第15話 歓迎
プロクスとの戦いで疲れたクランとサニーが仮眠を取っている間、俺はシレーナに色々と話をしていた。
魔法が使えないことをネタにしていたシレーナだが、こうして面と向かって話してみるとやはり色々な葛藤があるようで、時折、瞳の奥が深く沈む。どうにかしてやりたいが、俺は「あまり思い詰めるなよ」と言うくらいしか出来なかった。
サニーは二十分ほどで、クランは三十分ほどで起きた。俺たちは少し早めの昼食を取ってから、湖を目指して歩き出す。
杖に乗って移動すれば楽で速いのだが、あれは想像以上に魔力を消費するらしく、「三人も乗せて飛べるわけないやろ」と却下された。
クランも空を飛べるらしいが、おばあさんに呆れられるほど下手だったので、もう数年は飛んでいないとのこと。シレーナは魔法が使える使えないに関係なく飛べないらしい。
休憩を挟みながら二時間以上歩いただろうか、道が二手に分かれている。左手は今までと変わらない、簡単に舗装された道が続いているが、右手は道と呼べるか怪しいほどの獣道だ。子供の頃、こういう所にはマムシがいるから、絶対に行くなと言われたのを思い出す。
しかし先頭に立つクランは迷わず獣道の方に向かう。
「え、そっちなの?」
「はい。湖はこちら側です」
そう言って歩き出すクランの後を追う。
青々と茂った草をかき分けて、時には腰の高さほどの木の根を乗り越えて、休憩を挟みながら歩き続ける。
元の世界でも見たことがある木もたくさんあるが、中には熱帯雨林でよく見るような、ツタの長い木も生えている。大きな食虫植物があったり、シロツメグサに似た桃色の花を付ける草があったり、まるで植物園のように色々な植物が生えているのが面白い。
植物だけでなく、岩場にはトカゲがいたり、木の上で猿の親子がこちらを見ていたり、大きなハリネズミが地面を掘っていたりと、色々な動物も見ることが出来た。
そのどれもが元の世界で見たことのあるような生き物だが、例えばトカゲなら翼のような物があったり、猿なら大きな一本角が生えていたりと、体のどこかに大きく違う点があった。なんだか新種の生物を動物園に見に来たようで楽しい。
といっても危険な毒蜘蛛や、グンタイアリのような危険な生き物も数多く存在していて、一番肝を冷やしたのは大型のクマがこちらに歩いてきたときだ。四本足でのっそりと歩きながら近づいてきたが、こちらを一別しただけで素通りしてくれた。クランは完全に戦闘態勢だったが、基本的にこちらから手を出さなければ攻撃してこない生き物が多いらしい。
歩き疲れて、新しい生き物を見つけても興奮しなくなってきた頃、俺はふと気になったことを聞いた。
「クラン、湖の場所って知ってるのか?」
「女王様に地図をいただきましたから、大丈夫です」
そう言ってこの世界では高級品の紙に書かれた地図を見せてくれるクラン。木の面影が残る茶色い紙には、かなり精密な地図が書かれていた。
「これなら方向音痴のクランでも大丈夫だな」
「私、方向音痴じゃありませんよ」
「隣の村に行くのにショートカットを使って、迷ったのは誰だっけ?」
「あ、あれは事故です!」
「本当かなぁ~」
「ううっ……。ダイスケさんなんて知りません」
プイッとそっぽを向くクラン。それを見て後ろの二人がクスクスと笑う。
休憩を挟んでさらに三十分ほど歩くと、突然クランが足を止めた。その先は視界が開けており、うっすらと霧がかかった大きな湖が俺たちを迎えてくれる。
「噂には聞いてしましたけど、これほど綺麗とは……」
