4-2
「はぁ…一年分ぐらい人に話しかけたかもしれない」
時計の針が十二時を指そうかという頃、
「収穫は…いいような、悪いような」
メモ帳に書き込んだ話に改めて目を通しながら、純はそれらを自分の記憶と重ね合わせて眉間にしわを寄せた。
「尾ひれがついてるのはほとんどない、かな」
純は周りに人が少ないことを確認すると、スマートフォンを取り出してそのまま耳に当てた。
「ルルイは、何か思うこと、ある?」
会話の相手は電波の向こうではなく、画面の向こうのルルイである。
「そう、ですね…強いて言えば」
「強いて言えば?」
「…その、気をつけなさすぎだったかと」
「そう、だね…」
はあ、と二人揃ってため息をこぼす。
聞き込んだ話の中で一番多く登場していたのは、他でもない純─が変身した黒い姿─であった。
ガンガは姿を隠しており、目撃者も大半が記憶が不鮮明な状態。ブルブは身体を幾度も乗り換え、それらが暴走車事件として一纏めにされている。
そのため、一つの存在としては純の目撃情報が最も多いのは当然であった。
「たった四回でこれじゃ、これからどうなるか…」
そう呟きながら、純は首をゆっくりと傾げた。
記憶を掘り起こしながら幾度か指折り数え、最後に必ず残る一本を見て、傾げた首を元に戻す。
「ルルイ、ちょっと聞きたいんだけど」
「はい、なんでしょうか?」
「その、アニマって、もっと大勢で来たりしないのかな?一人ずつ来てるみたいだけど」
「ああ…そのあたりについて、説明ができていませんでしたね」
言葉と同時に、ルルイが両手を叩き合わせる音が純の耳に届く。
「通常は、多くのアニマが別の世界へと赴き、始祖に捧げるエネルギーを集めます。しかし今、我々の世界とこの世界とを行き来することは難しい状態なんです」
「難しい?その、二つの世界が近づいた…というか、行き来できるから来てるんじゃないの?」
初めて会った時に聞いた話を思い出しながら、純は新たな疑問をぶつける。
「近づいたといっても、それぞれは独立した状態なんです。もし何の苦労もなく行き来できるような状態ともなれば、それこそ二つの世界のバランスが崩れて何が起きるかわかりません。まあ、通常ありえないことなのでそれは置いておきますが…ここまではよろしいですか?」
「あ、うん。大丈夫…かな。つまりその、二つの世界が近づいた時に、さらに何かをする必要がある、ってこと?」
「その通りです。橋をかける…という比喩がわかりやすいでしょうか。二つの世界の間に、それぞれに干渉する三つ目の世界を創り出し、そこを経由することで行き来を可能とするんです」
純はなんとか理解しようと頭の中で図を描こうとし、少し離れた二つの丸のそれぞれに三つ目の丸が重なるイメージを思い浮かべた。
先日数学の教科書で似たようなものを見たな、と思考が脱線しかけ、純は数回頭を軽く叩いた。
「ど、どうしました?」
「ごめん、気にしないで…でも世界を創るなんて、そんな凄いことまでできるんだ。じゃあ、今はそれが難しいってことなのかな」
「はい。私がここでこうしている限り、大規模な移動はほぼ不可能です」
「………わたし?」
「ええ。二つの世界の架け橋は、私が今いるこの鏡面界ですから」
「………えぇっ!?」
驚きのあまり、純は大声を上げながら立ち上がる。数名の客から妙なものを見る目を向けられたが、それを気にする余裕はあまりなかった。
「き、君が異世界侵攻の要だったってこと?」
ゆっくりと座りながら、純は小声でルルイに問いかける。
「はい。その通りです」
「そ、そうなんだ…びっくりした…あれ、じゃあ今はどうやって?」
