1-2
海と山に挟まれた町、
今から二週間前─四月の中頃から、神隠しに遭う人が続出しているのだ。
被害者は幼稚園児の女の子から会社役員の男性まで多岐に渡り、法則や関連性といったものは見受けられない。唯一全ての被害者に共通しているのは、消息を絶ってから長くても数日後には意識を失った状態で発見されている、ということである。
今では事件の話題も全国区になろうとしており、警察も警戒を強めている。しかし完全にお手上げ状態で、近々オカルト関係の協力者を呼ぶとの噂まで立っている。
この事件に如何なる終止符が打たれるのか。全国の目が今、櫻木町に向けられている───
「───ってな感じでいこうと思ってるんだけど、どう?」
県立櫻木高等学校、一年二組。放課後になり、教室に残った生徒もまばらな時間。
「んー………今一つ」
「ちょっと、微妙?」
「普通ね」
そんな彼の期待を見事に裏切る答えが、目の前の三名から返された。
「なっ…そこまで言わなくてもいいだろ!?徹夜して考えたんだぜ?」
「徹夜してその字数と質?山口くん、あなた今まで読書感想文とかどうしてたの?」
眼鏡をかけた長髪の女子、
「うちの学校新聞ってさあ、もちょっとレベル高くなかった?読んだことないけど、俺」
手つかずのくせ毛がはね放題の男子、
「なんていうか…その、普通の新聞っぽいっていうか…アハハ、あたし何言ってんだろ」
ショートヘアの女子、
「僕は、よかったと思う。その…わかりやすくて」
それまで黙っていた四人目、
「水沢!くぅ~…っ、俺のことをわかってくれるのはお前だけだ!」
感極まった冬彦が、純の肩を勢いよく抱く。相手の困った表情など気づかないまま、鼻歌まで歌い出した。
「ほら、さっさと水沢くんを離しなさい。困ってるでしょ」
見かねた桃子が冬彦の腕を掴み、純を解放する。何しやがるんだ、という視線が突き刺さるが、相手にならぬとまるで気にしない。
「でも、入部したばかりの一年にいきなり記事書かせるなんて、ちょっと早すぎねぇか?」
「新聞部、部員少ないらしいからねえ。そもそも、あること自体に驚いたけど。えーっと…八人だっけ?全員で」
「し・ち・に・ん・だ。俺入れてな。下限人数ギリギリ。だから、頑張らなきゃいけないんだよ!」
やってやるぜ、と冬彦は鉛筆を握りしめ、色んなポーズをとり始める。ついていけないと判断した他の四人は、彼を無視して会話を続ける。
「しかしまー、冬彦の文才はともかくとしてよ、事件の方は大変だよな」
「そうだよね…うちの学校でも被害に遭ってる人、何人かいるみたいだし」
「その対応が放課後の部活動の禁止と出来る限りの集団下校。自宅待機はやりすぎ、かといって何もしないわけには…という考えが見え透いてるわね」
「まあ、色々大変なんだと思うよ。うん」
四人の表情は、会話が続くほど曇っていった。事実、三年生が二人、一年生が一人、神隠しに遭っている。その内、一年生の被害者はまだ見つかっていない。当初は家出ではないかとも言われていたが、今では誰もそのような可能性を考えてはいない。
被害者はどこに行っているのか、意識を取り戻さないのはなぜか。蚊帳の外から舞い戻った冬彦も交えて五人で話していると、教室前の扉が開き、スーツをキッチリと着た女教師が入ってきた。
「あなた達、まだ残ってたの?みんなもう帰ってるわよ」
「いけねえ、姫ちゃん先生だ」
「も、もう!その呼び方はやめてって言ってるでしょ、これでも担任なのよ!」
冬彦に不本意な渾名で呼ばれぷりぷりと怒る姫ちゃん…もとい、
「こほん、改めて…みんなもう帰ってるわよ。あなた達も、暗くなる前に帰りなさい」
「はーいよっと。ったく、これじゃ小学生に戻ったみたいじゃんか。取材もバリバリしたいってのにさ」
「…山口くん、聞こえてるわよ」
「聞かせてるんだよ。じゃ、さいなら!」
言うが早いか、冬彦は自分の鞄を手に教室を飛び出した。
「あ、ちょっと待ちなさい!廊下は走らない!課題は忘れない!遅刻はしない!…えっと、あとそれから……あっ」
遅れて教室を出てあれこれと注意を始める里美。しかし、一つ目を言い終わる頃には冬彦の姿は廊下の角を曲がり消えていた。一人前になる日はまだまだ先だと感じ、がっくりと肩を落とす。
「…先生、私たちもこれで」
「あ、葉月さん…そうね、気を付けてね。鈴森さん、駅まで葉月さんと一緒に行ってあげてね。戸羽くん、水沢くん、早く山口くんに追いついてあげて…」
「はい、わかりました」
「ま、あいつのことは任せといてよ」
「あの…それじゃ、失礼します」
落ち込む担任をこれ以上刺激するまいと、四人はそそくさと教室を後にした。一人残された里美は溜息をつくと、気持ちを落ち着ける為に乱れた机の整理を始めた。
