第13話
朱鷺子と前に一緒にいったことのある大堀の公園に、今度は僕一人で出掛けてみた。僕一人だけが、おじいさんや大人の女の人とか、その中で不自然に浮いてるみたいにら感じた。もう、一カ月以上、学校にいってないし、慎吾のマンションからあんまり出たこともないし、祥子さんの所に手伝いにいくときはお昼くらいからタ方の七時くらいまでだから、学校通ってる子とかに会うことはあんまりなかった。
朱鷺子はもう僕のことキライなんだろうなあ……って、ホントはこのあいだ最後に朱鷺子に会ったときから思ってた。ずっと前から、なんか違うんだって感じてたし、でも僕はなんかイヤだったんだなあ……
無理に好かれようとしてるんだなって、好きでもないのに好かれたいんだなって。
でも、あのとき、朱鷺子がホン卜に僕をキライになったのか、実はよく判らない。ずっと、そのことを考えてた。
朱鷺子は僕にとって、一体何なんだろう……でも、朱鷺子の冷たいところしか僕は思い浮かべることができないんだ。彼女は僕をキライになったと思ってるかもしれないし、僕を見捨てたと思ってるかもしれない。
電話の沈黙は、慎吾のイライラを伝わって、僕の心に届いたんだ、確かにね。僕は見てたし、朱鷺子が遠くにいると感じた通りに、慎吾も遠くにいた。
朱鷺子とはそんなに長く付き合ってたのかな。話さない時間の分だけ、僕と彼女は離れていたのかな……楽しい思い出じゃなくって、彼女のしぐさとか、口癖とか、僕がイヤだなって思った部分しか浮かんでこない。そんなにも、僕たちはダメだったのかな……
公園の堀には、カモとか、知らない鳥がたくさんいる。ウとかいうのもいる。僕はウばかり探した。ウはあんまりいなくて、ずっと遠くの枝ばっかりの木に、二、三羽だけいた。ここから見ていると、黒くて、枝のこぶみたいに見える。ウは黒いけど、カラスみたいに黒くなくて、ヒョロヒョロしてて、すごく情けない格好をしていて、僕の目を引いた。他のはうるさいし、いっぱいいて、目玉がギョロギョロしてて、なんかキライだ。
さっきから、キライってことばっかり考えてる。でもすごく重要なことのような気がする。
公園に来たのは、別に意味なんかないけど、朱鷺子に電話しようと思ったんだ。だって、マンションには慎吾がいるし、電話を聞かれたくなかったから、僕は初めて一人で遠くまで来てみたんだ。
慎吾に初めて会ったとき、僕はコワイっていう感情しか思い出せない。今よりもずっとヒヨワだったと思う。今はどうしてなのか、よく判らないけど、あのときのことはあんまりいってほしくない。ものすごく恥ずかしいから。
公園の景色を僕は顔を上げていろいろ眺めながら歩いた。まだ三時くらいだった。学校はまだ終わってない。公園は広いし、大きな堀の池を、城もないのになんで堀というのか知らないけど、ぐるっと大きな散歩道が続いていて、退屈しなかった。
僕のジーパンのポケッ卜の中の小銭が、太ももの付け根に当たって、ちょっと愉快な気分になった。ジャリジャリいう音が、お金があるっていう気になるし、一杯もってるんだっていう気になる。
多分ニヤニヤしてた。
向かいからくるオバさんが、ジッとなんかこわい目で僕をにらんだ。オバさんはすぐに目をそらしたけど、隣の女の人とコソコソ話し始めた。僕のこといってるのかな……?