「今二つの世界を繋いでいるのは、ララナというアニマの力でしょう。彼女は始祖の側近であり、あらゆるアニマの力を使えると言われていますから」
「あらゆる…!?」
驚愕の情報をさらりと告げられ、純は息をのんだ。
「とはいっても、その分それぞれの力は弱いんです。彼女では、アニマ一人が通れるだけの通路を一時的に維持するのが精々でしょう」
「そうなんだ…ありがとう。色々と驚いたけど、今どういった状況なのか、ちゃんと知れてよかったよ」
「すみません、説明が遅れてしまって」
「いや、いいよ。でも、ルルイがそんなに凄かったとは思わなかった。
「そうでしょうか…
「うん、だと思うよ。葉月さんと…」
純は休憩スペースの窓から玲が出かけた方角へ視線を向けた。
(葉月さんにも見られてるけど…鈴森さんに、何か頼めばよかったかな)
* * *
「っくしゅ」
ショッピングモールの一角で新しい服を探していた玲は、唐突にくしゃみを出した。
手にしていた服は、直前で首を真横へを向けたことでからくも守られた。
「玲、風邪?」
後ろから服を見ていた
「あ、大丈夫。埃とかだと思う、多分」
差し出されたティッシュを手で制すると、玲は吟味していた服を元の場所へと戻した。
「そう。ところで、聞きたいことがあるんだけど」
「ん、なぁに?」
話を聞きながら、玲の視線は次の服を求めてあちらこちらへと忙しく動き回る。
「この間のメールに書いてあった、『助け』って誰のこと?」
「ぅあっ」
桃子の思わぬ一言に素っ頓狂な声を上げると、玲は急いで視線を桃子の方へと定めた。
「め、めぇる?どーだったかなー…あ、あの時はあたしも慌ててて…」
玲はくしゃくしゃと髪をかき乱しながら、視線をあちらこちらへと泳がせた。
「でしょうね。あれ以外、どこにも連絡してなかったんじゃない?」
桃子はさして気にした様子も見せず、淡々と返した。
「そ、そうだね…うん。ごめんね…あの、桃ちゃん、怒ってる?」
「いいのよ。あなたも慌てていたでしょうし」
桃子はそれだけ言うと、玲から少し離れて陳列された服の方へ視線を移した。
玲は声をかけたものかとしばし迷ったが、何を言えばいいかわからずにその場で立ち尽くした。
「ねえ、玲」
玲に背を向けたまま、桃子が口を開く。
「な、なに?」
「テレビや映画で見るようなヒーローが実際にいたとして、それってどんな人だと思う?」
「ええっ?えーと、ね…」
普段の桃子なら言わないような質問をいきなりぶつけられ、玲は頭に手をやりながら考え込む。
「……優しい人、なんじゃないかな」
「そう」
10秒ほど経ってから出した玲の答えに、桃子はただ一言短く返した。
「そろそろお昼にしましょうか。荷物はかさばるから、買うのはまた後でね」
「そ、そうだね、そうしようか!」
桃子の提案を受けて、足早に店を出る玲。
桃子は溜息を一つついてから、ゆっくりと玲の後を追った。
* * *
「…あの、純さん。私からも聞きたいことがあるのですが」
窓の外へと視線を向けたまま固まっている純に、ルルイがおずおずと声をかける。
「聞きたいって、僕に?」
「はい。この間の、ブルブを追っていたときのことなのですが」
「あの時の…えっと、どのこと?」
「あの…なんといいますか、妙な走り方をされていませんでしたか?」
「走り方?うーん…」
純は眼を閉じ、額を指で叩きながら記憶を掘り起こそうとする。
「……あっ、フォームが変だったとか?」
「いえ、そういう意味ではなく」
バッサリと切り捨てられ、再び熟考のポーズへと戻る純。
「うーん…なにせ必死だったから、細かくは覚えてないんだ。ただ、速く走ろうとだけ思ってた気がする」
(速く走ろうと、思った…それだけ?)
