矢部医師の秘密

 私は西園寺蘭子。霊能者です。


 村上法務大臣のお嬢さんである春菜ちゃんとの偶然の再会から、私の父の公大が十六年前に戦った近藤光俊という邪法師の存在を知った私達。


 彼の居場所を突き止め、戦いを挑んだのですが、追いつめられ、弟子の小松崎瑠希弥の姉弟子的存在である椿直美さんが途中参戦し、逆転しました。


 近藤は親友の八木麗華も含めた私達四人の摩利支天真言を受け、その真の姿を見せました。


 彼は一体いつから生き続けているのだろうかというくらいの変貌を遂げたのです。


 不老不死を継続したい近藤は、私と瑠希弥と直美さんの三人の血を欲しがっています。


 ええと、その、つまりですね、「処女の血」が不老不死の儀式には不可欠らしいのです。




「許さん、許さんぞ……」


 近藤は彼の手にかかって命を落とした女子高生達の遺体で作った人造人間もどきを解体し、それに使用していた妖気を自分の身に戻し始めました。


 いよいよ大詰めです。近藤が再反撃に出る前に彼を浄化しないといけません。


「そうはさせるかい!」


 一人だけ生け贄ではないと言われて気が立っている麗華がいつもの如く胸の谷間からお札を取り出し、


「バケモンは地獄に帰れ!」


と叫ぶと、近藤に投げつけました。強力な浄化のお札です。


「邪魔するな、淫売!」


 近藤がまた麗華を口汚く罵りました。彼は幾体かの遺体から取り戻した妖気を使い、周辺の石畳を引き剥がしました。


 麗華の投げつけたお札がそれに阻まれます。


「何やと!?」


 麗華は呆気に取られています。そのせいで近藤が別の石畳を剥がして飛ばしたのに気づくのが遅れました。


「麗華!」


 私は思わず叫びました。


「八木先生!」


「麗華さん!」


 瑠希弥と直美さんもなす術がありません。


 宙を飛んだ石畳が、麗華に襲いかかりました。


「わわ!」


 麗華は慌ててその場から逃げようとしましたが、間に合うタイミングではありませんでした。


 麗華が潰されてしまう! 何もできない自分が悔しくて泣きそうになり、怖くて目を瞑ってしまいました。


『麗華は無事だよ、もう一人の蘭子』


 いけない私が心の中で言いました。


「え?」


 私は恐る恐る麗華を見ました。確かに麗華は無事でした。


「矢部ッチ……」


 彼女と石畳の間に矢部さんがいました。矢部さんはその細い身体で飛んで来た石畳を受け止めていました。


 当然無傷ではすみません。矢部さんは頭と顔が血塗れです。


「矢部さん!」


 私は泣きそうです。自分の不甲斐なさに加えて、矢部さんの男気に感動してしまって。


「ほお。よくそんな力があったな、不細工? 愛の力のなせる技か?」


 近藤がバカにしたような顔で言いました。え? 矢部さん、麗華の事が好きなの?


「ああ、そうかも知れないな」


 矢部さんは石畳を押し退けて倒すと、ふらつきながらも近藤を睨みます。


「矢部ッチ……」


 麗華は何とも複雑な顔をしています。あからさまに嫌な顔もできないですし、喜ぶのも無理があるのでしょう。


 矢部さんは顔の血を上着の袖で拭いました。


「お前もそれほど若くないのだろう、不細工? そこまで惚れても夢は叶わないぞ」


 近藤が容赦なく矢部さんを罵りました。すると矢部さんは、


「惚れた訳じゃない」


 鋭い目で言い返します。近藤が眉をひそめ、麗華がキョトンとしました。


 私は直美さんと顔を見合わせました。


「麗華は私の娘だ」


 更に衝撃的な言葉が聞こえました。複雑な表情だった麗華の顔が停止してしまったかのようです。


 いえ、私もそうです。矢部さんが麗華のお父さん? 


 麗華のご両親は霊感は全くない普通の人だったはず。どういう事?


