第17話 約束

「戸隠くん。ちょっといいかな?」

「はい」

いつものように起きて、いつものように出勤し、いつものように朝の打ち合わせを終えた後、席に戻ろうとした俺は佐々木部長に呼び止められる。

「戸隠くん、先週はお疲れ様」

「ありがとうございます」

「今週はそれほど忙しくはないようだね」

「……残業調整ですか?」

「うむ」

思うところがあるのだろう。佐々木部長は複雑そうな表情だ。

「ん~。じゃあ週末にお休みいただきます」

最近、魔法使いの世界とこっちの世界とでてんてこ舞いだったから、一日休みを貰えるのなら素直に嬉しい。

「すまないが、よろしく頼む」

「いえいえ。では失礼致します。」



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「戸隠さん、ほら行きましょう」

「うぃ~」

休日。

この前怒ってしまったお詫びとして、俺は休みが被った鹿島と繁華街に来ていた。

「朝から付き合ってください」と言われていたのだが、それだと何のために休んだのか分からないので、お昼前の集合にしてもらった。鹿島は先にショッピングを楽しんでいたようで、合流した時にはすでに紙袋を持っていた。

それを受け取り、鹿島おすすめのパスタを食べてから、ぶらぶらと町を歩く。

祝日は色々な人で賑わう繁華街も、今日はスーツを着て外回りをするサラリーマンか、学校終わりで遊びに来た学生ばかりで、いつもの活気が感じられない。

「戸隠さん」

「ん?」

「映画、映画を見ましょう」

「お。良いね」

大きなデパートの最上階に作られた映画館に向かう。

平日の昼間と言うこともあって、デパートの中は通りよりも侘びしい。

映画館はさらに閑古鳥が鳴いているかと思ったが、意外と人が多く、その大半が学生だ。そんな中にいると、俺たちも学生に戻った気がしてくる。

「おお。鹿島の好きそうなのあるぞ」

平日の夕方にやっている人形劇の映画のポスターを指さすと、鹿島がムッとした顔を作る。

「ちょっと、それ供向けですよ?」

「ほら、鹿島って子供っぽいからちょうど良いかなって」

「そんなことないですよ。私が見たいのはこっちです」

鹿島が指さすのは流行(?)の青春恋愛ものだ。

主人公の冴えない男と、それに恋したちょっと引っ込み思案な女の子。そしてふとしたことからその女の子を助けた女番長。三人の微妙な三角関係を描いた、パッとしない地味な話らしいのだが、コアなファンが長年支え、口コミで徐々に広まっていき、ウェブ公開から八年、書籍化から五年経って映画化されることになった。登場する役者は名前を聞いたことはあるが、パッと顔が浮かばない人ばかりだ。

