第9話 嘘
そろそろ起きないといけない。そう思っても俺はそう簡単に起きられる人間ではない。いつもアラームが鳴るまで惰眠をむさぼる。眠りを感じられるこの状況が俺は好きだ。
しかしそんな至福の時間は、騒がしい和風ロックが鳴り響いたことによって終わりを迎える。
布団の中から手を出して、枕元にあるスマートフォンを取って時計を確認すると、本命のアラームが鳴る十分前だった。
(ああ、また元の世界に戻ってきたのか……)
寝ぼけた頭で昨日までの事を思い出す。
関西弁の回復魔法使い、サニーと一緒にキノコを探し、勘で進んだ方向にあった美しい湖でキノコを見つけた。
その夜、親御さんにしこたま飲まされた俺は、二日酔いで体調が悪い中、次の町を目指した。
途中でプロクスが襲いかかってくるもなぜか撤退してくれて、なんとか町に着いた俺は、サニーが作ってくれた薬を飲んで、夕食もとらずにそのまま深い眠りについた。
微睡みながら魔法使いの国での出来事を思い返していると、またアラームが鳴る。今度は俺の好きな曲、これが本命のアラームだ。俺はのそのそと起き上がり、ベッドの上でのびをする。
もう一度寝たいという誘惑を払いのけて、立ち上がり台所で水を飲む。冷たい水が体に行き渡る感覚が気持ちいい。俺はもう一度のびをする。酷かった二日酔いは嘘のように治っていた。
(サニーの薬のおかげかな?)
見た目はやんちゃな高校生といった感じだけれども、やはり彼女は優秀な薬師のようだ。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
「戸隠すわぁ~ん。今週はどぉこぉへ行ってたんですくぅわぁ~?」
グループ朝礼の後、席で日程を確認していると、尋常じゃなく鬱陶しい言葉遣いの田辺が俺にまとわりついてくる。
「……ちょっとな」
「ちょぉっとじゃぁ~なぁあいでぇすゆぉ~?」
「ごめん、殴っていい?」
被せ気味に言って、引き出しに入っている愛用のスパナを取り出す。
「いやすいませんって。で、どこ行ってたんですか?」
「……別にどこでもいいだろ?」
「それなら言わなくても良いっすよ~。俺ら戸隠さんのことを応援してますからね」
(……ああ。そういう勘違いか)
どうやら俺に彼女が出来たと思っているみたいだ。俺は「彼女」という単語に行きついて、真っ先にクランのはち切れそうな風船が頭に浮かんだ。
「残念だがな田辺、そういうことは一切ない」
「隠さなくてもいいっすよ。俺、絶対に言いふらしませんから」
「業務時間中にもかかわらず、SNS開けて待機してるやつが何言ってるんだ?」
「いや、これは閲覧ですって」
田辺が持っている最新型のスマートフォンに目をやる。
「思いっきり投稿のページだろ、それ」
「細かいこと気にしていると老けますよ」
こうなると田辺はしつこい。
「はぁ……。わかった話すよ。ただし書くなよ」
「約束は守ります」
画面を見ずとも文字が打てる田辺は、正確なフリック操作で「戸隠さんの先週末の動向」と入力した。
俺は少し間を開けてから、考えておいた話を始める。
「実はな、おかんの体調が悪いんだ」
きょとんとした顔の田辺は、スマホの画面を暗くした。
田辺は馬鹿一点集中のように振る舞っているが、非常に真面目で口が堅い常識人だ。SNSでに載せる内容の線引きは、俺も怒られることがあるくらいしっかりしている。
「大した病気じゃないし、みんなを心配させたくないから言わないようにしているんだ。平日は実家で暮らしてる姉貴が見てくれてるんだけど、ほら、うちの姉貴って週末はコンサートに行くだろう? だから週末だけ帰って来てほしいって言われてるんだ」
「ああ。戸隠さんのお姉さんってローカル歌手でしたもんね」
姉貴は地元の零細企業で働く傍ら、ローカル歌手として小銭を稼いでいる。年寄り受けの良い姉さんは意外と引っ張りだこで、週末はほとんど家にいない。
「ってなわけで週末は実家に帰ってるんだ。あそこ電波が弱いから、携帯もろくに使えないしな」
「え、でも病院とか言った時に見られるでしょ?」
「ああ。でもこれを機に、ちょっとスマホとかテレビとか、電子機器から離れようかと思ってな」「??」
まるで俺が話している言語がわからないといった表情の田辺。しかしこいつは日本語以外にも、英語、中国語、ロシア語も話せるエリートだ。
「いや、まぁなんていうんだ……。あそこに戻るとさ、ガキの頃を思い出すんだよ」
「はぁ……」
「ほら、俺の実家ってド田舎だから、子供の頃は携帯どころかゲーム機もなくて、自然が遊び道具だったんだ。だから、久しぶりに実家に帰ったら懐かしくなってな」
「へぇ……。俺らは中学生くらいから携帯ありましたからね。小学生から持ってるヤツも多かったですし」
