第5話「噂のシャドウ」
5-1
青白い太陽が赤い空に昇るアニマの世界。
神殿の始祖の間で、巫女のララナは宙に浮く真円の鏡を見つめていた。鏡は異界へ通じることもなく、ただララナの姿だけを映す。
ごつ、ごつとした足音が耳に届き、ララナが背後へ振り向く。視線の先、闇の中より溶岩のような肌を持つ一人のアニマが現れる。アニマはララナの傍までくると立ち止まり、その場に跪いた。
「ララナ様、只今参りました」
「よく来てくれました、イレイ」
イレイと呼ばれたアニマが顔を上げる。眼窩には紅蓮の炎が灯り、熱い輝きを放っている。
「して、ご用件は」
「始祖様復活のための行動、その方針を変えることになりました。あなたには、新たな作戦の先陣を切ってもらいたいのです」
「なんと、私が…!」
イレイが両手を握りしめる。拳の中で炎が弾け、暗い空間を照らした。
「加減の効かぬ未熟者と言われ続けてどれだけの時が経ったか…このイレイ、今までにないほど胸が熱くなっております!」
「それは心強い。頼もしい限りです」
ララナが妖艶に微笑み、手をかざす。イレイの拳から溢れる炎を掬うように手に取ると、ゆっくりとした動きで握り潰した。
「ところで、その作戦というのは…?」
「ええ……ルルイが見込んだ者、想像以上に手強いようです。あのミタマの力を、アニマでもないのに上手く扱っている様子…油断ならぬ相手です」
「腹立たしい相手です。既に三人もの仲間が手にかけられました…では、私にその者の始末を?」
高ぶる戦意と呼応し、イレイの炎の瞳が爛々と輝く。しかしララナは、目を閉じてゆっくりと首を横に振った。
「あなたの気持ちはよくわかりますが、そうではありません。確かに、まずは邪魔者を排除して……と考えていました。ですが既に三人も返り討ちにあっている以上、無策に被害を大きくするわけにもいきません」
「では、どうするのです!?」
興奮したイレイの身体に亀裂が生じ、そこから炎が噴き出す。身体の内側は、燃え上がる炎そのものなのだ。
「落ち着いてください……ルルイらのことは一旦後に回し、まずは想いの力を集めることを優先するのです」
「馬鹿な!?裏切者を放置することなど、私には我慢なりません!!」
イレイが激昂し、勢いよく立ち上がる。眼窩からは炎が溢れ、さらに大きく裂けた口が開かれた。
「……全ては私の力が至らないがため。鏡界門さえ安定すれば、あなた達を一気に送り出せるというのに……先日無理に繋げた結果、暫くは様子を窺うことすら無理な始末。始祖様に、何と言って詫びればいいのか……」
ララナは鏡をチラと見て目を伏せる。イレイは無自覚に責めてしまったと慌て、身体から噴き出る炎も勢いが弱まった。
「も、申し訳ありません!立場もわきまえず、無礼な物言いを……」
「いえ、いいのです…しかし、あなた達に孤独を強いることは、心苦しくてなりません」
「全てはあの裏切り者、ザルザとルルイが悪いのです!ララナ様が気にされることはありません!!」
ララナの苦しみを想い、イレイの闘志と怒りがさらに燃え上がる。身体の内より溢れる炎で、頭頂部と両手足が包まれた。
「ああ、イレイ……あなたこそ、アニマの戦士の鑑。あなたの様な者がいて、始祖様も大変お喜びでしょう」
「始祖様も…!!」
歓喜に打ち震え、イレイは巨大なる始祖を振り仰ぐ。白い繭に包まれた始祖は、変わらず沈黙を保っている。
「では、改めて命じます……イレイ、鏡界門が安定次第かの地へと赴き、想いの力を集めるのです。始祖様復活に必要な想いの力はあと僅か。あなたの活躍に期待します」
「はっ、承知致しました……ですが、彼奴らも放ってはおかぬはず。もし戦闘が避けられない場合には、如何すれば…?」
再び跪いたイレイが、ララナに問いかける。熱い期待が言外にほのめかされた言葉を受けたララナは、少し間をおいてから口を開いた。
「その時は、あなたの判断に任せます。想いの力を消費することも許可しましょう」
