4-4
戦いは決着した。
崩れ落ちたネネコの身体から、二つのミタマが宙へと浮かび上がる。
純はコンパクトを手に取って開くと、文化センターの窓ガラスとミタマとが一直線上に並ぶ位置に立った。
「これを…こう、か」
コンパクトをかざし、窓ガラスとで合わせ鏡を創り出す。間に浮いていたミタマの一つに合わせ鏡から光が放たれ、その存在を世界からかき消した。
「これで、いいんだよね?」
「はい。ネネコのワザミタマ、確かに回収しました」
「そうか…あ!でも、奪われたものは…」
「それなら、大丈夫なはずです。このミタマの力は、奪い、放さないもの。二つに分かたれたことで力を失い、盗られたものはあるべき場所に返っていくでしょう」
「そ…っか。よかったあ…」
ルルイの言葉を聞いて安堵し、純の身体から力が抜けて地面に座り込む。
「あ…あなた達…憶えてなさい…いつか全部、全部奪ってあげるから…!」
一つ残されたミタマ──シシミタマから、ネネコの恨み言が発せられる。弱々しく明滅するミタマはそれだけ言い残すと、瞬く間に純の視界から飛び去った。
「………ッ、しまった!僕のことが向こうに!」
「それなら、大丈夫です」
急いで立ち上がろうとする純を、ルルイが制する。純は手の内のコンパクトと、ネネコのミタマが飛び去った方を交互に何度も見た。
「で、でも」
「いえ、これは絶対です………安心してください」
「………わかった。そこまで、言うなら」
落ち着いた、少し沈んだ声でルルイが純の言葉を遮る。
ルルイの様子にどこか悲愴なものを感じ取った純は、ネネコを追おうとする気持ちを抑え、ゆっくりと立ち上がった。
「…ところで純さん、その目元のそれは、一体…?」
「え?ああ、これ。僕もよくわからないんだけど、これのおかげで、見たかったあいつの本当の姿が見えてね。だから、戦えたんだ」
純は自分の目元を覆うバイザー状のものに指先で触れる。役目を終えたそれはカシャンと音を立て、上にスライドするように目元から消えた。
「あれ、なくなった…」
「…あの、もう一つ。私の身体を固定していたことですけど」
「あー…そっちは、なんだろう。よく覚えてないんだ。ただ、このあいだみたいにできたらいいのに、って想ってたかもしれない。もしかして、元々できたことなのかな」
純は借り物の力について想いを馳せる。この力の本来の持ち主は、ルルイが知っている以上になんでもできたのではないかと。だとすれば、これからの戦いもなんとか乗り越えられるかもしれない。純は胸に手を当て、今は亡きミタマの持ち主に感謝した。
その一方で、ルルイは純の言葉を聞いて押し黙り、思考の渦中にいた。彼が行使したミタマの力が、彼女にはどうしても理解することができなかったのだ。自分を納得させられる理由を探し、静かに考えを巡らせる。
(やっぱり、おかしい。彼にしてもそうだったけど、あまりにも…)
「………ああっ!!」
「ひゃあ!?」
静かに立ち尽くしていた純が、突然大声を上げる。考えに耽っていたルルイは、いきなりのことに鏡の中で身体を震わせ、素っ頓狂な声を発した。
「ど…どうしたんですか?」
「山口くんのカメラ…ベンチに置きっぱなしだ」
冬彦が兄からの借りた高価な代物。自分と英二──本人ではなかったが──に託された後、ベンチに置き去りにされたそれの存在をふと思い出し、純の胸には強い不安が生じていた。急いで立ち上がり、来た道を戻ろうと足を進める。しかし数歩進んだところで純は立ち止まり、後ろを向いて逆方向へと走り出す。より人の少ない裏道を通ることで、目撃されることを避けようとしたためだ。
「盗まれたりしてないといいんだけど…」
敷地の端ギリギリの細い場所を駆けながら、純はカメラの無事を祈った。
「そ、そんな…」
元の姿に戻り、上手く誰とも鉢合わせずにベンチへと戻った純は、目の前の現実に絶望して膝を折った。ベンチの上には昼食時のゴミが入れられたビニール袋だけが残された、カメラバッグは跡形もなく消え去っていたのである。
「ど、どうしよう…山口くんになんて言えば…」
頭を抱えてうずくまる純。謝罪、弁償、借金、労働…そういった言葉が次々と頭の中に湧き出し、迫り来る暗い未来に気が遠のいた。
「よっ」
「うわあああっ!?」
軽い声と共に肩に手が置かれ、純は身体が大きく跳ねる。バッと背後に顔を向けると、そこには冬彦が驚きに目を見開いて立ち尽くしていた。