「へぇ。鹿島って恋愛ものとか見るんだ」

「そりゃもう。乙女ですから。こういうのを見ると、きゅんきゅんしちゃいます」

「スイーツ笑」

「え?」

俺はよくヒモ野郎が使う単語を口走ってしまった。

「いや、なんでもないよ。ほら、早く行こう」

ごまかすように鹿島を引っ張り、チケットと飲み物を買って劇場に入る。

公開からしばらく経っているということもあって、中に人はほとんどいなかった。俺たちは正面やや後ろの席に座る。

客入りの通りの微妙な出来の映画は、BGMが終始ゆったりしていることもあって、まるで子守唄の様だった。

「戸隠さん、戸隠さん」

この映画に俺と同じ名前のキャラクターはいたかな。そう思いながら、ゆっくりと目を開けると鹿島の顔が近くにあった。その顔はわが子を見る親の様に柔らかかった。

「……あれ、寝てたか?」

「はい、それはもうぐっすりと」

クスリと笑う鹿島。

「なんか主人公と女番長が出会ったところくらいまでは覚えているんだけど……」

「それ、開始十分くらいです」

「マジか」

勿体ないことを事をしてしまった。まぁ、金払ってぐっすり寝られたと思えばいいか。

「あれ、ちょっとご機嫌斜め?」

鹿島はつんとした表情をしている。

「せっかく感動していたのに、横を見たら戸隠さん寝てるんですもん。私の感動を返してください」

「あれ、そんなに感動するのか?」

大親友のヒモ野郎の前情報だと、特に面白いシーンも感動するシーンもない、何もない人生を切り取ったような恋愛ものだと言っていたのだが。

「そりゃもう。最後のお別れのシーンなんて涙物ですよ」

「ほぉ。今度レンタルして見てみるか」

「さっき見ててくださいよ」

ぶーぶーいう鹿島を連れて映画館を出る。日の高いうちに映画館に入ったが、もう日は傾いていた。

「結構長い映画だったんだな。すごく短いと思ったんだけど」

「そう思うのは戸隠さんだけです」

相変わらずぶーぶー言う鹿島は、どこか楽しそうだ。鹿島も仕事が大変だろうし、少しでも気が晴れたのなら幸いだ。

「さてと。次はどこに行く?」

「そうですねぇ~。あ、戸隠さん、ダーツ教えてください、ダーツ」

「ああ。そんなこと言ってたな」

会社の飲み会の時に、セミプロと互角の勝負が出来ることを鹿島に話したら、ぜひ教えてほしいと言っていた。たしか新入社員の歓迎会の三次会とかで、もう一年以上も前の話だ。そんな前の事、まだ覚えてるんだな、と少し感心する。

俺は近くのアミューズメント施設に鹿島を連れて行く。

マイダーツを持ってきていないので、レンタルしてウォーミングアップ。ここ三年くらいやっていなかったので、初めは目も当てられないスコアだったが、少しすればダーツがブルに吸い寄せられるようになった。鹿島はボードに刺さらないことが多かったが、筋が良いのか教えるとすぐに上手くなり、俺を楽しませてくれた。

「ボーリングなら負けません」という鹿島を連れて、併設されているボーリング場に移動する。こちらも結構ブランクがあったので、初めは惨憺たるスコアだったが、最終ゲームで二百越えを守ることはできた。鹿島の最終スコアが百五十を超えていたので、正直負けるかと思った。

そのまま施設内で夕食を済ませ、今度はクレーンゲームで時間を潰す。俺が次々にぬいぐるみを取るので、鹿島だけでなく周りにいた人たちも驚いていた。

思い返せば、学生時代はモテるために色々頑張っていた。

綺麗なアクアリウムは評価が高いと言われて、小さくて可愛い熱帯魚を飼ったり、ワインを自宅で飲む男は格好いいと言われて、お酒が弱いのにちょっとお高いワインラックを買ったり、風景画が飾ってある家はお洒落と言われて、有名な画家のレプリカを飾ってみたり。他にもバスケ、料理、オーディオ、バイクなど、上げだしたらキリがない。でもな、モテないやつはやっぱモテないんだよ。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「はぁ~。楽しかった。戸隠さん、今日はありがとうございます」

俺が取った熊のぬいぐるみを抱きかかえながら駅の改札を通る鹿島。俺の手には買い物袋が三つ、ゲームセンターの袋が二つ、映画館で買ったグッズの袋が一つ。改札を通るのに難儀した。

「えっと……。じゃ、じゃあこれで」

「ああ待て待て」

俺から荷物を受け取ろうとした鹿島の手を、邪険にならないように止める。

「もう夜も遅いし、家まで送ってやるよ」

「え、でも戸隠さんの家は反対側ですし」

「反対っつっても三駅だろ。明日は休みだし、別にいいよ」

そう言ってから魔法使いの国に行くことを思い出すが、とくに問題ないだろう。俺は反対側のホームへと向かう。

「すいません、何から何まで……」

「いいよ。鹿島が痴漢にあったなんて聞くの、嫌だしな」

あまり意識はしていなかったが、鹿島もそこそこ良い体をしている。クランと違って無防備ではないが、いつでも襲えそうな隙を感じる。

俺はいつもと反対側のホームに降りて、電車を待つ。先に俺が乗るはずだった電車がやってきて、その五分後に俺たちが乗る電車がやってきた。

時間が時間なので電車の中も、降りた駅前も閑散としていた。この辺りは治安が良いと聞くが、暗闇をうっすらと照らす街灯の陰に、何かが潜んでいそうだ。

鹿島の家は駅から徒歩十分もかからない、オートロックも完備した、まだ新しいマンションだった。そういえばまだ俺が新入社員だった頃、新しく建つとかで、広告が駅に貼ってあった。あの時は「近い将来、奥さんと一緒にこういうマンションに住むのか、それとも一戸建てを建てるのか」なんてありもしない悩みを抱えていた。

俺のボロともいえないが、新しいとも言えないアパートとは全然違う。駅までもそれほど遠くないこのマンションは、中古でも俺が人生で一度しか買えない額なのだろう。

そういえば鹿島は良いところ出のお嬢様と聞いたこともある。もしかして、社会人になった記念でこんなのが買って貰えたりするのだろうか。そうだとしたら、正直、かなりうらやましい。