ルルイは、自らもブルブを追っていたときのことを思い起こした。
あの時の純は、直前に測定した時よりも遥かに速く走り、その速度では到底曲がりきれないであろうカーブをほぼ直角に抜けていた。
これまで数多の世界を見てきたルルイだったが、あのような不自然なことを自然に行う存在は一度も目にしたことがなかった。
(あれは間違いなく、アニマの力が働いていたはず。でも、ザルザは特別足が優れていたことはなかった…武器を創り出したり、身体以外のものを変化させたり、一体なんなの…?)
ルルイは言葉を返すことも忘れ、思考の渦に飲まれていく。
急に黙り込まれたことで、純はにわかに不安を募らせた。
「ルルイ、あの」
純がルルイに声をかけようとした瞬間、スマートフォンが小刻みに震えはじめた。
耳から外して画面を確認すると、そこには電話の着信を示すマークと
「あっ、ごめん。電話だから、ちょっと待ってくれる?」
「あ…ええ、どうぞ」
「ごめんね…はい、もしもし」
『おう、純!今から三ツ木公園まで来てくれ!なんかすげーもんがあるんだよ!』
電話に出るや否や、スピーカーから冬彦の興奮した声が飛び出した。
「凄い、もの?山口くん、それって?」
『いや…なんか、よくわかんねーんだけど…とにかくすげーんだって!じゃ、待ってるからな!』
「どうされたんでしょうか」
「とにかく、行ってみよう。さっきの話は、また後で」
「はい…純さん、胸騒ぎがします。急ぎましょう」
純はルルイの言葉に首肯を返すと、足早に休憩スペースを後にした。
総合スーパーを出て十数分、純はその名の通り三本の木がシンボルの三ツ木公園にたどり着いた。
「あれかな…」
純の視線の先、木の一つの下に十人ほどの人だかりができていた。
「おう、こっちだ!」
純の姿を見つけた冬彦が、手を挙げて自分の位置を知らせる。
「ごめん、待たせちゃって」
純は足早に冬彦へと駆け寄ると、いるであろうもう一人の姿を探して辺りを見回した。
「戸羽くんは?」
「ああ、あいつなら一回家に戻ってから学校に行くってさ。私服だからって体育の岩田に追い返されたんだとか…んで、こっちにゃ来ないそうだ」
純は野球部の顧問でもある屈強な体育教師の姿を思い出し、少し身震いした。
「大変だったんだね。で、こっちには何が?」
「いや、その何かがわかんねーっつーか…」
「ええ?」
「ま、見てくれよ。そしたらわかるって…あ、いや、わかんないんだけどな」
冬彦の言葉に従い、純は人だかりの向こうにあるものへと視線を向ける。
そこには、数十センチメートルほどの白い何かが転がっていた。
「これは…なん、だろう」
「な、わかんねえだろ。誰もそれがなにかわかんないんだ」
純は冬彦の言うことをようやく理解した。
地面に転がる白いそれは、形も大きさもぼんやりとしか認識できず、何であるのか、何に似ているかすらもわからなかった。
集まった野次馬も皆同じなのか、見下ろしてはいるものの、誰も手を出そうとはしていない。
「………っと、そうだ写真だ写真」
冬彦は遊具の傍に止められた自転車の前カゴからカバンを手に取り、その中からカメラを取り出した。
「へへ、凄いだろ?兄貴から借りてきたんだ。高いから丁寧に扱えってうるさかったけどさ。いい記事のためにはいい写真がなくっちゃな…っと」
ストラップを首にかけながら、白い物体へと歩み寄る冬彦。
純は冬彦の言葉を半分ほど聞き流しつつ人だかりから離れ、スマートフォンを取り出して耳へあてた。
「…ルルイ、心当たりは」
「あります」
純の言葉を遮るようにルルイが即答する。
「…今度は、どんな?」
「ネネコ、というアニマです。彼女の特技は盗むことです。おそらくあれは、彼女に姿を奪われた何らかの生物でしょう」
「奪う…姿を?」
「正確に言えば、そうですね…同一性、アイデンティティー…そういったものになるでしょうか。単なる外見だけでなく、存在の一部を切り取られるような…ええとですね」
思うことを上手く言い表せず、ルルイが徐々に言葉を詰まらせる。
「なんといいますか…ざっくり言えば、自分らしさ、ですね。ネネコはそれを奪って自分のものにすることで、どんな生物にでもなりきれるんです」
「ちょ、ちょっとよくわからなくて大体の雰囲気だけど…それで、あれが生物だとしたら大丈夫なの?」
「彼女の能力でも、命までは盗めないと聞いたことがあります。ですが、自己の存在が希薄な状態が長く続けば、やがて死に至るでしょう。早急に手を打たなければなりません」
「そうか…じゃあ、早くそのネネコってアニマを探さないと…ああ、でもどこにどんな姿でいるかわからないんじゃなあ…」
取るべき行動が思い浮かばず、純は頭を抱えた。
(しかし、一体何のために…いえ、どう考えても目的は私達二人に他ならない。彼女は今、あれの姿を自分のものにしているとして…狙いは?そして、どこへ?)