「そ…そんな驚くか?普通」
「や、山口くん…あの、実はその、カメラが…って」
純はどう謝罪したものかと考え始めたが、それはすぐに中断された。冬彦が肩にカメラバッグをかけていることに気付いたからだ。
「あの、それ」
「それ、じゃねえぜ。高いって言っただろ、これ。ったく、二人していなくなりやがって…どっちも電話繋がんねえし、捜したんだぜ?」
「ご、ごめん…あの、実は戸羽くんなんだけど」
「ま、いいや!実はな、お前らがいない間に、すんげえもん撮っちまったんだ。ヘヘへ…」
純の言葉を遮り、冬彦は満面の笑み声高々に話した。優しい手つきでゆっくりとカメラバッグを撫で回す姿を見て、純は無意識に後ずさった。
「へ、へえ…それは、よかったね」
「おう!で、これから俺、帰って記事書くから。悪いけどお前らのはボツってことで、英二にゃ上手く言っといてくれ。じゃな、頼んだぜ!」
冬彦は一気にまくし立てると、くるりと後ろを向いて駐輪場へと駆けていった。
声をかける間もなく立ち去られ、純はポカンとその場に立ち尽くす。
「純さん…あの、純さん」
「え…あ、ごめん。なに、ルルイ」
ルルイの声で我に返り、純はコンパクトを取り出して顔の前で開く。鏡の向こうでは、ルルイが眉をハの字にして、心配そうな表情を浮かべていた。
「いえ、その…冬彦さんが、電話が繋がらないと仰っていたので。大丈夫とは思いますが、あのお二人の無事を確認した方がいいのでは…と」
「………あっ!!」
最も肝心なところを失念していたことに気付き、去りゆこうとしていた不安がさらに強くなって純の胸へと戻る。顔は青ざめ、冷や汗が流れ出し、心臓の鼓動は戦いの最中のように高鳴り始めた。
「るっ、るる、ルルイ。が、学校の様子を見て、くれるかな……僕も、行くから、今」
「お、落ち着いてください…!」
純は頭を左右に何度も振り、混乱しかけた思考を幾らか落ち着けると、ビニール袋を引っ掴んで慌ただしく駆け出した。
先程まで激闘が繰り広げられていた市民ホールと体育館との間に数人の職員が駆けていったが、余裕をなくした純と、学校の様子を探り始めたルルイがそれに気付くことはなかった。
* * *
アニマ世界の神殿、その中枢部。
巨大な始祖の足元で、ララナは正面に浮かぶ真円の鏡に手をかざし、精神を集中させていた。鏡に映る像は奇妙な紋様を描くように絶え間なく歪み続ける。短くない時間が経過した後、像の歪みが収まり、正面に立つララナの姿を映す。鏡像のララナの背後には不可思議な光を放つ空間の穴のようなものが存在し、その中から弱々しく輝く珠が姿を現した。その珠──ネネコのシシミタマは鏡面を通り抜けると身体を形作り、神殿の床に倒れ込む。先に謁見した際の光沢はなく、蹴り砕かれ崩れ落ちる直前の仮初の身体のようであった。
「ラ、ララナ様………」
弱々しくアニマの巫女の名を口にするネネコ。
ララナは助け起こす素振りなど全く見せず、無感情に横たわる同胞を見下ろした。
「あまりに必死で呼ぶので門を開いてみれば…一体どうしたというのです、その様は」
「そ、それは……それ、は───」
ララナの問いに答えようとするも、ネネコの言葉はすぐに途切れてしまう。自分を見下ろす顔を見上げ、固まったように動かない。
「どうしました?」
「───お、思い出せない。憶えてない」
何を言おうとしたのか。そもそも何があったのか。ネネコが探る記憶の中に、それは存在しなかった。
「…でしょうね。あなたはそういう存在ですから」
呆然とするネネコを見下ろしながら、ララナは少しも態度を変えることなく、平然としたまま口を開いた。
「それは…どういう、こと?」
「あなたの心は、欲し、奪う力のワザミタマに合わせて創られたもの。全てを欲し、全てを奪う存在。それ故に、自分自身のものは何一つ持てない。ワザミタマの無い今、あなたはじきにその欲求以外を全て失くすでしょう」
淡々と告げられる事実を受け入れられず、ネネコの思考は混乱の闇の中に沈んでいく。必死に床を這い、ララナの脚に縋りつく。
「そんな…う、嘘だと言ってください、ラ───ラ、ラ?」
目の前に立つ者の名前が、ネネコの記憶から突然消える。忘却はそこから一気に加速し、すぐに何かを口にできる状態ではなくなった。
