復讐のためだけに生きる男
私は西園寺蘭子。霊能者です。
演歌歌手の謎の自殺事件の真相を探る依頼を発端に、私達は強力な呪術を使う術者と対峙する事になりました。
そして、恐らくその術者の依頼主であると思われる事件の発端となった演歌歌手の木下真里亜さんの恋人だった男の人が住んでいる町に向かいました。
木下さんが所属していた芸能事務所の社長から入手した情報では、名前は井上学。二十七歳。
違う芸能事務所に所属する若手の俳優で、まだ露出は少なく、木下さんとは同郷のため、芸能界に入る前から付き合っていたそうです。
将来を誓い合いながら、まだ見ぬ夢を追いかける。
何だか泣けて来そうなお話です。
そして、実際に泣けてしまう結末を迎えてしまったのですが。
木下さんの自殺。
それによって、井上さんは事務所を辞めてしまったそうです。
井上さんの素性を聞き、彼のところに向かううちにいろいろと見えて来ました。
感応力では飛び抜けている弟子の小松崎瑠希弥が読み取った事情によると、 木下さんは、井上さんのステップアップも約束されて、社長に抱かれたようです。
木下さんの思いからはそこはわかりませんでしたが、井上さんの放つ強い念が瑠希弥に教えてくれたようです。
「恋人の今後まで言われたら、もう身を任せるしかないて思うたんやろな」
親友の八木麗華は、相変わらずふんぞり返った姿勢で助手席に座っています。
言わないとダメでしょうか? 言うともっとダメな事になりそうですが。
「あの社長、事件のケリがついたら、もう一度どつく」
「どつくだけじゃすませねえ。もっと追い込んでやるぜ」
その言葉に麗華と瑠希弥がビクッとして私を見ます。
そうです。忘れてました。
いけない私が表に出たままなのです。
だからそんな事を言ってしまいました。
「麗華」
いけない私が麗華を一瞥します。
「あ、はい!」
麗華はふんぞり返っているのをやめ、キチンと座りました。
「楽しみだなあ、大暴れしようぜ。相手はなかなか楽しませてくれそうな奴みたいだからよ」
「あ、はい」
麗華は顔を引きつらせて笑っています。また更に怖がらせてしまったみたいです。
「さすが瑠希弥だ。そこまではこの私にも見えなかったぜ」
いけない私はルームミラー越しに瑠希弥を見ました。
「あ、はい、ありがとうございます、先生」
瑠希弥はもっと怖がっています。あああ……。
『もう下がってよ、もう一人の私!』
私は我慢できなくなっていけない私に言いました。
『まだ待てよ、もう一人の蘭子。もう少し楽しませろよ』
いけない私は交代するつもりがないようです。
『わかりました。ではこちらにも考えがあります』
『何?』
いけない私は私の策略を読み、焦ったようです。
『わわ、それはやめてくれ、もう一人の蘭子。それを何度もされると、私は消えちまうよ』
私は以前出羽の大修験者の遠野泉進様に言われた事を実行しようと思ったのです。
そう、身体の中に向かって、摩利支天真言を唱えようとしたのです。
『交代するよ。だからそれだけは勘弁な』
いけない私はそう言うと、下がってくれました。
「さあ、もう少しよ、二人共」
私はいけない私が下がった事を知らせるためにそう言いました。
麗華と瑠希弥はホッとしたようです。
やがて車は、井上さんが住んでいるマンションの前に着きました。
私達は術者が何か仕掛けて来ないか警戒しながら車から降ります。
「気配はないようです」
瑠希弥が周囲をサーチして言います。
私達は頷き合って、マンションのエントランスに入りました。
そのマンションはオートロック付きのマンションで、住人以外は中からロックを外してもらわない限りエレベーターにすら乗れない造りになっています。
「またややこしいとこやな」
そういう手続き関係が嫌いな麗華が露骨に嫌な顔をします。
「部屋番号まで聞いて来たから大丈夫よ、麗華」
私はあの社長が寄越したメモを見ながら、インターフォンに備え付けられているボタンで部屋番号を押します。
「はい。どちら様ですか?」
井上さんの声が尋ねて来ます。
「西園寺蘭子と申します。天城波留香さんの自殺の件でお伺いしたい事があるのですが?」