「すげぇな」
田辺や俺が中学の頃と言えばおよそ十五年前。まだ携帯電話がPHSみたいな形だった時代だ。
「逆にないのがびっくりですよ。襲われたりしないんですか?」
「一年に一回くらいは誰かクマに襲われてるな。でもそもそも電波がないから、携帯を持っていても意味がない」
「あ~。そうか。電波ないんでしたね」
「ってなわけで週末は携帯を置いて行っているんだ」
「……そのことだけでも載せといたら良いんじゃないですか? みんな、心配してますよ」
「それもそうだな。なんか面白おかしく書くわ。ありがとう」
「いえいえ。また困ったことあったら連絡ください」
そう言って田辺が席に戻る。
(さて、仕事するか)
今週は報告書やらコスト資料など、提出物が山盛りだ。夏休みの宿題くらいある資料を、一週間以内に仕上げなければいけない。
俺は表計算ソフトを立ち上げて、資料作りを始めた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
みなさまへ
近ごろ、「週末に戸隠さんからメッセが返ってこなくて寂しくて死んじゃう!」 というハムスターみたいな方がたくさんいるようです。
実は今、週末限定で実家に帰り、煩悩を断ちきるために滝修行をしています。
……すいません、嘘です。
本当のことを書きます。
少し前に三十路になり、今までのことを振り返った時、子供の頃に自然と遊んだ記憶が蘇ってきて、またあの頃の純粋な気持ちに触れてみたいと思い、今は実家(かなり田舎)で釣りをしたり木登りしてみたりと、子どもに戻って遊びまわっております。
端から見たら「おっさんが山の中を走り回っている」という危ない光景ですが、本人は楽しくしているので通報しないでください。
田舎なので電波が弱いのと、スマホなりパソコンなりを持っていくと風情がないので、電子機器は家に放置しております。そのため、メッセは月曜日にまとめて返します。
飽きたらまた女漁りに戻りますので、その際はよろしくお願い致します。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
夜。SNSに載せた文書にたくさんの反応がある。メッセージの数もどんどん増える。それらに全て返事をしながら、俺は作ったカルボナーラを頬張る。
こうしてこまめにSNSでやり取りするのも慣れた。
大学に入った直後は、モテるためとはいえ、この作業をこなすのが煩わしくてしかたなかったが、ヒモ野郎に「女性のメッセを三十秒以内に返さない奴はヒモにはなれない」と言われ、別にヒモになるつもりもなかったが、がんばって五分以内に返すようにしていた。
全盛期はスマホを二台にそれぞれキーボードを繋げて作業していたが、社会人になると仕事中は返信できないこともあり、メッセージは減っていった。少しさみしい気もするが、今くらいのメッセージ量が一番良い。
食事を終えた俺はさっさと洗い物を済ませて炬燵に入る。もうすぐ春だというのに今日は真冬並みに寒い。冬に入る前にエアコンが壊れて、炬燵しか暖房器具がない俺は、洗い物で冷えてかじかんだ指を温めながらメッセージを返す。
一段落ついたところでテレビをつけると、今日も芸能人たちがひな壇に座り、あれやこれやと自分のエピソードをおもしろおかしく語っていた。
その中に異世界に行ったなんてものは当然なくて、リアルタイムでそれを経験している俺はちょっと優越感に浸れた。
SNSのメッセージ通知を知らせる着信音が鳴り、テレビから聞こえる騒がしい声をBGM切り替えて確認する。たった数分の間に溜まったメッセージの中に、鹿島からのものがあった。
「私も実は田舎の出身で、よく虫取りとか釣りとかをして遊んでいました。今度ぜひ連れて行ってください」
最近の都会っ子は虫が触れる女子なんて敬遠するから、虫取りとか迂闊に書かない方が良いと思う。とくに俺のSNSには、工場で働いているやつがほぼ全員入っているから、すぐに噂になってしまう。
明日注意しよう。と思いつつ、「なんか大人しい鹿島からは想像できないな~」と、メッセージを返す。するとすぐに、「絶対に負けませんよ。木登りも得意ですよ」と返ってきた。
「そんなに自信あるなら勝負するか~。勝ったら一週間、手料理作ってくれ」と返すと、「良いですよ。私が勝ったらおたか~い服を買ってください」と返ってきた。
(あ、地雷踏んだかも……)
俺と鹿島の約束は多くの人にお気に入り登録された。俺は冗談のつもりだったんだけど、やらないといけない流れになってしまった。
というか、木登りって何を競うんだろう。やっぱり速さだろうか。それともどれだけ高く登れるかだろうか。
(ってか、鹿島って料理できるのか?)
