第7話 トレントの樹液

「この病気を治す為に必要なのは、植物の魔物の蜜もしくは樹液ですわ」


「蜜と樹液?」


「ええ、植物の魔物は通常の植物に比べてとても強靭ですの。そしてその強靭さは病に対しての抵抗力にも適用されますのよ」


「俺強いぃぃぃぃぃ」


 と、誇らしげにトレントが声をあげる。


「じゃあその蜜か樹液があれば?」


 ドライアドが頷く。


「植物の魔物の持つ病への抵抗力を麦にも与える事ができますわ。それは文字通り、植物用の薬と言えますの」


「じゃあ早速お願いします!」


 薬が手に入ると分かったジョンが早く早くとライズを急かす。


「簡単に言わないで下さいまし! 植物の魔物にとって樹液を渡す事は、人間にとって血を差し出すのに等しい行為なのですわ! コレだけの麦畑に樹液を与えたらトレントがどうなるのかお分かりになりませんの!」


 気軽に樹液を求めてきたジョンにドライアドが激昂する。

 確かに周囲のすべての麦畑のトレントの樹液を与えればトレントはかれてしまうだろう。更に言えば人間と同サイズのドライアドなら尚更だ。


「す、すみません」


「はぁ、貴方はもっと反省するべきですわ。貴方がもっと良く麦の様子に注意していれば、ここまで悪くなる前に気付けたのではなくて? そうすれば被害もずっと小さく済みましたのよ? 目の前の小銭に目が眩んで大切な麦の病気を見逃してしまったのが貴方の失敗ですわ。しかも自分の畑だけではなく、他の方の畑まで。」


「はい……申し訳ありません」


 見目麗しいドライアドにお説教をされてしょんぼりと縮こまるジョン。

 その様子を見たドライアドは、小さくため息を吐きながらその続きを口にする。


「……まぁ、この辺りの畑の麦はとても良く育っています。それはちゃんと愛情を持って育てられているからですわ」

「え?」


 突然ドライアドに褒められて困惑するジョン。


「植物はとても繊細な生き物なんですの。自分で動けない以上、彼等を糧とするのなら人間がこまめに手入れをしないといけませんわ」


「は、はぁ……」


「けれど、まだ萎れていない畑の麦からは喜びを感じますの。それは貴方がたがちゃんと麦の手入れをしているからですわ」


 ドライアドの意図が分からないものの、彼女を信じているライズは二人の会話を見守る事にした。


「だから、畑の麦達を助ける為に特別に私も手伝って差し上げますわ。感謝なさい!!」


「は、はい!」


 どうやら只のツンデレだったようである。


「ではトレントの樹液を採取しますので、水を汲んだ桶をなるべく沢山用意してくださいませ。それと同じ数の柄杓も!」


「分かりました!」


 ドライアドに命令されて嬉しそうに駆け出してゆくジョン。

 その顔は嬉しそうににニヤており、本当に麦が治る事への喜びだけでニヤけているのか疑問に思える様子だった。


「なぁ、樹液を取ったらトレントが……」


 結局のところ、樹液を取りすぎたらトレントの命に危険が及ぶ問題は解決していない。それが気になったライズはドライアドに声をかける。


「ええ、原液をそのまま使ってはトレントが死んでしまいますわ。ですので樹液を水で薄めますの」


 ニヤリと笑うドライアド。


「水!? それって薄めて良いものなのか!?」


「魔物の体液なのですから、寧ろ薄めた方が良いくらいですわ。只の植物には刺激が強すぎますの」


「ああ、成る程。だから水を汲んで来いといったのか」


 言われてみればその通りだと納得するライズ。

 薬というのは効果が強すぎると毒と大差なくなる。

 特に植物の魔物の樹液は、強靭な肉体を持つ魔物に比べて植物への負担が大きい。希釈して効果を弱めるくらいだちょうど良いのだろう。


「あの方にはちょっと反省してもらう必要がありましたから。よく考えずに安易な選択を行なうと大失敗を起こすとしっかり理解してもらわないと、今後の畑の植物達が心配でしたので」


