第2話「戦士の孤道」

2-1

 総合スーパー屋上、出入り口付近にある休憩スペース。

 ベンチの傍に設置されている自動販売機の前を、玲は何度も行ったり来たりしていた。

「凄い…全部、逆さまになってる…」

 玲の目に映る自動販売機は、商品のラベルから値段表記、料金の投入口に至るまで、全てのものが左右逆になっていた。

「ほんとに、鏡の中なんだ」

 改めて自分がいる場所について口にする玲。

 その言葉を受けて、ベンチに横たわる純の様子を見守っていたルルイが、困った笑顔を浮かべる。

「正確には、違うのですが…そのように考えていただければいいかと」

 時は謎の怪人が姿を消してから数十分後。純と玲の二人は、遅れてやってきたルルイの手によって鏡面世界に身を隠していた。

 今は玲に最低限の説明をし、戦いの後で倒れた純の回復を待っているところである。

「うーん…ちょっと気になるけど、いいや。また今度、詳しく教えてくれる?」

「え、あ、はい。それは、機会があれば、また」

「…それじゃあ、さっきの続きを聞かせてくれるかな」

 横になっていた純が身体を起こし、ルルイに話しかけた。

「純さん…まだお疲れなのでは?」

「いや…ううん、大分マシになったよ。大丈夫だから」

「水沢くん、本当に大丈夫?なんだか、その、凄いことになってたけど…身体」

 そう言いながら、玲は先程の純の姿を思い出していた。一体どういうことかと聞きたいことは山ほどあるが、純の身体を気遣い、今まで我慢を続けていた。

「大丈夫だって、本当に。心配しなくていいから、鈴森さん」

「そう?」

 玲は純の言葉に少し引っかかるものを感じ、また髪の毛をいじりだす。

「それなら、いいんだけど」

「…ではお二人が、いえ、この世界が巻き込まれている事について、改めて説明させていただきます」

 二人の会話が落ち着いたところで、ルルイが口を開く。

 玲は落ち着いて説明を聞こうと、純の隣に腰を掛けた。思ったより近くに座られた純は離れようとするが、端に座っていたために仕方なく諦めた。

「既にお気づきだと思いますが、お二人を襲ったあの者とわたしは、同じ種類の存在です」

 純と玲が同時に唾を飲み込む。薄々そうではないかと思ってはいたが、いざ明言されると恐ろしいものがあった。このままおとなしく話を聞いていていいものかと、どちらからともなく視線が交わる。

「あの…信用できないのはわかります。ですが、今はどうか信じて、話を聞いて頂けないでしょうか」

「あ…ごめん」

「き、気にしないで…って言っても無理か、ごめんね。続けて続けて」

 一目でわかる愛想笑いをしながら、純と玲が先を促す。ルルイは少ししゅんとしながらも、話を再開した。

「…わたし達は、自らをアニマと自称しています。この世界を含め、今までに数多の世界へ赴き、生命体の心から生まれる力を集めています」

「心から生まれる、力?」

「それって……その、どんなの?」

「例えば、嬉しいとか悲しいとか、心が何かを感じたとき、そこに生まれるのが、わたし達が求める力です。感情のエネルギーと言った方がわかりやすいでしょうか」

「あ、それならわかりやすいかも…で、それはなんの為に集めてるの?あなた達の食べ物とか?」

「それもあります。わたし達アニマは、その力をエネルギーとして活動していますから。ですが本来の目的は、わたし達の始祖を目覚めさせることです」

「シソ?…ふりかけのやつじゃないよね?」

「始祖鳥のシソじゃないかな…」

 玲の見当違いな考えを聞いて、純が少しあきれた顔で返す。玲は始祖鳥が何かピンと来ず、首を傾げた。

「始祖は全てのアニマをその身から分けて創られた存在で、神と呼ぶ者もいます。始祖は今、ある種の封印状態にあり、それを解く力を得るため、分身であるアニマにエネルギーを集めさせているんです」

