第3話 隣町へ
すぐにでも出発する予定だったのだが、クランの準備に時間がかかったため、少し早めに昼食を取ってから村を出発することになった。
特にやることのない俺はクランの料理を見ていた。包丁が勝手に素材を切り、木製のバケツの中で野菜たちが泥を落とし合い、その横で宙に突然現れた火がフライパンを熱する。
それらを小さな杖で操っているクランは、まるで吹奏楽の指揮者のようだった。
さすがの俺もこれを見て、ヒモ野郎が仕組んだドッキリではないと確信した。もしそんな技術がやつにあるのなら、寄生している女社長にその技術を貸して、著作権などでがっぽり儲けているだろう。
昼食を終えた俺たちは、眠気が襲い掛かってくる前に村を出発する。クランの見送りにはたくさんの人たちが集まっていた。律儀に一人ずつ挨拶をしていたクランはまたおばあさんに怒られて、村の人に笑われていた。
「これを渡しておく」
おばあさんから握り拳程度の革の袋を渡される。紐をほどいて中を確認すると白い粉が入っていた。
「……これは?」
「塩じゃ。おぬしもきっと使う時が来るはずじゃ」
怪しい粉なんじゃないかと思い、指先に少し取って舐めてみると、確かに塩だった。しかしこんなものを何に使うというのだろう。
それを聞く前におばあさんは村の人たちの元に戻っていた。あとでクランに確認しておこう。
横に並ぶクランの目には薄らと涙がたまっていた。少し上ずった声で、「行ってきます」と言い、俺たちは村を出発する。
門をくぐると、村から続いている、風化した赤色の煉瓦が敷かれただけの、全く手入れのされていなさそうな道が現れる。周りは十メートル先も見えないような深い森だった。
(ああ、懐かしいな……)
なんとなく俺の故郷を思い出す。
俺が生まれたのは名前を言っても誰もわからないような、観光名所も特産物もない小さな村だったが、近くに大きな国道と、隣町の名前を使った高速の出入り口があったため、意外と交通の便は良かった。
そのため過疎化はあまり進んでおらず、田舎暮らしブームの影響などで、今も緩やかに人口が増えているらしい。
「城まではどのくらいかかるんだ?」
「勇者様が初めての旅ということも考えて、三日かけて城に行こうと思います」
「え? そんなにかかるの?」
時間軸がどうなっているのかわからないが、もし同じだとすれば明後日から仕事だ。とくに月曜日の朝は全体ミーティングがあるから休むわけにはいかない。
「はい。おばあちゃんは隣にあるような話し方をしてましたけど。半日かけてやっとたどり着くくらいです」
今から半日ということは城に着くのは夜中か。この森に囲われた道を、夜歩くのはさすがに危ない。
「隣町まではどのくらいかかるんだ?」
「道なりに行けば五時間くらいです」
「ご、五時間?」
体力にはそこそこ自信はあるが、煉瓦が置かれているだけの獣道を、三十路が五時間も歩くなんて無理難題だ。そんなことをしたら、明後日から筋肉痛になってしまう。
俺の反応を見て、クランが笑う。そのたびに大きな胸がやらしく揺れる。
クランは大きく胸元が空いた無防備な服を着ている。自分が男に狙われやすい、良い体をしている自覚はなさそうだ。
「大丈夫です。森を突っ切れば二時間で着くんです。こっちです」
「お、おう……」
何の躊躇いもなく、樹海のような深い森に入って行くクラン。俺はその姿を見失わないように必死に付いていく。
若干の不安は覚えるけれども、地元だけあってこのあたりの地形には詳しいようだ。草木をかき分けながら、道なき道を速足で進んでいく。
「なんか動物とかに襲われそうだな」
「大丈夫です。襲われたら私が魔法でやっつけますから」
先ほど見せてもらった魔法の威力を思い出す。あの威力ならば、普通の動物なら一撃で倒せるだろう。ただ、俺の知っている動物がこの世界に住んでいるかはわからないが。