クランが湖に近づいて水を掬う。手に溜まった水は何もないかのように透き通っていて、覗き込む俺とクランの顔がはっきりと映っている。
「ホンマに。ここ、天国とちゃうか」
サニーが近くにあった草木を調べている。そのうちの一つを摘み取り瓶に入れる。
「そうじゃないことを祈るわ」
シレーナは大きく深呼吸をして、息を整えてから杖を構える。しかしやはり魔法は使えないようで、肩を落として杖を片付ける。
視界の端で何かが飛び込むような音が聞こえる。音の鳴った方を見ると、薄い水色の肌をした人がこちらを見ていた。俺が話しかけようとすると、水中に潜ってしまった。
「あれが人魚か?」
「そうだと思います。ですがどこかに行ってしまいましたね」
「偵察にでも来よったんやろか?」
「……どうやって交渉したらいいんだろう?」
「水面に声をかけてみたら?」
「……そうだな」
クランは俺に期待を寄せ、サニーはポリポリと頬を掻きながらそっぽを向き、シレーナは黙って俺を見ている。
俺は膝を折って、水面に向かって話し始める。
「え~っと……。はじめまして。私、三十路童貞勇者の戸隠太典と申します。いきなりの訪問申し訳ありません。魔王を封印する魔法を、私の仲間に教えていただきたいのですが、一度お話しさせていただけないでしょうか」
美女三人に見下ろされる中、一人で水面に話かける三十路童貞。たぶん今までの人生で一番シュールな絵だ。
「……誰も出てこないな」
「もうちょっと待ってみましょう」
それから十分ほど待ったが、人魚はおろか水面には波一つ立たない。
「……どうする?」
「どうしましょうか?」
「強引に呼び出すしかないんちゃうか」
サニーが腕をぐるぐると回す。
「やめておきなさい。迂闊なことをしたら、封印の魔法を教えてくれなくなるわ」
しばらくすると五メートルほど離れたところに人魚が現れる。そしてこちらを確認して、また潜って姿を消す。
「なんか馬鹿にされてないか?」
「そういうわけではないと思いますけど……」
無視されているわけではなさそうなので、俺たちは根気よく待つことにした。
三人はシレーナの魔法の練習を始めが、俺は何もアドバイスできないので、三角座りをしてじっと湖面を見つめている。
小さい頃、母さんに怒られた時は近くの池でこうして水面を見ていた。一度、日が傾き始めた頃におまわりさんが来て、かなり怒られたことがあった。でも穏やかな水面を見ていると、心が落ち着いたから、次に怒られた時はまた池で水面を眺めていた。
あれももう二十年も昔の話か。あの時は早く大人になって、エリート社員になって母さんを助けたい。って思っていたけれど、出世コースはギリギリ外れていないにしろ、エリート社員ではないし、思い描いていた給料にはほど遠い。今は実家にいる姉さんが母さんを養っている。俺もお金を送っているが、自分の生活のこともあるので、雀の涙ほどしか送れていない。
本当に母さんには感謝してもしきれない。ばあちゃんがいたとは言え、女手一つで俺と姉さんを育てるのは、並大抵の苦労じゃなかったはずだ。そんな母さんのためにも、結婚して子供を作って見せてあげたい。しかし現実は非常だ。
俺は芝生の上に寝そべり、青い空を見上げる。今日は薄めの雲がかかっているので日差しは緩く、湖から吹く風が冷たくて気持ちいい。
歩き疲れたこともあって、大きな欠伸とともに、瞼がゆっくりと降りてくる。うとうとと微睡み始めたその時、ちゃぽん。という水音がいくつも聞こえる。その音を聞いてクランたちがやってくる。起き上がり水面を確認すると、五人の人魚の赤い瞳が俺を捉えている。俺は唾を飲み込む。