お弁当の中を見たことがあるけど、冷凍食品が多かった気がする。
(学生のころから一人暮らししてるって言ってたし、大丈夫か……)
俺はあまり冷凍食品入れないけど、手軽でそこそこ美味しいから、料理が上手い人でも好んで入れる人はいる。鹿島もその類だろう、きっと。
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翌日昼休み。飽きもせずにSNSを開いてメッセージを返していた俺に、鹿島が近づいて来た。
「戸隠さん、いつやります? なんなら今週末でもいいですよ。戸隠さん、実家に帰るんでしょう?」
「え、あ~……」
あんな日記を書いた手前、「今週は帰りません」と言うわけにもいかない。
「勝負はまた今度な」
「え? 逃げるんですか戸隠さん」
「いや違うって。その、な……」
「も、もしかしてですけど、あの日記は嘘で、実は女の人と付き合ってるとか……」
「それはない」
俺の代わりに断言する田辺。
「おい田辺。喧嘩売りに来たのかお前」
「え~だって戸隠さん、女なんて消耗品だって言ってたでしょ?」
「……」
鹿島が汚いものを見る目を向ける。
「鹿島、そんなこと一度も言ったことないからな」
「でも戸隠さんが特定の女性と付き合ってるって聞いたことないっすよ」
特定とじゃなくて誰とも付き合ったことがないとは言えない。
俺が答えないことを、田辺は肯定と取ったようだ。
「くぅ~。戸隠さんの女たらし~」
「やめろ」
お前らがそういうことを言うから俺は童貞のままなんだ。とも言えない。
「で、戸隠さん。どうして週末はダメなんですか?」
「あ~……」
このまま上手く流せるかと思ったが、そうもいかなかった。
おかんが病気という話は真っ赤な嘘なのであまり広げたくない。広がれば広がるほど嘘だとばれる確率が上がる。
どう返すかと悩んでいると、田辺が助け船を出してくれる。
「鹿島、そのことはあまり聞くな。デリケートなことだから」
「え、田辺さん知ってるんですか。ずるいです」
田辺が出した船は座礁して沈没する。「おいこの馬鹿」と目配せすると、「すいません」と返ってきた。
「はぁ。鹿島、絶対に他言しないって誓えるか」
「はい」
「わかった。じゃあ話してやる」
俺は母さんが病気で週末に帰っていること、そしてついでに田舎を楽しんでいることをかいつまんで伝える。
鹿島は何が聞けるのかとワクワクしていたが、俺の話を聞くにつれて顔が暗くなっていき、最後には俯いてしまう。
そんな純粋な反応をする鹿島を見て罪悪感を感じるけれども、「異世界に行っています」なんて口が裂けても言えない。良くて変な人扱い、悪ければ病院送りだ。
「あ~あ。戸隠さんが泣かせた」
「人聞きの悪いことを言うな」
「……戸隠さん、私、看病を手伝います」
「は?」
「田辺さんは家庭がありますけど、私に家庭はないですし、週末もそんな忙しいわけじゃないです。そんな話を聞いたら私、なにもせずにはいられません」
話が思っても見ない方向に向かってしまった。背中に嫌な汗が流れる。
「いやいや。いくら仲の良い後輩だからって流石にそれは申し訳ないし、おかんも急に女の子を連れてきたら気を遣うだろうから。変に悪化されても困るし」
「で、でも……」
「鹿島、これは戸隠さんの言うことが正しいよ」
「え……」
田辺がまた俺を助けてくれる。
「戸隠さんも気持ちは嬉しいだろうけどさ、お袋さんのこと考えたら、やっぱり急な変化を与えるのは良くないと思うんだ。戸隠さんがこんな美人をいきなり連れてきたら、お袋さんもびっくりするだろ」
「……鹿島、おかんの容体が安定したら連れて行ってやるよ」
実家には本当に連れて行こうと思っている。鹿島が本当に木登りができるのか気になっているのだ。
「……はい」
鹿島は少し不服そうだったが、なんとか納得してくれた。
「それにしても田辺が珍しく正論を言ったなぁ」
「何言ってるんすか。俺、いつも正論しか言わないでしょう?」
「いや……」
「えっと……」
俺と鹿島はそれぞれ明後日の方を向く。
「ほら~。そうやってまた俺を苛める。パワハラっすよ、パワハラ」
「ほぅ。田辺君はパワハラを受けているのか……」
佐々木部長がやってくる。資料を持っているところを見ると、どうやらこれから打ち合わせのようだ。
「あ、佐々木部長、聞いてくださいよぉ~」
「田辺君。君のおかげで私の決算資料が完成しないんだが?」
「あ、ヤベ……」
田辺は頼んだことをよく忘れる。というか、こいつの場合は頼まれ過ぎなのだ。忘れても仕方がないと思う。
「田辺君は上司に対してパワハラをしてくるからな。大したもんだよ」
「いえ……」
近づいてプレッシャーを与える佐々木部長。
「部長、それ以上は本物のパワハラですよ?」
「なになに冗談だ冗談。明日中に提出してくれれば大丈夫だよ」
大きなお腹を震わせて笑う佐々木部長。
「さて君たち、もう昼休みはとっくに終わってるんだ、仕事に取り掛かりたまえ」
時計を見ると、休憩時間を十分オーバーしていた。
★ 次のULは 6/5(月) 19:00 を予定しております。
UL情報などはツイッターにて報告します→@mirai_pretzman
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