鹿島は慣れた手つきでオートロックを解除し、エレベータで三階に上がる。左手の渡り廊下を越えて一つ目の部屋に、行書体で鹿島と書かれた表札が取り付けられている。

「すいません。来てもらうつもりなんてなかったので、ちょっと汚いですけど……」

「いやいや。俺の部屋よりは綺麗だよ」

通されたリビングは、綺麗というより極端に物が少ない。十畳ほどある部屋には、こたつ机とテレビが置いてある。窓側の壁に本棚はあるがそれ以外に物がない。鹿島はその横に買い物袋を置いた。

「お茶を入れますね」

「あ、いやお気遣いなく」

「どうして他人行儀なんですか」

クスクスと笑う鹿島。

そういえば、女の子の部屋に一人で上がるのなんていつ以来だろう。女友達が多いのと、部屋で二人きりになれる回数は比例しない。そして俺の場合、二人きりの場合はほとんどがお悩み相談になる。

「料理が上手く作れないから教えて」や「男の人を紹介してほしい」などの可愛い相談から、「母親の浮気を見てしまった」「旦那が無実の罪で逮捕された」「彼氏以外の子供を身ごもってしまった」なんて、相手を間違えているヘビーな相談もあった。

鹿島の口からはどんな相談事が出てくるのだろう。偏見を含めた経験上、こういう御淑やかで当たり障りのない子ほど、大きな問題を抱えているものだ。

お茶を持ってきてくれた鹿島は対面に座り、「終電は大丈夫ですか」と聞いてきた。俺は「まだ一時間ほどある」と答える。

会社ではいつも他愛のない話をしているし、今日だってどうでもいい話をしながら町を歩いていた。でも改めて面と向かうと、何を話していいのかわからない。

鹿島も同じようで、沈黙が場を支配し始める。とりあえず何か話さないと。

「鹿島さ、このマンションって借りてるのか?」

「あ、いえ、親が中古で出ていたのを買ってくれました。ただ、半分は私負担なので、毎月ちまちまと返しています」

「中古とは言えども高かっただろうに。親御さん、よくお金出してくれたな」

「大学時代からの約束で、就職したらその近くのマンションを買ってやるって。私はアパートで良いって言ったんですけど、賃貸は絶対にダメだ。と言われまして……。でも甘えっぱなしも良くないので、半分負担するって言ったんです」

「鹿島はえらいな。俺だったら一銭もださねーわ」

「あはは。ありがとうございます」

鹿島は複雑そうな顔をする。

「お父さんは何の仕事をしてるんだ?」

「製薬会社の研究員です」

「へぇ。俺の家は片親で貧乏だったから、なんか素直にうらやましいな」

「……そんな、ことないですよ」

鹿島の顔が暗くなる。

家族に対して苦手意識と言うか、あまり良い思い出がないのだろうか。鹿島の過去まで詮索するつもりはない。俺はさっさと話題を変える。

「鹿島と違ってさ、俺の家は……」

実家と子供の頃の話をする。

鹿島も田舎出身と言っていたので、かなり話が合った。鹿島も昔はお転婆で、体が弱いのに近所の子供達と山の中を駆け回って、夜になると発作や高熱が出て苦しんだそうだ。

それでも友達と走り回って虫取りをして、度胸試しと言って木に登って、みんなと一緒に縁側で寝て。そういう暮らしを続けていくうちに、体は普通の子よりも頑丈になった。

楽しい時間はあっという間に過ぎる。テレビの上にかけられた鳩時計は、もう帰宅時間を指していた。

「さてと、そろそろ帰るか」

「え、あ……もうそんな時間ですね」

「ああ。戸締りはしっかりしておけよ」

「……はい」

外に出るとまだ冬の名残があるようで、ずいぶんと寒かった。魔法使いの国は常春の気候だから、ちょっと恋しくなる。

「じゃあまた来週。おやすみ」

「おやすみなさい、戸隠さん」

鹿島が扉を閉めて、鍵をかけた音を聞いてから家を後にする。

「あ、やばい……」

時間を見ると出発まで残り五分。俺は運動がてら、駅に向かって走り出した。




★ 次のULは 6/30(金) 19:00 を予定しております。

 UL情報などはツイッターにて報告します→@mirai_pretzman

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