草むらをかき分けてどんどん進んでいくクラン。方向感覚は優れていると自負しているが、あまりにも知らない場所だとその感覚は無くなってしまうようで、今はどの方向に進んでいるのか全くわからない。
初めは身の上話やこの世界のことなどを楽しそうに話していたクランだが、時間がたつにつれて口数が減っていく。俺も疲れてきたこともあって、口をあまり開かない。お互い無言のまま、草むらをかき分け続ける。
「勇者様」
ぴたりと足を止めるクラン。
「どうした?」
「……迷いました」
歩けば歩くほど顔が強張っていくし、口数もどんどん減っていくので、薄々そうなんじゃないかと思っていた。
「どうしましょう」
辺りを見渡しても同じ景色が広がるばかりで、どちらに歩けば帰れるのかすらわからない。
目に涙を溜めてこちらを見てくるクラン。いやいや泣きたいのはこっちだよ。
しかしそんな事を言っても始まらないし、闇雲に歩を進めてもらちが明かない。むしろ余計に迷ってしまう。
「クラン、この辺りの地形ってどうなってるんだ?」
落ちていた木の棒を渡して、地面に地図を描いてもらう。
クランが住んでいた村から西に隣町があるようだが、そこへ行くための道は大きく迂回している。そのため、村の人間たちは森を突っ切って隣町へ行くそうだ。
「この森はどの辺りまで続いているんだ?」
「町と道の周りはすべて森で覆われています」
「……それって、森の中を開拓して町を作ってるってこと?」
「そうです」
ということは、この森は世界の果てまで続いているということだ。適当に歩いて町に着く確率なんて雷に打たれる確率と同じくらい低いだろう。
「普段、迷った時はどうするんだ?」
「えっと……。その、私、今まで迷ったことないので……」
「え? じゃあなんで迷ったんだよ?」
「……すいません、テンションが上がってしまって、話し込んでたらつい……」
クランが「本当に申し訳ありません」と言いながら頭を下げる。ああ、これついこの前、大きな製品をボツにした後輩と同じ動作だ。と思う。あの時と同じでさまざまな感情が湧き上がってくるが、それを爆発させても事態は好転しない。頭をひねって考える。
とはいっても俺はこの世界に来てから半日程度しかたっていない。この世界のことなんてほとんどわからない。でも何かあるはずだ。
「あ、そうか」
ここに来た時のことを思い出す。あの時窓の外から見えた、妙に長い煙突は、道に迷った時に目印になるようにしているのだ。
地面から見上げても木が邪魔で見えないので、俺は高そうな木を見繕い、よじ登り始める。木登りをするのは十年ぶりなのでちょっと心配だったが、今でも案外できるもので、するすると危なげなく木の天辺に登り、辺りを見渡す。
森はどこまでも続かなかった。進んでいた方向にいくつもの煙突が見える。いくつかは煙らしきものも出ているので、目指している町かどうかはわからないが、無人というわけではなさそうだ。俺はホッと一息ついてから、慎重に木から降りる。
「あ……」
長距離を歩いたことで思っていたよりも足に疲れが溜まっていたようだ。体を支えていた右足が滑り、宙に投げ出される。
(まぁ大した高さじゃないから大丈夫か)
子供の頃、木登りしては落ちていた俺は、大体どの高さなら怪我をするとか、この態勢ならどう受け身を取るかなど、落ちた時の対処が身に染み付いている。だから宙に放り出されても冷静だった。
「危ない!!」
しかしここで予想外のことが起きる。クランが俺を受け止めようと落下点に入って来た。この距離では「避けろ!」と言うこともできない。
ズシン!
体に衝撃が走る。一瞬意識が飛んだかと思ったが、意識はちゃんとある。鼻が痛いが、石鹸の香りが鼻に広がるので、嗅覚が失われたということはなさそうだ。体が動くかを確認するために両手を握る。
(ん……?)
