第40話 雨が降らなくって・その1

『7月11日はランチのみの営業とさせていただきます。 ニライ・カナイ店長』

出勤するとそんな張り紙が入り口に張られていた。

「おはようー」

「あ、チーフ。おはよう御座います」

由梨香が元気良く挨拶をしてきた。

「ユーカ、あの表の張り紙はなんなんだ?」

「さぁ、オーナーですよ。貼ってたのは」

「今度は何をする気だ……」

そこで一つだけ思い当たる事がある頭に浮かんできたが敢えて言葉にしなかった。

「ユーカ、美穂里は?」

「オーナーと出掛けました。そう言えば今日は」

「それ以上は言わないでくれ、ユーカ。目眩がしてきた帰って良いか?」

「もう、チーフまで。私とテルの2人でランチを開けろって言うんですか?」

由梨香が頬を膨らませて腕組みをしている。

「冗談だよ、準備が出来たら開けてくれ」

「はーい」

いつもより忙しくランチタイムが駆け抜けて行った。


「今日は流石に疲れたな。美穂里が1人居ないだけでこんなに違うもんなんだな」

「チーフ、後ろでオーナーが怖い顔をしてますよ」

「知るか! 野崎は居ても居なくても一緒だろうが」

「ん! んん!」

後ろから咳払いが聞こえるが一切無視をきめこむ。

「大体な、営業時間が終わった頃に『雨が降らなくて良かったわ、これでビールが美味しく飲める』なんていいながら店を放り出す経営者がどこに居るんだ?」

「ここに居るだろうが? ああん? 岡谷、テメエ私に意見するのか?」

「するわ、どこの経営者がビールが飲みたいが為に夜の営業を休むんだ?」

「だ・か・ら、ここに居るだろう。岡谷の目は節穴か?」

「野崎と話をしていると頭痛が痛くなってくる。もう、仕事は終わりなんだろ帰るからな」

タイムカードを押して更衣室に向い、着替えを済ませて出てくると野崎が仁王立ちをして待ち構えていた。

「岡谷、美緒ちゃんの携帯を教えろ」

「はいはい、畏まりました。女王様」

メモに殴り書きをして投げつける様に渡す。

「16:00ヒトロクマルマルに新栄公園の正面ゲートに集合。判ったな岡谷軍曹」

「誰が軍曹だ?」

「小浜大将と黒島中将もこれは命令だ。判ったな」

「やった! チーフより階級が上だ」

「あのな、突っ込みどころが違うだろうが」

由梨香と美穂里が敬礼をして楽しそうに笑っていた。

「それじゃ、解散!」

「着替えて『オリオンビールフェスタ』に出撃だ!」

由梨香の言う通り今日はオリオンビールフェスタだった。

俺の嫌な予感が的中して帰りしなに浴衣着用だの言われたが、全て無視して髪を切りにいくから時間通りには行かれない事を一応告げておいた。


16:00を少し過ぎてから待ち合わせ場所に向う。

行く気は無かったが美緒の連絡先を聞いたという事は美緒を連れ出しているのだろう。

実際問題として、美緒はマンションには居なかった。

『オリオンビールフェスタ』正面ゲートの前は人だかりが出来ていて、その中心は数人の浴衣姿の女の子のグループだった。

オフホワイトの地に牡丹風の花やバラ、桜の花が、モノトーンやグレー、赤紫の濃淡で描かれている上品な浴衣に淡い紫の帯をして髪の毛をアップにしている野崎が最初に目に入ってきた。

野崎の横では由梨香がネイビーブルーに大柄の薔薇が描かれている浴衣にワインレッドの帯を締めてお姉さんぽく、美穂里はエンジに牡丹が描かれた浴衣に薄紫とピンクの2色使いの帯を締めている。

そして反対側に美緒が白地に可愛らしい淡い花薬玉が描かれている浴衣に花柄をあしらった薄い水色の帯を締めていた。

「目立ちすぎだろうが」

そんなひとり言を呟いていると美緒の声が聞こえてきた。

「ああ、パパ! 髪の毛切ったんだ。それにその格好は?」

美緒の声に驚いた周りの男どもの視線が俺に向ってきたので、睨みつけるように一瞥をくれるとモーゼの奇跡の様に海の代わりに人だかりが割れて俺の前に道が出来た。

「本当に岡谷が機嫌悪い時はガラが悪いよな、まるでヤ〇ザだな」

「誰が、ヤの付くお仕事だって?」

「そのまんまの格好だろうが」

浴衣など持ち合わせていないので本藍染めの作務衣を着てきたのた、髪は暑かったので短くしただけの事だった。「やっぱり髪の毛短くしちゃったんだ」

「でも、チーフは似合うよね短いのも」

「もう、ミポはチーフ贔屓だからね」

袖に手を入れて腕組みをしている俺の腕に、知らない間に美緒が腕を組んで俺を嬉しそうな顔をして見上げている。「なんだ? 嬉しそうに」

「だって、約束の時間になっても来ないから。パパが来ないと思ったんだもん」

「あのな、この祭りはお酒の祭りだから保護者が居ないと未成年は入れないんだよ。それに俺は約束なんかした覚えは無い」

「ええ、本当に? 知らなかった」

「美緒を餌みたいに使いやがって」

「釣られたのはどこのどいつだか?」

野崎がせせら笑いをしながら抜かしやがった。

「帰る」

「駄目! お祭りが観たいよパパ!」

踵を返そうとした俺を美緒が無理矢理引きとめた。

「本当に野崎は腹黒だな」

「岡谷には敵わないけどね」

ここまできてウダウダしていても仕方が無いので入り口で年齢確認や持ち物の検査を受けて会場に入った。

まだ、日が高いにも係わらず沢山の人間が会場には動いている。

「それで、どこに行けば良いのかな?」

「どこって、何で? パパ」

「あのな、浴衣を着て地面に座って観るのか?」

「え、でも野崎さんが行けば何とかなるって」

「なるわけないだろう、知り合いを頼るにしてもこんなに人が居るんだぞ。それに自分達の場所取りで精一杯だよ」

「そんなぁ」

「おい、オーナー。どうするんだ?」

野崎に声を掛けると背伸びをしながら何かを探していて野崎の側では由梨香と美穂里が同じ様に辺りを伺っていた。

「誰も居ないわね」

「見つかるわけ無いだろうが! 毎回同じ事を繰り返しやがって、少しは学習しろ。行き当りばっかりで上手くいくか!」

「煩いわね、そんな事判らないじゃない」

「それじゃこの状況をどうするんだ?」

「グダグダ文句を言う暇があったら岡谷も知り合いを探しなさいよ!」

呆れてモノを言うのも嫌になって携帯を取り出して歩き始める。

「美緒、由梨香、美穂里。こんな段取りの悪い奴を放っておいて行くぞ」

「え、パパ。待ってよ」

「チーフ!待ってくださいよ」

「置いていかないで!」

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