第6話 初めてのリカバリー

 初めての会議に出席してから半月が経った。

 相も変わらずデスクに舞い込む書類を夜遅くまでひたすら処理していく毎日。

 それでも、磨臼で木野崎と話した内容と名刺入れに挟まったままの彼の名刺の存在は、夏海の心の一角に居座り続け、通常業務に忙殺されそうになるたびに彼女の意識の扉をノックして存在を主張してくる。


 水曜の定時退庁日、県庁から自転車で10分ほどの郊外にある単身者向けの職員住宅に戻った夏海は、簡単な夕食を済ませた後にベッドに寝転びスマホを手にした。


“磨臼 青年の会” というキーワードでサイトを検索すると、木野崎が会長を務める “磨臼の未来を考える青年の会” のsurface book がヒットした。

 タップすると、トップページに二十名ほどの若者たちが日焼けした顔をほころばせながら海辺に集まる写真が掲載されている。

 夏海の視線はその真ん中に小さく写る金髪の青年に引き寄せられた。


 タップして写真を拡大し、彼の笑顔を食い入るように見つめる。


 笑うとこんな可愛い顔になるんだ――


 って、見るとこじゃないっ!


 我に返ると慌ててブラウザバックして、surface bookのトップページをスクロールさせる。


 すると、出てくる出てくる。


 残念な観光スポットや景観の写真と、それを “disる” 文章。


 2~3日に一度はアップされているようで、あの会議の後で見せてもらった 『なんでも集めた博物館』 の転載記事から始まって五つほどの記事が並んでいる。

 どの記事も「いいね!」が500以上ついていて、半月ほどの短い期間にもかかわらず反響の高さが伺えた。


「あーここね!

 私も写真に撮った 『希望の丘』 !」

 夏海は写真についた文を読み始めた。


“丘の上から喜屋戸湾の絶景が見られるスポットだが、すぐ横の私有地に「リゾートマンション建設反対」 のでかい看板がある。

 リゾートマンションが建つ話があったのはバブル崩壊の直前らしい。…ってことは30年近くも前の話だろ?

 一体いつからこの看板はここに放置されてるんだ!?”


 記事を読んでから再び写真を眺めると、絶景を台無しにする錆びた看板に妙な哀愁が滲み出ているように感じられて、夏海は思わずクスリと笑いを漏らした。


「いいね!」の他にコメントも数多くついていて、「十年前に自分がここに行った時にも確かにこの看板はあった!」「ここで見えるのは希望じゃなくて絶望だな」「これだけ残念な景観だとむしろ見てみたくなる」などと書き込まれている。


 五つの記事をすべて読み終えた後、ツイットーも確認した。

 surface bookと同じ記事が投稿されていて、こちらも「いいね」やリツイートが数百件単位でついている。


 やはり自虐ネタは若い世代には概ね好意的に受け入れられている。

 手応えは上々のようだ。


 夏海は通勤バッグに入れっぱなしの名刺入れを取り出した。

 自分の観光名刺の束とは別のポケットに差し込んであった一枚の名刺を取り出す。

 十六夜亭の代表電話番号の他に、木野崎個人の携帯電話番号も記載されている。


 この時間ならば、旅館の厨房も落ち着いているだろうか。


 緊張をのせた指先で数字ボタンを押し、スマホを耳にあてた。


 数回のコールの後。

「もしもし?」

 訝しむ声が耳元で響き、弾かれるように慌てて背筋を伸ばす。


「あっ! 夜分すみません。

 県観光プロモーション課の二ツ石ですが……」

「あぁ、こないだの会議に来たあんたか! 見覚えのない番号だったから驚いた」


 友好的な声色に安堵しつつも、そのフレンドリーさが自分の協力への期待からくるものであったら、と考えると夏海の心はちくちくと痛む。


「青年会のsurface bookとツイットー見ました。

 記事も写真もすごく面白かった!」

「なかなかの反響だろ? あの会議の後にメンバーに話持ちかけたらみんな乗り気になってさ。

 文章の上手い奴が何人かで早速書いてくれてるんだ」

「そうなんだ。すぐに動き出すなんて、さすがのフットワークね」

「そこが役所や企業と違うところさ。で、そっちはどうなんだ? 少しは動けそう?」


 やっぱり期待してくれていたんだ。


「それが……。行政が関わるとクレームの矛先になるから動くなって上司に言われて……」

「……」


 夏海は見えない相手に頭を垂れた。


「……ごめんなさい」


 ふ、と電話の向こうで相手が笑う。


「まあ、はなっから期待はしてなかったさ。

 お役所なんてそんなもんだろ」

「え……っ」

「俺ら摩臼の人間が、これまで役所の奴らにどんだけ失望してきたと思ってる?

 所詮何年かしたら別の部署に異動するような奴らが、何十年もここに住んでる俺らと同じ思いで摩臼を良くしていこうなんて思うわけないよな。

 ましてやあんたのとこは県庁だろ?

 結局摩臼なんてお払い箱の扱いなんだろうからさ」


 怒り出さないところが悲しかった。

 期待されていなかったという事実が悔しかった。

 夏海の目に涙が滲んだ。


「私は摩臼がお払い箱だなんて思っていない!

 せっかく若い人たちがアクションを起こしたんだもの。同年代として、私も何か協力したい!

 でも、ああいう堅苦しい組織の中じゃ、新人の私一人でできることなんて──」


「言い訳なんか別にいらない。

 俺らは今までどおり、俺らにできることをするだけだ。

 役所の奴らは答えの出ない話し合いでも延々としてりゃあいい」

「私だって、私にできることをしたい!

 あんな会議、やるだけ無駄って思ったのは私も同じだもの!

 お役所仕事しか知らない人間になりたくない。

 与えられた仕事をこなすだけの公務員になんてなりたくない!」


 竹中課長に諭されて以来、蓋をして燻らせてきた思いが木野崎の言葉で一気に湧き上がってきた。


 文書規程さえまだきっちりと身についていない自分だ。

 優秀な公務員が何たるかも理解していない自分だ。

 そんな自分だからこそ、役所の価値観に染まりたくないと、今なら強く決意できる。


「……俺が会議の後であんたに声かけたのも、会議中のあんたの表情に俺らと同じ思いが見えたからだ。

 あんたとなら、役所と民間っていう垣根を取り払って同じ目標に向かっていけると思った」


「そんな風に思ってくれてたんだ。

 最初はめっちゃ感じ悪かったけど」

「あんただって俺のこと睨みつけてたんだし、お互い様だろ?」


 快活に笑う木野崎の声にsurface bookの写真の笑顔が重なって、夏海の心臓がトクンと跳ねた。


「一人で動けないなら、こないだ会議を取り仕切ってた小西さんに相談するといい。

 あの人も、役人だけど俺らと同じ思いで摩臼の現状を憂いている人だから」


「わかった。小西主幹に連絡してみる。

 ……いろいろありがとう」


 背中を押してくれてありがとう。


 久しぶりに熱いエネルギーが心の内を満たしていくのを感じながら、夏海は木野崎との通話を終えた。



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