そうしたら、急にここにいちゃいけないような気分になった。あの人は僕のこと話してるんじゃない。でも、僕はヘンなふうに見えてるのかもしれない。早く四時にならないかなあ……四時になったら、多分公園にいてもおかしくないフツーの人に見えるだろうし……
道の外側を取り囲む林のところどころに、ベンチがあった。石のベンチで、星とか太陽とか、かっこよくタイルのかけらで作ってあった。
それに座って、他の人がこっちに来たらイヤだなあ……と思って、辺りを見回した。
だれもこっちを見てなかった。
みんなは、まるでテレビの中の通行人みたいに見えた。
「キュー」とつぶやいて、指で作った四角いスクリーンを通して、僕はドラマのワンシーンを監督する。
さっきまで、僕は通行人の役をしてたけど、ベンチに座ったら、もう役者じゃなくなっていた。
一枚の写真から抜け出してきた気がした。もしかすると、こっちと向こうは世界が違うのかもしれない……だから僕が抜け出しても、僕が見えないから気がつかないのかなあ……
道路に街路樹のフリをした時計が立っている。いつの間にか、もうすぐ四時になろうとしていた。
石のベンチからお尻が生えてきたみたいにくっついてたけど、モゾモゾ動かしてゆっくり立ち上がった。
電話ボックスは公園の至るところにある。四角いし、すごく目立つ。上にかっこわるい銅像みたいのが乗っかってるし。
十円玉がいっぱい詰まったジーパンに、指をグイグイ突っ込んで、二枚だけやっと取った。
朱鷺子は沈黙を無駄遣いするから、二枚とも全部入れてしまった。
いつの間にか押し慣れて、覚えてしまった数字を押していく。電話ボックスのプッシュフォンはなんだか濁って聞こえる。
一回、二回、三回、四回目。
十円玉が一枚落ちた。
「はい、坂井です」
電話ごしの声は年よりっぽく聞こえた。
「あの……小田です。朱鷺子さんいますか」
電話の人は黙った。
僕は朱鷺子を呼びにいったのかと思ったので、黙っていた。でもすぐに電話口の人は言った。
「なに……?」
電話の声はしわがれて、おばあさんの声みたいだった。でもすぐ判った。
「たつろー……」
声がコソコソ話をするカンジになった。
「あの……」
僕は失敗したなって思った。だってなんで電話しようって思ったのか、判らなかったから。
「あの……」
まるで壊れたレコ一ドみたいにしか、話せなくなってしまう。朱鷺子は黙ってる。待っている。
「あの……僕ね」
でも僕も結局口をつぐんでしまった。何かいわなくちゃいけないって、焦るんだけど……耳元で朱鷺子の落ち着かない呼吸が聞こえる。僕も実をいうと、ドキドキしてる。言葉と息を同時に吐いてしまうから、自分の声がやけに震えて聞こえる。
電話の見えない回線の向こうに朱鷺子の存在を感じる。だけど、亡霊のような存在感。
コードをグルグル巻き付ける自分の指から目をそらして、ボックスのガラスごしから大堀を眺めた。大堀に大きく薄っぺらい幽霊が映っていた。朱鷺子かと一瞬勘違いして、それから、それは僕の顔になった。ホッとして、ため息をついた。
「元気?」
朱鷺子が沈黙を破った。
公衆電話にいっぱい落書きがしてある。他人の番号が寂しそうに並んでいる。
「うん……」
「今なにしてるの?」
ずっと長い間会わなかったみたいな口ぶり。すごくよそよそしい。
「公園にいるんだ」
十円玉が落ちた。
僕は受話器を両手にもって、通話口のブツブツを見つめた。
「公園?」
白っぽい乾いた声。幽重のような声。電話の回線が、朱鷺子の言葉の生々しさをそぎ落としている。僕の言葉は、これと同じに、とても彼女の元に届きそうにない。ちゃんと伝わらない。
「朱鷺子も行ったことあるよ……大堀の」
「ああ……」
あそこね……と小さく聞こえた。
朱鷺子のフリをしただれかと話しているのかもしれない。彼女はもう僕の世界にはいないのかもしれない。会話がそらぞらしく聞こえはじめた。
「鳥が……いっぱいいるんだよ……」
僕のいる側からは、どんな鳥もゴミみたいに見える。
「そう……」
朱鷺子の声だけの亡霊は、浅く息をつくと消えてしまった。
僕はガラスに寄り掛かって、地面を見た。タバコを踏み消したあとが三つか四つくらいついていて、吸い殻が五本落ちてた。ガムのあとは十個くらいで、紙くずがひとつあった。
「それで……?」
僕は力いっぱい受話器を握り締めてた。ガラスに背中を押し付けたまま、シャツがめくれてもかまわないで、地面に座り込む。僕はいいたいことがあるような気がした。でも、それがなんなのか、全然判らない。だから、できるだけ精いっぱい声を出した。
「あのね……朱驚子……」
僕ね……僕ね……
何ていったらいいんだろう? おなかの中にギュウギュウ詰めの言葉があるのに。全然ダメなんだ。
「あたし……今いそがしいの」
閉店間際のシャッターの音。ガラガラビシャッと、僕には聞こえた。幽霊みたいな彼女なのに、まだ僕を十分ビクビクさせる。
「切ってもいい? また今度……」
でも電話は切れた。二十円がなくなったから。電話がブーブー僕に話しかけて来る。
「うん……」
僕は電話に返事した。
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