八木麗華危機一髪(後編)

 私は西園寺蘭子。霊能者です。親友の八木麗華と共に村上法務大臣の警護の仕事を引き受けましたが、その帰り道、とんでもない「お客様」に遭遇し、麗華は心を操られてしまいました。

 私は麗華を連れ、歩いて事務所まで向かっている最中です。

「麗華、しっかりして」

 どんな言葉も今の麗華には届きません。彼女はトラウマ地獄に落ちてしまったのです。

「わあああ!」

 まるで子供のように怯え、騒ぐ麗華。このままの方が世の中のためかも、などと思ってしまいそうです。

 ビルが見えて来ました。もう一息です。私の事務所に入れば、あの「お客様」も攻撃できないはず。

「見つけた」

 え? 何、今の声は? ふと見上げると、先日村上大臣のお嬢さんである春菜ちゃんを助けた歩道橋に「お客様」がいました。

(もしかして、私の事務所も知られているの?)

 嫌な予感がします。こんなところで待ち伏せしているという事は、事務所も安全ではないかも知れません。

 困りました。身動きが取れない状態です。

「お前も、我がしもべとしてやろう」

 歩道橋の怪人が言いました。

「くっ!」

 私はまた走り出しました。

「無駄だと言っておろう」

 声が聞こえます。それでも走るしかありません。麗華はすでに限界です。このままの状態が続けば、廃人になってしまうでしょう。

(何か反撃する方法はないの?)

 私は走りながら考えました。

(そうだ!)

 心を操るには、その心と繋がる必要があるはずです。ならば、あの僧侶は、麗華の心に繋がっているはず。私はそれに賭けてみる事にしました。

「麗華、我慢してね!」

 私は麗華をその場に座らせました。この際、いろいろと見えてしまっても仕方ありません。そばを行きかうサラリーマンのおじ様達が、驚愕の眼差しを麗華に向けています。

「インダラヤソワカ!」

 私は麗華の心に向かって帝釈天の真言を放ちました。

「うわあああ!」

 案の定、麗華は悶絶して地面をのた打ち回りました。ああ、あまり覗かないで、おじ様達。見世物ではないのですから。

「ぐおおお!」

 効果があったようです。僧侶も歩道橋の上で苦しんでいます。

「おのれ!」

 そう捨て台詞を吐き、僧侶は麗華の心から離れました。作戦成功です。

「麗華、しっかりして!」

 私は麗華を抱き起こし、野次馬で溢れ返った歩道を脱出しました。そして、逆襲の方法も思いつきました。

 私の親友をここまで苦しめたお礼は、三倍返しでさせてもらいます。


「く……」

 闇の中で、その僧は歯軋りした。

「おのれ、西園寺蘭子め。このままではすまさぬ」

 僧はそばに控えていた男に、

「すぐにあの女のところに行き、二人共始末しろ。手段は問わぬ」

「はい、座主様」

 男は答え、フッと消えた。


 私達はやっとの思いで事務所に辿り着きました。

「おおきに、蘭子」

 何とか精神崩壊を免れた麗華が、ソファに座るなり言いました。私は微笑んで、

「どう致しまして。困った時はお互い様でしょ?」

 麗華は真剣な顔で、

「今度はこっちから仕掛けたる。あのクソ坊主、只ではすまさん」

「お返しの方法なら、私が思いついたわ」

 その言葉を聞いて、麗華は目を輝かしました。

「どんな方法や? 坊主がチビるくらいの仕返しか?」

 下品な麗華は嫌いです。

「そうなるかどうかは知らないけど、二度と私達に関わる事がないくらいは、後悔させてあげるわ」

「そうか。それはええな。思いっきり、ビビらせんと、ああいう手合いは懲りんのや」

 麗華は嬉しそうです。でも、本当に彼女が無事で良かった。無二の親友だし、生涯の友ですから。

 その時でした。

 ドン! 事務所の入口のドアに何かがぶつかる音がしました。

「何や?」

 麗華が身構えます。私も辺りの気配を探ります。

「霊ではない。さっきみたいな力でもない」

「単純な肉体労働か?」

「みたいね」

 力任せの人が、ドアを蹴破ろうとしているようです。

「そのドア、借り物なんだから、壊されたら大家さんに追い出されちゃうわ」

 私は肩を竦めて、ドアに近づきました。

「はい、どうぞ」

 私がいきなりドアを開けたので、もう一度蹴飛ばそうとしていた男の人は、バランスを崩して事務所に転がり込んで来ました。

「あの坊主の手下か?」

 麗華が睨みつけます。男は立ち上がりました。鎖帷子を着た、忍者のような姿です。

「座主様のお仕事の邪魔をする者は、ことごとく滅するが私の仕事だ」

 顔は頭巾で隠していて、鋭い目だけが見えています。

「阿呆。どっちが邪魔しとんねん? ザスやかマスやか知らんけど、大概にせいよ」

 麗華が立ち上がりました。私もドアを閉めて、男の背後を取ります。

「死んでもらう!」

 男は懐から小刀を取り出し、麗華に斬りつけました。

「誰が殺されるか!」

 麗華はバッと飛び退き、

「インダラヤソワカ!」

と人の事務所でいきなり帝釈天真言を唱えました。私はビックリして、

「麗華、ちょっと!」

 稲妻が男を襲います。一瞬でケリが着いた、と思いました。

「効かぬ」

 でも何故かその忍者さんはケロリとしていました。

「な、何やて?」

 麗華は唖然としてしまいました。私も声が出ません。どういう事なのでしょう?