「本物のようですね」
中心にいる薄水色の肌をした女性が俺に声をかけてくる。頭には牛の角を象った、黒色の王冠をはめており、人魚というよりは悪魔の使いのように見える。胸は人魚らしく大きな二枚貝で隠し、おへその下からは魚の尾になっている。
彼女たちをじっくりと見ていると、王冠を乗せた女性が頭を下げた。その後に、取り巻きの四人が一斉に頭を下げる。
「三十路童貞勇者様、お待ちしておりました。私は人魚の長。ネージュと申します」
「私は戸隠太典と申します。よろしくお願い致します」
俺はつられて頭を下げて、自己紹介をする。
「その三人が、勇者様のお仲間ですか?」
「はい」
「わかりました。人魚の国はこの湖の奥にあります。少しお待ちを」
そういうと人魚の長、ネージュさんが手を三角に組みながら魔法を唱える。そして右手を天に掲げると、俺たちは柔らかい水色の光に包まれる。
「これで水の中でも息が出来るようになります」
「え、本当か?」
「はい。一度顔を浸けてみてください」
俺はおそるおそる水面に顔を浸ける。すると目の前の水が逃げていく。息もできる。顔を上げても濡れていない。
「す、すごい……」
「体の周りに特殊な膜を張りました。これで皆さん、水に濡れることはありません」
それを聞いてサニーが、続いてシレーナが、最後にクランが水に手を浸ける。三人とも、手には水滴一つ付いていなかった。
「イカダも用意しました。これにお乗りください」
丸太で出来たイカダが水中から飛び出てくる。水しぶきがかかったが、やはり濡れることはなかった。
全員が乗船したことを確認してから、人魚たちが船を押してくれる。歩く速度と変わらない、のんびりとした船旅。
湖から見える景色は最高だった。
進めば進むほど濃さを増していく霧に、日の光が反射し、七色のカーテンを作る。カーテンの奥に見える木々は、光り輝き、魔王を再度封印する使命を帯びた俺たちを祝福してくれているように見える。
まるでオーロラの中を移動しているような不思議な空間が終わると、この世界ではポピュラーなログハウスが見えてくる。大きな違いは、岸に建っているのではなく、湖にぷかぷかと浮いていることだ。
イカダの上に建つ家に船を横付けし、降りるように指示される。
俺は慎重に体重を預けていく。端に乗ったらバランスを崩して転覆しそうなものだが、意外にも地面にいるときと変わらなかった。しかし端にいるのは怖かったので、俺は扉を開けて家の中に入る。
左側は普通の家だが、右側は透明な水の膜が壁の役割をしている。その向こうは湖が広がる。
俺たち四人が部屋に入り、その光景を見ていると、ネージュさんが水の膜を破り、腕を床に乗せて話しかけてくる。
「ここが初代三十路童貞勇者様の家でした」
クランが後ろで「なるほど」と言った。右側の壁だけ水の膜になっているのは、人魚達と会話しやすいようにするためだ。
「さすがに腐る物や寿命がきた物は捨ててしまいましたが、ほとんど当時のままです」
二十畳ほどの大きな一間には、布団、本棚、箪笥などの一通りの家具が揃っていた。だが長年誰も住んでいないせいか、綺麗に作られたモデルハウスのように、まるで生活感がない家だった。
「その本棚にある、赤い本が日記です。私たちには読めませんが、歴代の三十路童貞勇者達は、それを見て色々と学んでいました」
奥にある本棚を指さすネージュさん。
(……そもそも読めるのか?)
