66 事件当夜の話

 ……わたしは偽りだらけの自分という存在が嫌いでした。

 そんな自分であっても、父のある方策の話を聞いて、また再び琴音として蘇ることができるのではないか、と切実な期待を寄せていました。しかし、その方策がどういうものなのか、わたしは知りませんでした。父は意図してわたしに教えなかったのだと思います。わたしがこのことに関与しようとすれば、赤沼家の人間に見つかり、すぐに気づかれしまう恐れがあったからです。

 このようなことは実際に起こりかけました。わたしの一周忌の法事が行われた少し後のことです。わたしは、池袋駅で電車の乗り換えをしているまさにその時に、階段の下で、危うく麗華と鉢合わせるところだったんです。わたしは先に気付いて、慌てて背中を向けてその場を去ったので、無事に麗華に気づかれずに済みました。(第六回参照)

 ところが、恐ろしいことが起きたのは、去年の大晦日の夜のことでした。父が殺されたあの日です。わたしは父に会いたいと思っていました。ところが、父はしばらく連絡が取れませんでした。何かあったのかもしれない、そんな不安感が高まっていました。それに、赤沼家の人々……特に麗華……が今どうしているのか見てみたいという気持ちが、日に日に増していきました。そこで、わたしは父に内緒で、この土地に舞い戻ってきたのです。そして、危険にもあの赤沼家の邸宅の様子をこっそりと覗きに行ったのです。

 それは雪の降る晩でした。それまではしんしんと降っていましたが、わたしが到着した時、すでに雪は降り止んでいました。わたしは、赤沼家の邸宅に自動車で近づき、車を山道の片隅に隠すように止めて、邸宅へと近づいて行きました。お城のような邸宅を見ると、なおさら、父は一体どうしてしまったのだろうと、その不安な気持ちが込み上げてくるのでした。

 わたしが赤沼家の門をくぐろうとすると、不思議と門の鍵は外れて、扉は開いていました。そして、わたしが真っ直ぐ玄関に近寄ろうとすると、玄関の明かりが付けっ放しになっているのが見えました。誰かいるのだろうか、とわたしは見つかるのを恐れました。そして、玄関の周囲にはまだ踏み荒らされていない処女雪が綺麗に積もっていて、自分の足跡を残してしまうことが怖かったわたしは、玄関に近づくことは諦めて、入ってきた門から横並びに続いている塀の、日差ひさしの真下の、まだ雪の余り積もっていないところだけを踏んで、北側にある玄関から、東側の食堂の窓へとまわりこみました。

 そこで、わたしは塀と窓が近づいているところから、二、三歩雪を踏み締めて、そっと窓に顔を近づいて、窓の中の食堂の様子を覗き込んだのです。

 食堂のテーブルの上には、食べかけの食事と飲みかけのお酒が残されているばかりでした。その食堂の片隅にはは料理人の井川さんが、どうしたものかという表情で、呆然とテーブルの上を見下ろしていました。食堂の時計が時刻を見ると、九時二十分を指していました。わたしは赤沼家の人々が、毎年、年越しパーティーをすることを知っていたので、ここではパーティーが行われているのだとすぐに気づきました。

 すると、その時でした……。

 わたしがいる場所の真上の、二階の窓がぱたりと開きました。そこから顔を出したのは、淳一お兄さんでした。淳一お兄さんは、まわりを少し気にしながら窓の外を眺めていました。わたしのことは暗くて気づかなかったのでしょう。淳一お兄さんは、何かを見つけると、窓から顔を引っ込めました。しばらくすると救急車のサイレンがだんだんと近づいてきました。

 わたしは恐ろしくなってすぐさま、裏門から外に出び出すと、車へ駆け戻り、救急車と鉢合わせないように、山道を車で登って行きました。

 そして、わたしはその翌日の夕刊で、赤沼家の事件のことを知りました。わたしは突然、唯一の理解者だった父を失いました。あまりのことに死んでしまいたい気持ちにもなりました。それでも、隼人さんに会えれば、まだ生きる希望も湧くだろうと何とか思い止まったのです。

 わたしは大宮のアパートに一旦帰宅すると、事件の真相を知ろうと思って、荷物をまとめて、赤沼家の本邸の近くにあるビジネスホテルに泊まり込みました。

 その後、蓮三お兄さんまで亡くなってしまって、そして、ついに隼人さんと金剛寺の庭で鉢合わせてしまったのです……。

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