第4話 宣告

 2010年10月14日

 父と兄二人とK病院へ向かった。

 病室に入ると、いつもと変わらぬ母がいた。家族が全員揃い、母が喜んだ。

 主治医の大橋先生が病室に来て母に問いかける。

「みなさんに言えましたか?」

 母は苦笑いして首を振る。どうやら病状を自ら話すつもりだったようだ。

「では私から説明しますね。みなさん、別室を取ってあるのでついて来てください」

――あれ?昨日の帰りの話ではお母さんが「私も一緒に聞く」と言っていたのに。

 呼ばれたのは母以外の僕ら四人だった。


 母の病室から少し離れた小さな部屋に大橋先生が入る。父と兄二人に続いて部屋に入りパイプ椅子に座る。緊張感が漂う。大橋先生が話し出す。

「昨日、採血検査で重い病気が見つかりました。慢性骨髄性白血病です」

――え?・・・白血病?

 あまりに突然だった。すぐ質問した。

「でも先生、治療すれば大丈夫ですよね?」

 先生がメモ用紙に絵を書き始める。下から円を一つずつ描いて、三つ描いた。下の円から順に説明が始まる。

「これが普通の健康な状態だとすると、次が白血病初期の状態。次が白血病中期で治療できる状態。で、次が・・・」

 先生が横線を引いた。境界線のようだ。その上にもうひとつ、四つ目の円を描く。

「ここはもう治らない末期の状態」

不安が増す。

――まぁ、そうは言っても大丈夫でしょ?ギリギリのところだとしても治療で何とかなるでしょ?

 先生の「もう少しで危ないところでした」という言葉を待った。

「浅賀さんの状態は・・・」

 先生が下から上に線を引いていく。三つ目の円までさしかかる。

――そこで止まるでしょ?きっと・・・。

 線は境界線を越えてしまった。

 先生が境界線に架ける橋を描く。

「残念ながら、この橋を渡ってしまっている状態です」

――そんなまさか・・・。

「余命半年です」

 頭の中が真っ白になった。


 ショックだった。

――信じられない・・・あの健康なお母さんが?風邪も引かない、病気の一つもしないようなお母さんが?白血病?余命半年?・・・嘘でしょ?

 あまりのショックに、みんな言葉が出ない。それでも何か助かる方法はないか?という思いで聞いてみた。

「先生、骨髄移植は出来ないでしょうか?」

「体力的に考えると手術できる年齢は五十代まで。それ以上の年齢は体力的に厳しい。手術によって、もうそこで終わる、ということがあります」

 母は七十五歳。

――年齢的にもう手術は出来ない?他に助かる手はない?

 ショックで頭が回らない。先生は話を続ける。

「これから抗がん剤の治療を行っていくといろんなことが起きます。免疫が低下するので、風邪を引いただけでも合併症になってしまう。体力が落ちていくので、いつ急変するかもしれないですし、場合によっては、ある日の朝・・・昇天していることもあるかもしれません」

――朝になったら亡くなっているかもしれない?

 何もかも全ての話がショックだった。

「もしもの時に、延命措置をするかしないか、ご家族皆さんで決めてください。ただ、心肺停止した時に行う心肺蘇生措置は、あばら骨が全て折れてしまいます。一時的に助かったとしても、あばら骨が折れているので、とても痛み、苦しい状態で最後を迎える事になります」

 胸が締め付けられる思いがした。そんな痛くて苦しい思いをさせたら母が可哀想だ。結局、助からないのなら、苦しい思いはさせたくない。父も兄も同じ気持ちだった。それに、日頃の母の言葉を思い出していた。

「私は管だらけで繋がれてまで生きるのは嫌だなぁ。最後は自然にまかせて・・・」

 延命措置は行わなくていい、という事を先生に伝えた。


 話の途中で先生の持つ医療用の携帯電話が何度か鳴り、その都度電話に出ていた。――こんな大事な話をしている時に、電源は切っておいてくれよ!

 不愉快な気分になったが、後から思えば、たくさんの患者さんの担当を受け持っているのだろうから、緊急の連絡が入っても仕方のないことだった。

「では、話はこれで終わります。今後のことは兄弟で考えるように。彼(父)はひとりでずっと抱えていた!」

 僕ら息子たちを怒るような口調だった。

 父は母の病状を知っていた。さすがに余命の話は僕ら息子のことを思って言えなかったのだろう。それを見抜いた先生が、僕ら息子に現実を受け入れるよう叱ってくれたのだ。昨日からひとり悩んで抱え込んでいた父に申し訳ない気持ちになった。余命半年という言葉に大きなショックを受けて動揺したが、母が待つ病室へ向かった。


 病室へ戻ると、母はベッドの上に座っていた。いつもと変わらない様子に見える母。今聞いた先生の話が信じられない。

「話を全部聞いた?お母さんも一緒に聞きたかったのだけど・・・」

 微笑む母の目が少し潤んでいた。

 母にかける言葉がなかった。なんとか平静を保って話す。

「家の事は心配しないで大丈夫だからね。お父さんとか、みんなで何とかなるから」

 心配性の母は自分の事よりも、僕ら家族のことを心配していた。

「みんなで協力して、やっていってね」

 明日、入院に必要な物を持ってくることを母に伝えて病室を出る。

 帰りのエレベーターの中、会話はない。みんな母の余命半年という宣告に大きなショックを受けていた。


 病院を出ると、途端に涙が溢れ出て来た。母の笑顔を思い出して泣いた。人目をはばからず声をあげて泣いた。明るく優しい母が突然の余命半年と宣告された。母があまりに可哀想で泣いた。病院から坂道を降りて来る間も泣き続けた。長兄が涙をこらえ、僕の肩に手を添えて体を支えて一緒に歩いてくれた。そうじゃないと、ショックで体の力が抜けてしゃがみ込んでしまいそうなぐらい悲しかった。


 今までこんなに悲しいことはなかった。母があと半年しか生きられない・・・。

 受け入れられない悲しい現実。胸が張り裂けそうなぐらい悲しかった。僕は泣き崩れそうになりながらも、長兄に支えられてどうにか家へたどり着いた。

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