 どうやらジョンを戒める為にわざと厳しい事を言ったらしい。

 とはいえ、ジョン自身にはそれほど責のある事情でもなかったので、あくまでも注意を促す程度のつもりだったのであろう。


「それと、この病気、この辺りのモノではありませんわね。同族から伝わってきた情報なんですが、本来ならもっと南方の土地で起こる病気みたいですわ」


 上位の植物の魔物は、遠方の同属と情報の共有が可能だ。理由は不明だが、おそらくは声を発することの出来ないが故に植物達が手に入れた得た力ではないかと魔物研究家達は考えていた。


「南方か、よっぽど遠くから来た商人だったのかな?」


「さぁ? もしくは仕入れた荷物に付着していたのかもしれませんわね」


 答えの出ない問題に頭を悩ませる二人。


「桶と柄杓を持ってきました!」


 大八車に水の入った桶を載せて運んできたジョンが息を切らせながらバケツを下ろしていく。


「ではご主人様、トレントの樹液を採取してください」


 ドライアドに促され、ライズは腰に携帯していた短剣を抜いてトレントの前に立つ。


「トレント、悪いけど樹液を分けてもらうぞ」


「分かったぁぁぁぁ」


 トレントが枝を下ろしてきたのでライズは短剣で枝に切れ目を入れる。

 すると傷口からじわりと樹液があふれ出てきた。


「トレント、ここの桶に樹液を流し込んでくださいまし」


「まかせろぉぉぉぉ」


 トレントがゆっくりと根っこを動かして桶の置いてある場所まで歩いてゆく。


「お、おお……」


 巨大な木がのっしのっしと歩く光景にジョンが思わず気押される。

 そしてトレントは自らの枝の先を桶の中に突っ込む。


「もういいですわ、次の桶にお願いしますの」


 十秒ほど数えたところでドライアドが指示を出す。


「分かったぁぁぁぁ」


 トレントが次々に桶に枝を突っ込んでいく。


「コレくらいで良いですわ。あとは桶の水に樹液を混ぜたこの薬を麦の根元に撒いて根っこから吸わせますの。それで治療は完了ですわ」


「ほ、本当ですか!? あ、ありがとうございます!」


 予想外に簡単に治る事にジョンが喜びの声をあげる。


「ではさっさと水撒きをいたしましょうか」


 そういうや否や、ドライアドのスカートの様な花びらの下から長い蔦が何本も伸び、次々に桶を掴んで持ち上げる。


「う、うわっ!?」


 ここに至ってようやくドライアドが魔物だと気付いたのだろう。ジョンが悲鳴を上げた。


「では水撒きを開始しますわ」


 ドライアドの蔦はドンドン伸びていき、周辺の畑に次々と水を撒いていく。

 すると、水を撒いた畑の麦が首を上げていき、萎れていた茎がみるみる間に太く立派になっていく。


「……」


 そのあまりにも現実離れした光景に、ジョンは呆然とした顔でドライアドを見ていた。


(やっぱり人間とは違う部分を見ると恐怖が勝るか……)


 少しだけ寂しい気分になるライズ。

 暫くすると、水をまき終えたらしいドライアドの蔦が戻ってくる。


「無事、治療が完了いたしましたわ。ですがまだ病気がこの辺りの草についているかもしれません。もしも同じ様な症状が起きたら、すぐに私達の所に来てくださいましね。連絡が遅れるとまた病気が広がってしまいますから、暫くは畑に付きっきりで見ているように。約束ですわよ」


