第4話 初めての涙
会議後、同じホテルの別室にてランチを兼ねた懇親会が用意されていた。
立食形式で寿司やサンドイッチなどが並べられており、ドリンクを片手に皆談笑している。
ここでも夏海はただそこにいるだけの人形だった。
「お疲れ様でした。せっかく摩臼まで来たし、午後はどこか観光に連れて行きましょうか?
とは言っても、ご存知のとおり大した名所はないんだけどね」
会議後、懇親会場へ移動する際に会議の運営担当者だった小西主幹が話しかけてくれたけれど、夏海はそんな気分には到底なれなかった。
「ありがとうございます。でも、本日の会議内容を報告するレジュメを今日中に作りたいので、またの機会に」
せっかくの主幹の好意を新人の自分が断るのは申し訳ない気もするが、気乗りしない観光に彼の業務時間を割いて付き合わせるのも悪い気がするし、と自分に言い訳をした。
♨️
皿に僅かな寿司と刺身を取って壁際に移動するも、夏海に話しかけてくる者はいない。
二~三人ずつに固まって和やかに談笑している人たちは皆元々顔見知りなのだろうか。その中に割り入って話に加われるほど社会経験を積んでいない夏海は、どう振る舞うのが正解かわからないまま寿司を頬張った。
わさびがきつい。
目頭に涙が溜まってくる。
皿を置き、懇親会場の部屋から廊下へ出た。
自分はここに何をしに来たのだろう。
竹中課長が自分の成長を期待して来させてくれたのに、何の成果も出せなかった。
半島を走り回って組み立てた提案も絵空事のように流された。
せっかくの懇親会で人脈を広げることすらできていない。
私、ここで何をやってるんだろう──
「おい、どうした?」
ロビーのソファに座り俯いていた夏海の上から声が降ってきた。
このぞんざいな口調は木野崎とかいう金髪調理服のあいつに違いない。
涙を見られたくないし、震える声を聞かせるのも恥ずかしい。
夏海は俯いたまま身を固くしてスルーした。
ソファの座面が大きく揺れる。
すぐ隣に人の気配。
なんで馴れ馴れしく隣に座ってくるの?この人……
「あんな会議、出たって出なくたって同じだろ? 自分の意見流されたからって気にすんなよ」
夏海の耳に至近距離からの声が響く。
「俺なんか出るのこれで三回目だけど、毎年同じ話しかしないし、結局何がしたいのかよくわからねーし。
役所ってのは随分無駄なことばっかするよな」
夏海の背に触れていたソファの座面が離れる。
どうやら木野崎が背中に体重をかけ、かなり寛いだ姿勢で座っているようだ。
会議の主催者である行政振興センターは県の出先機関だ。
同じ組織で働く、しかも新人の自分が外部の人間の前で会議を批判することなんて許されない。
けれども。
「結論が出ない問題点ばかりを
取り繕うことをしない同年代の彼の横で、心の内を少しだけ吐き出した。
俯いたままの夏海の視界の端に、ぼやけた金髪と顔の輪郭が映る。
木野崎が夏海の顔を覗き込んでいるのだった。
夏海は彼とは反対方向に顔を背け、慌てて手の甲で涙を拭う。
「あんたが会場へ入ってきた時は、スーツに着られたようなちんちくりんの女の子が入ってきたって思ってさ。
こんな新人を会議に寄越すなんて、やっぱり県にとっては摩臼なんてもうお払い箱なんだなって思った。
ただの人数合わせに駆り出されたお嬢ちゃんなんだなって。
用意してきたっていう画像も何が言いたいのかわかんねー、妙な写真ばっかだったし」
デリカシーのない木野崎の言葉に、悔し涙が再び浮かびそうになる。
そんなことはお構い無しの様子で、木野崎はソファに腰掛けたまま自分のズボンのポケットからスマホを取り出す。
「けどさ、写真見てるうちにピンと来たんだ。
俺と同じ摩臼の青年会のメンバーでブログやってる奴がいてさ。
“摩臼をdisる” 記事をしょっちゅう書いてるんだ」
摩臼をdisる?……地元を批判するってこと?
