第79話 普通の会話 普通の生活

 サッカー界の「キングカズ」こと三浦知良選手は母と同郷の静岡県出身。母も僕も応援していたカズ選手がバリバリ活躍していた頃から、日本代表の試合を母と一緒にテレビで見ていた。特にワールドカップのアジア最終予選は家族そろって力を入れて見た。日本がゴールをあげると「よっしゃー!」と家族みんなで両手を高く上げてハイタッチ。試合に勝てばまたハイタッチ。

 プロ野球は家族それぞれ応援するチームが違うが、サッカーはみんなで日本代表を応援した。


 2011年1月29日の夜

 サッカー日本代表はアジアカップ決勝でオーストラリアと対戦。テレビ中継は深夜。母も健康なら一緒に見ていたはずだが、体のためにも早めに奥の部屋で休んでいた。

「(テレビの)音、出して良いからね」

 せっかくの決勝戦。深夜だが、茶の間でテレビの音を出して見ていいと母が言ってくれた。母と一緒に決勝を見たかったが、三兄弟でテレビ観戦。音量は小さく出して。


 試合は緊張感のある展開が続いて、両者無得点のまま延長戦に突入した。母は以前から眠りが浅く、試合が始まってからも眠れず、トイレに起きて部屋へ戻っても眠れない様子だった。

 延長の前半でも点が入らず延長後半へ。左サイドの長友選手がドリブルからゴール前へクロスをあげると、ゴール前で待っていた李忠成選手が左足でボレーシュート。ポストの左隅にボールが突き刺さった。スーパーボレーでのゴールに僕らは大喜び!日本中が大喜び!

「よっしゃー!」

 と、大声は出せないので、気持ちだけ大興奮して、声は出さずにサイレントガッツポーズ。兄たちと静かにハイタッチ。その様子に気づいたのか、母が起きてきた。


 黄色いパジャマ姿が可愛らしい母。その上から暖かい毛糸の上着を羽織っている。

「どうなったの?」

 眠そうな目の母が聞いて来る。

「日本が勝ってるよ!凄いゴールで!」

 すぐにゴールシーンのリプレイが始まる。

「ほんとだ、凄いね!」

 と、喜ぶ母。

「お母さん、イエーイ!」

 母と両手でハイタッチ。一緒に喜べて嬉しい。

「あと何分あるの?」

 経過が気になる母。

「今、延長の後半だからもうすぐ終わるよ」

「どうせ眠れないし。じゃあ、ちょっと見ちゃおうかな」

「一緒に見よう。優勝まであとちょっとだから」

 母は椅子に座り、こたつに足を入れる。勝利の瞬間を一緒に見守る。


 間もなく試合終了。日本が延長戦を制して1対0で勝利。アジアカップ優勝。

「お母さん、イエーイ!」

 僕ら三兄弟、順番に母とハイタッチ。

「お母さん、凄い良いタイミングで起きて見れて良かったね!」


 こういう何気ない普通の会話ができるほど嬉しいことはない。病が治ったわけでもなんでもないのに、母とのふとした会話ができる喜び。一緒に生活できる幸せ。とても嬉しくありがたい。

 もしかしたら以前のように、母と普通の生活に戻り始めているかのように思えてくる。毎日気をつけていれば、寒さ対策を万全にしておけば、これからも普通に母と暮らせるのではないかと。入院中に願っていた母と家での生活ができる幸せ。日常生活を普通に過ごせるありがたさ。


 ここ最近は母が少し咳をしているのが気になるが、見た感じ体調も安定しているようだし、大丈夫だろう。


 明後日の月曜日に、また定期検診がある。咳もその時に診てもらえる。

――また薬が一つ増えたらお母さん大変だろうけど、きっと大丈夫。

 

 そう、きっと大丈夫。そう思っていた、この日までは。

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