両手が妙に柔らかい。少ない力でどこまでも沈み込んでいき、指の隙間からあふれ出てくる、思わず揉みしだきたくなる、とても心地よい物体。
「ん……」
クランの艶っぽい声で、それがなんなのかわかった。
「ご、ごめん!!」
俺は慌てて飛び起きる。俺の下敷きになっていたクランは頬を赤らめて……いない。申し訳なさそうにこちらを見ているだけだ。
予想外のことに俺が狼狽えている間に、クランは立ち上がり埃を払う。
「勇者様、大丈夫ですか」
「あ、ああ……。クランは?」
「大丈夫です。私こそすいません、何も考えずに受け止めようとしてしまって……」
「い、いやいいよ」
俺は恥ずかしくなってそっぽを向いてしまう。
「どこか痛むんですか?」
「い、いや、そういうのじゃないから大丈夫」
女性に対して「テント状態です」なんて口が裂けても言えない。あれはゲームや漫画だから許されるのだ。
俺は頭を振って先ほどの感触を頭から追い出し立ち上がる。
「クラン、すぐそこに町が見える」
「本当ですか?」
俺が頷くと、胸を撫で下ろすクラン。
文字通り胸が下りたのがわかる。俺はその豊満でわがままな胸を、つい先ほど揉んだのだ。
手に残った感触をもう一度確かめる。本当に柔らかかった。男の幸せが詰まった大きな果実は、今も手を伸ばせばいくらでも堪能できる距離にある。
「勇者様?」
不思議そうな顔で俺を見ているクラン。俺はその顔を見て正気に戻る。
「ああごめん。行こうか」
「はい」
着くずれして先ほど以上に無防備になった胸元を見ないようにしながら、町を目指した。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
十分ほど森の中を歩くと町にたどり着いた。精神的な疲労も大きいが、肉体的な疲労の方が大きい。もし迂回して五時間も歩いていたら、たぶん向こう三日間は足が痛くて、まともに歩けなくなっていただろう。
町と言っても家と家の間はかなり離れており、それぞれ大きな庭と畑がある。隣の家までの距離はクランが住んでいた村に比べれば近いが、それでも一分ほどの距離がある。
魔法使いと言えば箒にまたがって空を飛んでいるイメージがあるのだが、この町に空を飛んでいる魔法使いは一人もいない。クラン曰く、空を飛ぶ魔法はかなり高度な魔法で、ほとんどの人間が使えないとのこと。クランも使えないそうだ。
「いつも泊まっている宿に行きましょう」
今度こそ慣れた足取りで宿屋へ案内してくれる。ついた宿は普通の民家だったが、中に入るといくつも部屋があり、作りは民宿というよりは旅館に近かった。
「あらクランちゃん、いらっしゃい」
「こんにちは、おかみさん。まだ部屋は空いてますか?」
「もちろん空いてるわよ。いつも閑古鳥が鳴いてるんだから」
ケラケラと笑う女性。どうやらここの店主のようだ。彼女は、店に閑古鳥が鳴いていることは気にしていないようだ。
「よかったです。一部屋良いですか」
「はい、どうぞ」
「まてまてまてまて」
台帳も何も書かずに鍵を渡すおかみさん。そんな不用心なことがあるのか。と思ったが、俺が突っ込みたいところはそこじゃない。
「どうしました、勇者様。あ、そうか紹介していませんでしたね。こちら、三十路童貞勇者のダイスケさんです」
「初めまして、戸隠大典って言います」
俺が言いたいのはそういうことでもないが、紹介されたら挨拶をしなければ気が済まない。そして、やっぱり胸元に名刺がないのが落ち着かない。
「あら、本当に三十路童貞勇者様に会えるとは感激ね」
握手を求めてくるおかみさんの手を両手で握る。どうしてこの世界の連中は三十路童貞を強調するのだろう。
「初めまして、私はここの女将のユーリです。と言っても、お客さんなんて月一回も来ないんだけどね」
またケラケラと笑うおかみさん。それでどうやって運営が出来ているのだろう。もしかして副業か何かなのだろうか。
「じゃあ行きましょう、ダイスケさん」
「いやいやまってまって、部屋割りおかしいから」
ようやく言いたいことが言えた。しかし二人は「こいつは何を言っているんだ」と言いたそうな顔で俺を見ている。
「落ちついて考えよう。男女が一緒の部屋っておかしいだろ?」
「……男女?」
クランが首をかしげる。それにつられて俺も首をかしげる。
「……あれじゃないかしら、異世界の人と一緒に泊まるのは、やっぱり色々影響があるんじゃないのかしら?」
「え、いや、そういうことじゃなくてさ、あのえっと……」
不思議そうな顔で俺を見つめるクランとおかみさん。もしかして性別の概念がないのか。
いや、そんなわけないだろう。性別の概念なかったらどうやって子供を作るというんだ。
「とにかく、俺とクランは別の部屋な」
さすがに出会ったばかりの女の子(おそらく十代)に手を出すわけにはいかない。二人は心底不思議そうな顔をしていたが、おかみさんは「部屋はいくらでも空いているのでどうぞ」と言って鍵を渡してくれた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
夜。
おかみさんが作ってくれた夕食を食べてから部屋に戻った俺は、特にやることもないのでベッドに寝転がり、今日あったことを思い返していた。
