第6話 キノコ探しの少女

閉じた視界に光が差し込む。

それが起床を促す朝日だと気が付いた俺は、寝返りを打って背を向ける。

「ダイスケさん」

おっとりとした女性の声が頭に響く。

いつものように声を照合していくと、魔法使いの世界で出会ったクランと一致した。

「ダイスケさん」

もう一度名前を呼ばれる。もう二度と聴くことはないと思っていた声。

クランは夢の世界の住人だ。だからもっと深い眠りにつけば、彼女と会うことが出来るかもしれない。俺は肩にかかっていた、ごわごわとした布団をかぶりなおし、さらなる深みを目指す。

「……ダイスケさん、起きないのならこうします!」

「おわっ!」

先ほどまで心地よいぬくもりを提供してくれていた布団がめくりあげられる。ちょうど春の心地良い風が、窓から舞い込んできた。

「あれ、ここは……」

キョロキョロと辺りを見渡す。「ここは宿屋」そんなフレーズが頭をよぎる。

俺の横には、クランが掛布団を持ちながら俺を見ている。

「クラン、か?」

「はい、クランです」

(俺はまだ夢を見ているのか……?)

試しに頬をひっぱってみるけど痛いだけで目は覚めない。俺は夢だと思っていた魔法使いの世界に戻ってきた。

「ダイスケさん、おはようございます」

「ああ。おはよう」

「ダイスケさん、元の世界に戻ってましたよね?」

「うん? ああ、そうだな……」

この世界が夢なのか現実なのか定かではないが、この五日間は今まで通りの生活をしていた。ちゃんと記憶もある。

「私、びっくりしました。一週間前、お昼過ぎになってもダイスケさんが起きてこないので、様子を見に来たらダイスケさんの姿がなかったんです。慌てて周囲を探しても見つからなかったんで、いったん村に戻っておばあちゃんに相談したんです。そしたらですね、三十路童貞勇者は二日間しかこの世界に滞在できず、五日間は元の世界に戻る。って言われたんです」

「……そういう大切なことは先に言って欲しかったな」

「ですね」

世界を救う旅をするとしても、平日はしっかり働けということらしい。

何とも世知辛いと感じるが、元の世界に戻ったら何十日も経っていて職がありませんでした。などということにならないだけマシだと思わないといけない。

「とりあえず、飯にするか」

「はい。おかみさん、首を長くして待ってますよ」

クランのお腹が大きく鳴る。そして顔が赤くなる。

どうやら首を長くしていたのは、クランのようだ。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



懲りずに近道と称する森の中を突っ切ろうとしたクランを止めて、今回は煉瓦が敷かれた道を使い次の町を目指す。クランは少し不服そうだったが、前回のことを思い出したのか、何も言わずに付いてきた。

左右に広がる薄暗い森から何か出てきそうだが、森の中に棲む動物は滅多に人間を襲ってこないらしい。仮に人間が森の中に入ってもほとんど逃げるとのことだ。

「ダイスケさん、そろそろ休みますか?」

「そうだな」

次の町までまた五時間かかるらしい。まだ一時間しか歩いていないが、ふだん長距離を歩かない俺にとっては厳しい。

五分ほど歩くと少し開けた場所に出たので、そこで腰を下ろす。

筋肉が張った足を揉みながら、学生時代に終電を逃し、友人と家まで歩いて帰ったことを思い出す。初めは鼻歌を歌いながら意気揚々と歩いていたが、一時間もすれば酔いが醒め、二時間を迎える前に後悔を始め、三時間を過ぎたら頭の中が真っ白になり、お互い前を向いて黙々と歩く人形のようになった。

夜が明けても家には着かず、けっきょく近くの駅から始発の電車に乗って帰った。ネットカフェに泊まる選択をしたヒモ野郎と同じ車両だったのは、忘れることが出来ない思い出だ。

