第56話 これが嵐の始まり

 一悶着あった休憩&賄いの時間も終わり、夜の営業が始まる。

 俺はいつに無く愛想良く仕事をこなしていく、普段より忙しかったがあっという間に感じられた。


「はぁ~ 今夜は凄く長く感じるんですけど」

「俺には短く感じたけどな」


 テルが調理場から疲れた顔をだして嘆いていた。


「本当に判っているんですか? チーフがいつも以上に愛想良く仕事をしている時って、実はいつも以上に機嫌が悪い時なんですよ」

「そんな事はテルに言われなくても判っているよ」

「判っててやっているんですか? 黒すぎですチーフ」

「お客に当たる訳にいかないだろうが。それなら愛想良くしたほうが良いだろう」

「マジで黒すぎる。可哀想に由梨香と美穂里は緊張しっぱなしで失敗はするし」

「俺は一言もそれに対して何も言わなかったぞ」

「言ったら確実に彼女達は確実に泣きますよ」


 由梨香と美穂里を見るとクローズしてノーゲストになったテーブルに倒れこむように突っ伏していた。

 少しやりすぎたな、反省しながらもどうするか思案すると直ぐに答えが導き出された。


「お疲れさん。気分転換にカラオケにでも行って来い、カンパしてやるから」

「本当ですか? ユーカ、ミポ、どうする?」

「「行きまーす!」」


 由梨香と美穂里が飛び起きて目を爛々と輝かせていた。

 元凶の野崎に声を掛けると事務所から手だけを出してその手には福沢諭吉が2枚見えた。


「うひょ! これなら居酒屋&カラオケが出来る! あざーす!」

「レッツ ラッ ゴー」

「行ってきます」


 3人が嬉しそうに店を飛び出して行き。

 俺も野崎に声を掛けて家路に就いた。



 マンションの駐車場に着くと直ぐに携帯が鳴る。


「なんだ、お前か。遅いんだよお前はいつもいつも、まぁ良いさありがとうな。あいつは変わりないよ」


 変らない受け答えをして携帯を切り階段を上がる。

 玄関の前まで来ると楽しそうな話し声が聞こえるが構わずドアを開けた。


「ただいま」

「お帰りなさい、パパ。あのねお客さんが」


 美緒の言葉が尻すぼみになっていく。

 部屋を覗くと彼女が居て軽く会釈してきた。

 柴崎ルイは一体……

 美緒に目を合わせると僅かだが瞳が揺れた。


「美緒、食事はどうしたんだ?」

「あのね、ルイさんが作ってくれたんだ。凄く美味しいんだよ、パパの料理が一番だけどね」

「そうか、それじゃシャワーでも浴びるか」


 素っ気無い俺の態度に美緒は益々瞳を揺らせる、俺からしてみれば美緒の態度の方が不思議だった。

 いつもなら女の人が俺を訪ねて来ようものなら根掘り葉掘り詮索して、やきもきして八つ当たりをしたりするのに綺麗な女優さんが訪ねて来たのにあの態度だ。

 まぁ、有名な女優さんだからなのかそれとも…… どちらでも俺には関係ない。

 シャワーで全てを洗い流してしまった。



 パパには内緒なんだけど柴崎ルイさんは実はママのお友達なの。

 たまたま、本当にたまたま石垣島でロケがあって、ロケの方が殆ど終わって石垣島に居る私の様子を見る為に訪ねて来てくれたんだ。

 そんなルイさんが昨日の夜にパパと出会ってたって言うかなんだか変な感じだなぁ。

 だって、ルイさんは本当はママに言われて私の様子を見に来たんだもん。

 パパは普段と変らない感じがするんだけど、いつもより穏やかっていうか少し冷めたような感じがするの。

 でね、ルイさんはパパに『ギャランティーの為なら何でもするんだな』って言われて少し雰囲気が変わって遅いからって宿泊先のホテルに帰っちゃったの。

 でもこれが嵐の始まりだったなんてその時は気付きもしなかったの。



 だって、次の日の夜……

 私は学校から帰ってきて課題を済ませて簡単に掃除をしてご飯を食べて、パパの帰りを待ってたの。

 リビングにはテレビがあるんだけど映らないんだ。

 スイッチが壊れているだけだから美緒が見るようなら直すけどってパパが言ってくれたんだけど東京に居た時もあまり見なかったし、石垣島じゃ4局しか映らないんだよ。

 そのうちの2局が日本放送協会なんて信じられる?