朝起きたら見知らぬ部屋でクランにキスをされそうになり、人を殺したことがありそうなおばあさんに三十路童貞勇者と言われ、ドッキリと勘違いして恥ずかしい思いをし、出発したら道に迷って森の中を何時間も歩き、木登りをして落ちてクランの胸を揉み、ようやく着いた宿でひと眠りして、たった今夕食を取った。
(一年はネタに困らないな……)
こんな話、誰も信じてくれないだろうが。
一日クランと行動を共にして、この世界についていろいろと説明を受けた。
まず俺がいた世界と大きく違うのは、この世界には魔法というものが存在していること。初めに見せてもらった水の魔法のような攻撃魔法から、生活のちょっとしたことまで賄える便利な物らしく、この世界の人間は全員が魔法を使えるらしい。で、その魔法っていうのを使うには魔力ってものがいるらしいく、色々な理論を説明してくれたけど、その話は良くわからなかったので、電気と電化製品みたいなものだろうと適当に解釈しておいた。
倒すべき魔王についても話をしてくれた。魔王は約百年に一度、封印が解けて世界を征服しようとする。そしてその時に必ず三十路童貞勇者が現れ世界を救うらしい。
「俺、魔法なんて使えねーけどな……」
ぽつりと呟く。
「三十路童貞になったら魔法使いになれる」って某掲示板で見たことがあるけど、それはあくまでも希望的観測であって、実際に魔法が使えるようになるはずがない。そんなことが本当に起きるのなら、世界中の人が魔法使いを目指すだろう。
魔法が使えないとなれば物理攻撃しかないだろう。一応ボクシングをやっているけれども、俺がやってるのはエクササイズの延長みたいなもので、テレビで見るような競技ではない。それにボクシングを始めてから人をまともに殴ったことはない。過去何度か修羅場は経験したけれども、奇跡的に一度も暴力沙汰にはならなかった。最後に人を殴ったのは、県大会の試合中だと思う。
どうしたものかとため息を吐く。その時、控えめなノックが聞こえる。
「勇者様、よろしいでしょうか?」
扉の向こうからクランの声が聞こえる。俺はお休みモードに入った体に鞭を打って起き上がり扉を開ける。
「どうしたんだ、こんな時間に」
「その、少しお話よろしいでしょうか」
「ああどうぞ」
俺が椅子を勧めるとクランは「失礼します」と言ってから座る。本当に礼儀正しい子だ。
「あの、ダイスケさん。私、何か機嫌を損ねるようなことをしましたか?」
少し間があってから、おずおずと話しを始めるクラン。
「その、私がドジしたから、勇者様に嫌われたんじゃないかと。だから一緒にいるのが嫌で、部屋を分けられたんじゃないかと思ったんです」
ドジとはたぶん森の中で迷ったことだろう。
「あ~。それはないな。むしろ楽しかったくらいだよ」
下手をすれば死んでいたわけなんだけれども、慌てるクランはなんだか微笑ましかった。我ながら緊張感に欠けていると思う。
「ではどうしてなんですか? どうして部屋を別にしたんですか?」
「え~っと。俺の世界じゃ、異性間で一緒の部屋に寝るのは、基本的に彼女とかだけなんだ」
「……異性間?」
異性間という単語がわからないということは、本当にこの世界には女性しかいないのかもしれない。そういえば見送りの時も、男性らしい人はいなかった気がする。
「俺もまだこの世界についてわかっていないから、詳しいことはわかってから説明するよ。少なくとも、俺がクランを嫌って部屋を分けたんじゃない。それだけは嘘偽りない」
今の俺は「元の世界なら当たり前」と言って、クランを好きにすることができる。でもそういう童貞の卒業はちょっと納得がいかない。やっぱり、利害なく、お互いの合意の上で卒業したいのだ。そこに愛があればなお良しだ。
「……わかりました。勇者様を信じます」
クランは釈然としていないようだが、いったん納得してくれた。
「あと明日、この町を見て回りたいんだけどいいかな?」
こうして非日常的なことが起ってしまった場合、素早い切り替えと正しい情報が生命線になる。今日は疲れて寝てしまったけれども、早いうちにこの世界の情報収集をしておいた方が良い。
「わかりました。明日、この町の案内をさせていただきます」
「おう、よろしく」
立ち上がり頭を下げるクラン。俺も立ち上がって頭を下げる。もう完全に癖だ。
「では、失礼します、勇者様」
「あ、そうだクラン、俺のことを勇者様って呼ぶのはやめてくれないか?」
「え? ですが勇者様は勇者様ですし……」
「なんかくすぐったいんだよ。トガクシでもダイスケでいいからさ。あと様を付けるのもやめてほしい」
様を付けられるほどすごい人間ではないし、まして勇者でもない。俺はこういう距離感があまり好きではない。
「……ではダイスケさんとお呼びします」
クランは少し迷ったようだが、素直に指示に従ってくれた。
「わかった。じゃあよろしくな、クラン」
「はい、ダイスケさん」
何度見てもドキリとするクランのまぶしい笑顔。でもやっと、本当の笑顔を見られた気がした。
★次のULは 5/11(木) 19:00 を予定しております。
UL情報などはツイッターにて報告します→@mirai_pretzman
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます