第23話 別れ

重い瞼をゆっくりと開くと、見慣れた天井が映る。

(戻ってきたのか……)

いつも通り俺の部屋に戻ってきた。俺は起き上がり、窓の外を確認する。景色もいつもと変わらない。枕元にあったスマートフォンで時間を確認すると、午後五時だった。

「クラン……」

どうやって魔法使いの世界に戻ればいいのか見当もつかない。

(どうしたらいいんだ……?)

窓を開けて空気の入れ換えをする。向こうの世界と違い、こちらの世界の空気は重たく感じる。

(明日になれば行けるか?)

先週は土曜日ではなく、日曜日に向こうの世界に行くことが出来た。今回もそのパターンで行けるかもしれない。

お腹が大きな音を立てて空腹を訴えてくる。クランと同じ、少し可愛らしい音。緊張感がないその音に、思わず笑みが浮かぶ。

とりあえず夕ご飯にしよう。そして、早めに寝て早くあの世界に行こう。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



目を開けると自分の部屋の天井が映り、まだ向こうの世界に行けていないことに焦り寝られなくなる。ようやく寝られたと思ったらすぐに起きて、また見慣れた天井が映る。それの繰り返しだった。目をいくら瞑って開いても、景色は一向に変わらない。

昼前になっても向こうの世界にいけなかった俺は、諦めて起き上がり、炬燵の中で真っ黒な画面のテレビを見ていた。

あの時の光景が目に焼き付いて離れない。クランが震えを殺して、俺に逃げるように叫ぶ。サニーとシレーナも同調するように、俺を見つめていた。レイトの嫌らしい顔が浮かぶ。思いっきりぶん殴ってやりたい、そして三人を助けてやりたい。でも、俺にその手段はない。大きくため息を吐いて項垂れる。

苦しみから逃れるように、「あの世界が魔王に征服されようが関係ない」というフレーズが頭を埋め尽くす。しばらくすると俺の頭を占領したフレーズが溶けて、またあの時の光景になり、終わると「俺には関係ない」というフレーズが頭を埋め尽くす。その繰り返しだった。

現実と空想の境目を彷徨っていた俺の耳に、聞き慣れた、少し古ぼけたチャイムの音が聞こえる。

それが俺の家のチャイムだと気付くのに少し時間かかったが、クラン達が迎えに来てくれた気がして、俺は炬燵から飛び出し慌てて扉を開ける。そこには驚いた表情をした鹿島が立っていた。

「あ、戸隠さん、そ、その……」

ああ、鹿島か。心の中でがっくりと肩を落とす。

「少し、中に……。良いですか?」

俺の顔色を伺いながら、おそるおそる聞いてくる鹿島。

「……ああ」

鹿島には悪いが、今は気晴らしが出来るなら何でもよかった。俺は鹿島を部屋に上げる。

客人に炬燵を進めるわけにもいかないので、炬燵をどけて、壁にかかっている折りたたみ式のテーブルと椅子を広げる。

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

妙にそわそわしているが、何故か顔が暗い鹿島が椅子に座る。

俺は来客用のコップに水を汲んで鹿島に出す。いつもなら切ったレモンを入れるのだが、あいにく切らしていた。鹿島は出された水をじっと見つめて、少しだけ飲んだ。

「で、どうしたんだ?」

休日はいないと言っているにも関わらず、鹿島はここにやってきた。やはり、俺が先週約束を破ったことについて、話がしたいのだろうか。

不可抗力とはいえ、鹿島を傷つけてしまったのは俺だ、やっぱり謝罪するべきだと思いつつも、どう説明したものかと頭を悩ませていると、鹿島がゆっくりと口を開く。

「戸隠さん。私の事、覚えていますか?」

「覚えてるも何も、いつも会社で顔を合わせているだろ」

「違います。昔、援助交際しようとしていた私を止めてくれたことがあったでしょう?」

「ん? あ~……」

そういえば学生の頃、中年のおっさんと思い詰めた顔をした若い女の子が、ホテルに入ろうとしていたのを止めた記憶がある。

「思い出してくれましたか」

「ああ。ってあれ、鹿島だったのか」

「はい」

かなり酔っていたのでちゃんと思い出せないが、雰囲気は似ている気がする。

「あの時は本当にお世話になりました」

そう言って頭を下げる鹿島。

たしかあの時は、ヒモ野郎に連れて行ってもらった人生初の競馬で万馬券を当てて、五十万円くらい稼いだので派手に遊んだ帰りだった。有頂天だった俺は正義の味方になり、ごねるおっさんから女の子を引きはがして、「金がないならやるよ」と言って財布の中に入っていたお金を全て渡したのだ。

