の威力のものが放たれ、近藤に向かいました。


「届かねえよ!」


 近藤はニヤリとして石畳に散らばっていた数多くの遺体を操り、それを楯代わりにして真言を受け止めてしまいます。


 摩利支天真言を浴びた遺体は妖気を失い、枯れ木のようにしおれ、石畳に落ちて砕けました。


 何というむごい事をするのでしょうか。ますます許せません。


「まだ終わってねえぞ!」


 いけない私はそれでも走り続けます。


「バカめ、お前の力ではこの俺は倒せねえよ、西園寺の娘」


 近藤は哀れむような目を向けてきます。何だかとてもしゃくさわりました。


「それはどうかな!?」


 いけない私も負けずにニヤリとしました。勝算があるのでしょうか?


 近藤に見抜かれるのを恐れたのか、私にすら手の内を覗かせてくれません。


「オンマケイシバラヤソワカ!」


 今度は自在天真言です。それは高僧の光明真言で打ち消されてしまうはずです。


 何を考えているのでしょう? 


『私を見損なうなよ、もう一人の蘭子』


 いけない私がようやく手の内を見せてくれました。なるほどです。


「オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」


 予想通り、高僧の魂が最強の防御真言である光明真言を唱えました。


「バカめ、頭が悪いのか?」


 近藤が勝ち誇った顔になりました。いけない私の自在天真言は打ち消されてしまいました。 


「頭は悪くねえし、頑丈にできてるよ!」


 いけない私はそのまま突進し、近藤の頭に力任せにヘッドバットです。


 いくら敵をあざむくためとは言え、この方法はもう二度と賛成しません。


 実際に痛いのは私なのですから。


「ぐはあ!」


 近藤はまさしく意表を突かれ、そのままもんどり打って仰向けに倒れました。


 その拍子に日本刀を投げ出してしまいます。


「っつう、年寄りのくせに頭かてえな……」


 いけない私も涙目になっていました。


「坊さんの魂はもう一人の蘭子が解放するぜ、腐れ外道」


 いけない私は近藤のお腹をドスンと踏みつけて言いました。


「ぐへえ……」


 近藤は頭が痛いのとお腹が痛いのとで、顔が複雑に歪みました。


 一方私は、いけない私の頭突きの時に意識を近藤の心の中に飛ばしました。


 深い闇がしばらく続き、その向こうに呪文を書かれた鎖でつながれたお坊様の姿が見えて来ました。


 かなり高齢です。ここまでされながらもまだ神々しい気を放っていらっしゃいました。


 名のある方なのでしょうが、近藤の力で目と耳を封じられているようです。


「オンマリシエイソワカ」


 私は摩利支天真言で近藤の呪文を打ち破り、お坊様のそばに着地しました。


「おお……」


 お坊様は目と耳が利くようになったので、私に気づきました。


「助けに来ました」


 私が声をかけると、お坊様は、


「この者は消し飛ばす事はできぬ。骨の髄まで浄化し、二度とこの世に生まれ出でぬようにせねばならぬ」


「はい」


 私はお坊様に頷きました。


「一足先にあちらで此奴こやつを待っている。そこから先は儂に任せよ」


「はい、よろしくお願いします」


 私はお坊様に頭を下げました。お坊様は微笑むと光に包まれ、消えてしまいました。


「任務完了ね」


 私も自分の身体に戻りました。


「貴様ら、何をした?」


 近藤は自分の力の容量が急激に減ったのを感じたみたいで、私を睨みつけました。


「てめえが頼りにしてた坊さんはもう一人の蘭子が助け出したよ、腐れ外道。そろそろ逝く時だぜ」


 いけない私はドヤ顔で近藤に言いました。角度的に近藤にスカートの中が丸見えですが、今はそれどころではありません。


「何だと?」


 近藤の顔が引きつったのがわかりました。彼の尋常ではない強さの源はあの高僧だったはず。


 容量が減れば、力も落ちるのは必然です。


「畜生! だが俺は負けん! 決して終わらせねえ!」


 再び急速に老いが襲い始めた近藤は皺だらけの顔で叫びます。


 見ていて痛ましくなります。でも、同情はしません。自業自得だからです。


「ちくしょう、ち……く……しょ……」


 動きも鈍くなって来ました。彼は周りにある遺体を集め、そこから妖気を吸収しようとしますが、もう受け皿がなくなって来ているために留めておく事ができません。


「お……の……れ……」


 近藤の身体は砂のように細かく砕け、崩れ落ちました。


 ところが崩れ落ちたその砂状のものが宙に舞い上がりました。


 そんな状態になっても、まだ逃亡しようとする彼の執念に私は驚愕してしまいましたが、いけない私は冷静です。


「逃げられやしねえぞ、腐れ外道!」


 いけない私は何故かニヤリとして叫びました。


 これは……?


 いつの間にか、辺り一帯に清らかな力が満ちて来ています。


 林の中に駆けて行った椿直美さんと私の弟子の小松崎瑠希弥が結界を張ったのでしょうか?


 でもそれだけではないようです。


 直美さんと瑠希弥の故郷の霊媒師の皆さんが力を結集して、巨大な結界を作ってくれたのです。


 いくら近藤でも、それを通り抜ける事はできないでしょう。


『蘭子、六字大明王陀羅尼ろくじだいみょうおうだらにを唱えなさい』


 父の声が聞こえました。空耳ではありません。ずっと見守ってくれていたのです。


「ここは一旦引くが、次にこの世に生まれ出でし時には、必ず成し遂げるぞ!」


 どこかで近藤が叫んでいますが、それも今では虚しく聞こえました。


「オーンマニパドメーフーン」


 私はいけない私と共に六字大明王陀羅尼を唱えました。究極の浄化真言です。


「何だと……」


 砂状になった近藤の身体がその一粒一粒ごとに浄化されていきます。


 お坊様のおっしゃったように骨の髄まで遺さずに浄化しないと、またこの世に転生して来てしまうのです。


「ま……さ……か……」


 近藤の悪意に満ちた気配が消えたのがわかりました。


 彼の魂の始末は、あのお坊様に任せる事にします。


「先生!」


「蘭子さん、麗華さん」


 直美さんと瑠希弥が駆けて来ました。私は麗華と矢部さんを助け起こしながら、二人に微笑みます。


 今までで一番苦戦した戦いはようやく終了です。


 これからあのお坊様と犠牲になった女子高生達の弔いを行わないといけません。


 二度とこのような事が起こらないようにと誓いながら。


 


 西園寺蘭子でした。

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