魔物

世にも危険な愛犬家

 私は西園寺蘭子。霊能者です。先日、魅惑の占い師の太田梨子の邸に潜入し、大変な目に遭いながらも、何とか梨子の野望を阻止しました。


 彼女は不老不死の力を手に入れようとしていたのですが、それは人間である以上誰もが考えてしまう事ではないでしょうか?


 私は、梨子のようにはならないと断言する自信がありませんでした。




 そして、今回の私達に振りかかる事件は、世にも危険な愛犬家の男が起こします。




 さて、太田梨子の邸まで弟子の小松崎瑠希弥に迎えに来てもらった私と親友の八木麗華は、翌日の早朝、無事私のマンションに帰り着きました。


 梨子との戦いで心身共に疲れ果ててしまった私と麗華は、マンションの部屋に到着すると、何もしないでそのまま寝てしまいました。




「うん?」


 朝日がカーテンの隙間から射し込み、目覚めを誘います。


 それと同時に、美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐります。


 そうです。瑠希弥が泊まってくれて、朝食を用意してくれているのです。


 昨夜は、着の身着のままでベッドに倒れ込んでしまった私でしたので、キッチンから漂うお腹を刺激する香りにあらがいながら、バスルームに行きました。


 隣のベッドにいた麗華は、まだ泥のように眠っています。しかも、肉食獣のようないびきを掻きながら。


 これならシャワーを浴びていても、昨日のようにいきなり胸を揉まれたりしません。


 私は汗まみれの服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びました。


 昨夜も梨子の邸でしっかり身体を洗ったのですが、何だかもう一度じっくり隅々まで洗浄したくなったのです。


 気のせいなのでしょうが、身体からまだ何となく烏賊いかの腐ったような臭いがして来そうなのです。


 梨子の邸には私好みのシャンプーがなかったので、満足な洗髪ができなかったのも一因でしょう。


 ようやく人心地つけた私は、私専用のバスローブをまとうと、瑠希弥がいるキッチンへと歩を進めました。


「おはようございます、先生」


「おはよう、瑠希弥」


 可愛らしいキャラクターもののエプロンを着て長い髪をポニーテールにした瑠希弥が笑顔全開で私を迎えてくれました。


「ちょうど支度が整いました」


 瑠希弥はテーブルいっぱいに料理を並べてくれました。


 きつね色のトースト、新鮮なバター、濃厚な牛乳(昨夜の体験のせいでこれだけはちょっと気持ち悪くなりました)、シャキシャキの新鮮な野菜がたくさん入ったサラダ、フワフワした半熟の目玉焼きとカリカリのベーコン、程よい大きさのフライドポテト。更に淹れたての炭焼き風のコーヒー。


 一般の人にはごく普通の朝食でしょうが、包丁が怖くて使えない私には夢のような朝食です。


 瑠希弥と二人で暮らしていた頃を思い出し、ジーンとしてしまいます。


「何や、ええ匂いやな」


 ボサボサの髪を掻きむしりながら、麗華が藪睨みの目でキッチンに入って来ました。


「麗華、シャワー浴びて来なさいよ。汗臭いわよ」


 私はそのままテーブルに着こうとする麗華の前に立ち塞がって言いました。


「ええやん、夕べ梨子の邸で浴びたんやから」


 麗華はそう主張して私を押しのけて席に着いてしまいました。


「せめて、顔くらい洗って来なさいよ!」


 私は麗華の態度に呆れ、彼女の襟首を掴んで引き上げました。


「わかったがな」


 麗華は仕方なさそうにキッチンを出て行きました。


 私は席に着き、何か言って欲しそうな瑠希弥を見上げました。


「ありがとう、瑠希弥。迎えに来てもらっただけでなくて、朝食まで用意してくれて。本当に感謝してるわ」


「いえ、とんでもないです。弟子として、当然の事をしただけですから」


 瑠希弥は顔を赤らめて、恥ずかしそうに言います。この子の素晴らしいのは、この謙虚なところです。麗華には瑠希弥の十分の一でいいから、謙虚になって欲しいですね。


 私達はついつい見つめ合ってしまいます。もちろん、私と瑠希弥はそういう関係ではありませんが。


「はいはい、お邪魔さんです」


 麗華が嫌みったらしくそう言って、私と瑠希弥の間を通り、席に着きました。


「な、何がよ?」


 ムッとして言いました。すると麗華はニヤッとして、


「別にィ」


ととぼけました。憎らしいです。

 

 


 蘭子達が和やかに朝食を摂っていた頃。


 彼女達のいるマンションから程近い場所にある大きな池を中央に抱える区営の公園での出来事。


「まあ、可愛い。撫でていいですか?」


 タンクトップと短パン姿で、首からスポーツタオルを提げたジョギング中の若い女性が、白い小型犬を散歩させている青のジャージ姿の中年の男性に尋ねた。


「ええ、いいですよ。そいつ、若い女の子が大好きなんですよ」


 メタボまっしぐらの体型で、髪の毛もすっかり寂しくなっているその男は、狡猾な笑みを口元に微かに浮かべた。


「ホント、可愛い! これ、何ていう犬種なんですか?」


 その女性は、男の様子が変わったのも気づかず、じゃれつく小型犬を撫でている。


「さあ。僕は犬には興味がないから、知らないなあ」


 男の冷め切った応答に女性はビクッとする。しかし、遅かった。彼女はすでに罠に嵌った小動物と一緒だった。


「ふぐ……」


 男は女性の背後に忍び寄り、睡眠薬を染み込ませたハンカチを女性の口に押し当てた。


 女性は小型犬から手を放してしまう。その途端、何かを感じたのか、キャインキャインと悲鳴のような鳴き声を発しながら、小型犬は走り去ってしまった。


「ききき……」


 男は眠りに落ちた女性を軽々と抱きかかえると、その場から歩き出す。


「ハーレム実現まで、あと二人」


 男は血走った目で女性を見ると、舌舐りした。そして眠ってしまった女性の顔を舐め、胸をまさぐる。更にその手は下半身へと伸び、短パンの下に滑り込んだ。


 男の後ろに蠢く黒い影。それは普通の人には見えない凶悪な存在だった。


 


 私達は、食後のコーヒーを楽しんでいました。


 まさにその時でした。


 まるで雷に打たれたかのように身をよじらせて、瑠希弥が立ち上がります。


「どうしたの、瑠希弥?」


 私と麗華はびっくりして瑠希弥を見上げました。瑠希弥はしばらく放心状態でしたが、


「今、魔物を感じました。近くにいます」


 彼女は窓に近づくと、サッと開き、ベランダに出ました。


 私と麗華は顔を見合わせてから、瑠希弥に続きます。


 感応力にかけては、私も麗華も瑠希弥には及びません。


 彼女はG県に住む高名な占い師の江原菜摘さんの指導で、以前より遥かにその能力を向上させたのです。


「あの辺りです」


 瑠希弥が指差したのは、近所にある区の公園です。一見何もいないように見えるのですが、瑠希弥が言うのですから、何かの怪異が起こったのは間違いないでしょう。


「先生、八木様、私に触れてください。魔物を感じられますから」


 瑠希弥が言います。私と麗華は瑠希弥の肩に手を置きました。


「ああ!」


 ほぼ同時に、私と麗華は叫んでいました。


 何でしょう、この凶悪な存在は? 今まで感じた事のないものです。


 しかも、こんなすぐそばにいるのに気づかなかった。


 瑠希弥の能力に驚嘆すると同時に、自分の至らなさを痛感します。


「それにしても、何や、この気色悪いもんは?」


 麗華が眉間に皺を寄せて呟きました。


「確かに」


 何とも形容しがたい不愉快な感覚。何者なのでしょう?


 やがて私達は、その「魔物」に否応なく出会う事になります。


 瑠希弥も巻き込んで。


 


 西園寺蘭子でした。

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