「気持ちいいなぁ……」

穏やかな春の日差しが俺たちを優しく包み込む。こうして自然に囲まれてのんびりするなんていつ以来だろう。

道端に生えた草を引っこ抜いてみる。少し抵抗した草だが、少し力を込めるとあっけなく降参し、土の服を着たまま白い根っこを見せてくれる。

山奥で生まれ育った俺は、いつも自然に囲まれて暮らし、こうやって地面に座りボケっと雲を眺めるのも日常だったはずだ。

でも高校から都心部で一人暮らしを始めて、自然のぬくもりに触れることはなくなり、そしてどんどん忘れていった。

ふと横を見ると、クランが肩を揉んでいる。どうやらたわわに実った二つの果実が肩こりを引き起こしているようだ。

「クラン、肩、揉んでやるよ」

引き抜いた草を適当に埋めてからクランに声をかける。

「え? 良いんですか?」

「ああ。ほら、あっち向いて」

クランの性格から、「そんな失礼なことできません」というかと思ったが、拍子抜けするほど素直に背中を向ける。

俺は手に付いた土を払ってからクランの長い髪の毛をどけると、襟足から汗が流れ落ちる。俺はのどを鳴らす。

クランの首筋は十代とは思えない妖艶さを放っており、乳白色のもちっとした肌は、肩にかけた手に吸い付き俺を惑わせる。

「クランっていくつなんだ?」

「十六です」

十六でこの妖艶さ。元の世界ならその道の人気者になれるだろう。

「かなり凝ってるな」

クランの肩は固まった粘土のようになっていた。

「はい。胸が大きいと、その……」

そう言って忌まわしそうに自分の胸を持ち上げるクラン。決して小さくはない手から溢れる豊穣な胸が、何キロあるのか想像もつかない。

「あと肩が露出した服を着てるから、冷えて固まっちゃうんだろうな」

肩から背中にかけて大きく露出している、民族衣装のような服を着ているクラン。いくら常春の世界とはいってもこれだけ露出していると冷えてしまう。

いったん温めた方が良いが、蒸しタオルなどないので手で肩を温める。熱が伝わったところでゆっくりとツボを押す。

「ここ、痛いか?」

「いえ、とっても気持ちいいです。ん……、ふぁ~」

艶っぽい息を吐くクラン。どうやら痛いと感じるタイプではなく、気持ちいいと感じるタイプのようだ。

友人の整体師に習ったマッサージ方法を思い出しながら十五分ほど揉むと、凝り固まっていた筋肉が随分とほぐれた。

「ほれ、どうだ?」

「すごく楽になりました。ありがとうございます」

クランが肩を回す。それに連動して二つの果実もぐるぐると動く。自分の肩にも相手の目にも悪い胸をしている。

「ダイスケさんは大丈夫ですか?」

「ああ。肩こりはないな。それよりも足が疲れて……。ふぁ~あ」

足の疲れよりも眠気の方が強いようだ。

「少し寝ますか?」

ぽんぽん。と太ももを叩き、「お返しです」というクラン。

「……そうだな。ちょっとだけ休ませてくれ」

少し恥ずかしかったが、俺は横になりクランの太ももに頭を乗せる。

目の前には巨大な一双のチェリーがゆさゆさと揺れている。チェリーは恥ずかしがることなく俺の目の前を優雅に泳いでいるが、まだ幼さを感じさせる顔は恥ずかしがり屋のようで、チェリーの影に隠れている。

「ああ……。なんか懐かしいな」

「え?」

生暖かい枕と優しい日光が、俺の頭をゆっくりと温める。

「よくばあちゃんにこうしてもらったんだ……」

父さんが幼いころに死んでから、母さんと共にばあちゃんの家に戻った。母さんは女手一つで俺と姉さんを育ててくれた。だから母さんは祝日も日中いなくて、俺はよくばあちゃんに膝枕してもらっていた。