「うー…ん。女王蟻と働き蟻みたいな感じなのかな。ねえ、水沢くん。……水沢くん?」

 玲に自分の例えへの同意を求められながら、純はそれに気づかず、顎に手をあてて何かを深く考え込んでいた。

「あの…純さん、何か?」

「…君たちが何をしているのかはわかった。さっきの奴は、神隠しに遭った人から、その、心の力っていうのを集めてるんだよね」

「はい、その通りです」

「わからないのは、そこら中に溢れてそうなものを集めるのに、なんで神隠しみたいなことをしているのか。それと、見つかった人がなんで意識が戻らないのか」

「あっ、確かに。嬉しいとか悲しいとか、あたし達、普段から感じてるもんね。こう、歩き回ってパパッと集めたりしないの?」

 二人の追及に、ルルイは言葉を詰まらせる。視線を泳がせ、しばし口をつぐんでいたが、やがて口を開いた。

「始祖を含め、多くのアニマは生命体にとって不快な感情をより好みます。ですから自ら心を傷つけることで、手早くそういった感情を集めるのです」

「手早く、って…」

 心を脅かすことをまるで単純な作業のように言われ、玲の顔に怯えの色が浮かぶ。純も表情こそ大きく変えないが、胸の内は玲と同じだった。

「加えて、アニマが発する一種の波動は、生命体の心に干渉して感情エネルギーの発生を活発にします。それにより、少ない対象からでも短時間で多量のエネルギーを得ることができるんです」

 ルルイの言葉に、純は胸に手を当てながら、あの怪人を見た時の感覚を思い出していた。胸の内から、何かが這い出てくるような奇妙な感覚。思い出すとまた気分が悪くなったので、頭を振って意識の外に追いやった。

「当然、心にかかる負荷も当然より大きなものになります。被害に遭った方々の意識が戻らないのは、酷使された心が休眠状態になっているためです」

「それは、その、そのまま死んじゃったり、するの?」

 恐る恐る、胸の内に浮かんだ疑問を口にする玲。それに対して、ルルイは静かに首を横に振った。

「しばらくすれば、意識は取り戻します。何より、アニマはあまり命をとるような真似はしません。心が目覚めれば、再び感情エネルギーを集めることができるからです」

「それ………結構酷くない?」

 延々と心を弄ばれることは、命を奪われることよりも惨いのではないか。玲は自分が思ったことを端的に口にした。

「…仰る通りです。今までに私たちは、数えきれないほどの心を踏みにじってきました。それは、何をしても償いきれることではありません」

 ルルイが唇を噛んで目を伏せる。玲はどうすればいいかわからずに視線で純に助けを求めたが、純も手を組んだまま黙り込んでおり、途方に暮れた。

「…ここまでは、お分かりいただけたでしょうか?」

 しばらくしてルルイが口を開き、玲は助かったと息を大きく吐いた。

「うん。あなた達のことは、大体わかった。けど、水沢くんのあの姿はなんなの?」

「…そうだ。そのことについても、詳しく聞きたかったんだ」

 純が変わり、玲が見た、あの黒い姿。それが一体どういったものなのか、説明を聞いている間も二人はずっと気になっていた。

「あれは、純さんの心と、ミタマが一つになったことによるものです」

「みたま?」

「ミタマ…それって、あの玉のこと?」

 純は自分の身体に吸い込まれた、光る球体のことを思い出す。その言葉に、ルルイはゆっくりと首肯した。

 玲は二人が思い浮かべているものがさっぱりわからず、また髪をぐしゃぐしゃにしていた。

「そうです。わたし達アニマの身体は、二つのミタマを核に形作られています」

「二つ?あの、あれ一つじゃなくて?」

「ええ。一つが自我を司るシシミタマ。もう一つが、力を司るワザミタマです。純さんの身体に入ったのは、ワザミタマの方です」

「その…えっと、なんで二つあるの?一つで自我…心?と力を持ってたらダメなの?」

 二つ、一つと言われる度に、指を伸ばしたり曲げたりしていた玲が、遂に匙を投げてとりあえず思いついた疑問をぶつけた。

「ワザミタマは、始祖が持つ力の一部を複製したものです。それを扱う意思が合わさって、初めて始祖の力は発揮されるのです。今は純さんの心が、シシミタマの代わりを果たしている状態なのです」