そもそも初代の三十路童貞勇者は俺と同じ世界出身なのだろうか。世界が同じとしても、国が同じとは限らない。英語ならなんとか読めるだろうが、それ以外の言語はさっぱりだ。さらに時代が違えば字も違う、五百年前といえば戦国時代だったはずだ。その時の字を俺が読めるとは思えない。
しかしここまで来てそんなことを考えても仕方がない。俺は分厚い日記を手に取り開く。そこには、俺が見慣れた字が書かれていた。ホッと胸をなでおろす。
「勇者様、魔法使いの三人は連れて行きますね」
「ん? さっそく稽古を付けてくれるのか?」
「はい。私たちにとっても魔王の封印は重要なことですから。三人が一週間で封印の魔法を取得できるよう、尽力致します」
ネージュさんはにっこりと笑い、三人を岸へと連れて行く。
三人がネージュさんに何か言われながら杖を構えたのを見てから、俺は初代三十路童貞勇者の日記を読み始めた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
深夜。
日記を読んでわかったことは、魔王は棺桶に封印されており、それがこの世界では奇跡の箱と呼ばれている。どんな棺桶なのかはわからないが、棺桶程度で魔王が封印できるとは思えないので、人魚の魔法の力が強いのだろう。
また、魔王は魔法攻撃よりも物理攻撃に長けているらしい。そのため、物理攻撃を全く知らないこの世界の人たちは、防ぐ手段がわからずにどんどん押されていったようだ。しかし初代三十路童貞勇者が来たことによって、物理攻撃に対策が出来たこの世界の人たちは、少しずつ押し返していき、ついに魔王を封印することに成功した。
初代三十路童貞勇者はこの世界の人たちに物理攻撃について教えようとしたようだが「魔法理論で説明できないことはわからないようで、私は途中で断念して、その都度対策を指示するようにした」と書いてあった。そういえば移動中に三人が、どうやったら俺のようなパンチが打てるのかを議論していたが、そのほとんどが魔力をどのように拳に集めるかという話題で、腰を入れるとか、脇を締めるとか、体を鍛えるとか、そういった類いの話は一切出てこなかった。
俺は慎重に寝返りを打つ。横は湖だ。魔法のおかげで落ちても大丈夫とはいえ、落ちてしまった時のことを考えるとやはり怖い。
今日はやけに目が冴えている。あまりにも環境が違うからなのか、昼間の戦いのせいで頭が覚醒しているせいなのかはわからないが、まだまだ寝られそうにない。
ボーッと月明かりに照らされた水面を見ていると、誰かがこちらに近づいてくる。月を背にしているので初めは誰かわからなかったが、近づくにつれて牛のような大きな角が見える。ネージュさんだ。
「夜分遅くに失礼します。勇者様、少しよろしいでしょうか?」
「え、あ、うん」
「ではゆっくりと入水してくださいまし」
そう言って俺の手を取るネージュさん。
俺は音を立てないように足を浸けてから、ゆっくりと入水する。水の冷たさこそ感じるものの、水の重さは感じない。空気に包まれているような、何とも不思議な感覚だった。
そのまま手を引かれて、湖の中心に連れて行かれる。霧は晴れていて、水面にまん丸の月が綺麗に映っていた。その月の真ん中で、ネージュさんは止まる。
「勇者ダイスケよ。言っておかねばならないことがあります」
ネージュさんは色々なことを話してくれた。
魔王と人魚たちは元々魔界という世界におり、野心家の魔王は魔界の統治者になることを目論んでいたが、彼の実力ではそれは到底叶わず、ならばと異世界を乗っ取ろうと考えたらしい。
本来、魔界から異世界に行くには何とか協会という組織に申請がいるのだが、世界を乗っ取るなんて理由では許可が下りないため、魔法を使って違法にこの世界にやってきたらしい。その際に、巻き込まれる形で人魚達はこの世界にやってきた。
巻き込まれて犯罪者になった人魚たちは当然魔王を良く思っておらず、戦況をひっくり返した初代三十路童貞勇者に力を貸し、魔王を封印した。その後、この世界に残る決断をした初代三十路童貞勇者の世話もしたらしい。
「……勇者ダイスケ。この世界には女性しかいないのはわかりますよね?」
俺は頷く。
「でも魔界には男もいます。そして私たちはあなたが男だということもわかっています」
何となくネージュさんの顔が艶っぽい。いや、間違いなく艶っぽい。
「大丈夫です。私たちに生殖器はありませんから、あなたは童貞のままです」
耳元に近づき、熱い息を吹きかけるネージュさん。「むしろ捨てたいんだけど」とは言えなかった。
「女だらけでさぞかしお疲れでしょう。ここで息抜きをなさってください」
「いや、でも……」
「彼女たちに封印の魔法を教える対価です」
そう言われると何も言い返せない。
それを肯定と取ったのか、ネージュさんはゆっくりと俺の頬を撫でる。そして、後ろに何人もの人魚が現れる。人魚が三十路童貞にだけ優しい理由がわかった気がする。俺は堪忍して、初めての快感に身を任せた。
★ 次のULは 6/26(月) 19:00 を予定しております。
UL情報などはツイッターにて報告します→@mirai_pretzman
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