第19話 長期休暇

体が熱い。そしてだるい。

いつも通りの騒がしいアラームが頭の中に鳴り響く。重い瞼を頑張って持ち上げると、見慣れた白い天井が映る。

(戻ってこられたのか……)

昨日のことをぼんやりと思い出して、俺はお腹を触る。サニーが頑張ってくれたのか、傷口はなかった。

(そろそろ起きないと……)

しかし体は言うことを聞かず、上半身を持ち上げることすら出来なかった。

(これ、やばいな……)

小さい頃、蜂に刺された時のことを思い出す。

当時から女の子には好かれないが、蜂には妙に好かれていて、中学を卒業するまでに計五回も刺された。それもスズメバチばかり。病院の先生からは、「次刺されたら死ぬぞ」と何回も言われた。

(休むか……)

行ったら迷惑になるなんてレベルじゃなくて、そもそも工場に辿り着けないだろう。

繁忙期は乗り切り、書類も一段落ついたから、一日二日くらい休んでも問題はない。

俺は会社に電話し、休むことを伝えた後、田辺に「フォローよろしく」とメッセージを入れておいた。それだけでも重労働だった。

田辺は少し前まで俺の部下として働いていて、仕事内容もみんなの事もよく知っているし、器量も人望もあるから安心して代理を頼める。

しばらくしてから「ざけんなよクソ野郎」とメッセージが入り、その後、「お大事に」と書かれた熊のスタンプが送られてきた。

それを見て少し元気が出た俺はゆっくりと体を起こし、這うようにして台所に向かい、ペットボトルに水を組んでベッドに戻る。

ここ数年、病気をしていなかったので薬は一切ない。とりあえず買い物に行けるようになるまでは寝て治すしかない。

しかし寝ようと思ってもなかなか寝られない。心臓が血を送る度に胸が跳ね上がり、蒸発してしまうのではないかと思うほど体が熱くなり、荒波を越える船に乗っている時のように視界がぐらぐらと揺れ動く。背中が痛いが寝返りを打つ力もない。それらに耐えながら、ただひたすら天井を眺める。向こうの世界のことを考えようとするが、頭の中は濃い霧で覆われていて、何も考えられない。

いつの間にか意識が途切れて、また起きて水を飲み天井を眺め、またいつの間にか意識が無くなり、また起きて水を飲み天井を眺める。そんな事を何回繰り返しただろうか、意識の狭間で、チャイムが鳴り響く。

一回目は本当にチャイムが鳴ったのかが分からなかったが、二回目、三回目と続けて鳴ったので、俺はゆっくりと起き上がり、壁にもたれながらに向かう。鍵を開けると扉が開き、鹿島が顔を覗かせる。

「あ、戸隠さんお疲れ様です」

俺の様態を慮ってか、声を潜める鹿島。

「すいません、迷惑かもしれないけど、お見舞いに来ました」

「ああ……」

「お、お邪魔します」

普通の熱ならさっさと帰らせるが、今回ばかりは素直に甘えよう。自然とそう思った。

「女性の客人が来たら最大限の愛情表現を見せろ」とヒモ野郎に言われたか、今は何もする気が起こらない。俺は鹿島を気遣うこともなくベッドに横たわる。

「熱は測りました?」

「いや……」

「やっぱり。はい、体温計です」

鹿島はコンビニのマークが描かれたビニール袋から、昔懐かしい水銀の体温計を取り出す。脇に挟むとひんやりとして気持ちいい。

「戸隠さん、これ、マズイですよ……」

体温計を見ると、三十九度を越えるところまで水銀が伸びていた。俺の平熱は三十六度くらいだから、三度以上高い。

「病院に行けますか?」

鹿島が体温計を振りながら訪ねてくる。俺は返事をするのも億劫だったので首を横に振る。

「とりあえずご飯を食べて安静にしないと。戸隠さん、食欲は……ないですよね?」

首を小さく縦に振る。

「じゃあとりあえずお粥を作ります。台所、借りますね」

鹿島がエプロンを着て台所に立つ。その姿がクランと被る。二人の外見は全く違うが、雰囲気が似ているのだ。

水銀の体温計がそこら辺のコンビニで売っているとは思えないので、鹿島が持ってきた荷物は自宅から持ってきてくれたのだろうか。そうだとしたら本当に優しい子だ。将来は良いお嫁さんになるだろう。

