第7話
作業員の作業する音が、夜明け頃のひっそりとしたしじまを破った。あれから一睡もできなかったドナは、子犬を抱いて、しっくいが直され、壁ができあがっていく様子を見ていた。白い教会は見る間に作り上げられ、頑丈そうな扉が取り付けられる。扉には堂々とした聖十字が輝いていた。
トラックが警笛を鳴らしつつ、二メートル近くある聖母像をクレーンで運び入れる。巨大な機械の腕が、聖母像をつかみ、器用に入り口から差し入れた。
ねぐらを奪われたメス犬が、この怪しげな怪物に向かって、けたたましく吠えつけている。
「作業完了しました。マザー・ドナ」
「御苦労様です」
ほこりをかぶった若い工員が、ドナに向かって会釈する。
ドナは、昨日初めて目にした教会の、華々しく生まれ変わった姿を誇らしく感じた。自分がオルガンを演奏し、町の人達が聖歌を歌う。人々の心がいつも平穏で、すがすがしくあるように、聖典を紐解いてみんなに語ってあげる。貧しい人達に居住地を提供し、食べ物に困っている人達には食料を配給してあげる。子供達に清潔で安全な遊び場を設けて、住民の教養が高められるような施設を作るのだ……
みんなが満面の笑みを浮かべている光景が目に浮かんでくる。他人の幸せが、ドナを誇らしく高揚とさせた。
ニヤニヤとにやけているドナに、工員が話しかける。
「他に御用はありますか?」
「あ」
ドナは足元にはいつくばる犬を見る。
「犬小屋を作ってください」
「犬小屋ですか? 飼うつもりなんですか?」
「だって……この子たち、ずっとこの教会にいたようなんですもの」
工員は苦笑い、うなずいた。ドナはうずくまり、犬の頭をなでながら、
「よろしくね、あのポンコツは取り替えてもらうし、なんだかちょっと怖いから、危ないときは教えてね」
犬はおとなしく鼻をクスクスと鳴らす。子犬がまろびながら、母犬の乳首を争っている。
「あなたはこの教会の聖母様ね」
「マザーはあんたじゃないのかね」
野太い男の声に、ドナは驚いて振り向いた。光に暗く陰った顔が、ドナを見下ろしている。
「あ、あの……」
ドナは急いで立ち上がり、それより背の高い男の顔を見た。
人のよさそうな好々爺然とした中年の男性。
「こういうものです」と、男は名刺を取り出し、ドナに渡す。彼女は両手で仰々しくそれを受け取ると、じっと紙面を見つめた。
「うちの聖母像は気に入りましたか? マザー・ドナ」
ドナは「え?」と男の顔を見、教会の中の天井を突き上げるほどに大きな聖母像を振り返った。
「え……ええ! 立派な聖母様をありがとう! コルベートさん?」
「そう、コルベート。あんたんとこの教会の聖母像はみんな、うちが作ってんだよ」
「はぁ」
コルベートは聖母像を指さし、
「前もあんなのがあったんだがね、こういうところだから、マザーが行方不明になっちまったとたんに、根こそぎさ」
「行方不明?」
ドナはあの黒い男の言葉を思い出す。すると彼の言っていたことは、まんざら嘘ではなかったのだ。
「ここいらの連中は不信心だからね、尼さんがどうなろうと、どうしようと関係ないんだろうよ」
「あの……」
コルベートはドナを真顔で見て、
「何か困ったことが起きたら、ここに電話してくれよ。こうも何度も不祥事が起きたら、個人的に心配になってくるからよ」
ドナは不思議そうにコルベートを見つめた。
「まぁ……ご親切にありがとうございます。でも、ここはそんなに危ないところなんですの?」
「もうね、今年に入ってから、5人の赴任して来たマザーが行方不明になってんだよ。あんた、昨日はどうしてたんだい?」
ドナは犬を指さし、
「この子と一緒にいたんです」
「何かあったかね?」
コルベートは熱心にたずねてくる。本当に心配そうに、眉がしかめられている。
「黒い服を着た男の方が」
コルベートは次の言葉を待っている。
「行方不明のマザーを探していました」
「なんだか、怪しいんじゃないのかね」
「え、でも、とてもいい人でしたわよ」
ドナは急いで言い繕う。
「マザーってのは、そうやって人をいいほうにいいほうに見ようとするがね、親切面した奴ほど信用ならんもんだよ」
「そうなのかしら……」
ドナは首をかしげる。
「そんなに悪い人には見えなかったですわ」
「名前とか、何をしているとか、言ってたかね」
「いいえ。教えてくれなかったんです」
「警察に手配させよう。もしかすると、そいつがマザーをさらったのかもしれない」
ドナは不安になる。自分の直感は違うと言っているが、なんだか、コルベートの言うことも理にかなっているように思う。街のすべての騒音が、教会の回りで生まれてくる。
「前のマザーはなぜいなくなったんでしょう?」
ふと二人は目が合う。
「さぁな……」
コルベートはふっと回りを見回し、ガードロボットを見た。
「そういやぁ、ありゃ、なんだい。よくもまぁ、こんな危険地帯にあんなポンコツよこしたもんだな」
