5-2

「──さん。鈴森すずもりさん…鈴森さん?」

「へ、ひゃい!」

 昼休み後の英語の授業中。名前を呼ばれていることに気付き、鈴森れいはガタリと椅子を鳴らしながら立ち上がった。見れば、クラス中の視線が自分へと向けられている。教壇に立つ英語教諭にして担任、姫路ひめじ里美さとみの刺すような視線が特に痛い。

「鈴森さん、暖かくて気が緩むのはわかるけど、その…授業中だから」

「あの、えっと………はい、すみませんでした」

 肩をすぼめながら、玲が頭を下げる。姫路はもう一言二言注意しようとしたが、何を言えばいいか上手く纏められず、諦めてため息をついた。

「中間考査も近いから、気を付けてね。えっと、それじゃ次の例文を……伊藤いとうさん、読んでもらえる?」

「はい。When George came home,──」

 伊藤が例文を読み上げ始めると、玲は髪を手でクシャクシャと乱しながら席に着いた。姫路の様子に気を配りつつ、再び視線を教室の反対側──水沢みずさわじゅんの席へと向ける。顔色が少し悪い──朝からずっとこの調子である──ものの、真っ直ぐに教科書と向き合っていた。

(どうすればいいんだろう……)

 純の横顔を見つめている内に、周りの音が遠のいていく。玲の意識は再び、昼休みにルルイと交わした会話に飛んでいった。


「すみません、こんなところまで来てもらって」

「いいっていいって、気にしないで」

 昼休みの体育館裏。玲は純から返されたコンパクトを手に、ルルイと対面していた。本来なら屋上出入り口前の踊り場に行く予定だったのだが、屋上に続く扉のチェーンが何者かに壊されたのが問題となり──これを知った純はさらに頭を痛めることになった──三階と繋がる階段から立ち入り禁止になっていたのである。そのため玲は人気の少ない場所を求めて校内を歩き回ることになり、やっとこの場所に腰を落ち着けたのである。

「昼休み、もう半分しかないから急いで戻らないといけないけど……」

「本当にすみません……でも、どうしても玲さんに相談したくて」

「そう、それ。その、相談したいことって、なんなの?」

 ランチバッグから取り出した昼食の菓子パンを開封しながら、玲がルルイに尋ねる。

「はい。実は……純さんの力についてなんです」

「水沢くんの?えーと……あの、ワザミタマだよね。何ができるか、わからないって言ってた」

 玲は一週間と少し前の会話を思い出しつつ、パンを二口ほど齧る。水筒のお茶で飲み下し一息ついたところで、玲はルルイが何を言おうとしているのかを察した。

「もしかして、わかったの!?」

「私の推測ではあるのですが…恐らく、そう的外れではないはずです」

「凄いじゃん!で、どんな?水沢くんは何が…というか、何をの?」

 玲の瞳が、好奇心でにわかに輝き出す。鏡写しの世界を創る、この世から存在を隠す、誰よりも速く走る、あらゆるものを盗む──アニマの超能力の数々に、玲は前々から興味を抱いていた。その力で一度は命の危機に瀕したものの、非日常への興味と憧れはどうにも抑えきれないものがあった。

「今、純さんの心と共にあるミタマの力……それは恐らく、力です」

「………ん?」

 ルルイの言葉を聞き、玲の頭の中がクエスチョンマークで満たされる。言葉自体は難しくないが、それが一体どういう力なのか、今一つ理解することができなかった。

「あの……えっと、どういうこと?」

「簡単に言えば、です。純さんは頭の中で考えたことを、現実に形にすることができるのだと思われます」

「それって、例えば……「あれが欲しい!」って思ったらそれが出てきて、「これをやりたい!」って思ったら本当にできちゃう……みたいな?」

 大袈裟な身振り手振りを交え、玲は自分なりにかみ砕いた力のイメージをルルイに伝えた。ルルイはそれを見て、ゆっくりと頷く。

「その通りです。遠くまで届く武器、速く走る乗り物、真実を見抜く目──戦いの中で純さんがこれらを手にできたのは、全てその時に心の底で求めていたからだと思うんです」

「ちょ、ちょっと待って、そんなのありなの!?」

「アニマの力は、基本的に一芸に秀でたものが殆どです。ザルザ…純さんのミタマの力を一括するとなると、これぐらいしか考えられません」

 玲は菓子パンの残りを一気に口の中に押し込み、お茶で飲み下す。ゆっくりじっくり呼吸を落ち着けると、玲は自分の頭が導き出した一つの結論を口にした。

「それ………無敵じゃない?」

 無敵──考えた物事が全て現実になるのならば、それは万能の力を手に入れたに等しい。流行りに倣っていえば、である。予想をはるかに上回る規格外の能力に、玲は逆に興奮が冷めて真顔になっていた。

 そんな玲の様子を見て、ルルイはほんの少し、表情を曇らせた。

「そう、思われますよね」

「え、違うの?」

 玲の頭に、再びクエスチョンマークが浮かび始める。もし自分がそんな力を手に入れたら、誰にも負ける気がしないのに、と。玲はルルイが何を思っているのかわからず、続く言葉を待った。

