第7話 初めての休日出勤

 夏海はその翌週の月曜日、初めて有給休暇を取得した。

 土曜日の朝いちばんの特急列車を私費で座席予約し、二泊三日の予定で磨臼に赴いた。


 竹中課長には、これ以上職務を増やすな、関わるな、と釘をさされている。

 だから磨臼に関わるならば当面は職務時間外に動かなければならない。

 木野崎と電話で話した翌日の定時後に、自分の携帯電話から磨臼行政振興センターの小西主幹に連絡を入れた。

 磨臼の観光プロモーションにできる限り関わりたいと相談すると、週末の打ち合わせに快諾してくれた。

 今日は夏海の到着に合わせて、小西主幹と木野崎が磨臼温泉駅まで迎えに来てくれることになっている。


 ♨️


 土曜の朝ということもあって、磨臼半島へのリゾート特急の車内はそれなりに賑わっていた。

 けれども、指定席には空席が目立ち、三列シートは目的地に到着するまで夏海一人で占拠することができた。

 静かにゆったりと移動できるのはありがたいが、観光地に向かっているという高揚感には程遠い。リゾート特急の車内なら、家族連れや学生グループの明るい話し声が聞こえてくる方が気分も上がるのに。


 リゾート地の玄関口とは思えないほどさびれた駅のホームに降り立つと、正面にある改札のすぐ向こうに、目立つ金髪頭と大柄の男性の並び立つ姿が見えた。


「おはようございます! お休みの日にわざわざすみません」

「ああ、おはようございます。二ツ石さんこそ、自腹でわざわざ磨臼まで、ご苦労さまです」

 体格も年齢も自分の倍はあろうかという小西主幹が丁寧に挨拶をしてくれる。

 隣の木野崎キンパツは相変わらずフレンドリーぞんざいな態度で「さ、行くぞ」とさっさと背中を向ける。


 もうちょっとねぎらいや感謝の言葉があってもいいんじゃないの?

 そりゃあ、頼まれて来たわけではないけれど。


 口を尖らせつつ、小西主幹の大きな背中について潮風の匂いがする駅前通りを歩き出した。


 温泉まんじゅうや干物の看板が立ち並ぶ閑散とした土産物店通りを突っ切ると、全国チェーンのコーヒーショップが控えめな看板を出していた。

 自動ドアをくぐり、小西主幹が三人分のアイスコーヒーを注文してくれている間に席を取る。

 夏海の向かいに座った木野崎が口を開いた。


「実は小西さんも磨臼出身なんだ。本庁にいる間に結婚して、奥さんと子供はS市内に住んでるから、今は単身赴任ってことになってるけどさ。

 小西さんの親父さんが俺のじいちゃんの代からうちの旅館で板前やってて、俺もすげぇお世話になってる。現役は退いたけど今でも時々うちに来て繁忙期はヘルプに入ってくれたり、俺に料理を教えてくれたりしてるんだ」

「へぇー! そうだったんだ! だから小西主幹を頼れって言ったのね?」

「ああ。あの人は自分が磨臼にいる間になんとか観光にテコ入れしたいって思っててさ。磨臼半島の観光協会や観光課長達とも太いパイプ持ってるんだ。

 ただ、出先機関だと本庁の動きが見えにくいから、あんたからいろいろ情報を流してもらえれば動きやすくなるって言ってた」


 「お待たせー」

 熊のように大きな体に似つかわしくない小さなトレイにグラスを三つのせた小西主幹が席に来た。

「いただきます」夏海も木野崎もぺこりと頭を下げてからストローをくわえる。三人が一口ずつ飲み終えたところで早速打ち合わせが始まった。


「二ツ石さんもご存知のとおり、篤人くん達青年会が先日から “disてぃねーしょん・まうす” プロジェクトを始めたわけだけれど……」

「disてぃねーしょん・まうす?」

「そう。英語のdestination目的地と “disる” っていう若者言葉を掛けた造語なんだけど、このプロジェクト名にぴったりでしょ?」

 にこにこと得意げな小西主幹の横で、(俺のネーミングじゃねえよ)とばかりに木野崎が苦笑いで目くばせをする。

 その様子がおかしくて夏海がふふっと笑みをこぼすと、小西主幹は渾身のネーミングが受けたのだと勘違いしたようで「そう、“disてぃねーしょん・まうす” ね!」と胸を張った。