「………!」
ララナの言葉を、イレイは胸中で何度も反芻した。口を紡ぎながらも、高ぶる気持ちは炎となって身体から溢れ出ていた。
「鏡界門が安定するまで、まだ時間を要します。それまで、十分に英気を養ってください」
「はっ!」
立ち上がり深々と礼をした後、イレイは始祖とララナに背を向けて始祖の間を退出した。
「頼みましたよ…全ては、始祖様のために…」
妖しく目を輝かせながら呟かれたララナの言葉は、誰にも届くことなく闇に溶けて消えていった。
* * *
連休も明けた五月の月曜日、櫻木町は普段の様子を取り戻していた。櫻木高校も例外ではなく、思い思いの休暇を過ごした生徒たちが登校して活気に溢れている。
「ふあ……………あ」
普段よりも少し遅い時間に校門をくぐりながら、
「うーん、寝不足……ん?」
昇降口で靴を履き替え、教室へ向かおうとした玲の足がふいに止まった。視線は廊下の壁に設けられた掲示板、その前にできた人だかりに向けられている。入学してから掲示板を見る生徒を殆ど見かけなかったため、玲は興味を引かれて眠気が吹き飛んだ。
「なんだろ………あ、そっか!」
人だかりの理由に思い至った玲が、パチンと指を鳴らす。学校行事や保健の連絡で、これほどの人だかりができるとは考えづらい。となれば可能性は一つ、新聞部による学校新聞である。連休中に部員が特ダネ発見を命じられたという、
(んー、でもそんなに凄い記事って、どんなだろう。もしかして、山口くんのだったりして)
ここまで人の目を引く記事とは如何なるものか。玲は自分の目で確かめるべく、人だかりに飛び込んだ。手を挿し込み足を挿し込み、ようやく掲示板の前に辿り着く。
(さてさて、どんなスクープが………って)
さあどんなものかと顔を上げた玲は、紙面の一番大きな記事を見て絶句した。
(あちゃー……)
目を閉じて額に手を当てた、わざとらしいにも程がある「なんてこったポーズ」を玲の身体は自然にとっていた。いや、しかし、寝不足ゆえの見間違いかもしれない。そんな希望を抱いて恐る恐る目を開いたが、衝撃的な報道は何ら変わることなくそこに存在していた。
『櫻木町に謎の
新入部員の
写真に写るは、激突する二つの異形。片や影が実体化したような漆黒の怪人、片や煌びやかな飾りを纏う細身の怪人。一見すると子供向け特撮作品のワンシーンのようなそれは、しかしどこか確かな現実を感じさせるものがあった。
五月某日に文化センター近辺で撮影されたというその写真について、本文では櫻木町で最近目撃されている怪人の姿であると書かれている。そこから話は大幅に発展し、最終的にはかなり大袈裟な語り口で櫻木町に危機が迫っていることを主張していた。
あまりにも荒唐無稽な内容。普通ならば、記者が人気欲しさにでっち上げたやらせと思われて終わりだっただろう。この記事に関わる、もう一つの記事が載ってさえいなければ。
二年生の部員が書いたその記事には、櫻木町のとある民家から金庫がなくなったこと、その金庫の残骸と思われるものが文化センターの敷地内──問題の写真が撮影された場所──で見つかったことが書かれていた。内容自体は数日前の地方欄にも載った事件だが、一町民の視点という独自の持ち味を持ち、プロにも引けを取らない仕事である。
現実にある場所で一つの事件が起きたのならば、同じ場所で起きたというもう一つの事件も現実なのかもしれない。二つの記事が合わさり、現実と非現実の境界が曖昧になる。それは生徒たちの興味を引きつけるに足る、不思議な魅力を放っていた。
玲は一通り記事に目を通すと、足早にその場を離れて自分の教室へと向かった。何はともあれ記事を書いた本人、そして記事に書かれた張本人に話を聞かなければならない。心が逸り、早歩きが駆け足に変わる。幸運にも誰にも見咎められずに教室にたどり着くと、後側の扉を勢い良く開いた。
「おはよ………う?」