* * *
「で、これから取材に行くんだけど、お前ら一緒に来てくれるよな?」
「何を聞いてたんだよお前…」
意気揚々と歩を進める冬彦に、英二があきれ顔で返す。校門から出てほどなくして追いついたはいいが、ずっとこの調子で正直対応に困っていた。
「正義のジャーナリストを目指す俺としては、やはり事件の早期解決のためにだな」
「中学の時はアイドルのマネージャーになるとか言ってなかったかお前…」
「そうだっけ?」
「ちなみにそれは三年の話で、二年の時がカメラマン、一年の時がゲームデザイナーだ」
「憶えてねぇなあ」
「お前さ、その時のノリでやることコロコロ変えるのやめた方がいいぜ?純も何か言ってやってくれよ」
頭を抱えながら、英二は純に支援攻撃を要請する。
急に話を振られた純は、どうしたものかと数秒考えた後、口を開いた。
「あ…うん。まあ、でもやりたいことがいっぱいあるってのは、いいと思うよ、山口くん」
「いや、純は話がわかるよなあ。まるで生まれた時から親友だったみたいだ」
「今月初めて会ったんだろ…純もさあ、相手に気を遣わずこう…バシーッて言っていいんだぜ?」
「え、なに、気ぃ遣ってたの?いいんだよそういうのは。思った通り言ってくれよ!」
「お前もお前で気づいてなかったのかよ…」
二人の言葉を受けて、純は頬を緩めながらも俯いてしまう。気を遣いすぎだ、とはよく言われてきたが、ここまでストレートに言ってくる相手はこの二人が初めてだった。
「いや、そんなことはないから。大丈夫だよ」
しかし、いくら強く言われたところで、今までの生き方をそう簡単に変えることはできない。気を遣っている方が楽だし、本当に嫌なことや駄目だと思うことにはNOと言ってきた…つもりだ。
相手との距離感を掴み切るまで口調が変になるのは自分でもどうかと思うが、波風を立てないのが一番だ。
「あ、そう?なんだ、大丈夫ならいいんだよ」
「お前…お前なあ…お前」
「なにぶつぶつ言ってんだよ…っと、ありゃなんだ?」
冬彦が小走りに前方のゴミ捨て場の前まで行き、しゃがみ込む。なんだなんだと二人が近づいてくる二人に、拾い上げたものを掲げて見せる。
「…なんだこりゃ」
「コンパクト…かな」
それは、掌に収まる…と言うにはやや大きめの、青い円形の箱だった。蓋には銀色の装飾が施され、それなりに値が張るであろう印象を受ける。
「ま、開けてみればわかるってな。ほい」
冬彦が蓋のボタンを押すと箱は勢いよく開き、中に隠していた真円の鏡を露わにした。しかし、下部の方に白粉や紅はなく、ボタンのような突起がいくつかあるだけだった。
「コンパクト…じゃ、ないんじゃないか?よく見たことないけど」
「いや!案外、最新の流行はこんな…」
「それはどうかな…で、どうするの、これ」
「もちのろん、交番に届ける!ゴミには思えないからな。それで現れた持ち主に、インタビューだ!」
「神隠しはどうしたんだよ…ま、いいや。ちょうど途中だしな」
「おう!そうと決まれば善は急げだ!」
コンパクトを制服のポケットに仕舞い、冬彦は再び歩き出す。やれやれとわざとらしく首を振りながら、英二もそれに続く。
純も二人に続こうとしたところで、さっきまで冬彦がしゃがんでいたところに何かが落ちているのに気づく。よく見てみると、それはリングで繋がった二つの鍵だった。
(そういえば、両親が共働きとか言ってたっけ。家の鍵、さっき落としたんだな)
すぐに鍵を拾い上げ、先を行く持ち主に声をかける。
「山口くん、鍵落としてない?」
しかし、二人とも気付かないのか、振り返りもせず歩き続ける。
「…山口くん、これ、君の家の鍵でしょ?」
声が小さかったのかと、さっきよりも大きな声で、歩きながら問いかける。だが先程と同じで、まるで反応がない。
もしかして、二人してからかっているのではないか。そんな不安に駆られて足早に追いつき、冬彦の肩に手をかける。
「ちょっと、聞いてる!?」
「ん、どうしたんだよ純?」
やっと反応があった。どうやらただ聞こえていなかったらしい。こちらを振り向く冬彦にほっと胸をなでおろす。
「………おい、英二」
「どしたよ」
「……純、どこ行った?」
「…え?」
冬彦の思わぬ一言に、純の顔が凍り付く。手を伸ばせば届く距離で、肩を掴めば反応した。なのに、どうやらこちらが見えていないらしい。わけがわからず、思わず叫ぶ。
「何、言ってるんだよ?ここにいるじゃないか!」
物心ついた時から出した覚えが無いほどの大声が出ていた。しかし冬彦だけでなく、英二までこちらが見えないらしい。
「さっきまで…そこに、いたよな?」