「うーん…わかったような、わからないような…」

 そう言いながら、玲はまたも髪の毛をかき回し始める。流石に会ったばかりのルルイも、よくわかっていないのだと見て取れた。

「でもそれ、あなた達の心なんでしょ?あたし達の心で代わりになるの?」

「わたし達が他の生命体の心をエネルギーにしていることから、逆にわたし達のミタマを他の生命体が使えるのではないか…という考えが、以前からあったんです。最も、実際に試したのは今回が最初ですが」

「そ、そんなものなのかなあ…?」

 納得すべきか否か悩む玲の手によって、その髪型は人前に出しづらい状態をとうに過ぎてなお乱されていた。

 そんな時、純が静かに手を上げて、言外に発言の許可を求めた。

「あの…なんでしょうか」

「二つのミタマが合わさって、君たちなんだよね?なんで、ミタマが一つ余ってるの?」

 純の言葉を聞いて、ルルイはサッと表情を曇らせた。

「それは………純さんの身体にあるミタマを持っていた者が、消滅してしまったからです」

「えっ………」

「それって…死んだ、ってこと?」

「………はい。彼は、他の世界の心を脅かすアニマの生き方に反発していました。それで、この世界と近づいたのを機に、わたしと共に逃げ出そうとしたのですが………」

 ルルイはそこから先を続けられず、口をつぐみ俯く。

 純と玲は、ルルイ達に何が起きたのかを察し、それ以上追及するのはやめた。

 そのまま暫く三人とも押し黙っていたが、唐突に玲が立ち上がり、パンと両手を勢いよく叩き合わせた。

「わかった!じゃあ、その人の分まで、あたし達で頑張ろうよ!」

「………え?」

「あの…わたし達で、というのは?」

 玲のいきなりの発言に、純とルルイが二人して面食らう。

 そんな二人に構わず、玲は先を続けた。

「そのアニマってのが…ああ、ルルイは別ね。で、あたし達の平和を乱そうとしてて、それを何とかしたかった人がいて、何とかできそうな人がいる。だからさ、ね?やってみようよ!」

 そのアニマに追われて心がボロボロになっていたのを忘れたかのように、玲は声高らかに二人に語り掛ける。その明るさに照らされ、ルルイの表情が徐々に晴れていく。

「………いや、駄目だ」

 だが、純の表情は硬く険しいものになっていた。

「えっ…あの、ここは三人で力を合わせて~、ってなるところじゃないの?」

「ない。駄目だ、危険すぎる。さっきのこと、忘れたわけじゃないよね?またあんな目に遭いたくないでしょ?」

 食い下がる玲に対して、純は早口で切り返す。その流れ弾を受けて、ルルイは表情を再び曇らせていった。

「別に、あたしが直接切った張ったする訳じゃないよ。敵わないことぐらい、十分わかったから。そうじゃなくて、こう、サポート、みたいな。ね?何か変なことが起きてないか調べるとか、水沢くんが戦いに行くときにフォローするとか…」

 玲はあれこれジェスチャーを交えながら、純をなんとか説得しようと試みる。しかし純の表情は依然として変わらず、若干細まった視線が玲を突き刺していた。

「………ぅ」

 思いつく限りの提案を無言で否定され、玲は遂に言葉に詰まる。

「…純さんの言う通りです。巻き込んでおいて言えたことではありませんが、彼等の邪魔をするということは、やはり危険なことです」

「いや…それはわかってる…つもりだけど」

 純だけでなくルルイにまで否定され、玲はだんだんと肩を落としていく。

「お気持ちはありがたいのですが、ここは私と純さんに」

「いや、ルルイも、いいんだ」

「………え?」

 予想外の言葉に、ルルイは思わず純の方を見る。

「戦うのは、僕一人でいい」

 ルルイの目を見て、純が改めてはっきりと告げる。その両目は、決意の色に深く染まっていた。


* * *


 櫻木町の山中にある小さな神社、銀鉤寺ぎんこうじ

 神主の家系が途絶え、近くの神社が兼務することになって久しいこの場所を、一つの影が訪れていた。

 頭のてっぺんから爪先まで、全身をベージュ色の布で覆った…否、ベージュ色の布状のものが、人間のようなシルエットを形作っている異様な存在。つい先ほど純や玲を襲った、あの神隠しの怪人である。