縁側で編み物をしているばあちゃんの膝を枕にして昼寝をする。俺の顔の上で編み物をするばあちゃんは、クランのように顔が見えないことが多かった。

「そういえば、あのおばあさんの名前ってなんていうんだ?」

この世界に血縁関係はないから、俗称的な呼び方なのだろうが、あの村の人たちは、クランのおばあさん以外は名前で呼んでいた。

「おばあちゃんの本名はニュヌミョムって言います。でも呼びにくいから、みんなおばあちゃんって呼んでますね」

納得。三回と言わず、二回目くらいで噛みそうだ。

「ふぁ~あ」

大きな欠伸が出る。視界はぶら下がったスイカをわずかに捉えるだけだ。

「すまんけど、十五分くらい寝かせてくれ」

「はいどうぞ」

頭を包み込む柔らかな感触を堪能しながら、俺は目を閉じた。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



起きてから一時間以上歩いた。

辺りの景色はほとんど変わらないが、それでも果物がなっている木があったり、たまに動物らしき影が見えたりするので飽きはしない。

「ダイスケさん、そろそろお昼にしませんか? 私、サンドウィッチ作ってきたんです」

そう言って木で編んだ籠の中に入ったサンドウィッチを見せてくれる。

「美味しそうだな……」

クランがどうだと言わんばかりに胸を張ると、柔らかいお肉がゆさりと動く。当然俺の目は、サンドウィッチなんかそっちのけで、もっと美味しそうなお肉を捉える。

「お、ホンマに旨そうやん」

「うわぁああぁぁあっっ!!」

「きゃあっ!」

当然後ろから聞こえた声に驚き、俺はクランを押し倒してしまう。

「いたたた……」

目を開けると息が当たる距離にクランの顔がある。

目じりが少し垂れ下がった、大きな瞳は俺を映す。

少し頬が膨れた幼い顔にちょこんと乗っている愛らしい鼻がひくひくと動く。

十代らしいふっくらとした薄い赤色の唇の間から息を感じる。

クランの顔は何回も見ているが、これほど顔を近づけたのは初めてだ。

クランの少し平べったい耳に聞こえるんじゃないかと思うほど、心臓が激しく波打つ。

「悪い……」

「い、いえ」

何となく気まずくて顔をそむけてしまう。

クランも全く同じタイミングで、同じ方向に顔をそむけたので、どちらからともなく吹き出してしまう。

「もしも~し。お二人さん、仲良いのはええんやけど、ウチの事は無視かいな」

声をかけられて、恥ずかしい状況だったのを思い出した俺は慌てて起き上がる。

振り向くと、少し焼けた肌の女の子が、サンドウィッチの籠を胸に抱えて立っていた。

「お前は……?」

「うちの名前はサニーや」

白いハーフキャミソールの上に長袖のブラウスを着ているが、どうやら小さいようで袖は継ぎ足し、随分と足りない前は胸の下で括り、健康的なお腹を見せている。

挑発的に短いスカートは白と紺のチェック柄で、たまに見える黒い布はどうやら体操着のようなパンツみたいだ。

引き締まった太ももまである長いソックスに、少し擦れた運動靴を履いている。

この子も魔法使いなんだろうけど、どちらかというとカンフー映画に出てくる、ハイキックが得意な女の子という外見だ。

「どうも戸隠大典って言います」

内ポケットに手を突っ込むが、いつも入れている名刺はなかった。

「あんたは何ていうの?」

「……私はクランです」

「そうかそうか。二人ともよろしく」

ニカッっと笑うサニー。名前の通り、太陽のような眩しい笑顔だ。

「……で、何の用だ?」

俺は目のやり場に困り、サニーの後ろにある木を見つめながら話す。

というのも、前でくくったブラウスのせいで胸が持ち上げられ、クラン程ではないにしろ大きな胸が窮屈そうに動くし、引き締まったお腹と太ももはクランにはないエロスを醸し出していて直視できない。