教室に足を踏み入れるや、玲の耳が妙な喧騒を捉える。見れば教室の前側、黒板の前にクラスメイトの半分ほどが集まっていた。黒板には昇降口の掲示板にあったものと同じ学校新聞が貼られており、その前で記者の一人──冬彦が自分の記事を声高々に解説していた。
「───と、俺はそう考えたわけよ」
「山口くん、すごーい!」
「入ったばっかだろ?よくこんだけ書くよなあ」
「まあまあ、そこはほら、俺の隠された才能が花開いた…ってとこかな」
「でもこの
「うぐ…な、なんのことやら、ハハハ」
チヤホヤともてはやされ、冬彦はわかりやすく悦に入っていた。天狗になるとはああいうことを言うのだろうと、玲は一人頷いた。
「おはよう、玲」
「あ、桃ちゃん。おはよう」
窓際の席を立ち近づいてきた
「山口くん、凄い人気だね」
「いつまで続くかはわからないけどね。暫くは、本人が忘れさせないでしょうけど」
「アハハ……あれ?」
桃子の肩越しに、自分の席に突っ伏している
「戸羽くん、どしたの?」
「今朝、岩田先生から何か言われたらしいわ。本人は身に覚えがないって言ってるけど」
「あっ」
「あっ?」
「あ、ア〜…ンラッキー、だったんだねえ。アハ、ハハ…」
ぐしゃぐしゃと髪をかき乱しながら、玲は苦しいごまかしを繰り出す。「その英二は偽者だった」などとは、真実だとしても絶対に口にはできない。さりとて上手い言い訳も思いつかず、玲はただただ桃子が流してくれるのを祈った。
「そうね。あの三人、今日は良かれ悪かれ大変そうね」
思ったより気にされず、玲はほっと胸をなでおろした。しかしふと、桃子の言葉に引っ掛かるものを覚える。
「あの三人…?」
山口冬彦、戸羽英二、そしてあと一人となれば、水沢純に他ならない。肝心の人物を忘れていたと、玲は慌てて教室を見渡した。しかし席には鞄すらなく、冬彦の取り巻きにも、英二の席の傍にもその姿はなかった。
「あの、桃ちゃん。水沢くん知らない?」
「ああ、彼なら」
桃子が教室の前へと視線を向ける。正確には、冬彦の背後、黒板の学校新聞へと。
「
* * *
「ああ、鈴森さん…おはよう」
朝礼十分前。予鈴とともに保健室に駆け込んだ玲を出迎えたのは、ベッドから起きて靴を履き終えた水沢純だった。
「お、おはよう……じゃなくって!」
玲は後ろ手に扉を閉め、純に歩み寄る。身体のあちこちに目を向けるが、特に異常は見受けられなかった。
「倒れたって聞いて、慌てて来たんだけど…大丈夫?」
「倒れたって…大袈裟だよ。ちょっとクラってきただけで」
「………アレで?」
「………アレで」
二人揃って頭に手をやる。人目につかないように気を付けよう──そう改めて思った矢先の出来事に、どう対処したものかと途方に暮れそうだった。
「頭痛い…」
「ど、どうする?帰る?あたし、ノート取るよ?」
「ありがとう…でも、親に心配かけるといけないから」
そう言って壁の時計に目を向ける純。時刻は朝礼開始まであと五分にまで迫っていた。
「行こうか、遅れるし。話はまた後で」
「う、うん…あれ、そういえば先生は?」
「職員室。すぐ戻るから、開けといていいって…いいのかなあ」
ブツブツと呟きながら、純は廊下へと出る。玲も続こうとしたが、視界の端に動くものも捉えて立ち止まった。首を回してみると、戸棚のガラス窓から控えめに手を振るルルイの姿があった。
「ルルイ、いたんだ…どうしたの、そんなところから」
「あ、あまり見られないようにと…とと、すみません。手短に話しますね」
ルルイから妙に真剣な雰囲気を感じ取り、玲は唾を飲んで戸棚に近づいた。
「な、なに?」
「ご内密に、お話ししたいことがあります。後でお時間をいただけないでしょうか?」
「………あたしだけに?」
「はい。玲さんだけに、です」
思いがけぬお願いを受けて、玲は目をパチクリとさせた。
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