触らぬ神に祟りなしその三

 私と麗華は、G県S村にある自害沢の上流を目指し、車を走らせています。

「さっきの結界、塞いでるんとちゃうな。何かを封じとるもんやった」

 麗華が川を眺めながら言いました。私は頷いて、

「そうね。結界を通り抜けた途端に、もの凄い霊圧を感じるわ」

「ああ。何や、この怨念の塊みたいな気ィの流れは? 偉い気色悪いで」

 麗華は周囲を見回しています。私は県道から脇道に入り、広くなったところに車を停めました。

「やってもうたんやな、工事の連中が?」

 麗華は車を降りて呟きました。それは私にもわかりました。恐らく、この森は元々は古墳でしょう。それが長い年月の風化で削れて、原型がわからなくなった。それでも、昔の人達は口伝や古文書などによって、この森が侵してはならないものだと認識していたのでしょう。だから、今まで祟りはなかった。

「それをいち早く気づいた誰かが、この森全体に強力な結界を張ったのね」

 私は脇道を進みながら、この怨念の源泉を辿ろうと周囲を探索しました。

「あんたが見たんは、多分武家の人達の霊や。でも、その人らの死んだ場所はここやない。もっと上や」

「ええ。でも、私をこの川の河岸に連れて来たのは、その霊達ではないわ。この結界を作った人が、私に対して警告を発するために連れて来た」

 私達は、やがて沢に降りる道を見つけて、下りました。

「祟っとるんは、その霊達やないな。その霊達も、ホンマは自害したんやない」

「そうみたいね」

 私は、歴史の真相が見えて来て、少し背筋が寒くなりました。

「この森、恐ろしいで。千五百年以上も祟っとるもんがおる」

「ええ」

 私は、途中まで進められて重機もダンプカーも放置されている工事現場に出ました。もう何日もそのままですから、すっかり泥だらけになっています。開けられた窓には、雲の巣が張っている程です。

「あれか?」

 麗華が指差す先には、砕けてしまった石仏のようなものの残骸がありました。重機が踏み潰してしまったか、掘削してしまったのでしょう。

「封じていた物なのね、この森の霊を……」

 私は、もうその封印は取り返しがつかない物になっているのを知りました。

「何て事なの……。自害沢の由来は……」

 私は見てしまいました。

 自害沢の名前の由来は、戦国時代にこの沢の近くで自害した人々の血で赤く染まったからと言われていますが、本当は違うのです。

 戦国時代に、この沢の付近で人がたくさん死んだのは事実ですが、自害ではありませんでした。彼等は追手を逃れて森を進むうちに、この森の霊を封じていた物を壊してしまったようなのです。そして、それによって現れた霊に全員殺されたのが真相でした。

 それからしばらくして、徳の高い僧侶がこの地を訪れ、石仏と真言で霊を封じ、事は収まりました。

「そして、あまりに壮絶な事件だったので、地元の人達はその事を完全に封印し、誰一人語らなかった。書物にも何も真相が残っていないのは、意図的にそうしたからだったのね」

 私はさすがに衝撃を受けました。今までいろいろな霊現象の起こる場所を訪れましたが、ここまで凄いところはありません。

「おい、蘭子。さっきから、この森のぬしさん達が、ウチらの事をジィッと見とるで」

 麗華が言いました。私もそれに気づいていました。

「一人二人じゃないわね。古墳のような感じだから、豪族の首長クラスが眠っているのかと思ったけど」

「多分そうなんやろ。でも、その頃の王さんは、一人で寝るのが怖かったみたいやで」

「そのようね」

 時代的には古墳時代。まだ、ヤマト政権が関東までその支配力を及ぼしていない頃です。つまり、王が死ぬと、たくさんの人間が一緒に埋葬されたのです。しかも、生きたままで。

「そら、怨むわな」

 麗華は身震いしました。私はその霊達の無念さに心が痛みました。

「ホンマやったら、その王さんを怨むのが筋やが、怨む相手が死んどるからな。怨みの行く先がうなって、ここに吹き溜まっとったちゅう事か」

「それでも何とか封じていたのでしょうけどね。でも、封印というものは、何度も破られるうちに効力が落ちるわ。いくら封じ直したとしても」

 私は周囲に渦巻いている霊の怨みを感じながら、石仏の残骸に近づきました。

「蘭子、危ない!」

 麗華が叫びました。

「はっ!」

 石仏のすぐそばに、生き埋めにされて死んだ古代人の霊が無数現れました。

「フーアーッ!」

 何体もの霊が一斉に私に取り憑こうとして来ました。

「オンマリシエイソワカ!」

 私はすかさず摩利支天の真言を唱えます。霊達は私の周りにできた摩利支天の結界に押し返されました。

「麗華!」

 今度は麗華の上にたくさんの霊が現れました。

「舐めるんやないで、この麗華様を!」

 麗華は上を見て、

「インダラヤソワカ!」

と帝釈天の真言を唱え、霊を蹴散らしました。

「麗華、除霊じゃなくて……」

「悠長な事をうとると、死ぬで、蘭子!」

「そうだけど……」

 麗華のいう事も理解できますが、これでは火に油を注ぎかねません。

「なかなかお強いようじゃの」

 どこからか、男性の声がしました。

「誰や?」

 敵意剥き出しで麗華が怒鳴りました。すると川の対岸に黒い袈裟を着た年老いた僧侶が現れました。

「じゃが、はらっていたのではらちが明かんぞ」

 老僧は落ち着いた声で諭すように言いました。私は尚も喧嘩腰の麗華を制して、

「あの結界、ご住職のなさったものですか?」

 するとその老僧は微笑んで、

「私は破戒僧ゆえ、住職ではない」

「破戒僧?」

 老僧は微笑んだまま、スーッと印を結び、付近に集まり始めていた霊を押し止めてしまいました。凄いです。私にも麗華にも真似できません。

「おお、ジイさん、やるやないか。さすがやなァ」

 麗華はニコニコして老僧に話しかけました。

「今まで幾人もの修行者がここに来ようとしたが、私の試しに怖じ気づいてしまった」

「……」

 私は麗華と顔を見合わせました。私を自害沢の河岸に連れて来たのは、この老僧のようです。

「お二人は、それでも怖じ気づかず、ここまでお出でなさった。これでようやくこの森も封じられる」

「どういう事ですか?」

 私は妙に思って尋ねました。すると老僧は、

「ここでは落ち着いて話をできぬゆえ、場所を変えようか」

と言いました。私と麗華はまた顔を見合わせました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る