「で、そのプロジェクトで僕たち行政側にできるサポートを考えると共に、それに連携した施策を何か打ち出せないか考えたいんだ。

 二ツ石さんがせっかくやる気になってくれたのなら、本庁観光プロモーション課の中であなたがどう動けるかを相談させてもらおうと思ってね」

「それなんですが……。木野崎さんには先日電話で伝えたんですけど、うちの竹中課長が消極的で……」

「ああ、あの人は国から出向して来てるキャリアでしょ? 彼にとってみれば、県職員は国の施策を地方に下ろすための手足みたいなものだから。余計なことをして動き回るよりも忠実に動くことを求めているだろうね」

「はい。そんな感じです。なので、私が課内で動けるとしたら、自分の受け持ち業務の他は各業務担当の方々に情報をもらったり、多少の便宜を図ってもらうことくらいでしょうか」


「二ツ石さんは、今年度は各市町村からの観光振興補助金の申請受付を担当してるんだっけ?」

「はい。本年度に行われた市町村主催の観光イベントについて、申請が出れば一件につき上限50万円の補助金を県から出すことができます」

「内容の精査は誰がしてるの?」

「一応私の方でイベントの内容を精査した上で、要旨を添えて決裁を回すことになっています。すでに今年度は五件ほど申請を受け付けていますけれど、毎年恒例のイベントが多いせいか決裁はスムーズに下りています。ただし、本年度の受付の上限は三十件なので、申請するなら早い方がいいかと」

「了解。磨臼の市町村からも毎年補助金申請が出ていると思うけれど、今年度はその補助金枠で何か新しいイベントを打ち出せないか、地元観光協会や観光課長たちとも相談してみよう」


 先日の会議でもそつなく司会進行をこなしていた小西主幹。

 出先機関の人間ということとその風貌で勝手にのんびりとしたイメージをつくっていた夏海だったが、小気味良いテンポで進んでいく打ち合わせに驚きを隠せない。

 公務員らしからぬ方面できちんと仕事ができる人なんだ。

 小西主幹と話すにつれて、彼への尊敬と信頼の念がむくむくと湧いてくる。

 ……まあ、ネーミングセンスはちょっとアレかもしれないけれど。


「あ! あと、私が担当しているもう一つの補助金制度に、観光案内板整備事業補助金というのがあります。県内の観光名所に案内板を設置するときに使える補助金なんですが、今回青年会でdisった “残念スポット” に案内板を設置するというのはどうでしょう?」

「それも面白いアイデアだね! 地権者や所有者の意向で設置が難しい場所もあるだろうけれど、例えば白戸海岸の残念な “東洋のドブロブニク” とか、“良一・お初の別れの一本松” とかならば市町村が動いてくれれば設置できると思うよ」

「その辺りのアイデアは、明後日の月曜日に小西主幹と私で各市町村役場や観光協会を回って説明すればいいんですね?」

「そう。二ツ石さんには有給休暇を使わせて申し訳ないけれど、関係各所には僕からアポイントメントを取っておいたから、一日だけでもスムーズに回れると思うよ。

 明日は篤人くんたち青年会のメンバーと打ち合わせしながら、“disてぃねーしょん・まうす” プロジェクトをさらに発展させるための施策を考えてみよう」

「はい!」


 時間もお金もプライベートを費やした、休日出勤とも言えるべき打ち合わせ。

 けれども入庁してから一番楽しく、充実した仕事ができていると夏海は実感していた。


 熱心に話し込む夏海と小西主幹の横で、木野崎はソファに背中を預けながら、アイスコーヒーのストローを咥えて満足気に聞いていた。

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