79 雪の足跡のトリック

 根来は頷いて言った。

「つまり、第一の殺人は極めて突発的に起きたものだったんだな……それで、雪の足跡のトリックは……」

「少し根来さんもせっかちですね……。とにかく、殺人予告状の「M」とは鞠奈さんのイニシャルだったのです。これは鞠奈さんの存在を知らない人からすると、村上隼人君のイニシャルにしか見えない。ところが、事情を知っている人間からすると、「雪の夜」という言葉と組み合わさって、鞠奈さんの名前が自然と浮かび上がるのです。また重五郎さんは初めからアトリエで絵など描いていなかったのです。それでは、雪の足跡トリックの解説に移ります。早苗さんが事件を決行しようと思い立った時、雪が降っていました。早苗さんは、この雪の足跡トリックを、雪が降り始めてから突然に閃いたはずはありません。それでありながら、雪がいつ降るか、またいつ止むかなど予測がつかないので、けして計画的に予定できるものでもありませんでした。だからこそ、もともと暖めていたアイデアがあったものを、突発的に利用したのだと思います。探偵小説作家でもない人間が、殺人のトリックを暖めていたというのは不自然でしょう。しかし、早苗さんには、以前、殺人の計画を練ったことがあるのです。それは一年前に鞠奈さんの首を絞めようとしていた時です。その頃から、このトリックのアイデアはありながら、雪の降ったり止んだりが予測できない為に、それ以降、諦めていたトリックだったのでしょう」

 根来は静かに頷いていた。

「さて、事件当夜、アトリエは処女雪に囲まれていました。この状況をみて、早苗さんは下駄箱の中から、淳一さんの革靴を二足取り出しました。そして、裏口から出ると、その右足用の革靴を二つ取り出しました。そして、その右足用の革靴を自分の両足に履いたのです。革靴と足の大きさのずれは、間にクッションを挟むことによってカバーしました。そして、早苗さんは自分の足跡が雪の上に一直線につながるように、つまり、ダンサーやモデルのように歩いて行ったのです。アトリエの入口にたどり着いた早苗さんは、靴を履き替えて、アトリエに浸入しました。持ってきた出刃包丁で重五郎さんを切りつけると、それだけで後は放っておけば、まだしも自殺と扱われたものを、おそらく重五郎さんがすぐに絶命しなかったことに恐ろしくなって、首を切りつけたのでしょう。その後、早苗さんは両足に左足用の革靴を履くと、それで足跡が一直線になるように気をつけながら、今度は後ろ向きに歩いて行ったのです。しかも、行きの足跡と横並びで交互になるように足跡をつけながら、裏口へと帰っていったのです」

「それでは、稲山と麗華が見たという足跡の、右足側は行きの足跡で、左足側は帰りの足跡だったのか」

「どちらが行きで、どちらが帰りかはわたしは断言できませんが……。このトリックは、どうやって本当は往復の足跡を、片道の足跡に見せかけるかという種類のものです。さて、このトリックが使われたことに、わたしが気づいた時、この移動中の様子を重五郎さんが目撃したら、すぐに計画が露見してしまうだろうと思ったのですが、アトリエには裏口側に窓はありませんでしたので、この移動中の様子が見られる恐れはありませんでした。そして、このトリックを使うには、犯人は少なくとも、淳一さんもよりも足の小さな人でなければならないということに気づきました。また、淳一さんの26.5と同じサイズの人も犯人ではありえません。何故ならば、右足用の革靴を左足に履いて、さらに靴擦れも起こさない為には、かなり厚いクッションを間に挟む必要がありますから、かなりのサイズの余裕が必要だったのです。その為、わたしは淳一さん、蓮三さん、吟二さん、井川哲彦さん、村上隼人君、滝川真司さんの五人は、靴のサイズが26.5以上であることから、犯人ではないことを知りました」

「おい、早苗さんの靴のサイズは?」

 根来は粉河に質問する。

「……23.5です」

「なるほど……」

 根来は納得したように頷いた。祐介は続ける。

「このトリックの目的は、自殺に見せかけることだけではなく、我々に犯人が足の大きい男性であることを、刷り込ませようとしたものなのです……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る