「私には真言は一切効かぬ。そう鍛えられておる」

「何ですって?」

 真言は、鍛えて耐えられるものではありません。恐らくこの忍者さんは、神経系統を弄られているのです。とんでもない事です。

「ほなら、肉弾戦じゃ!」

 考えるより先に身体動くタイプの麗華は、忍者さんに後ろ回し蹴りを放ちました。

「無駄だ」

 忍者さんは私が睨んだ通り、痛みや苦しみ、そして恐怖と言った感情を何かの呪文で消されているようです。麗華の回し蹴りが顔面にヒットし、顔中から血が出ているのに、ニヤニヤしています。気持ち悪いです。

「私は身体を極限まで鍛えたので、そのような攻撃、何ともないわ」

 そう思わされているだけですよ、と言いたいのですが、この人はそんな事を信じないでしょう。身も心も、あの謎の僧侶に支配されているようです。

「阿呆、ダラダラ血ィ流してるモンが言うセリフか!」

 麗華が更に攻撃しようとした時、忍者さんはバッタリと倒れました。

「言わんこっちゃないな。アホやな、このおっさん」

「麗華、離れて!」

 私は忍者さんの異様な雰囲気を感じ、怒鳴りました。

「何や?」

 麗華も感じたのか、後ろに飛びました。すると倒れた男はムックリと立ち上がり、

「我が術で操りし者をここまでいたぶるとはさすがだ。しかし、部屋の中に入らせたは、失策よ」

と喋り始めました。どうやら親玉が忍者さんの身体を使って話しているようです。

「あんたが親玉か?」

 麗華がまた不用意に近づきます。

「待って、麗華。この人は私が相手する」

「何やて?」

 麗華がキッとして私を見ますが、私も麗華を睨み返します。すると麗華は、

「わ、わかった」

と引き下がってくれました。

「貴方は人の心を操るようね。でも、私は絶対に操れないわよ」

「何?」

 忍者が私の方を見ました。私はニッとして、

「できるものなら、やってごらんなさい。貴方はそんな事ができるほど強くないのだと証明してあげるから」

「おのれ、愚弄しおって! そこまで我が術にかかりたいなら、望み通りにしてやる!」

 忍者を操っている僧侶が、私に対して意識を集中し始めました。

「……」

 確かに凄い力です。しっかりと身体の気を巡らせていなければ、一瞬で取り込まれてしまいそうです。

「ハハハ、口ほどにもない。もうすぐお前は我が僕となる」

 僧侶は高笑いして言いました。

「それはどうかしらね」

 私は私の心に取り憑いて来ている僧侶の意識を逆に辿り、彼の本体に辿り着きました。

「ぬおっ!」

 彼は意識の大半を私に振り向けています。だから、彼の本体は無防備同然でした。

「思った通りね。観念しなさい。オンマカキャラヤソワカ!」

 私は大黒天の真言をお見舞いしました。

「ぐおおおおおっ!」

 僧侶の本体はその衝撃で気を失い、倒れました。

「バカめ、私の身体が留守なら、お前の身体も留守であろう」

 僧侶は勝ち誇ったように叫び、私の身体の中に自分の意識を飛ばしました。

「何?」

 でも、私の身体は留守ではありませんでした。

「誰だ、お前は?」

 彼は私の無意識層で別の私に出会ったのです。そう、あの「いけない私」です。

「誰? 私は私だよ。何か文句あるのか、この生臭坊主が!」

 「いけない私」は、仁王立ちで言い返しました。僧侶はその「私」に唖然としてしまいました。

 僧侶がどうなってしまったのかは、ここでは言えません。とにかく、事件は解決しました。

「蘭子、ウチ、絶対あんたを裏切らんから、裏蘭子には会わせんといてな」

 麗華が真面目な顔でそう言った時、私は本当に落ち込みました。 


 その後、住居侵入罪で警察に連行される忍者を見送ってから、私達は大臣をお迎えしました。

「無事に片付いたで、大臣」

「そのようだね」

 大臣は今度は麗華にお礼を言いました。ホッとします。

「よし、ほなら、後は若いもんにお任せしてっちゅう事で、ウチは退散します」

 ニヤニヤしながら、麗華はサッサと事務所を出て行ってしまいました。

「あ、麗華!」

 私は顔を火照らせて、彼女を呼び止めましたが、無駄でした。

「あ、その、西園寺さん」

「は、はい」

 私はドキッとして大臣を見ました。ああ、優しく微笑んでいます。ダメです、おかしな気持ちになります。

「もし宜しかったら、これからお食事でも如何ですか?」

「は、はい」

 まるで中学生のようにドキドキしてしまっている私。

「娘が、西園寺さんに大変お世話になったとかで」

「あ、いえ、そんな事は……」

「娘も呼んでいますので、是非」

「ああ、はい……」

 そういう事でしたか。何か残念。でもホッとしている私もいます。


 でも、いい人がほしい西園寺蘭子でした。

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