「はい。できました」

そんなことを考えていると、いつの間にか鹿島が俺の横に座っていた。

「食べられますか」

「……なんとか」

俺は上半身を起こし、鹿島が渡してくれた雑炊に口を付ける。ほとんど液状化した雑炊は、味付けをしていないのか、それとも俺の鼻が機能していないのか、ほとんど味がしなかった。

「消化しやすいようにしたので、美味しくないと思いますけど……」

不安そうな表情の鹿島。「鹿島が作ってくれた物なら何でも美味しいよ」と冗談を言う元気もない。

三口目。まだ半分以上残っているが、これ以上食べると吐いてしまいそうだ。

俺の手が止まったのを見て、鹿島が器を受け取り、台所に持って行く。洗い物を終えて戻ってきた鹿島は、コンビニ袋を漁る。

「戸隠さん、喉痛いですか?」

俺は首を横に振る。

「じゃあ咳は?」

また横に振る。

「痰とか、鼻水がとまらないとかは?」

もう一度首を横に振る。

「え~。じゃあ解熱剤の方が良さそうですね。はい」

紅白のカプセルとコップを渡してくれる。俺はそれを飲み込み、鹿島にコップを返す。

「……悪いな、鹿島」

「いえ、全然大丈夫ですよ」

鹿島はニッコリと笑う。その顔がまたクランと被る。

「明日の朝とお昼の分も作っておきました。冷蔵庫に入れておくので、温めて食べてください。あと、解熱剤も忘れずに飲んでくださいね」

そう言って机に置いた解熱剤は、市販されている物ではなさそうだった。

「えーっと。そうだ、明日もお見舞いに来ますね」

明日どうなっているかはわからないが、解熱剤を飲んだら完治するなんてことはないだろう。ここは鹿島の好意に甘えておこう

「鹿島、田辺とみんなに、すまん。って謝っといてくれ」

「わかりました。田辺さん、今日は黙々と仕事してたんでびっくりしました」

田辺は忙しくなると、俺でも声をかけられないくらい集中して仕事をするようになる。しかし締め切りは守らない。おそらく本社勤務が嫌だから、わざと締め切りを守っていないのだろう。

「合鍵」

俺が洋服箪笥の一番下の段を指さすと、鹿島が箪笥を開けて中を探す。引き出しの右手前に貼り付けてある合鍵を鹿島が見つける。

「じゃ、じゃあ明日は、その、勝手に入らせてもらいます」

「ああ」

「鍵は忘れずに締めて帰ります」

「よろしく」

「はい。お休みなさい、戸隠さん」

お粥を食べて少しお腹が満たされたのと、解熱剤の効果が出てきたこともあって、俺は鹿島が出て行く前に意識を手放した。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「だいぶ良くなりましたね」

「ああ。もう動けるようになったしな」

そう言って腕をぐるぐる回すと、鹿島がクスクスと笑う。

体温計の表示は三十七度五分くらいだ。だいぶ平熱に近づいた。

結局俺は一週間会社を休み、鹿島はその間、欠かさずに来てくれた。

(それにしても鹿島以外、誰も見舞いに来なかったな……。それだけ大変だったってことか)

俺が抜けた穴を埋めるために、佐々木部長も含めて全員が奔走してくれたらしい。

「戸隠さん、私、念のために土日も来ますね」

「え?」

そういえば週末はどうなるのだろう。このまま魔法使いの世界に行ったら、ただ三人を心配させるだけだ。

それに行ってしまった場合、合鍵を持っている鹿島は俺がいない部屋に入ってくるわけだ。もし体調が優れない俺がいないし連絡も取れないなんてことになれば、鹿島が大騒ぎするだろう。なんとしても明日、明後日は来させないようにしないといけない。