そんな健康的な彼女は、銀色のポニーテールを揺らしながら楽しそうに話す。

「いや、そのお腹減ってな。できればうちもご飯ご一緒させてほしいんやけど……」

そう言ってギュッと籠を抱きしめる。仮にダメだと言っても手放しそうにない。

「あ~。クラン、余裕はあるか?」

「……はい」

ちょっとむすっとした表情のクラン。頬が先ほどよりも膨らんでいるので、ハムスターのように見える。

「じゃあいいぞ。ただし、きちんと三等分な」

「ホンマか! ありがとうなダイスケ!!」

籠をクランに投げ、俺の腕に抱き着くサニー。クランほどではないが、程よく実った二つの果実が俺の腕を柔らかく包み込む。

「はいはい離れてください」

そんな俺たちの間に割って入るクラン。

「なんやなんや、あんたもさっきイチャイチャしとったやん」

「してません。事故です、事故。それよりほら、ご飯食べましょう」

そう言って不機嫌そうに地面に座るクラン。俺とサニーは顔を見合わせてから、クランを挟むようにして座る。

「じゃあいただきます」

「いただきま~す。うん、美味しいやん」

クランの背中を叩きながら、サンドウィッチを一気に頬張るサニー。

「……どうも」

「何をそんなふて腐れとるんよ」

「別に何でもないです」

そっぽを向くクラン。どう考えても何でもある態度だ。

「はぁ。ダイスケ、この子いつもこんなんなん?」

「いや、いつもはこんなんじゃないよ」

サニーの独特のイントネーションにつられて、俺のイントネーションもおかしくなる。

「ちょっとサニーさん。ダイスケさんを呼び捨てしたらダメですよ」

「ん? なんでや?」

「ダイスケさんは異世界からこの世界を救いに来た勇者なんですよ」

「え、そうなんか」

海のような美しい水色の瞳が、好奇心旺盛に俺を見つめる。

「あ~なるほどなぁ~。だから顔の堀が深いわけか」

それは関係あるのか。と思わず突っ込みそうになる。

「ならダイスケ様とでも呼ぼか?」

「いや、なんでもいいよ。クランも呼び捨てでかまわないぞ?」

「そ、そんなはしたないこと……」

「そやったらウチははしたないんか」

サニーがケラケラと笑う。なんか話し方と言い、すぐに入ってくる感じと言い、関西人っぽいな。この世界に関西地方があるのかは知らないけど。

「ところでサニーも町に行くのか?」

「あ~。合ってるけどちょっと違うな。な、ダイスケ。勇者と見込んでお願いがあるんやけど、聞いてくれるか?」

「内容によるな」

「実はな、ウチ、キノコを探してるねん」

親指を立てて、「このくらいの大きさやからなかなか見つからへんねん」と続ける。

「なるほどな。それを一緒に探してほしい、と」

「察しが良くて助かるわ」

「当てはあるのか?」

「ないねん。この辺りのどこかに生えてんのはわかってんねんけど……」

この深い森の中を、親指ほどしかないキノコを探して歩くのか。

「……どうするクラン」

「放っておきましょう」

聞くよりも早くクランが回答する。

「即答かい」

「だって私たちは魔王を倒すっていう使命があるんです。キノコを探している時間なんてないんです」

「……あんた、ちょっとうちに冷たないか?」

「そんなことはありません」

クランがぷいっとそっぽを向く。

「クラン、そう言わずに探してやろうぜ」

抗議の目で俺を見てくるクラン。もちろん俺だって、目的を忘れたわけじゃない。

「ただし、俺たちは今日中に町に着きたい。だから森の奥には入らずに、道沿いを探しながら町を目指す。それでいいか?」

「ええよええよ。それでも一人で探すよりかは全然マシやわ」

「んじゃ飯食って一服したら探そう」

「おー!」

元気よく手を挙げたサニーを見て、クランがやれやれとため息を吐いた。




★次のULは 5/25(木) 19:00 を予定しております。

UL情報などはツイッターにて報告します→@mirai_pretzman

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