3-3

 まんまとバスを乗っ取ったブルブだったが、その心中は穏やかではなかった。

 体内の乗客から感情エネルギーを得るために恐怖を与える必要があるものの、事故を起こして死なせてしまっては意味がない。何よりブルブ自身、衝突や転倒で自分が止まることを嫌っている。

 その結果、ブルブは暴走というには控えめなスピードで、バスの巨体をぶつけぬよう走るしかなかった。たまたま進入した住宅街の道幅が狭かったこともあり、彼の苛立たしさは限界を迎えようとしていた。

「ええい、走りづらい…やはり私にこういうことは向かん」

 頻繁に愚痴をこぼしながらも、住宅街の中を走り続けるブルブ。

 車内の乗客たちはアニマの放つ気にあてられて殆どが憔悴していたが、葉月はづき桃子ももこは唯一正気を保ち、スマートフォンの画面を見つめていた。

れいが返してきたメール…一通目はわかるけれど)

 桃子は画面の上に指を走らせ、受信したメールを表示させる。

 自分の状況を伝えたメールに対しての、「落ち着いて、慌てないで」という短い返信を、改めて心の中で読み上げた。

(こっちは……どういう意味?)

 画面をスライドさせ、先ほど新たに受信したメールへと表示を切り替える。

 その本文には、「大丈夫、助けが行くから」と、力強さが伝わってくる言葉が記されていた。

(助け"に"、じゃないから…来るのは玲じゃないんでしょうけど。それじゃあ、誰が?)

 桃子が考えを巡らせていると、不意にバスの車体が衝撃に揺れた。何かに衝突したのかと顔を上げたが、バスは依然として走り続けている。

 一体何が起きたのかと視線を巡らせると、車体の側面、ちょうど運転席のところに何者かが張り付いているのが見えた。

 影のように黒いその姿に対する桃子の第一印象は、""だった。

 弟が好きなテレビの中のヒーローのように、確かにそこに存在するのに、どこか現実感が無い──そんな風に思えてならなかった。

(あれが…玲が言ってた、助け?)

 桃子は正体不明の乱入者の姿を、食い入るように見つめた。


* * *


 バスに取りついた何者か。それは当然ながら、ミタマの力で姿を変えたじゅんであった。

 純は学校を飛び出した後、ルルイの案内でブルブが通るであろう道へと先回りしていた。

 まず桃子を含む乗客の救出が第一と考えると、ブルブと言葉を交わすために、タイミングを見計らいその車体へと取りついたのである。


「だ、大丈夫かな。結構、揺れちゃったけど…」

 取りついた際に勢い余って車体をかなり揺らしてしまい、純は慌てて車内に目を向けた。

 乗客たちは疲れ果てているものの、先程の衝撃で何かあった様子はなく、バスも相変わらず走り続けていた。

「大丈夫、みたいですね」

「よ、よかった…」

 純が安堵し深く息を吐いていると、運転席の窓がひとりでに開いた。

「誰かと思えば、お前か。なにもできずにやられながら、またすぐ挑戦してくるとは、思ったよりも根性があるようだな」

 車内からブルブの声が響く。昨夜とは違い、車内のスピーカーを使って発声していた。

「今すぐ止まるんだ。こんなにノロノロと走っていたって、嬉しくないんじゃないのか」

「確かにその通りだがな、これも仕事だ。それにおれ自身の力にもなる。手は抜いても、やらんわけにはいくまい」

 昨夜に言われたことを踏まえた純の問いかけを、ブルブはさらりと受け流す。

 できる限り穏便に止めようと選んだ言葉が不発に終わり、口ごもる純。

 なんとか次の手を考えようとした時、まさに今、ブルブが口にした言葉で打開策を思いついた。

「なら…もう一つの仕事をするなら、どうだ」

「……なに?」

 純の言葉に、ブルブのスピードが少し落ちる。

「純さん、あの、何を…」

「僕…俺ともう一度、勝負するんだ。今度は、互いの速さを競って」

 ルルイの声を遮って、できる限り強気に聞こえるように純は言葉を続けた。

「フッ……フフ、フフハハハハハ!この俺に速さで勝負を挑むか!」

 高らかに笑いだすブルブ。

 純は驚き手を離しそうになるも、なんとか持ちこたえた。

「いや、気に入ったぞ。あれだけ間抜けにやられながら、真っ向勝負を挑んでくるとは。よほどの策があるか、よほどの馬鹿と見た」

「………」

だんまりか…いいだろう。その勝負、乗ったぞ」

 そういうとブルブは急ブレーキをかけ、耳障りな音をたてながら停車した。

 完全に停まったことを確認してから、純は手を放して地に足を付けた。

「ふむ…あれがいいか」

 周囲の様子をしばし窺うと、ブルブのミタマはバスを飛び出し、一軒家のガレージに止まっていたオンロードモデルのバイクに飛び込んだ。

 純が見守る中、バイクは瞬く間に様相を変え、白を基調とした鋭利なシルエットを持つマシンへと変貌を遂げた。

「さて勝負だが、そうだな…互いに前を走っている者の後を追い、先に海に辿り着いた方が勝ち…というのでどうだ?」

「…わかった。それでいい」

「もしお前が勝てば、私のことは好きにするがいい。だが私が勝った場合、二度とお前たちの言葉には耳を傾けん。好きにやらせてもらうぞ」

「ああ…これ一回きりだ」

「決まりだな。では早速」

 今すぐ走り出さんと、ブルブのエンジンが唸り始める。

「いや、少しだけ待ってくれ。乗客の無事を確認したい」

「…いいだろう。手短にな」

 純はブルブの言葉に首肯すると、元に戻ったバスに駆け込んだ。

 車内を見渡すと、拘束が解かれた乗客たちは一様にぐったりとしていたが、呼吸だけはしっかりとしていた。

「ルルイ、どう?」

「この程度なら、まだ大丈夫です。仮に長引いても、数日あれば回復するでしょう」

「そうか、よかった」

 ルルイの言葉にほっと一息ついたところで、純は自分に向けられる視線に気付き、そちらへ顔を向けた。

 最後尾で一人正気を保っていた葉月桃子が、純の姿をじっと見つめていた。

「えっと、あの…大丈夫、ですか?」

 コンパクトを持った手を背後に隠し、純は無難な言葉を選んで声をかけた。

「……はい。私なら大丈夫です」

「よかった……あの、ぼ…俺は行かなければならないので、警察と救急へ連絡をお願いできますか。説明、大変でしょうけど」

「そうですね…わかりました。なんとか、やっておきます」

 異様な黒い姿に臆する様子もなく、桃子は淡々と返事を返す。

「そ、それじゃあ」

 強引に会話を打ち切ると、純は足早に車外へと飛び出した。

「…バレたかな」

「さあ…直接確認するわけにもいきませんし」

 純は内心冷や汗をかきながら、急いでブルブのところへ駆け戻った。

「遅い。待ちくたびれたぞ」

「あ、ごめん…いや、すまない」

「よし、今度こそ始めるぞ。横に並べ」

 ブルブの言葉に従い、横に並び立つ純。

「そうだ、待っている間に考えたのだが、お前にハンデをやろう」

「ハンデ?」

「私は一度お前に追いつかれるまで、出来る限り遠回りで走る」

「それは…随分な自信だけど、いいのか」

「この世界で最後になるかもしれん余興だ。出来る限り長く楽しんでも構うまい」

「…わかった」

「よし……ではルルイ、合図はお前がしろ」

「は、はい。では……五、四、三──」

 カウントダウンを始めるルルイ。

 両者は一瞬たりとも出遅れまいと、スタートの瞬間に備えた。

「──二、一、始め!」

 ルルイの合図と共に、両者は一斉に走り出した。

 ブルブはあっという間に時速百キロメートルを超え、爆音を上げながら住宅地を最短で抜けるルートを進み始めた。

 純は全力でブルブを追うが、スピードの差は歴然であり、両者の差はグングンと広がっていった。

「純さん、やはり無理だったのでは…」

  純に握りしめられたコンパクトの中から、ルルイが不安に満ちた声をかける。

「あそこであいつを止める方法は、これしか思いつかなかった…」

「しかし、いくらなんでも無謀です」

「今の僕は、アニマと変わらない力を持ってる。なら、あいつと同じだ。互角に戦えるはず…いや、戦える」

 ルルイにではなく、自分に言い聞かせるように言葉を口にして、純はブルブを追ってただひたすらに走った。

「戦わなくちゃ、いけないんだ」

 純の言葉に呼応するように、両足がより強く地面を蹴り始めた。そのスピードが徐々に、しかし確実に上がっていく。

「純さん、これは…?」

 ルルイが驚きの声を上げたのは、純のスピードが上がったためだけではなかった。

 純の走り方が、明らかにおかしくなっていたからだ。

 スピードが上がるほど、カーブやUターンといった直進的でない動きは困難になる。しかし純は、ブルブの後を追いながらそれらを難なくこなし、時には直角に近い角度で曲がることすらあった。

 様々な世界の乗り物に精通しているブルブならともかく、数日前まで時速五十キロメートルも出せなかった人間がこうも走れていることが、ルルイには到底信じられなかった。

(純さん、あなたは一体…)

 ルルイは純をサポートするために周囲の状況を窺うと同時に、ことの絡繰からくりに考えを巡らせ始めた。


* * *


 走り始めてからしばらくして、両者は住宅地を抜けて東西に走る国道へと出ていた。

 最初こそ距離を離していたブルブだったが、徐々にその差は縮められ、今や純との間隔は百五十メートルほどになっていた。

(何をどうしたのか、中々やるものだな…しかし、これ以上は追いつかせんぞ!)

 車と車の間をすり抜けながらさらにスピードを上げ、純を引き離そうとするブルブ。

 純も負けじと足に力を込めて後に続いた。

「純さん、この先の交差点が赤信号です。ブルブが到達する前には変わると思いますが、気をつけてください」

「わかった、ありがとう」

 ルルイの警告を受け、純はブルブのさらに前方へと注意を向ける。

 これまでは交通量が少ないこともあり、運良く信号を危なげなく抜けられてきたが、今走っている道路ではそうもいかない。

 大惨事を避けるべく、純は精神を研ぎすませた。

「…ッ!純さん、バイクが!」

「えっ!?」

 ルルイが声を上げた直後、信号が青に変わると同時に交差点へブルブが進入した。

 そこへ、オフロードモデルのバイクが信号を無視して猛スピードで突っ込み、ブルブの側面へと衝突した。

 ブルブは少し体勢を崩した程度でそのまま走り抜けたが、バイクの方は強く弾き飛ばされ、ドライバーは宙に投げ出された。

「……ッ!」

 純は一瞬で猛烈に加速し、ドライバーが落下する先へと回り込んだ。

 ワイヤーを射出してドライバーの身体に巻き付けると、できる限り勢いを殺すように抱き留めて歩道へと飛び退いた。

「大丈夫ですか!?」

「あ、ああ…え、なんで?」

 ドライバーの男は状況が飲み込めていなかったが、さほど大きな負傷はなかった。

 純は怪我人を出さなかったことに一安心すると、男を歩道に降ろした。

「でも、どうしましょう…いくら純さんが速くなったからといって、これだけ離されては…」

 大きな被害が出なかったことに安堵したのも束の間、ルルイが不安げに呟く。

 純は道路の先に視線を向けたが、当然ながらブルブの姿は見えなかった。

「それは……いや」

 純は反対側の歩道に弾き飛ばされ、傷付き横倒しになっているバイクに目を向けた。

 数秒考えた後、純は座り込んでいる男に目線を合わせた。

「すいません、緊急事態なんです。あなたのバイクを貸してください」

「えっ…いや、なんで」

「貸してください」

「あっ…はい、どうぞ」

 少しだけ食い下がったものの、漆黒の異形に気圧されて男はあっさりと引き下がった。

「ありがとうございます。終わったら警察に届けますから、後ほど問い合わせてみてください」

 男にそう言い残すと、純は車道を跳び越えてバイクに駆け寄り、車体を片手で軽々と引き起こした。

「純さん、何を…」

「こっちも、でいく」

「……なんですって?」

「僕のミタマの元の持ち主は、器を選ばなかったんだろう?なら、このバイクだって使えると思う」

 純はコンパクトを片手になんとかバランスを取りながら、バイクのシートに跨った。

「それは…いえ、でも無理です。器なら既に純さんの身体がその役割を果たしています。第一、これはさっきの衝撃で普通に走ることもできそうにないじゃないですか!ですから…」

「あいつが器にしているバイクも、エンジンにタイヤにチェーン、色々な部品でできてる。僕だってそうだ。心臓、脳、骨…一つになってるけど、みんなバラバラだ」

「それ、は」

 考えたこともなかった純の反論に、ルルイが押し黙る。

なんだ、と思う。身体の一部だと思えばきっと…できる!」

 純がハンドルを強く握りしめた瞬間、バイクに黒い稲妻のようなものが走った。

 傷だらけのカウルは黒く染まり、表面は滑らかな状態へと修復される。

 曲がったフレームも割れたライトも元に戻り、エンジンは力強く唸り声を上げ始めた。

「嘘……」

 目の前で起きていることが信じられず、ルルイは思わず息を呑んだ。

 純はハンドルの中央部にある台座にコンパクトをセットすると、車体をブルブが走り去った道へと向けた。

「ルルイ、ルートはわかる?」

「え、あ…はい。ブルブの姿は追っているので、道はわかります」

「よし、急ごう」

 純はタイミングを見計らってバイクを急発進させ、車の流れに乗った。

 疾風はやてのように走ることに少しの高揚感を覚えながら、純はぐんぐんとスピードを上げてブルブの後を追いかけた。


* * *


 交差点で純を引き離したブルブは、宣言通りに真っ直ぐ海へは向かわず、わざと遠回りをするルートを走っていた。

(奴なら追いついてくるかと思ったが…期待しすぎたか。今更、私に追いつける者などいるはずもないか)

 いい加減諦めて海へ向かおうとハンドルを切ろうとしたその時、ブルブは後ろから迫る走行音に気付いた。

「なんだ…まさか!?」

 ブルブはメーターパネルを突き出させ、後方を見る目として後ろへ向けた。

 視線の先に、今の自分とは対照的な漆黒のマシンを駆る純の姿があった。

 予想外の追走に動揺し、ブルブは僅かにスピードを落とした。

(バカな…バカな!なんだアレは!?私に追いつけるものなど、そうそうあるはずがない!)

 迫りくる相手についての疑問が、ブルブの頭の中でグルグルと回り始める。

 迫りくる相手に対し、自分の力が働いている実感がない。今まさに速さを競い合っている以上、その原因は一つしか考えられなかった。

(アニマ……だと?アレも?アレが!?奴を乗せて!?)

 遂に後方僅か数メートルにまで距離を詰められ、ブルブはハッと我に返った。

「貴様、ソレはなんだ!?ルルイ、お前、そいつは何をした!?」

 自分に並ぶ存在の正体を問いたださんと、ブルブは声を荒げた。

「お前と同じで、ちょっと借りただけさ」

 事もなげにそう返すと、純はさらにエンジンを噴かしてブルブの隣へと並んだ。

「な、何をどうしたのかは、私が知りたいぐらいです。正直、困惑しています」

「ありえん…ありえん、こんなことが!」

 アニマの中で最速の自負があったブルブのプライドは、今まさに打ち砕かれようとしていた。

 純を再度引き離さんと、ブルブが加速する。しかし純はぴったりと張り付き、後方十メートル以内をキープし続けた。

 両者は一歩も譲らぬ状態のまま、偶然にも昨夜と同じく櫻川にかかる橋へと辿り着いた。

「チッ…ええい!」

 橋を渡り終えるとブルブは急にハンドルを右に切り、河川敷沿いの道へと入った。

 曲がり損ねた純はそのまま直進を続け、次の路地から右へと曲がる。

 狭い路地をできる限り速度を落とさぬように走り、純は河川敷へと抜けた。

 視界の先、三百メートルほど先を行くブルブの姿を見据えると、ただ追いつくことだけを考えてマシンを加速させた。

 独走状態になったのも束の間、すぐにまた距離を詰められたことで、ブルブの焦りはいよいよ最高潮に達した。

(こうなれば…!)

 ブルブは自らスピードを落とし、純が追いつくのを待った。

 狙い通りに純が横に並ぶと、体当たりを敢行せんと勢いよく車体を寄せた。

「……ッ!」

 しかしわざとスピードを落としたことを不審に思っていた純は、ブルブの妨害に間一髪で反応することができ、急ブレーキをかけて攻撃を躱すことに成功した。

「なッ!?」

 避けられたことで自らが河口に落ちそうになり、ブルブは無理矢理に反対方向へハンドルを切った。その結果崩れたバランスを立て直すことができず、派手に転倒してアスファルトの上を大きく跳ねた。

 地面を転がるブルブを紙一重で避けると、純は道なりに続く堤防の先端まで走り抜け、海まで僅か十数センチメートルの位置で停止した。

「………はぁ。つ……疲れた」

 緊張の糸がぷっつりと切れ、純はハンドルに身を預けた。

 一分近く呼吸を落ち着けた後、ゆっくりと車体を反転させると、ゆっくりとした走りで来た道を引き返した。

 ブルブは横転したままその場に倒れ込んでいた。既にエンジンは止まり、後輪は虚しく空回りを続けていた。

「僕の勝ち、でいいよね?」

「ああ…いや、完敗だ。速さを求めた私が自分の速さを信じ切れなかったのが、最大の敗因だな」

 倒れたまま、自らの敗北を認めるブルブ。

 約束を違えそうにない雰囲気に、純は改めて一息ついた。

「約束だ。私のことは煮るなり焼くなり、好きにするがいい」

「…ワザミタマを置いて、帰ってほしい。そして、こんなことはもう止めるよう、伝えてほしい」

「ガンガと同じ…か。しかし、こうして私が派遣されたのだ。無駄だとは思わないのか?」

「それでも、今はいい。頼むから」

「頼む…か。いいだろう、言う通りにするとしよう」

「感謝します、ブルブ」

 コンパクトの蓋を開いて、鏡の中からルルイが礼を告げる。

「ルルイ、いい男を捕まえたものだな」

「へ、変な言い方はやめてください!」

 ルルイは顔を真っ赤にすると、コンパクトの蓋を閉じて姿を隠した。

「いや、すまんすまん。さて、では言われた通り帰るとしよう」

 ブルブは器用にも一人で倒れた身体を起こすと、バイクの中から抜け出た。

「あ、ちょっと待って」

「なんだ、まだ何かあるのか?」

「いや…バイクを二台一緒に運べそうにないから、途中までそのまま、来てくれないかな」

「…ハハハハ!いいだろう、最後にひとっ走りさせてもらうとしよう!」

 ブルブは再びバイクの中に飛び込むと、意気揚々とエンジンを噴かし始めた。

「…助かるよ」

 純は短く礼を言うと、ブルブの先に立って走り始めた。


* * *


「水沢くん」

「……はい」

「先生ね、新米だし、生徒のことを全部わかってるとは自分でも思ってないわ。でも、だからこそ真剣に向き合いたいし、正直に話してもらいたいの」

「は、い」


 鏡面世界を通って最寄りの警察署にバイクを届け、ブルブのワザミタマを封じ、さらに桃子らバスの乗客の無事を確認し終えた純が学校に戻ると、時刻は既に六限目の半分まで回っていた。

 体調不良で保健室に行っていたと──学校を飛び出した後で受け取っていた玲からのメールの通りに──ごまかしたものの、担任の姫路に確認されて嘘であるとすぐにバレてしまった。

 そして現在、こうして生徒指導室で面談をするに至っている。


「先生ね、水沢くんの体調が悪かったことまでは嘘だと思ってないの。でも、保健室に行ってなかったのは事実。ねえ、本当はどこに行っていたの?先生にちゃんと教えてくれない?」

「それは、その…」

「あ、いいの。無理して言ってくれなくても…ああ、でもやっぱり先生には本当のことを…ああ、何を言ってるんだろうあたし……」

 考えがこんがらがり、頭を抱え込む姫路。

 困り果てる担任を目の前にしながら、純は別のことで頭がいっぱいになり、その言葉を殆ど聞き流していた。

(…無免許で、バイクを運転してしまった…)

 夕焼けに紅く染まる窓の外を横目で見ながら、純はやむを得ずとはいえ自分が犯してしまった罪をただただ悔い続けていた。

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