 怪人は本殿の中に踏み入ると、御神体として祀られている鏡の前に跪いた。

「ララナ様…ララナ様、お応えください!」

 鏡に向けて、怪人が何者かの名を呼ぶ。しばらくした後、御神鏡に映るものが歪みだし、万華鏡のように様々な様相を見せる。歪みが収まったとき、そこには深緑のローブを身に纏い、フードを目深に被った何者かの姿があった。

「…何事です、ガンガ。わざわざ呼び出した以上、火急の用でありましょうね」

 ローブの人物は、鏡の向こうから静かに怪人───ガンガへと告げる。その声は、人間で言えば女性のような、深く澄んだものであった。

「ハッ…こちらの世界で、ザルザのような姿をした者と遭遇しました」

「…なんですって?」

 ガンガの報告を受け、鏡に映る人物───ララナは僅かに狼狽した様子を見せた。

 そんなララナを見て、不安を掻き立てられたガンガは息を詰まらせる。

「まさか、奴は生きていたのでは…」

「そんな筈はありません。あの時、彼のミタマは確かに…なるほど、そういうことですか」

 調子を崩したのも束の間、ララナは得心し、笑みを浮かべる。

「あの…どういうことでしょうか?」

「ガンガ、あなたが見たというその者は、恐らく紛い物です。ルルイが私達に対抗すべく、手駒を見繕ったようですね」

「なんと…あのルルイがそんなことを」

「それでその者の力、どれ程のものでしたか」

「それが…いえ、大したことはありませんでした。奴も腕だけは純粋に立ちましたが、遠く及びません。私一人でも十分、いえ十二分です」

 まだ身体に残る痛みを隠しながら、ガンガは戦った相手についての評を述べた。

「…わかりました。そう危険視する必要は無いのですね」

 自分の見栄が見抜かれるのではないかと不安だったガンガだが、ララナの声の調子が変わらないことで胸を撫で下ろした。

「ともかく、ルルイを野放しにしておくのは気掛かりですね。早めに始末しておいた方がいいでしょう」

「ならばその役目…このガンガにお任せを。二人纏めて片付けて御覧に入れます」

「ええ、お願いします。今は、あなたに任せる他ありませんから。それでは、宜しく頼みます」

 ララナがそう告げると、鏡に映る姿が次第に歪みだし、やがて元の鏡へと戻った。

 交信が途切れたことを確認すると、ガンガは立ち上がり全身の力を抜いた。

「はぁ…毎度毎度、ちゃんとするのも疲れるんだよな」

 作っていた態度を崩し、素に戻ったガンガは鏡に背を向けると本殿の外へと出た。

「しかし、全く驚かせやがって。出来そこないの偽者かよ。あれぐらいなら、今度は俺が勝つな…問題はルルイか。さてどこを捜せば…いや、待てよ」

 ガンガの脳裏に、先程獲物を見定めていた時の様子がよぎる。姿を見失った奴と一緒にいた二人、その片方が妙なものを拾い上げていたことを。

「…そうかそうか。妙な気配は感じていたが、あのすぐ後のことを考えると間違いねぇ」

 ぶつぶつと呟きながらガンガはふわりと浮き上がり、鳥居の上へ立った。眼下に広がる櫻木町を一望しながら、すぐそこにある手柄に想いを馳せる。その両目が、より一層不気味さを増していた。

「なに、一人で大丈夫さ…ついてるぜ、俺は」

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