「鹿島。明日は実家に帰らないといけないからさ」

「ダメですよそんな状態で。どうしてもって言うなら私もついて行きます」

「いや、それも困るんだけど……」

魔法使いの世界に鹿島を連れてはいけないし、実家に連れて行ったら嘘がばれる。

「いいから。合鍵返して」

「嫌です。そんな状態で実家に帰っても、お母さんが困るだけですよ?」

「いや、もう大丈夫だから」

「三十七度もあるのにどこが大丈夫なんですか」

「ほら、もう体は動くから」

「それは感覚がおかしくなっているだけです」

平行線。

「もし戸隠さんが実家に帰るというのなら、私、今日はこのままここに泊まります」

そう言って座り込む鹿島。

「……わかったわかった。ちゃんと家で休んでおくから」

明らかに疑っている鹿島。

「やっぱり私、今日はここに泊まります」

「いやそれはダメだろ」

「大丈夫です。私、風邪ひかないですから」

「それフラグだ」

「佐々木部長にも、絶対に外出させるなって言われてるんです」

「来週は多少しんどくても行くから」

「それじゃ戸隠さんが倒れてしまいます」

「体は強いし、大丈夫だから」

「こんな高熱を出す人の大丈夫なんて信用できません」

平行線。これは一生続くパターンだ。俺はため息を吐く。

「……わかった。好きにしろ」

「え、本当ですか?」

何故か鹿島が目を輝かせる。

「でも、何があっても騒ぐなよ?」

「へ?」

「俺、寝相悪いから、朝になったら襲われてボロボロだぞ?」

「え……」

「昔はそれで女によく泣かれたからな。そんなひどいことされるなんて思ってなかったって」

鹿島が驚いた表情をした後、ゆっくりと唾を飲み込む。

「……大丈夫です。私、人よりも性欲は強いですから」

「は?」

「え?」

「……あ、襲うってそっちの襲うか」

「え、違うんですか……」

自分の失言に頬を赤らめる鹿島。

「俺が襲われそうで怖いな……」

「風邪を引いている人に、私、そんなことしません」

「風邪を引いてなかったらするのかよ」

「ち、違います、言葉の綾です」

「い~や。今の感じはするな。そういう女、見てきたし」

もちろん、三十路童貞の俺にそんなことを判別する能力はない。

「えっと……そんなこと、私はしません」

立ち上がり俺の目をしっかりと見て、一言一言、力強く話す。

「いいやするな」

「しません」

「絶対する」

「絶対にしません」

俺が引かないのを見て鹿島が小さく唸る。

「……わかりました。絶対に安静にしていてくださいよ」

「わかってるよ」

合鍵を俺に返し、立ち上がる鹿島。その目が怪しく光ったように見えた。

「……鹿島、念のために言っておくけど、家を監視するとかやめろよ」

「?!」

驚いた表情を作る鹿島。こいつ、やるつもりだったのか……。

「俺はまぁ良いんだけど、警察のお世話になったらクビだぞ?」

「……絶対に安静にしててくださいね」

「わかったわかった」

鹿島は狭い玄関でもう一度念を押してから出ていく。重たい鉄の扉が大きな音を立てて閉まる。

(ちょっとぶり返してきたな……)

鹿島を見送ってから、俺は壁にもたれかかる。

三十九度を超える高熱が続いたせいで、三十七度以上あっても熱が下がったと感じるだけだ。鹿島の言うとおりまだまだ風邪は治っていない。というか、風邪なのか怪しい。

俺は風邪薬を飲んで布団にもぐる。明日はどうなるのか。色々なことが頭の中を駆け巡る。しかし薬の効果もあって、俺はすぐに深い眠りについた。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「戸隠さんが言うことを聞くなんて思っていませんでした」

翌日。

鹿島の介抱のお陰で俺の熱はほぼほぼ平熱になった。体もすっかり元気だ。

鹿島は今日も色々と介抱をしてくれて、朝早くから来て家事を一通りやってくれた。

「ああ、まぁ俺もたまには、な……」

鹿島を安心させてやれたのは良かったが、魔法使いの世界に行けなかったことが気がかりだ。原因はわからないが、もしかしたら本当に行けなくなってしまったのかもしれない。

(と、なると三人で封印しないといけないのか……)

封印に俺の力は必要ないから、俺はいてもいなくても関係ない。でも何か胸騒ぎがする。俺が立ち会っていないと駄目な気がする。

「戸隠さん」

「ん? ああ、どうした?」

「私、今日は帰りますけど、明日……、明日は絶対に安静にしておいてくださいね」

「お、おう……」

妙に真剣な鹿島に押されて、俺は思わず返事をしてしまった。

(なんだろう。明日ってなんかあったか?)

カレンダーを見ても祝日を表す、赤い数字が書かれているだけだ。鹿島の誕生日はまだ先だし、俺の誕生日はもう過ぎた。

(まぁいいか)

薬が良い具合に効いてきたのか、瞼が重たい。

俺は大きな欠伸をしてから水を飲み、心地よいぬくもりに身を任せた。




★ 次のULは 7/7(金) 19:00 を予定しております。

 UL情報などはツイッターにて報告します→@mirai_pretzman

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