28 粉河刑事の推理

 一体、この怪人の絵は何を意味しているのだろうか。根来にはそれが分からなかった。これでは、怪人を創り出したのは犯人ではなく、被害者の重五郎ということになるではないか。それとも、この絵の怪人のモデルとなったものが実際にあるのであろうか。それこそ、今回の事件で殺人予告状を送りつけ、早苗夫人を恐怖に陥れ、このアトリエで重五郎の喉笛を残酷にも掻き切った怪人のモデルなのであろうか。いや、そもそも重五郎はこの怪人に以前どこかで会ったことがあるのだろうか。根来の脳裏では、さまざまな想像が浮かび上がっては沈んで消えた。その繰り返しの中で、すべてが曖昧になってゆく。根来は自身が真実からどんどん遠ざかってゆくのを感じたのである。

 根来は、じろりと粉河の方に目をやった。粉河もわけが分からなそうに眉をひそめて、怪人の絵を睨みつけていた。

「根来さん」

 粉河は幾分、慎重気味に根来に語りかけた。

「この怪人の絵画が何を意味するかはわかりませんが……」

「ああ」

「私はさっきから、ひとつ考えていることがあります」

「なんだ……言ってみろ」

「でも、今は怪人の絵画について考えるべき時ですよね」

「何言ってんだ、お前は……。何でもいいから言ってみろ」

「でも果たして、そんな馬鹿なことが……」

「いいから早く言えよ。刑事が自分の意見を言うのをそんなに勿体ぶってどうするんだ!」

 根来は腹立たしげに粉河を睨んだ。粉河はそれもそうかと思ったらしく静かに頷く。

「この雪の密室という状況ですが、犯人は何らかのトリックを使ったと思います。そのトリックに心当たりが……」

「なんだ、どんなもんだ」

「推理小説ではもうずいぶん古い手ですが、足跡トリックの基本で、後ろ向きに歩くというものがあります」

「あっ?」

 あまりにも粉河が言ったことがシンプルだったので、根来は思わず素っ頓狂な声をあげた。

「後ろ向きに歩くと、足跡は実際に進んだ方向と逆に進んだように見えます」

「まあな、そうなれば侵入した足跡は、実は脱出した時の足跡だったということになる……。だがそうだとすると……犯人はいつアトリエに侵入したんだ?」

「当然、雪が降り止む前です。雪が降りしきり、足跡が残らない時間にアトリエに侵入していたんです。そして、犯人はこのアトリエの……そうですね、その棚の空っぽの一番下の段の中か、そこのトイレの中にでも隠れていたのでしょう……。そして、雪が降り止んだ後に重五郎を殺害して、後ろ向きに歩いて裏口へと向かったのです。そして、その後に玄関で早苗夫人に遭遇したんです……」

「まさか、そんな単純な手段で……」

 根来はこんなトリックを聞かされて、馬鹿にみたいに感心していた。

「ええ、おそらく犯人はこの手段で雪の密室を創り出したんだと思います……」

 しかし、その後に粉河は首を傾げて発言を続けた。

「でもおかしいんですよね。犯人が雪が降り止む以前からアトリエに潜伏していたとすると、雪が降り止んだ後に、本館にいた人物は当然犯人ではないことになる。赤沼家の人々は全員、食堂の年越しパーティーに出席していますから、彼らにはことごとく現場不在証明アリバイが出来てしまうことになる……」

「別にいいじゃねえか……犯人は村上隼人か滝川家の人間なんだから……。なんだお前、本当は赤沼家の人間の中に犯人がいることを疑ってたのか……」

 根来は、粉河が内心、自分とはまったく違う推理をしていたことにショックを受けながら、恨めしげに言った。

「ええ、村上隼人が自分の名前のイニシャルを殺人予告状に書いたというのが、どうしても引っかかりまして……」

 そう言って、納得いかなそうに粉河は首を傾げた。

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