スマホをスワイプする木野崎の指先を思わず見つめる。
「お、これこれ」
木野崎は声を弾ませると、無遠慮に夏海の目の前に画面を差し出した。
彼のスマホを手に取って、画面の記事を読む。
そこには摩臼の観光スポットの一つである『なんでも集めた博物館』の外観写真が掲載されていた。
その博物館、夏海は訪れたことがないのだが、課内のラックに資料として並べられている各地の観光パンフレットの中で目にした記憶がある。
老朽化した廃屋のような博物館の外観も不気味だが、その入口にそびえる像がまた不気味すぎて強烈に印象に残っているのだ。
“何でも集めすぎだろう!” とツッコミを入れたくなるほどに。
写真に続くブログの記事にはこのように書かれていた。
『摩臼に来れば、誰もが通りがかりに目にするだろうこの巨大なオブジェ。
どうやら“アザ美” という名前がついているらしい。
元々この “なんでも集めた博物館” の前身、アザラシ博物館だった頃に作られたキャラクター像だったのを、博物館が変わった際になぜか少女の像に変えようとした。
アザラシの形の上にペンキで洋服と少女の顔を上書きしたから、こんな不気味な立体像になったというわけ。
ちなみになぜ磨臼でアザラシなのか、そしてなぜアザラシの像が直立しているのかという質問は受け付けない』
その強烈に不気味な立体像の画像と、歯に衣着せないdisりっぷりに、夏海は思わずぷっと吹き出した。
「そうそう! 私もパンフの写真見て、なんでわざわざこんな不気味な像を立てたんだろうって不思議だったの!
そっかぁ。元々はアザラシの像だったのね。
だからあんなにずんぐりむっくりしてるんだ!」
クスクスと笑う夏海に、木野崎は満足気に微笑んだ。
「面白いだろ? 摩臼に来たことある奴なら絶対わかるネタだろ?
現にこの記事、人気になってツイットーでも拡散してるんだ」
木野崎の言葉に何か含みがあるように感じて、夏海は思わず彼を見た。
少年ぽい、くりっとした瞳が悪戯を思いついた時のように輝いている。
その悪戯に自分も加担したくなるような気持ちに、夏海の胸が高鳴りだした。
「あんたの撮ってきた写真見ながら俺思ったんだよね。
“残念半島” から抜け出せないなら、その “残念”っぷりを売りにすればいいんじゃないかって。
ブログやツイットーなら金かけずに宣伝できるし、面白けりゃ勝手に拡散される。
これなら青年会の奴らものってきそうな話だなって」
「それいいっ!」
木野崎の方へ膝を向けた夏海が目を輝かせた。
「ハード面がどうにもならないなら、情報っていうソフト面を変えていけばいいのよね!
年配の人にはあんまりいい印象与えないかもだけど、そういう人はそもそもあんまりツイットーとか見ないだろうし、若者受けしそうな気がする!」
我が意を得たり、と木野崎がにやりとした。
「まあ、行政に手伝ってもらうことじゃねーからさ。俺ら青年会で……」
「そんなことない!」
夏海が木野崎の言葉を鼻息荒く遮った。
自分が所属しているのは観光プロモーション課だ。
摩臼のプロモーションに一役買うのが本来の業務のはず。
統計取って、会議出てばっかりじゃ、プロモーションしてるとは言えないもの!
「私がいるのは観光プロモーション課だもの。
行政サイドからサポートできる面もきっとあるはず。
課に戻ったら上司に相談してみるから、あなたの連絡先教えて!」
「あ? ああ」
夏海は自分のバッグから名刺入れを取り出して、喜屋戸湾の風景写真のついた名刺を手渡した。
木野崎も尻ポケットから財布を取り出し、そこに挟まれていた名刺を夏海に差し出す。
「摩臼温泉旅館
って! あの、十六夜亭の常務!? 」
突如、夏海の頭に幼い頃から刷り込まれたメロディが繰り返し再生され始めた。
“いざよい~♪ いざよい~♪
いざ摩臼へ よいところ~
泊まりはやっぱり い~ざよいところ~♪”
夏海の暮らしていた隣県でも、ローカル局のCMとしてよく耳にしていたフレーズだった。
摩臼で一番の老舗高級旅館。
摩臼温泉といったら十六夜亭。
明治の文豪も逗留して名作を執筆したと名高いあの十六夜亭──!?
「あ、俺、そこの長男なんだ。
まだ親父がバリ現役だから、普段は厨房で好きなことやってるけど」
夏海の頭には、まだCMソングがかかっている。
「てわけで、摩臼じゃ顔はそこそこきくからさ。今後ともよろしく」
指に挟んだ夏海の名刺をピッとかざして挨拶すると、木野崎はソファを立ち上がり懇親会場の方へと去って行った。
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