 瑠希弥を見ると、彼女は私ほど驚いた様子がありません。


 多分矢部さんの心を読んだ時、そこまで見えていたのです。さすがです。


 だから矢部さんは、


「小松崎さん、それ以上私の心を読まないで欲しい」


と言ったのですね。


「こいつは傑作だ。父親と娘が同じ日に死ぬ。愉快だな」


 近藤はけたたましい声で笑い出しました。彼の顔が少しずつ若返って来ています。


「妖気で若さを生み出しているのです。あれは一時的なものですが、力を存分に使うには十分です」


 直美さんの言葉で私はハッと我に返りました。でも、麗華はまだ固まったままです。しばらく役に立たないかも知れません。


「奴の妖気の吸収は私が止めます。西園寺さん達は奴の浄化だけを考えてください」


 矢部さんは血だらけになった上着を脱ぎ捨てて近藤に近づき始めました。


「何をするつもりだ、不細工?」


 近藤はやはり矢部さんを一番警戒しているようです。


 その昔は邪法師だったという矢部さんですから、同じ闇の使い手の近藤の弱点も知っているのでしょう。


「瑠希弥」


 直美さんは私に目配せしてから、瑠希弥と共にその場を離れました。近藤がそれに気づき、


「行かせるか!」


 倒れていた遺体を起こし、二人の行く手を阻もうとしました。


「オンマリシエイソワカ」


 直美さんと瑠希弥は摩利支天真言で遺体を浄化しながら林の中に消えました。


 直美さんと瑠希弥は恐らく結界を張るつもりです。


 浄化の真言をより強めるため、近藤の呪術で穢された辺り一帯を清めるのでしょう。


「まあいい。お前達から片づけてやる!」


 近藤の顔はすっかり元通りになっていました。しかし、さっきより凶悪さが増したような気がします。


 妖気を吸収したせいかも知れません。


「私は邪法師である事を捨て、全うに生きる事を誓った。それなのにその誓いを破ろうとしてしまった」


 矢部さんは近藤を睨んだままです。近藤は不敵な笑みを浮かべ、妖気の吸収を続けています。


「それでは私を救ってくれた方に申し訳がない。だからもう闇の力にはすがったりしない」


 矢部さんはそう言いながら血の染みがいくつもできたワイシャツのポケットから護符を取り出しました。


 陰陽道の呪文が書いてあるもののようです。


臨兵闘者皆陣列前行りんぴょうとうしゃかいじんれつぜんぎょう!」


 矢部さんは早九字を唱えて、指の間に挟んだ護符を近藤目がけて投げました。


 護符はまるで鳥のように宙を舞い、勢いよく近藤に向かいます。


 護符に書かれているのは悪鬼を祓うものです。それで近藤の妖気を封じるのです。


「そんな紙切れでこの俺の力を封じられると思ったのか!」


 近藤の身体から先程より濃い妖気が噴出しました。


「あ!」


 近藤の妖気が矢部さんの護符を捉え、溶かしてしまいました。


「ざまあねえな、不細工? これで俺に勝てない事がわかっただろう?」


 近藤はニヤリとしてさげすんだような目を矢部さんに向けます。


「それはどうかな?」


 矢部さんがフッと笑いました。ごめんなさい、ちょっと怖いです。


「何?」


 近藤が矢部さんの笑みにイラッとした時です。


「おりゃあ!」


 麗華が近藤の背後に回り込み、踵落としを炸裂させました。


「ぐべえ!」


 それを全くの無防備状態で食らってしまった近藤は前のめりに倒れ、顔面を石畳で強打しました。


「今のは只の踵落としやないで、腐れ外道。浄化のお札をしこたま巻いた特製の踵落としや」


 麗華は会心のドヤ顔で言いました。確かに彼女の右足にはお札が巻き付けられていました。


「おらあ!」


 更に起き上がりかけた近藤を容赦なく踏みつけました。


「ぐうう……」


 近藤は石畳に這いつくばり、歯軋りしています。


「そんで、これはウチを助けてくれたおとんの分や」


 麗華は照れ臭そうにそう言うと、チラッと矢部さんを見ました。矢部さんは麗華の言葉に驚き、目を見開いています。


 私も驚いてしまいました。


「何や知らんけど、あんたとは妙に気が合う思うてん、矢部ッチ、いや、おとん。そういう事やったんやな」


 麗華は顔を赤くして言い添えました。矢部さんはようやく微笑みました。


「ああ、そういう事だったんだよ、麗華ちゃん」


「麗華でええやん、おとん」


 麗華は苦笑いして言いました。何だか羨ましいです。


「あ、麗華!」


 麗華が踏んづけていた近藤が彼女を倒して立ち上がりました。


 石畳に打ちつけた時に出た鼻血が口の周りを赤く染めています。


「この外道、まだそんな元気があったんか?」


 麗華はパンツ丸見えの態勢で怒鳴りました。さっきの少女のようなはにかんだ顔はどうしたのでしょう?


 その格好に「父親」である矢部さんは唖然としています。私も恥ずかしいです。


「もう弱ってんのに無理すんな、ボケが!」


 ピョンと立ち上がった麗華が畳みかけるようにお札を使おうとすると、


「舐めるんじゃねえよ、ガキ共が! 俺が何年この世に留まっていると思ってるんだよ!?」


 近藤の妖気が更に濃くなりました。


「オンマケイシバラヤソワカ」


 いきなりその身に取り込んでいる高僧の魂に最大の攻撃真言である自在天真言を唱えさせました。


「うわ!」


「ぐう!」


「きゃっ!」


 私達は直撃を免れるので精一杯です。辺りに倒れていた遺体と共に数メートルほど吹き飛ばされてしまいました。


「これで終わりにする。お前ら全員切り刻んでやる!」


 近藤は狂気に満ちた目で怒鳴りました。


 また逆転されてしまったのでしょうか?


 


 西園寺蘭子でした。

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