第6話
いつだれがそう呼ぶかはまだ分からなかったが、なりたての教会のマザーは、緊張を忘れてしまったような顔で眠りこけていた。無神経なのか度胸があるのか、頼りないはずのガードロボットのことも忘れてしまったのか。礼拝堂の床のくぼみの中に身を潜ませてから、ウンともスンとも騒がないガードロボットを見ているうちに一日の疲れが襲って来て、ドナは軽く目を閉じたつもりだったのだ。ちょっとのつもりがもうすでに長い時間が経っていた。
ドームのよいところは年中気温差がないというところだった。温室育ちのドナが安心して寝ていられるのもそのせいであった。
隣のくぼみの中で母犬が荒く息をする音や、子犬の弱く鳴く声がドナを無意識に安心させたのだろう。
ガードロボットも危機を感じていないらしく、全く騒ぎ立てない。
しかし、ドナは隣の犬の異常にハッと目を覚ました。母犬がうなり声を上げている。しかし、ガードロボットはまだ動こうともしない。ドナは慌ててくぼみの上を見回した。そしてそっと顔を出し、入り口を見つめた。何事も起こっていないように見えた。
ガードロボットは静止している。その表示板は灰色のままだった。
ドナは息を殺して、考えを巡らした。隠れるところはと見渡したが、今自分がいる場所しかないようだった。とっさに身を伏せ、床下を覗く。今時には珍しく木材で作られた安普請の教会の床下は広々していて、ドナくらいだったら楽々と潜り込めそうであった。ドナはよつんばいになると、静かに奥へと入り込んでいった。
まるで本当に絶対見つかってはならない隠れんぼをしているような感じだった。しかもオニがだれなのかさっぱり分からない。
遠くから何かが落下する音がした。そしてすぐに高い靴音が。母犬がまだうなっている。ガードロボットはさっぱり反応する気配もない。
とんでもないオンボロを貸してくれたものだわ、とつぶやいた。何の役にも立ちそうにないガードロボットを当てにしていては、多分命が幾つあっても足りないかもしれない。あそこにいる犬には自分が任務を完了するまでいてもらおうと、堅く心に誓った。
とうとう足音は教会の外れかかった扉を押して内部へ入ってきた。犬が激しくほえ立てている。しかし、すぐにその声は静まった。
殺してしまったのかしら、ドナはそう考えて体を一層ちぢませた。
やっとガードロボットが反応している。ピーピーガーガーと聞こえるだけで、だれに向かって何といってるのか、全く分からなかった。ドナは一緒に抱えてきた聖書を抱き締めて、心の中で懸命に祈り続けた。足音は床をきしませながら、ゆっくりと部屋中を歩き回っている。
(どろぼうなのかしら……)
しかし、足音はドナの頭上の床の回りを何度か往復すると、ちょうど彼女の真上で立ち止まり、動かなくなった。ガードロボットがゴロゴロとローラーで木の床の上を滑って、近くまで寄ってきたようだったが、別にドナがそこにいるのを知っていて守るつもりで来たようでもなかった。
ドナは心臓の音があまりにも大きく聞こえるので、息を止めれば聞こえなくなるのではないかと焦り、息を止めた。何の効果もなく、ドナは耳の後ろから迫って来る恐怖心にさいなまれた。
頭上の床板がギシギシときしみ、何かの屑がポロポロと落ちて来るのを感じる。
体が小さくなって消えてしまうことを祈りながら、精一杯丸くなった。
きしむ音は裂ける音に変わり、床板はバリバリと外されていく。外気がドナの背中に当たったと感じたとき、ドナは思わず叫んでいた。
「きゃーあ! きゃーあ!」
我を忘れて、甲高く何度も声も割れんばかりに叫んだ。胸にギューッと聖書を抱き締めて、小さな動物にでもなったような気分だった。ドナの頭の中はただ叫ぶことしかなくて、その背中に手を当てられ、名前を呼ばれても叫び続けていた。呼ばれたからといって、彼女の耳は自分の声で他の音が聞こえなくなっていたし、背中に当てられた手に一層の恐怖を感じて、前より激しく叫んだ。
しかし、ふいに体を抱えられ、もう一度名前を呼ばれたからといって、彼女の恐怖心が解けた訳でもなかった。それに彼女はぐっと目を閉じて、全然その人物が見えていなかった。床に降ろされて、その頬を軽く何度かたたかれるまでその目を開こうともしなかった。
ドナは目を開くと、まず最初に目の前の男の顔を見た。それは彼女に新たな恐怖心を沸き上がらせたに過ぎなかった。けたたましく叫び続ける彼女に向かって、男は冷静に名前をたずねた。
「シャルロット=フォレスト?」
「知らないっ! あっちへ行って!」
「ミーニー=キャンベラ?」
「知らないって!」
「エリス=ザボック?」
「だれよ、その人たち?」
ドナは並べたてられる女性の名前を聞きながら、どうも自分の危害を加えるつもりのない男の顔を見つめた。
「行方不明の尼さんだ」
ドナは落ち着きを取り戻し、
「……わたしはドナ=ディラン。今日からここのマザーです。あなたは?」
しかし男は何も答えなかった。ドナは裾を正すと、
「変わった服を着てるのね? どこの惑星系の服なのかしら? わたしのはテラ系よ」
「同じだ」
「あなた、テラなの?」
男は黙ったまま、ドナを見つめた。
「行方不明の尼さんて何?」
「今までこの地区でいなくなった尼さんのことだ」
ドナはふいに押し黙り、目の前の黒い男をまじまじと見つめた。
「あなた……だれなの?」
ドナの目の中に不審の色が宿る。
「どこから来たの!? 何しに来たの!? 何が目的なの!?」
上ずった声で彼女は叫んだ。
「なぜ何も言わないの!? 悪い人だって思うわよ!?」
「かまわない」
「なんでかまわないのよ!?」
何を考えているのかさっぱり分からない男の目はピクリともせず、
「君にとってまだ危険な存在なのか、安全な存在なのか保証できない。それは彼にとっても同じことが言える。信用できない」
ドナは眉をしかめる。未知の人間は未知の人間でしかないが、ある程度まで自分を明かす必要があるのではないか、と思ったからだ。名前を言ったのもそうだし、自分が何者かを明かしたのもその考えあってのことだった。目の前の不審な男が危険な存在であろうと、安全な存在であろうと、こうなってはドナにとってもうどうでもよかった。
「わたしに怪我させようって気はないんでしょ? わたしだってあなたの邪魔をするつもりなんてないわよ。ただしその内容によるけど」
「怪我をさせるつもりはない」
「じゃあ、安全よ。
「前任のシスターたちの名前をたずねてたのはあなたの今からすることの一環なんでしょ? 探偵? 警察?」
「どれも違う」
「悪いことじゃなかったら、わたしも協力したいわ。人探しなんでしょ?」
「そうだ」
ドナは手を握りあわせて、輝く目で男を見つめると、
「じゃあ、手伝いたいわ! 多分力になれるわよ!」
「何もしなくてもいい。君には関係がない」
男は一言そう言うと、すっと立ち上がり、
「忠告していいか? そのガードロボットは替えてもらった方がいい」
ドナはガードロボットを見た。ガードロボットはどこかを向いたまま、動くようにも見えない。
「ホントだわ」
呆れたようにつぶやき、ドナが前を見たときにはもうだれもいなくなっていた。
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