「思ったより早い…いえ、持ったという方が正しいですね。ガンガの記憶も、向こうの世界に置き去られたのは残念ですが……敵が油断ならぬ相手だとわかっただけ、良しとしましょう」
ネネコの手を振り払い、ララナが歩き出す。意識は既に目の前に立ちはだかった障害について向けられ、打開策を練り始めていた。もうすぐ始祖の間から出ようというところで、思い出したように立ち止まり、ララナはネネコの方を振り返った。
「ご苦労様でした。暫くそうして休んでいなさい」
それだけ告げると、ララナは始祖の間を後にした。
ネネコはやがて自分の名前すら忘れ去り、意識は胸に湧き上がる渇きに塗りつぶされる。あらゆるものを欲しながら、ネネコはそのまま動かなくなった。
* * *
「大変だったんだねえ」
自室のベッドでくつろぎながら、玲は率直かつ簡潔に感想を述べた。姿見の中では、ルルイが複雑な表情を浮かべながら椅子に座っている。
時刻は午後七時。桃子と別れて夕方に帰宅した玲は、暫くしてルルイの訪問を受けた。それから今日起きた出来事について話を聞き始め、現在に至っている。
「そう、一言で片付けられると、その」
「ごめんごめん。確かに悪かったね」
玲が両手を合わせてルルイに詫びる。ルルイはルルイで、そこまで責めるつもりではなかったと、慌てて手をぶんぶんと振った。
実際、ルルイが玲の反応を気にするのも無理はなかった。
冬彦と別れた後、純とルルイは急ぎ学校に向かった。校内に忍び込み、階段下の倉庫──中が暗闇だったために発見が遅れた──に気を失ったまま閉じ込められていた英二と姫路を発見。気付かれないよう細心の注意を払い、姫路を職員室に、英二を保健室に運び込んだ。気が付いた英二をあれやこれやと言いくるめて帰路に就かせ、全てが終わった時にはもう夕方になろうとしていた。
心身共に疲れ果てた純は、コンパクトを返すのは後日にしてほしいという伝言をルルイに託し、自宅へと帰ったのであった。
「でも、水沢くんが本当に疲れてた、ってのはわかったよ。伝言もなにも、電話すればいいのに、思いつかなかったみたいだし」
「それは…言われてみれば、確かにそうですね。この間、番号を交換されていましたし」
二人は向かい合ったまま、急におかしな気持ちになり、静かに笑い出した。
「でも、山口くんの言ってた凄いものって、なんだったんだろうね」
「さあ、そこまでは。私もあの時は、周りを気にしている余裕はなかったので」
「ふうん…でも本当に凄いものだったら、休み明けに学校で見られるだろうし、気長に待とうかな」
玲はベッドに横たわり、両腕をぐいと伸ばす。休み明けにも楽しみができてよかったと、顔が自然とほころびた。
ルルイは玲の様子を見て微笑ましい気分になったが、先程の会話で気になっていたことを思い出して眉をひそめた。
(気にして…そう、気にしていた。考えていた。純さんが見せる力について)
純が今までに見せたアニマの力、そして昼に彼が言っていた言葉を改めて思い出し、ルルイはやがてある可能性に思い至る。
(いや…でも、そんなことが…?)
自分の考えが信じられない、しかし確信しているのも否定できない。ルルイはこれからどうするべきか、静かに悩み始めた。
* * *
玲とルルイが会話していたのとほぼ同時刻。
冬彦は自宅に帰ってから書き続けていた記事の原稿を、いよいよ書き上げようとしていた。兄から借用しているパソコンの画面に表示された枠には、中央を見出しのスペースを除いてびっしりと文字が入力されていた。
「あとは、これを…っと」
カメラから転送された写真の画像が、記事のど真ん中に張り付けられる。最後に見出しが入力され、遂に記事は完成した。
「よし、できた!いやー、これで一面はいただきだな!」
校内新聞が一面しかないことを忘れ、冬彦は悦に入る。入部から一ヶ月足らずでここまでのものが書けるとは。冬彦の胸は、未だかつてない自信で満ち溢れていた。
「冬彦、夕飯だぞ!」
「へーいへい。今行くって」
夕食を知らせる兄に上ずった声で答えると、冬彦は椅子から立ち上がり部屋を後にした。
点けっぱなしにされたパソコンの画面。その中央に表示された画像には、ぶつかり合う二つの異形の存在が映されていた。
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