「どこ行って…おい、これアレだ!絶対アレだって!!」
「か……神隠し、か」
神隠し。英二の言葉に、心臓が止まるような感覚を覚える。他人から見えなくなることが神隠しの真相なのか。なぜ自分がそんな目に遭っているのか。どうすれば助かるのか。色んなことが次々と頭に浮かび、パンクしそうになる。
「おい、ヤベーッて!どうすんだよ!」
「こ…そうだ、交番!交番だよ!一石二鳥だ!!」
「言ってる場合か、行くぞ!!」
「あ、ちょっと待って!」
呼び止めるもその声も届かず、二人は走り去ってしまった。とっさに動けなかったが、今からでも追いかけるべきだろうか。そう思い走りだそうとした時、ふと名案を思い付いた。
「…そうだ、交番に行かなくても、これがあるじゃないか」
そう呟き、制服のズボンのポケットからスマートフォンを取り出す。冬彦たちは慌てて思いつかなかったようだが、こんな便利なものがあるではないか。段々と落ち着いてきたところで、まずは二人に電話を───
「無駄無駄。どうやったって、お前の声は誰にも届きやしないよ」
明らかに自分にかけられた、妙にくぐもった声。助かった、誰にも見えないわけじゃないんだ。純は相手の言葉の内容を考えるより前に、声のした方へ急いで向き直る。
「よお。誰にも気づかれないってのは、どんな気分だ?」
そこには、全身がベージュ色の布のような奇怪な存在が立っていた。
「だ……え、あ?」
あまりに現実離れした事態に、脳の処理が追いつかない。一体、目の前のアレは誰だ。そもそも、人間なのだろうか。
「いや、まあ、わかる。いきなりで驚いてるよな。大丈夫だ、俺もすぐに消える。そして」
怪人は身動きできない純につかつかと歩み寄り、顔をグッと近づける。
「お前を見てくれる奴は、誰もいなくなる」
耳元でそう囁かれた瞬間、純は自分の心臓から、何かが出てくるような感覚を覚えた。まるで、地面の下で種が陽の光を求めて芽を伸ばすような、奇妙な感覚を。
「あ……あ………」
全身が震えて、声も思うように出ない。自分の身体は一体、どうなってしまったのか。妖しく光る怪人の黄色い双眸を見ながら、ただそれだけをぼんやりと考える。
「なんだ、こいつ随分と速いな。ま、そっちの方がいいんだけどよ」
目の前のモノが何を言っているのか、まるでわからない。このまま、何もわからずに、自分の何かが終わってしまうのだろうか。
純の思考が限界を迎えようとしていた、その時。
「走って!」
「………え?」
話しかけられた。それも目の前の怪人にではない、女の子のような声にだ。見れば、向こうも驚いたのか辺りを見回している。声の主は、一体どこにいるのか。
「走ってください!そいつから離れて!」
今度はどこから声がしたのかわかった。自分の手の中、スマートフォンからだ。しかし、着信を知らせる振動はなかった。とすると、この声はなんなのだろう。わけがわからないまま、声の指示に従い、じりじりと後ずさる。
「…おい待て、お前。今の声、まさか」
怪人が言い終わるのを待たず、純は全力で走り出した。まずは、こいつから逃げきらねばならない。
「急いで、すぐに追いつかれます!」
スマートフォンから、また声がした。どうやらあの怪人について何か知っているらしい。少し思考が落ち着いてきたところで振り返ると、純の目にとんでもないものが飛び込んできた。
「逃がさねえぞ」
怪人が追ってきている。それだけならいい。問題は相手が宙に浮いているということだ。思考が再び混乱を始めながら、純はひたすらに走った。余裕の表れか、元から速くないのか、こちらの足と大差ないスピードなのが助かった。しかし、こちらの体力には限界がある。そう長くは逃げ続けられない。
「ど…ハァ…どこまで行ったらいいんだ!」
「これだけ離れれば…そこです、そのまま真っ直ぐ!」
「そこって…ちょっと、待ってくれよ」
この先は小さな川だ。しかし真っ直ぐ進んだ先に待っているのは橋ではなく、高さがやや心もとない柵だ。ここから飛び込めとでもいうのだろうか。純は謎の声に従ったことを、急速に後悔し始めた。
「信じてください!お願いですから!!」
「で、でも…」
いくら逃げる為とはいえ、とっさに川に飛び込むことなどできない。別の道へ進もうと振り返るが、怪人は純の目と鼻の先まで迫っていた。
「いい加減に、諦めろ!」
「早く!!」
「………ええい、こうなりゃやけだ!」
純は意を決し柵によじ登ると、両足で思いきり蹴り、川の上へと跳んだ。そして、水面に映る自分の姿を認識した瞬間───
純の姿は、本当に世界から消えてしまった。
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