ルルイは敵の目的を推し量りながら、鏡面を通して町内の様子を探り始めた。
* * *
「………はぁ」
櫻木高校の職員室で、
「仕事、仕事でお休み返上。わかってはいたつもりだったけど、やっぱり辛いわね、先生のお仕事…まあ、今回は頼まれちゃったからだけど…」
姫路は椅子から立ち上がり、ぐいと大きく体を伸ばす。
作業に戻るため椅子に再び腰掛けようとしたとき、にゃあ、と小さな鳴き声を耳にした。
聞こえた方へと顔を向けると、換気のために開けておいた窓の枠に黒猫が佇んでいた。
「…猫?」
姫路は周りに誰もいないことを確認すると、ゆっくりと窓の方へ近づいていく。
「お…おいで、おいで」
手を差し出しながら、驚かせないように小声で黒猫に呼びかける。
黒猫は窓枠から職員室の床へと降りると、そのまま跳び上がって姫路の胸へと飛び込んだ。
「わっ、わっ、わっ」
予想外の行動に慌てながらも、なんとか黒猫を受け止める姫路。
「あ…あは、かわいい…」
姫路の腕の中で、黒猫が再びにゃあと声を上げる。
両手で触れた毛並みの感触に、姫路は思わず表情を緩ませた。
「それにしても、人懐っこいわね。首輪はないみたいだけど、飼い猫かし」
ばたり、と職員室の床に白いものが倒れる。
その上に馬乗りになった姫路は、そのまま指を額へ当て深く集中した。
「…あら、まさか一発でアタリを引くなんて、ついてるわ。ここを知っていたあの子には感謝しないと」
姫路は立ち上がり、机の上に置かれた一年二組の名簿を開く。
出席番号の順に名前をなぞる指が、ある生徒の名前の上でピタリと止まった。
(ミ、ズ、サ、ワ…ジュン。ミズサワ・ジュン。それが、彼の名前)
姫路───否、姫路の姿をしたネネコは、内心でほくそ笑んだ。
(ガンガの記憶にあった顔、服装、声、その他諸々と一致。これで敵の身元は掴んだ。じきに私のことはルルイから伝わるとして、ここからどう隙を作るか…)
ネネコはふうとため息をつくと、机の上のカップに残っていたコーヒーを戯れに飲み干した。
「ところで…お休みの学校で何をしているのかしら?」
ネネコはゆっくりと扉の方を向き、隙間から覗く瞳へと視線を合わせた。
「駄目じゃない、用もないのに休日に学校に来ちゃ」
姫路里美の姿、声、口調で話しながら、ネネコは扉の前へと歩いていく。
「それとも、何か大事な用事でもあるのかしら」
ネネコは自然な動作で扉を開け、廊下にへたり込む
「さあ、先生に話してみて………戸羽くん?」
見慣れた見知らぬ女に微笑まれ、英二は生まれてから一番大きな悲鳴を上げた。
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