 でね、パパが石垣島に来た時にはその2局しか映らなかったんだって。


「あっ、パパが帰ってきた……あれ? どうして?」


 パパとルイさんが仲良く話をしながら帰って来たの。


「おかえりなさい」

「ただいま。美緒、すまないがしばらく彼女と一緒に寝起きしてくれないか? 彼女がここに居た方が仕事上都合が良いんだよ」

「えっ? ルイさんと一緒に暮らすって事なの?」

「まぁ、そうだな。彼女がOFFの数日間だけどな」

「私は話し相手が出来て嬉しいけど、パパは本当に構わないの?」

「問題ないだろ」


 なんだか狐に抓まれたってこう言う事を言うんだろうなって思ったの。

 だってそうでしょ。

 昨日の夜までは敬遠し合っていたのに急に仲良くなってるんだもん。

 不思議に思って寝る前にルイさんに聞いてみたの。


「ねぇ、ルイさん。パパと何かあったの? 凄く仲良くなっているよね」

「あのね。今日、お店に働かせてくれってオーナーさんに直談判に行ったの。もちろんノーギャラでよ、私の我が侭を押し通すんだから。そうしたらすんなりOKしてくれたの不思議でしょ」

「それはね多分、野崎さんがパパをやり込め様としたんだと思う。パパと野崎さんは子ども同士みたいなトコあるから」

「そうなんだ、でも美緒ちゃんのパパは全く動じて無かったよ。私がノーギャラで数日間働かせてくださいって頭を下げると、笑顔でそんな覚悟が出来ているんなら良いんじゃないかって」

「ふうん、でも何でお金を貰わないの?」

「だってムカつくじゃない。ギャラの為なら何でもするって言われたんだよ。でもね、美緒ちゃんのパパと一緒に仕事をして気が変ったのギャラなんて要らない、本気モードで美緒ちゃんのパパ岡谷さんにアタックする」

