第4話「無貌の秘盗」
4-1
赤い空に青白い太陽が輝くアニマの世界。
その中心たる廃墟群の中で一際大きな構造物が、アニマにとっての始祖が鎮座する神殿である。
神殿の中枢部、白い繭のようなものに覆われた始祖が佇む空間で、深緑のローブを纏うアニマ───ララナは一人、現在直面している問題について考えを巡らせていた。
(ガンガに続きブルブまでも…使い手が変わっても、やはりザルザのワザミタマ。その力、侮るべきではありませんでしたね)
ララナは落ち着きなく、全高二十メートルはあろう始祖の足元を右往左往する。
(あちらでの出来事について、ガンガもブルブも最低限のことしか話さない…自尊心のためか?人選を誤ったか…)
ララナは指示を乞うように始祖の体躯を見上げる。そのまましばらく見つめていたが、やがて首を横に振って顔を伏せた。
「…許可も無くこの間に入るとは、何用ですか」
顔を伏せたまま、ララナが問いを投げかける。
その言葉に答えるように、暗闇から一人のアニマが足音も無く歩み出た。
「唯一始祖と対話できる巫女殿も、此度は随分とお悩みのようで」
姿を現したのは、様々な光沢を見せる細身のアニマである。その身体には特筆すべき特徴や装飾はなく、ただ首と腰に薄手の布が巻かれている程度だ。
「何用ですか、と聞いているのですよ、ネネコ」
「これは失礼を」
ネネコと呼ばれたアニマは特に悪びれもせず歩を進め、ララナの目の前で跪いた。
「他でもない、ララナ様が抱えておられるお悩みのためです」
「ほう?」
「裏切者とはいえ、我らアニマのミタマが好きに扱われているのは良い気がしません。そこで、ここは私が一肌脱ごうかと」
「できるのですか?あなたに」
「私の、アニマ一の盗みの腕にかかれば容易いこと」
「…そうでしたね。では、正式に命じます。ネネコ、かの世界へと赴きルルイを捕らえ、ザルザのミタマを奪い返してくるのです」
「はっ、お任せください」
立ち上がり、一礼して踵を返すネネコ。
そのまま再び闇の中へ消えようとして、ふと立ち止まりララナを振り返った。
「ララナ様、作戦遂行のために……あの二人から少し、頂いてもよろしいでしょうか?」
「…構いません、好きにしなさい」
「フフ…では、吉報をお待ちください」
ララナの了承を得ると、ネネコは今度こそ闇に姿を消した。
「…今度こそ、上手くいくといいのですが」
不安を拭い切れず、ララナは縋るように始祖の姿を見上げた。
* * *
四月末からの大型連休も平日を挟んで折り返しに入った日、手持ちの服で一番のお気に入りを着た
「ふっふふーんふ、ふっふふーん、ふーふん」
最近耳にした曲の鼻歌交じりに、首に巻いたシンプルな飾りのチョーカーをいじる。
「玲さん、ごきげんですね」
飾りの向こう側から、ルルイが声をかける。
「なんたって連休だからねー。最近ドタバタしてたから、久しぶりにおもいっきり楽しめるとなると、ついつい」
両手を組んで、ぐいと真上に伸ばす玲。
「そう…ですね。確かに色々とご迷惑を」
「もー、そっちも好きでやってるんだからいいの。今日はルルイにも色々と見てもらうつもりなんだから、一緒に楽しも?」
「…では、お言葉に甘えて」
「そうそう、それでいいの…って、あれ?」
ちょうど駅のロータリーに入ったところで、玲の足が止まる。
「どうされました?」
「いや…あれ、水沢くんじゃない?」
玲が目立たぬよう小さく指差した先に、視線を向けるルルイ。そこに、駅の出入り口前で通行人に話しかけようとしては断られている
「確かに純さんですね。でも、何をされてるのでしょうか」
「それは…直接聞いてみよっか。おーい、水沢くーん」
近寄りながら手を振って声をかける玲。
純はその呼びかけに気付くと、小走りに近寄っていった。
「鈴森さん、おはよう…いや、こんにちは、なのかな。ルルイも一緒?」
「うん。ほら、ここ」
玲がチョーカーの飾りをトントンと指で小突く。
飾りの中にルルイの姿を見て、純は小さく手を挙げた。
「こんにちは、純さん」
「桃ちゃんと遊びに行くから、こっちの見学も兼ねてついてきてもらおうと思って。水沢くんは何してるの?」
「えっと、実は───」
一時間ほど前、
「で、なんだよ急用って。くだらない用事だったら帰るからな」
「山口くん、連休は忙しいって聞いてたけど、どうかしたの?」
「まあ落ち着けって。今話すから」
二人を両手で制して落ち着かせると、冬彦はゆっくりと口を開いた。
「実は……取材を手伝ってもらいたい」
「よし、解散。休み明けに学校でな」
「いやいやいや、いきなり帰るなって!」
回れ右した英二の首根っこを冬彦が慌てて掴む。
「部員全員、休み中に一つでかいの書けって命令なんだよ!今度、バーガーチャンピオン奢るからさ。な?」
「チャンプなー、最近行ったからなあ…わーったよ。今日だけだかんな」
「マジか!サンキュー!」
冬彦は英二を掴んでいた手をパッと放し、小さくガッツポーズを作る。
「あの、僕はいいけど、でもそういう貸し借りはあんまり…」
「もらっとけもらっとけ…で、当てはあるんだろうな?」
「よくぞ聞いてくれた!実は、まだ誰にも言ってないんだが…」
冬彦の勿体ぶり方をわざとらしく思いつつも、英二と純は思わず息をのむ。
「この町は今………怪物に襲われている」
「はぁ?」
「えっ!?」
冬彦の突拍子もない言葉に、英二と純がまるで違った反応を示す。
「おっ、それそれ!そういうリアクションが欲しかったんだよ純!英二はわかってないよなー」
「いやいやいや。おい純、わざわざ乗ることないぜ。どうせでっち上げだ」
「えっ、あっ、いや…いきなりで、驚いちゃって」
純はあくまで知らない素振りを装いながら、できるだけ自然なように振る舞う。
「だーもう、嘘じゃねーって!最近、この町で色々起きてるのはお前らも知ってるだろ?」
「そりゃ、まあ…な。神隠しだの、犯人不明の暴走事件だの」
「それにあんまり噂になってないけど、うちの学校で鏡に映る謎の少女ってのもある」
「ぅえっ!?」
予想外の言葉を二連続で耳にし、純は先程よりも大きな声を上げた。
「おい、またどした?」
「あ、その、初耳だったから…ハハハ」
その少女ならよく知ってる、などとはとても言えず、純はとりあえず笑って誤魔化した。
(今度からはもっと気を付けてもらわないと…いや、僕が何か考えるべきかな…)
純は二人との会話を続けつつ、頭の片隅で今後の対策を考え始めた。
「で、ここからが本題なんだが…実は見たんだよ、怪物。神隠しが解決した日に、ちょうどこの場所でな」
「この場所で…?」
冬彦の言葉で公園を見渡し、純はようやく思い出した。
ルルイのコンパクトを狙うガンガが冬彦を追いつめたのが、ちょうどこの公園だったのだ。
(そういえば、あの時に見られてたんだっけ…)
当時余裕が無かったことと、直接聞けることでもないためいつの間にか忘れていたことを、純は今更ながら後悔した。
「で、一応聞くけど、どんな奴だったんだ?」
一人情報を持たない英二が、半ば疑いながら冬彦に問う。
「ミイラ男みたいな怪物と…それと戦ってる、黒い影だ」
「影?影ってなんだよ」
「ミイラ男の方は、なんでか俺を追って来てたんでちゃんと憶えてんだけど…黒い方はこう、バッ!と出てきてザッと!走ってったからなあ。よくわかんなかったんだよ」
大袈裟かつ大雑把なジェスチャーで当時の様子を再現してみせる冬彦。
しかし英二にはまるで伝わらず、首を大きく傾げさせることになった。
「お前、そんなあやふやな情報で俺たちの休日を潰す気か…?」
「ま、とにかくそんな感じの話ならなんでもいいから!俺はこの辺り調べっから、二人も適当に頼むわ!じゃ、頼んだぜ!」
言うが早いか冬彦は公園の入り口へと向かい、停めてあった自分の自転車に乗ってあっという間に走り去った。
「…はぁ、仕方ない。俺たちも適当にやるか」
「そ、そうだね」
「そんじゃ…俺は学校かな。確か、姫ちゃん先生が用事で出るとか言ってたし、部活に行ってる知り合いに効いてみる」
「じゃあ僕は…駅の辺りにしようかな」
「よし、決まり。途中まで一緒に行こうぜ」
「うん」
二人はゆっくりとした足取りで、それぞれの目的地を目指して公園を後にした。
「───というわけで」
「そ、そうなんだ。大変だね…」
駅前ロータリーの端にあるベンチに腰掛けて話を聞いていた玲は、いつしか純に同情の眼差しを向けていた。
「しかし、私の姿は結構見られてしまっていたのですね…今まで他の世界に赴くことはなかったものですから、配慮が足りていませんでした。今後は十分に気を付けます」
しゅんと肩を落とすルルイ。
コンパクトの鏡を通してその様子を見た玲と純は、どうしたものかと顔を見合わせた。
「そ、そんな気にすることないって。あの、そうだ、学校の七不思議みたいな感じで、誤魔化しやすい?と思うし?」
