第2話 初めての会議

 開かれたドアをそのままくぐり、バンケットルームの臙脂えんじの絨毯をパンプスで踏み込むと、ロの字形に並べられた長机に座る十人ほどが一斉に夏海へと視線を向けた。

 年配の出席者が目立つ部屋の中は、夏海を場違いな分子として弾き飛ばそうとしているかのような威圧感で膨満している。


「失礼しましたっ!」と一礼して立ち去りたい衝動と戦いながら、夏海は絞り出すように声を出した。


「あ……、あの、県観光プロモーション課の……」


「ああ! 二ツ石さんですね。どうぞ、こちらへ」

 隣の老年男性と談笑していたのか、口元に笑みを残したままの男性がすっくと立ち上がり、自分の隣の空席を指し示した。

 聞き覚えのある声だ。

 先日電話にて自分が会議に出席する旨を伝えた、磨臼行政振興センター観光振興担当の小西主幹に違いない。

 電話越しの声で想像していたとおり、物腰の柔らかい大柄な壮年男性で、彼の笑顔に縮こまっていた夏海の心がほんの少し弛緩した。


「遅くなりましてすみません。ちょっと下調べをしていたもので……」

 自分の席が彼の隣であることに安堵しつつ、行政担当者として下座にあるドアの傍の席に座る。

 腰を落ち着けたところで辺りを見回すと、テーブルの前にはそれぞれ三角柱を横に倒したような形のネームプレートが置かれていて、出席者の氏名が肩書とともに記載されていた。


 磨臼温泉観光ホテル(株)代表取締役 鈴木守男

 磨臼温泉女将の会会長 木野崎直子

 磨臼温泉駅前商店街連合代表 小林徹

 県立大学経済学部地域経営学科教授 大森竜彦

(株)磨臼ゆうえんちドリーミーランド専務取締役 渡井義之

 磨臼の未来を考える青年の会会長 木野崎篤人

摩臼町観光振興課長 菅谷誠

南摩臼町観光課長 嶋田浩史

 S県東部広域観光連合会本年度幹事(土俱町観光課長) 久野浩二

 磨臼行政振興センター副所長 伊田敏正

 磨臼行政振興センター地域振興部観光振興担当主幹 小西幸弘


“有識者会議” という名称から、どんなに偉い学者の人ばかりが来ているのだろうと思っていたが、平均年齢こそ高いものの、外見や顔立ちから受ける印象は様々だった。

 ホテルの社長や大学教授、遊園地の専務、そして行政関係者はカチッとしたスーツ姿で座っているものの、小西主幹と談笑していた商店街の代表のおじさんはTシャツにジーパン姿で首にタオルを巻いている。

 女将はさすがに美しい着物で上品に座っているが、その隣に座る青年の会会長の男性は黄ばみの目立つ調理服で椅子に座っていた。


 夏海の視線は、この会議の中で最も異質な風体の彼に自然に引き寄せられた。

 金髪に染めた短い髪を逆立て、全開した額の下には意思の強さを物語る太くつり上がった眉が一直線に伸びている。

 比較的くりっとした二重の目は少年っぽさを残していて、夏海とそう変わらない年齢である印象を受ける。


 鬼ちゃんに似てるなぁ。


 夏海が視線を動かさずにぼんやりと人気のCMキャラクターと重ねていると、木野崎というその青年もこちらを一瞥した。


 目が合った。


 かと思うと、いかにも「ふん」といった調子で憮然としながら目を逸らされる。

 まるでマンガのようにわかりやすい “感じの悪さ” だ。


 私が何をしたというの?

 居づらい雰囲気に背中がむず痒くそわそわとしていた夏海だったが、青年のその挑戦的な態度に元来の強気が頭をもたげ、縮んでいた背筋が自然と伸ばされた。


 なんで小娘がこんな場違いなとこに来てるのかって顔してたわね。

 いいわ。あなたよりまともなこと発言して、きちんと仕事ができるってこと見せてやる!


 テーブルに置かれたペットボトルのミネラルウォーターで口の乾きを潤しつつ、夏海は内心で息巻いた。


「えー、では定刻になりましたので、会議の方始めさせていただきたいと思います」

 小西主幹がこなれた調子で会議を取り仕切り始めた。


 出席者の紹介として、小西主幹が肩書と名前を読み上げていく。

 夏海も他の出席者に倣って立ち上がって一礼し、再び席につく。

 その後、小西主幹の上司である行政センターの副所長が、磨臼半島の観光の現状を説明しつつ、長い冒頭の挨拶を述べた。


 観光入込客数の減少、特に周辺の高速道路の整備が進んだために日帰りの観光客の割合が多くなり、ホテルの経営がさらに厳しい状況にあること。

 観光業の不振により観光施設が老朽化しても設備投資に回すことができず、悪循環に陥っていること。

 観光地として地域経済を潤すためには外貨、つまり地域外や県外からの観光客が地域に落とす金を増やす施策が必要であること。

 などなど。


 毎月観光入込客数をまとめ、経済部に考察と共に報告している夏海には、知識として理解している話ばかりが並べたてられる。

 わかりきっているのにどうにも答えの出ない問題の羅列は、下を向いてやり過ごしている出席者達の頭上を淀みなく流れていく。

 会議の体裁を整えるためには必要な話の流れなのだろう。

 夏海もメモを取るフリをしながら、配られた会議次第によると次に来るであろう自分の発言を頭の中でシミュレーションしていた。


「では、次に県観光プロモーション課主事の二ツ石夏海さんに、摩臼半島の観光振興の課題と本年度の県の施策についてお話しいただきます」


 隣の小西主幹に会釈で促され、「はい」と夏海は慌てて背筋を伸ばす。

 目上の者達の視線を一心に集め、途端に鼓動が早くなり冷や汗が出てくる。

 ここを淀みなくやり切らなければ、その後の会議ではただ座っているだけのお人形になってしまう。

 課の代表として来ているのだから、ちゃんとしたを持ってここに来たのだということをアピールしなければ!


「すみません。ちょっとプロジェクターをお借りいたします」

 夏海は震える声で立ち上がると、事前に用意されたプロジェクターに起動させていた持参のPCを接続させた。

 USBケーブルを繋ぐ手も僅かに震え、頭の中が真っ白に飛びそうになる。


 大丈夫。

 こういう発表は大学のゼミで散々やったじゃない。

 そうだ。ゼミの発表だと思えばいいんだ!


 摩臼に前日入りしてつい先程まで撮りだめしていたデジカメの画像。

 それを収めたフォルダを画面に表示させると、夏海は顔を上げた。


「皆さま、この摩臼半島の観光の動向やデータについては説明しなくても既にご存知かと思います。

 ですので、私の方からは摩臼半島のこれからの観光のあり方として、“景観整備の必要性” を提案させていただきたいと思います」


 唐突なの提示に出張者たちがきょとんとする中、夏海はプロジェクターに一枚の画像を表示させた。


 それは、海岸線の国道に並ぶ電柱に括りつけられた、“おじぇなんしぇ!摩臼半島” の錆びついた看板を撮影したものだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る