第5話
働かない労働者地区の労働者にとって、夜が明けようと日が暮れようと何のお構いもなかった。酒を飲んでくだを巻き、けんかをしてばくちを打ち、数時間意識不明になったら、また最初からくり返せばいい。年々失業者は増える一方。女は尼にでもなればいいが、男の使い道と言えば労働くらいしかなかった。
この星に入るのは簡単でも、出るのは至難の業だった。入るために金を使い果たして、出るための金は死んでもたまらなかった。
目付きの悪いよた者が日に日に増える一方で、減る様子は全くなかった。
道端にはまるで置物のように家のない労働者たちが寝転がっていた。酒とヘドと垢の匂いで鼻がひん曲がりそうだ。
まるでヘドロの川の底を泳ぐように、黒い男が倉庫のほうからやって来る。
黒髪にベットリと肉片がこびりつき、茶色く変色した血が顔にもついている。周囲の敵意の視線を恐れる様子もなく、ただ黙々と歩いて行く。
「ぃよう! 兄ちゃんよぉ! 景気はどうでぇ」
声をかけた労働者は、多分彼を倉庫で働いている作業員と勘違いしているのだろう。
男はその声を無視すると、寒いのか、体を黒いトレンチコートに包み込み、足早に去ろうとした。
アル中の労働者たちはバカにされたものと思い違い、よろよろとゾンビのように男を取り囲んだ。
「古くせぇコートなんか着やがってよぉ! 酒代くらい貸してくれよ! ケチケチしてんじゃねぇよ!」
男は暗い瞳で労働者たちを見返す。
「金は持っていない」
「じじじゃあ、そそのコートよこせよ」
どもりのある労働者がいい、コートをつかんだ。とたん、その労働者の体が引き倒され、地にもんどり打つ。
「触らないでくれないか」
地に伏した労働者に向かって、男は言った。
なにせ生ゴミにたかるハエのようなもので、追い払えばしつこく寄っては来なかった。諦めたように、またゾロゾロと持ち場へと戻って行く。
「よぉ、どこ行くつもりだ」
男は立ち止まり、「教会に行く」
「ゲヘヘ、教会なんてとっくにつぶれてらぁな、オレたちのたきつけになってなぁ」
男はむっつりと黙ると、その路地を去って行った。
労働終了時間を過ぎた労働地区の路地を出歩く住民の姿を見つけることはできない。労働時間中の日暮れ色の路地の様子とは、やはりそこはかとなく漂う雰囲気が違うようだ。それまで見分けがついたはずの路地に寝転ぶ労働者とゴミの塊とが区別がつかなくなって来る。
人々が忘れかけている精神部分の産物が、むしばむように心の隅から中心へとはびこっていく。
物が落ちる音がドームのすみずみに響き渡って行くような、冷たい静寂が辺りを支配し始めると、労働者や住民たちは息をひそめて、自分たちの生気を消し去ることに努めた。
時折恐ろしく遠くのほうから人の咳き込む声や犬の狂ったようにほえる声が聞こえるだけで、路地から人気は消滅してしまった。
黒い男の足音は、まるでその静寂にひびを入らせるように辺りに響いた。普通の人間では心臓にこたえるような静寂の破壊を、男はなんら気にもしていないように見える。
彼の陰気な顔は、しかしその雰囲気さえも吸い込むように沈んでいた。
区分けの見張り所さえ苦もなく通り過ぎ、貨物倉庫の4区をとっくの昔に抜け出していた。
外れかかったプレートが、そこが7区であることを示している。男は上を見上げる。回りを囲む崩れかけた建物のほとんどが五、六階の高さで林立していた。
男が軽く跳躍した。まるでバネのようにその体が弾むと、軽々と眺めた建物の屋上のへりに男は悠然と立っていた。猫のようなバランスを保って、遠くを透かして見るようにへりに立つ。男は視線を定めると、そちらへ向かって鳥のようにへりを蹴り、隣の建物の屋上へ飛び移った。
顔色も変えず、黒い鳥のようにコートを翻して、隣接する似たような建物の林の梢を駆け抜けていたが、ピタリとその足をそろえると、建物の谷間の底にポツンと建っている崩れ落ちた教会を見た。
男は表情も変えず、その足を踏み出し、そのまま地上へ落ちていく。コートが翼のように男の体の回りで広がり、長い髪が黒い鳥の尾のように男の後ろでたなびく。何事もなかったかのように男は両足で地面に軽く着地した。
そして目前の瓦礫のような教会へ視線を向けると、足音を響かせて歩み寄っていった。
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