「そ、そうだよ。実際、何か危害を加えているわけでもないんだし」
「…お二人とも、ありがとうございます」
二人の思いやりに、ルルイは素直に感謝の意を告げる。
「えっと…あ、そうだ、そろそろ電車の時間だから、私たちは行くね」
「うん。気を付けてね」
「大丈夫、大丈夫。じゃあ行こうか」
玲はコンパクトを仕舞うと勢いを付けて立ち上がり、改札口へと足を向ける。
「あ…玲さん。今日は私、純さんと一緒に行ってもよろしいでしょうか」
「えっ?」
玲は大きく踏み出そうとしていた足を戻し、再びコンパクトを取り出した。
「どしたの?急に」
「私達アニマの存在がどのような影響を及ぼしているのか気になりますし、それに…」
「それに?」
「あの、遠くまで行って、私の噂が広まるのもどうかと思いまして」
「あー、えー…うーーーーーん………」
朝にそれなりに整えた髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、身体ごと首を大きく傾げて考え込み始める玲。
「あの…鈴森さん?」
電車の時間と、何より玲自身が心配になり、純は恐る恐る声をかける。
「よし!」
「うわっ!?」
勢いよく姿勢を正した玲に、純は驚き数歩後ずさった。
「今日はルルイの気持ちを尊重して、そういうことにする。でも、次は絶対に一緒に行くからね!」
「あ…はい、ありがとうございます」
玲の勢いに気圧され、弱弱しく返事を返すルルイ。
「それじゃ水沢くん、ルルイをお願いね」
「あ、うん…ところで時間は」
「あー!もうギリギリ!じゃあこれ、また今度返して!じゃっ!」
コンパクトを純に押し付けると、玲は全力ダッシュで駅へと走り、改札口に少し引っかかりながらもホームへと突き進んでいった。
「それでは純さん、行きましょうか」
「うん…うーん、いいのかなあ…」
純は暫くの間その場で悩んでいたが、やがて諦めると通行人に話を聞く作業へと戻っていった。
* * *
銀鉤寺の御神鏡を通り人間の世界にやってきたネネコは、ミタマの状態のまま近くの住宅街上空にいた。
(何はともあれ、まずは…と、あそこがよさそうね)
ネネコは瓦屋根の一軒家へと視線を向ける。
門のところでは二人の女性が人目もはばからず大声で話し、大きな庭に面した窓は不用心にも開け放たれている。
ネネコはゆっくりと近づいて家の中に人の気配が無いのを確かめると、窓から一気に侵入して己の身体に相応しいものを物色し始めた。
(これは…駄目。あれも…違う)
結局ネネコが納得のいくものを見つけ出したのは、一階を隅々まで見て回り、二階へ移動して三部屋目の寝室だった。
(まあ…今回はこれでいいでしょう)
ネネコはようやく選んだこの世界での身体───ダイヤル式の金庫の中へと入り込む。
アニマとの融合により金庫は瞬く間に光に包まれ、その形を変えていく。四角いシルエットはぐんぐんと縮んでいき、同時にすらりとした四肢が伸びる。首と腰には長方形の紙を連結したような帯が巻かれ、胸には幾多の線が刻まれた二つの丘が形作られる。最後に光り輝く両目が開き、ネネコの身体は完成した。
「ふん…まあ、いいかしら」
部屋の姿見に映った自分の身体を一瞥し、ネネコは窓へと歩み寄る。
(ルルイも警戒しているでしょうし、発見されるのは時間の問題。仕事は手早く、正確に…)
ネネコは窓を開けて外を見渡し、やがて電線に止まる一羽のカラスに目をつける。
「まずは、あなたから頂きましょうか」
ネネコが右手をかざすと同時に、カラスの黒い姿が白に染まる。
その変化は単に羽毛が白くなったということではなく、存在をこの世から切り抜かれたかのように、白い何かへと変貌していた。
カラスだったそれはしばしその場にとどまっていたが、やがて身動き一つとることなく地面へと落下した。
その様子を見届けたネネコは右翼を下ろし、窓枠に飛び移る。
(収穫は…今一つね。あまり興味がなかったのかしら)
首を傾げながら己の頭の中を探ったネネコは、さして有益な情報がなかったことに
(ま、ゼロではないし、最初はこんなものね。次を探すとしましょう)
頭を切り替えたネネコは、次なる獲物を探すために、奪い取った翼を広げて空へと飛び立った。
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