その中にはその月の生活費も含まれていて、残り数日間、泣きながらもやしを炒めていたのはいい思い出だ。

「そのあと大学で、戸隠さんを見かけた時は本当にびっくりしました」

鹿島の話では、特別講師として呼ばれた俺を大学内で見かけたらしい。そして先生にどこの誰かを聞き、俺を追って入社してきたらしい。

「でもどうして今まで黙ってたんだ?」

「その、ストーカーと思われる。と思ったんです。……気持ち悪い、ですよね」

鹿島が俯き、目尻をそっと撫でる。

「……俺はそういうの気にしないかな。追っかけファンがいることにはびっくりしたけど」

それを聞いて、鹿島が顔を上げる。

その頬が薄紅色に染まっている。そして何かを決意した表情。いつもの子供っぽい鹿島からは想像もつかないほど、大人の女性の顔をしていた。

鹿島は大きく息を吸い込んでから、俺の目をしっかりと見て言葉を紡ぐ。

「今なら言えます。私は、太典さんのことが好きです」

「……鹿島、俺は」

今は返事できない。と言う前に、鹿島が手で俺を制止する。

「大丈夫です。無理なのはわかっていて言いました。ごめんなさい、戸隠さんを困らせることを言ってしまって……」

「え、いや、頭は下げなくていいよ。それにどうして無理って……」

「だって戸隠さん、その……」

おそるおそる左の薬指を指す鹿島。そこにはクランからもらった、金色の指輪が光っていた。

その指輪を見て一気に記憶が蘇る。俺が援助交際をしていた鹿島を助けた時のこと、そしてその前に万馬券を当てて、当時寄生先を失っていたヒモ野郎と抱き合って喜んだこと、そしてそのヒモ野郎がつい最近言っていた事。

大学の裏にある池に、魔法使いの世界に戻るヒントがあるかもしれない。

そんな馬鹿なことがあるか。そう思うが、今までだって十分おかしな事が起こってきた。いまさら池に飛び込んだら異世界にワープできるくらいでは驚かない。

「その……。戸隠さん、結婚されるんですか?」

「……わからない」

本人はまだわかっていないようだけど、クランが俺の事を好いてくれているのは事実だし、俺も彼女に惹かれている。でも、俺はあの世界に戻れるのか、さらにずっと向こうで生活できるのかわからない。

でもどちらかを選ぶことが出来るのなら、俺は自分の気持ちに素直でいたい。それだけは確かだ。

「振られたら振られたで良いんです。普通に接することも出来るって、この一週間でわかりましたから」

「鹿島……」

「帰ってきたら、きちんと答えを聞かせてください」

「わかった」

俺は立ち上がる。

「いってらっしゃい。戸隠さん」

夫を見送る妻のように、鹿島が玄関で笑顔を向けてくれる。

「ああ!」

俺は扉を開けて走り出す。歩くと駅まで十分ほどかかるが、走れば五分もかからない。

大学行の電車に乗り込み、空いていた席に座り、息を整える。乗っていた人たちが息を切らせて入ってきた俺を不審そうな目で見るが、すぐに興味を失って、自分の世界に戻っていった。

そういえば戸締りをするのを忘れていたが、おそらく鹿島がしてくれているだろう。彼女は合鍵の場所も知っている。

そういえば鹿島は、どうして俺が魔法使いの世界に行くことを知っていたのだろう。いや、俺が恋人のところに会いに行くだけと思っているのか。

一時間ほど電車に揺られると、懐かしい光景が広がる。都心部から離れた所にある大学の最寄り駅周辺はベッドタウンになっている。つい最近取り替えられた真新しい改札を抜け、ちょうどやってきた大学行のバスに乗る。

焦る気持ちを抑えて、座席に深く腰掛ける。

バスは同じ形をした家の間を走り、郊外にある大学を目指す。二十分ほどで大学に到着した。

俺は大学の中に入っていく学生たちを尻目に、裏手にある森を目指す。

その森の奥に、直径百メートルほどの池がある。すり鉢状になったこの池の中心は意外と深く、一番深いところは十メートルほどある。

指輪をはめている薬指が、何となく池の方に引っ張られている気がする。俺は人魚たちの魔法を思い出して、左手を池に浸ける。水の冷たさを感じるが、引き上げた手に水滴はついていない。今度は左足を浸けるが、やはり濡れることはない。俺は勢いよく飛び込み、池の中心を目指して泳ぐ。

水の抵抗や冷たさは感じるのに、水には濡れない不思議な感覚。ネージュさんの魔法とはまた少し違う気がする。俺は大きく息を吸い込み一気に潜る。水底から何かが飛び出ている。

(クランが使っている杖だ……)

水底から杖の持ち手の部分が突き出ている。俺は迷うことなくその杖を掴む。

眩しい光が俺を包み、体が宙に浮くように軽くなる。

(これなら戻れる!)

そう思った刹那、俺は魔法使いの世界へ飛ばされた。




★ 次のULは 7/19(水) 19:00 を予定しております。

 UL情報などはツイッターにて報告します→@mirai_pretzman

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