「玲さんの仰る通り、考えただけで全てが手にできるというならば、およそ敵は存在しません。しかし現実に、純さんは勝利しているとはいえ、毎回苦戦しています」

「そう…だよね。あれ?」

 玲は自分が見聞きした純の戦いを、順を追って思い返す。最後には勝利を掴んでいるものの、一方的な展開ということは全くなかった。言われてみれば、確かにおかしい。

「どゆこと?」

「そうですね…玲さん、「もしこうだったら」と思うことはありますか?」

「そりゃ、しょっちゅうあるよ。テストが簡単だったらなーとか、欲しいものが大安売りしてないかなーとか」

「それは、心の底からそう思っていますか?」

 ルルイの言葉に、玲は口を噤んだ。さっき言ったようなことを思わなない日など、ないといっていいだろう。しかしそれらは、殆どが本気の想いではない。日々を過ごす上で必要な、潤滑油のようなものの一つに過ぎないからだ。

「いや……じゃないけど」

の想いでないと、おそらく無理なんです。無理だろう、ありえない…少しでもそう思っていては、ミタマは応えないのでしょう」

「それじゃあ、よっぽど必死だったりとか、本気で信じ込んでないと無理…ってことかな」

「実際、純さんが新たな力を見せたのはそういう時でした。それ以降は、「一度できたのだから、またできるはず」という認識があるため、普通に行えているのでしょう」

「はあー…そう都合よくいかないってことかあ」

 そこでふと思い至る。ルルイの説明を受けているだけで、自分からは何もしていないことに。

「そういえば、あたしに相談したいのってどのあたりの話?」

「実はこのことに関して、気掛かりな点が二つあるんです。それで純さんにお話する前に、玲さんのご意見をお聞きしたいと思いまして」

「えっ、じゃあ水沢くんには、まだこのこと話してないの?」

 ルルイが首肯を返したことで、玲は驚きに目を見開いた。まさか当人より先に、こんな重要な話をされているとは思っていなかったからである。それが何を意味するのかを察し、玲は頬を叩いて気を引き締めた。

「なんだか思ったより、責任重大みたい……うん、よし、わかった。あたしでいいんなら、話してみてよ」

「ありがとうございます。心強いです」

 どんと胸を叩く玲に、ルルイが微笑みを返す。そして居住まいを正すと人差し指を立て、神妙な面持ちで口を開いた。

「一つは、増長して力を私利私欲のために使うことです」

「いやいやいや!水沢くんに限って、それはないよ!」

 手をぶんぶんと振りながら、玲はルルイの言葉を声高に否定した。付き合いはまだまだ短いが、それだけは断言できると。改まって言い出すのがそんなことかと、玲は少しの怒りを覚えすらした。

「だいたい水沢くん、その力を借り物としか思ってないんでしょ?この前ルルイから聞いたばっかりだよ!」

「ええ。純さんはそんなことはされないと、私もそう思います。ですからこれは、一応ということで」

「一応って…まあ、でも…うーん」

 玲はくしゃくしゃと髪をかき乱し、気持ちを治めようと試みた。実際かなりイラッときたものの、ルルイも悪気はなかったのだろうと無理に自分を落ち着かせた。

「……それで、もう一つの方は?」

「その……ですね。あの」

 ルルイの視線がにわかに泳ぎだす。さっきの仮の話よりも切り出しづらいことなのかと、玲はどんな内容でも落ち着いて対応できるよう身構えた。

「……純さんが必要以上に重圧を感じて、力を上手く使えなくなってしまうのではないか、と」

「あー………それはある、かも」

 全身から力が抜けるのを感じながら、玲は水沢純の人となりを思い浮かべた。知り合ってからまだ一月ほどではあるものの、純が色々と思い悩みやすく、プレッシャーに弱いということは、玲のみならずクラスの大半が気付いていた。

「玲さんも、そう思われますか」

「うん、大いにあるね」

 玲が深々と頷く。ここぞという時は肝が据わるが、普段はちょっとしたことで気に病みすぎる。玲から見た水沢純という人間は、そういう人物であった。

「ブルブとの戦いから、純さんはアニマとしての身体を、殆ど自分の想いだけで動かしています。それを可能としているのは、ひとえに彼が目の前の戦いに全身全霊で臨んでいるからでしょう。そこにもし、どうしても拭いきれない不安や重圧が生じた場合……力を使うことはおろか、戦うことすら満足にできなくなってしまうのではないかと。私は、それが心配なんです」

「んー………」

 玲は目を閉じ、どうすればいいかを考え始める。純の性格を考えれば、ルルイが考えるような事態になることは十分考えられる。しかし、ここまで重要なことを黙っているのもどうかと思った。この手のことを伝えなかったせいで取り返しのつかない事態になる──というのは漫画やドラマフィクションのお約束であるし、何よりやはり罪悪感がある。

「………ルルイ」

 たっぷり数分悩みぬいた末、玲はゆっくりと目を開き、ルルイを真正面から見据えて切り出した。

「……少し、時間もらってもいい?」


 一通り思い返したところで、玲の意識は教室へと帰還した。時計の針は、授業終了三分前を指し示している。

(先延ばしにはしたけど……うーん)

 頭の中がぐるぐるとしたまま、玲は黒板の文字を慌ててノートに取り始める。気付けば最初の方が消されて別の英文が書かれており、後でノートを見せてもらわないとと頭を掻いた。

(次の人が来る前に、答え出さないとなあ…また、来るのかな。やっぱり)

 どうすれば純にとって一番の選択となるのか。授業終了を告げるチャイムに黒板を写す手を加速させながら、玲は重い宿題にため息をついた。

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