第80話 母の決断

 2011年1月31日

 通院の日。いつものように母をタクシーに乗せて病院へ向かう。いつものように採血をして診察を待つ。主治医のI先生から、いつものように「今のまま薬を飲んでいきましょう。では、また来週に来てください」と言われて、いつものようにそのまま帰るはずだった。


 母と手をつないで病院の廊下を歩く。診察室前の廊下のソファに座り、いつものように順番を待つ。

秀郎ひでお、咳のことは先生に言わなくていいからね。ちょっと治まっているから」

「分かった」


 名前を呼ばれて診察室へ入ると、I先生が神妙な顔つきでゆっくりと話し出す。

「浅賀さん、いろいろ薬を出してきたのですけど、ちょっと体調のコントロールが出来なくなってきたので・・・また入院しましょうか」

「え?入院ですか?」

 ショックを受ける母。僕も父もショックだった。

「今度はどれくらいかかりますか?」

 不安げに聞く母。

「入院して調整してみないと、なんとも言えないところです」

 入院の目途を言わないI先生の暗い表情を見て急に不安になってくる。

「どれぐらいかかりそうですか?大体でいいのですけど」

 僕も知りたかった。また入院するとなると、本人も落胆して気力も体力も落ちてしまう。希望がないと不安になる。先生の口から入院の目途を聞いて、母の不安を少しでも打ち消してあげたかった。


「そうですね・・・。一か月ぐらいかかるかもしれません」

 I先生が絞り出すように口にした。

「どうしても入院しないとだめですか? 」

 なんとか家で過ごしたい母。僕も父も同じ思いだった。

「入院した方が良いですね」

「そうですか・・・」

 困惑する母。もう入院したくないという母の気持ちが痛いほど伝わってくる。僕らも母と家で過ごしたい。でも母の命がかかっている。

――どうするべきか・・・。

「分かりました。入院します」

 母が決断した。寂しいけど仕方ない。それで母の命が助かるのなら。

「ではベッドの空きを確認します」

 I先生が携帯で問い合わせる。


 寂しそうな母。僕も父も寂しい思いでいた。

「ベッドを確保できました。明日、入院となります。看護師が案内しますので、外でお待ちください」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 母、父、僕の三人が同じタイミングで先生にお礼を言って廊下へ出た。


 父が精算しに受付へ行く。母と手をつないで、ゆっくりと歩きだす。一階ロビーの待合室のソファに座り、父を待つ。

「また入院になっちゃったね・・・」

 元気なく笑う母。

「お母さん、大丈夫だよ。入院して治してさ、また家に帰ればいいんだもん」

 なんとか励ましたかった。

「そうだよね。早く治さないと」

「俺また朝晩、行くからさ」

「悪いね・・・」

「全然悪くないよ。兄ちゃんたちに明日の入院のこと知らせておくね」

「よろしくね。(長兄は)遠いから無理して来なくていいからね、と伝えてね」

「分かった」


 早速、兄たちにメールで知らせると、すぐ返事が返って来た。平日にも関わらず、二人とも仕事を休んで入院に付き添ってくれることになった。

 それを母に知らせると、

「え~?みんな来てくれるの?なんだか悪いね・・・」

 困ったようで嬉しそうな顔をした。

――お母さん、大丈夫だよ。みんなで支えるからね。安心してね。さぁ、今日は家へ帰ってゆっくり休もう。

 帰りのタクシーの車内で、兄二人が来てくれることにホッとしていた。家族みんながそろう安心感。その大切さを感じた。


 夜になり、生協でお惣菜のアジフライを買って来て、みんなで晩ご飯。母は少し食べて気分が悪くなってしまった。

――もっとさっぱりしたおかずにすれば良かった・・・。

 母に申し訳ない気持ちになった。


 今にして思えば、母が気分を悪くした時に何かしてあげれば良かったが、母は自分で処理をした。母の性格からして、弱っている姿を見られたくなかったはず。だから、僕と父は気づいても見ないようにして良かったと思う。


 I先生の言葉、「体調のコントロールが出来なくなってきたので・・・」が、気になって仕方がない。不安が増す。母の体調が悪いとは思いたくなかったが、咳が続くのがどうにも気になる。母には止められていたが、やはりI先生に咳のことを聞こう。入院したらまた調整して、咳も治してもらえるはず。

――お母さんを支えて、みんなでもう一度頑張ろう!

 

 これが母と家で過ごした最後の夜になったが、一緒に過ごせて良かった。

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