私は断られるのを覚悟で尋ねました。
「わかりました。どうぞおあがりください」
井上さんはあっさり許可してくれました。
また嫌な予感がします。
あの悪徳芸能事務所の二の舞? そんな事を思ってしまいました。
しかし、考えてみても仕方ないので、私達はエントランスからロック解除されたドアを通り抜け、エレベーターホールに行きました。
「また罠か?」
麗華も同じ事を考えているようです。
「でも、井上さんの声からは何も悪意は感じられませんでした。ここにはあの術者は来ていないと思います」
瑠希弥が言いました。
「そうか」
麗華も瑠希弥の言葉に安心したようです。
「何階や?」
麗華はあの占い師の館の出来事を思い出したのか、エレベーターに乗るのを躊躇しました。
「三階よ。階段で行く、麗華?」
私は一応訊いてみました。
「そ、そやな、最近運動不足やからな」
麗華は苦笑いして誤魔化し、階段へと歩き出しました。
私と瑠希弥は顔を見合わせてから、麗華に続きました。
「ひい、ふう、きっついなあ」
麗華は息を切らせています。本当に運動不足のようです。
運動が苦手な私より息が上がっています。
「やっと着いたか」
麗華が三階のフロアに足を踏み入れた時でした。
「何や!?」
息を切らせていたとは思えない身のこなしで、麗華が反応しました。
私と瑠希弥も三階のフロアに上がった時、結界を通り抜けたのを感じました。
「やっぱり罠か?」
麗華が鋭い目で前方を睨みます。
「ああ、そうだよ。俺の復讐を邪魔する奴には、死んでもらうのさ」
廊下の先に鉈を右手に持ち、左手には金属バットを持った男が言いました。
井上学さんです。
術者に操られていると言うより、術者と同調していると言った方が正しい表現かも知れません。
洗脳に近いのでしょうが、井上さん自身がそれを望んでいるのです。
「イケメンやのに、考えが残念やな」
麗華はムッとして言い返しました。
他の住人が巻き込まれては大変と思いましたが、このフロアには井上さんしか住んでいないようです。
「井上さん、木下さんはそんな事を望んでいないわ。やめてください」
無駄とは思いましたが、一応言ってみます。すると井上さんは、
「お前達に何がわかるんだよ!? 自分のために好きでもない男に抱かれ、その揚げ句手に入ると思われていた栄光を横取りされた真里亜の気持ちがわかるのかよ!?」
と叫びました。彼は泣いていました。
術者によって嘘の記憶を刷り込まれ、木下さんが復讐を望んでいると思い込まされているのです。
あのCDケースに込められていた木下さんの怨嗟と憎悪を強力なものにしてしまったのは、井上さんのこの悲しいまでの怒りの心でした。
でも、井上さんとは話し合いで解決できそうにありません。
「お前らも死ね! そして、真里亜に詫びろ!」
すでに井上さんは全ての人を憎しみの対象にしてしまっています。
このままでは、史上最悪の殺人鬼が誕生しかねません。
「麗華、瑠希弥」
私は二人に目配せし、井上さんに向かって走り出します。
「殺されに来るか、いい覚悟だ」
井上さんは舌なめずりをして鉈を振り上げます。そして走り出しました。
「オンマリシエイソワカ」
摩利支天真言の時間差三重奏です。
麗華、瑠希弥、私の真言が次々に井上さんにぶつかります。
「何をしても無駄よ。その男は自らの意志で鬼になろうとしているのだ。お前達如きの真言ではどうにもならぬわ」
突然術者の気配が漂い、声が聞こえます。
「何!?」
井上さんにぶつかった真言は霧のように消滅しました。
その井上さんの背後に白装束を身に纏い、顔も白い頭巾で覆った術者が現れました。
「どういう事や? このフロアには井上以外に誰もおらんはずやで!」
麗華が術者を見て叫びました。
そうなのです。誰もいなかった場所にいきなりそいつは姿を現しました。
もしや、
「その者が鬼となるための糧になるがいい」
術者はニヤリとしたようです。
まずいです。一転ピンチになりました。
どうしましょう?
西園寺蘭子でした。
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