「今日、警察に届けるつもりだったんです」
「俺が行ってやるよ。ついでだしよ。届けるように、言っといてやるさ」
ドナはあわてて、
「わたしがやります。何から何までしていただいちゃ、悪いですもの!」
コルベートは大口を開けて笑いながら、「いいって、いいって」とガードロボットを担いだ。
「そんじゃ、電話とか、してくれよ。オフィスに直接つながってっからよ」
ドナはコルベートの背中を見送りながら、大きな声でお礼を言った。彼が軽く手を振っているのが見える。
空がすみれ色に明るく輝いている。それともくすんだ銀色に煙っているのか。覆いかぶさるような建物の列の中へ、コルベートの姿はすぐに見えなくなった。
「マザー・ドナ!」
工員が呼んでいる。
「犬小屋できました。もうこれで帰りますけど」
「あ、はい! ありがとう、御苦労様でした!」
トラックやライトバンが次々と去って行く。咳き込むように空気が振動し、辺りはまた静かになっていく。
ドナはまた、あの名刺を眺めた。灰色がかった金属板に共通語でコルベートの名が刻んである。彼はなんとこのM21の貿易を独占している工場の責任者だった。なぜ、そんな人が……ドナはおかしく思う。もしかすると、行方不明になった人達の中に知り合いがいたのかもしれない。だから、あんなに親身になってくれるのじゃないかしら。ドナは「フーン」と鼻を鳴らすと、名刺をポケットへ突っ込んだ。
「さて、と」
ドナは今日から毎日、次の辞令がくるまで、ここで暮らすのだ。マザーとしての仕事を始めるのなら、あしたからよりも今日からでないといけない。多分、今日の騒ぎでみんな教会が復活したことは知っているだろう。回りはこんなにも建物が密集しているのだ。今から訪問していっても不自然なことはないだろう。
ドナは教会の中に入る。胸一杯に新しい塗料の匂いを嗅ぐ。強大なモータ教だからこそできる木造の、いがらっぽい匂いが鼻孔に広がる。ぴかぴかに照り輝く茶色い、まるでマホガニーのような教会の長いす。白木のつるつるの床板。天井は湾曲して、伽藍のように高い。壁ができるとこんなにも違うことが、一目瞭然としていた。
この小さな教会の備品一つだけで、一体何枚の出港のチケットを手にすることができるのだろう。
「すごい!」
壁があると、こんなにも違って見えるのね、と妙に納得すると、台所や寝室のあるほうの扉を開く。
とたんに、ドナは歓喜の悲鳴を上げた。生まれてから、こんなにも豪華な部屋にお目にかかったことすらなかった。教会の寮暮らしが嘘のような、まるでゴージャスなホテルのスイートルームのような部屋だった。今時珍しいクラシックなクラフトの家具が、まるで雑誌の一ページのように並んでいた。
どこのご令嬢だって、こんな暮らしはできないだろうと思われた。ドナは女学生のように奇声を上げながら、ロココ調の背のあるベッドに飛び込んだ。
まるで病院の一室そのものだった寮室が、嘘のように遠のいて行く。飾り気のない病気のように青ざめた十人部屋の壁が、今考えると悪夢みたいだった。
(マザーになるって、こんなにも素敵なことだったんだわ!)
ドナは頭の覆いを取った。昨日からおふろにも入っていない。なんだか、体中がほこり臭いような気がし、あわててベッドから降りて、しわを正した。
ぺったりと押さえ付けられて、ドナの短く刈った金茶の髪が、頭の形にへばり付いている。彼女は髪をなでつけ、備え付けられている鏡台の前に立った。彼女の幼い顔が、鏡の中から見返している。ニコッと笑ってみる。化粧気のない顔が、健康そうにバラ色に輝いている。
「ブス」
ドナは鏡の中の未熟な顔にすねた言葉を投げかけてみる。ふと、昨夜の男の顔がよみがえる。
陰気な端正な顔付きだった。暗く陰っている目元は、なんだか悲しげだった。
対照的なオレフ様の顔が浮かぶ。あの英知を極めたような太陽のようなオレフ様。
オレフ様はあこがれの対象だった。カリスマに満ちた教祖の姿は、父親よりも強烈に心に焼き付いている。
ドナは夢想するように、鏡の虚像にのめり込んでいく。
オレフ様に一任されたこの仕事を立派にこなして、彼のお褒めにあずかりたい。
まるで繊細な蜘蛛の糸を紡いだような銀髪が、本物だったことに感動した一昨日のことが、ありありと思い出される。オレフ様とは二人きりで話すことも話しかけられることさえも世迷い事のように思っていたころ、友達とあの見事な銀髪はかつらじゃないの、とうわさしあっていた。
まるでシャボン玉が破れるように夢から覚め、ドナはバスルームを探した。汗を洗い流して、もっとましな顔をして、布教活動に挑むのだ。どうしたって、この地区はテレリンパレリンとはしていられないようだから。気持ちを引き締めて、事にかからねば。
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