「えっ!」

「何でそんなに驚いた顔をするの? 岡谷さんは今フリーなんでしょ? それとも恋人が居るの?」


 何を言われているのか一瞬判らなくなった、確かにパパには恋人なんて影すら見えないし好きな人が居るなんてパパからも誰からも聞いたことが無い。

 でもなんでルイさんが……

 もしかしたら私がグズグズしているから……

 そう考えたら辻褄が合った。

 でも、ルイさんはギャラなんて要らないって……

 本当に本気なんだお金なんて関係なくパパの事を、心の奥がザワザワと波立ち始めていた。



 次の日の朝は凄くいい匂いで目が覚めたの。

 私が起きるとルイさんは私のベッドに居なかった。


「おはよー」

「おはよう、美緒ちゃん。見てみて凄いフレンチトーストでしょ」


 ルイさんが飛びっきりの笑顔でお皿に乗ったフレンチトーストを私の前に差し出した。

 そのフレンチトースト? は私が知っているフレンチトーストじゃなかった。

 食パンを一斤まるまる耳を切った様な大きさの真四角で綺麗にこんがりと焼き上げられている。


「パパさんに教えてもらいながら作ったんだよ」

「パパさん?」

「そう、だって私が隆史さんとか岡谷君って美緒ちゃんのパパを呼んだらどう思う?」

「凄く嫌だ……」

「でしょ。美緒ちゃんのパパだからパパさんで職場ではチーフって呼ぶ事にしたの。焼き立てだよ一緒に食べよう、朝ごはん」

「う、うん」


 パパの顔を見ると美緒を見る時と同じ優しい瞳でルイさんを見ている。

 すると心のザワザワが大きくなった。

 そんな自分が嫌でテーブルに目をやるとマグカップが3つ並んでて、パパ特製のカフェオーレが美味しそうな湯気を立てていた。


「冷めないうちに食べよう」

「そうだね」


 ルイさんに言われてナイフを入れる。

 表面はカリカリに焼けているのに中はフワフワのフレンチトーストで、シナモンシュガーとメイプルシロップが絶妙なハーモニーでルイさんと夢中になって食べちゃった。

 学校に行く時にルイさんとパパが見送ってくれたんだけど、並んで立っている姿が凄く似合っててキュンってしちゃった。




 学校に着いたら今日も2人仲良く仕事をするんだろうなって思った途端に体が凄く重くなった。


「おはよー、美緒」

「おは、泉美」

「うわぁ、朝から暗!」


 親友の泉美が朝から喧嘩を売ってきた、でも買う元気も無い。

 そこにいつも元気ななっちゃんこと菜月が大騒ぎしながら現れた。


「ねぇ、ねぇ、知ってる? 柴崎ルイがロケで石垣島に来てるんだって」

「知ってるも何も無いよ。パパと一緒に仕事に行ったはずだもん」


 すると、なっちゃんが大声を上げそうになるのを寸でのところで、いつも冷静な朋ちゃんがなっちゃんの口を塞いで止めた。


「美緒、ルイに会ってみたいんだけど」

「パパに聞いてみるね。今日は早く帰ってくる日だから」


 口を塞がれたなっちゃんと驚きのあまり声の出ない泉美がウンウンと首を縦に振った。


「で、ルイとパパが仲良くしているから美緒は落ち込んでいると」

「悔しいけど、ビンゴ!」


 相変わらず頭の回転が速い朋ちゃんだった。

 口を塞がれたなっちゃんと驚きのあまり声の出ない泉美が納得してポンと手を打った。

 そんな訳で学校帰りに皆を引き連れて帰ると、ルイさんは大喜びして特製のフレンチトーストを焼いてくれたの。

 ルイさんも3人とも至極ご満悦で1人ずつツーショットで楽しそうに記念撮影までしていた。

 もちろん、この事は3人に堅く口止めしたことは言うまでも無いんだけど、殆どノーメイクで髪を1つに纏めてメガネを掛けているルイさんは極上のメガネ美人にしか見えないんだよね。

 それに、シンプルって言うかはっきり言うと地味なワンピースしか着ないの。

 イメージと違いすぎて誰にも判らない思う。



 その夜はパパとルイさんと私でルイさんが作ってくれたご飯を食べてゆっくりしていたら。

 ちょっと散歩に行ってくるってパパとルイさんの2人でどこかに行っちゃったの。

 ど、どうしよう……

 でも子どもの私が出歩いて良い時間じゃないし留守番しているしか無いみたい。

 それに私が口出しして良い事じゃないよね。

 パパが誰と恋愛しようがそれはパパの自由なんだし、私が何の為にココに居るのかを考えたら尚更だよね。

 体中から力が抜けて部屋のベッドに倒れこむと涙が零れ落ちた。

 何で涙が出るんだろう、何でこんなに胸がキュンってするんだろう。

 誰かが優しく髪の毛を撫でてくれている。パパなのかな……


「あれ? 私、寝ちゃったんだ」

「起こしちゃったみたい、ゴメンね」


 髪の毛を撫でてくれていたのはルイさんだった。

 凄く優しい瞳で私を見ていてくれる、それはまるでパパみたいに。


「ルイさん、聞いて良い? どこに行ってたの?」

「うん? お散歩だよ。でもパパさんて凄いね色んな事を知っていて、聞いた事に対して殆ど即答してくれる。判らない事があれば知らない間に調べて教えてくれるんだよ」

「そうなんだ、パパは物知りさんで誰にでも優しいからね」

「直ぐ近所なのに凄く素敵な所に連れて行ってもらったの。緩やかな階段状のただの護岸の筈なのに満月の光りが波間にキラキラと輝いてて、波が寄せては返す音がして風はサラサラと頬を撫でて凄くロマンチックな場所でいっぱいお話してくれたんだよ」

「そうなんだ、私はまだ中学生だからそんな場所には縁が無いかなぁ」


 心が大きく揺れるけど笑顔で強がるしか出来なかった。


「パパさんて色んな仕事をしてたんだね。ケーキ屋さんに局の大道具、それに18金とかのジュエリーの製造に自動車のエンジンの組み立て。石垣島では色んなホテルでサービスの仕事をしてバーを立ち上げたりして、イタリアンの調理にコンビニのスタッフに居酒屋の店長&調理でしょ。凄いよねだから『ニライ・カナイ』じゃあんなにオールマイティに仕事が出来るんだね。サービスしてキッチンに入って、注文があればカクテルまで作って。あのお店にはベーシックな料理やカクテルもあるけれどパパさんの創作料理やオリジナルカクテルなんかがいっぱいあって」

「そうなんだ」

「あ、ゴメンね。私ったら凄くパパさんとのお喋りが楽しかったから。明日も学校だもんね、電気消そうね。おやすみ」

「うん、おやすみ」


 ルイさんが電気を消して私の隣に横になる。

 私は…… なんでそんなに嬉しそうな顔で話すの?

 パパの事は本当に本気なの?

 私は仕事をしている時のパパを知らない。

 心がザワザワしてモヤモヤして涙が零れた、でも泣いているのをルイさんに知られたくない。

 私は唇を噛み締めて目を瞑って押し殺すように泣くしか出来なかった。

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