「は、はひっ!」


 至近距離でドライアドに注意され、思わず後ずさるジョン。


「……」


 あからさまな拒絶の態度を取られ、ドライアドの顔が僅かに曇る。


「ともかく、治療は終ったんだから、今日の所は引き上げようか」


 これ以上居ても良い事はないと判断したライズが引き上げを命じる。

 ドライアドも頷いてジョンを怯えさせない様に気持ち迂回してライズの元へとやって来る。


「では我々はこれで。お題は後日改めて頂きにまいります」


 ジョンはコクコクと頷く。

 そして三人が帰ろうとしたその時だった。


「あ、あの!」


 ジョンが声を引きつらせてライズ達を引きとめた。


「何か?」


 ジョンは声を出そうとするも言葉を詰まらせ、一瞬黙るものの、息を大きく吸い込みもう一度言葉を発する。


「あ、ありがとうございました!」


 それは感謝の言葉であった。


「俺だけじゃ麦の病気は治せませんでした! だから皆さんありがとうございました!」


 ジョンから、ドライアドとそしてトレントへの礼の言葉。

 不器用だがまっすぐな感謝の気持ち。


「……どういたしまして」


「気にするなぁぁぁ」


 ドライアドとトレントもまたその気持ちに応える。

 この時、彼等の気持ちは確かに繋がっていた。

 種族の垣根を越えて。


「そ、それと、もしも俺が麦をまた萎らせてしまったら……」


 ジョンが言葉を続ける。


「その時はドライアドさんの鞭でお仕置きしてください!」


「え?」


 何を言っているのかとポカンとした顔でジョンを見るドライアド。


「ドライアドさんのあの蔦! 凛々しいドライアドさんにあの蔦で叩かれたらと思ったら俺! もう! 堪んなくて!」


 恍惚とした顔でドライアドの蔦を見るジョン。

 どうやら只の変態だったらしい。


「な、何言ってますの貴方!?」


「ああその顔です! さっきの俺を叱るお顔も最高でしたありがとうございます!」


「ちょ、ちょっとご主人様、トレント! この人に何とか言ってくださいまし!」


「恋愛は個人の自由だし」


「がんばれぇぇぇぇ」


 どうやら、彼等の気持ちは繋がっていなかったっぽい。

 

(以外に共生できるかもしれないなぁ)


 ジョンが感極まってドライアドの花びらにしがみつき、ソレを振りほどこうと蔦で叩かれて恍惚としている光景を見ながら、ライズは楽観的な気持ちになるのであった。


 ◆


「しかし、旅の商人ねぇ……」


 仕事を終えた帰り道で、ライズはポツリとつぶやく。


「どうかなさいましたの?」


 ジョンの相手で少し疲れた顔をしたドライアドがたずねてくる。


「どうしたー?」


 ドライアドとトレントに声をかけられて、苦笑しながら答えるライズ。


「いや、旅の商人は古い麦でも良いからと言って、相場よりも高い値段で買ったんだよなと思ってさ」


「それがどうかしましたの?」


 何がおかしいのかと首をかしげるドライアドとトレント。


「いや、もしかして本当は麦がほしいんじゃなくて、麦を隠れ蓑にしてこの町の麦を病気にするつもりだったんじゃないかと思ってな」


「誰かが意図的に麦を病気にしたという事ですの!?」


 驚きに目を見開くドライアド。

 何の罪も無い植物にそんな事をする人間が居るかも知れないという事が、彼女には信じられなかった。


「声が大きい! あくまで可能性の話だ。そういう可能性もあるかもなってだけの与太話だよ」


 ライズは大声を上げたドライアドを諌める。

 戦争で闘い続けたライズは、無意識に話に出てきた商人へ不信感を感じていた。

 それはいつ終るとも知れない戦いで生き残る為に必要な猜疑心だったのである。

 あった事も無い只の商人を疑ってしまう自分に苦笑するライズ。


「ビックリしましたわ」


「こっちもまさかそこまで驚くとは思わなかったけどな」


「悪い人間がいるのかぁぁぁ?」


 トレントもまた、植物に悪意を持って接する存在の可能性に怒りをにじませる。


「だからあくまでも可能性の話だって」


「そうかぁぁぁぁ」


 トレントまでも過剰に反応した事にライズは苦笑する。

 トレントは人間よりも長寿の為、普段はのんびりとしており、口数もあまり多くはない。

 だが植物に危険が及ぶ時は彼も強く怒りを示すのだ。


 そんな光景を見たライズは、ふと植物の病気が今後も増えた場合、ドライアド達にも悪影響が起こるのではないかと心配になった。


「なぁドライアド」


「なんですのご主人様?」


「ドライアド達はさ、植物の病気とかにかかったりしないのか? さっきは体の中に薬になる樹液があるから病気にならないって言ってたけど、それが効かない病気もあるんじゃないのか?」


 もしもの時の光景を想像してしまったライズは、無意味と分かっていてもドライアドに疑問を投げかけずにはいられなかった。


「そうですね。私達はおよそすべての病気に対する耐性を持っていますわ。ですがそれが効かない病気が居ないとも限りませんわね」


「そうか」


 やはりドライアド達の耐性といえども万能ではないと聞きライズは落胆する。


「けれどですよ、私達が倒れる様な病にかかったら、その時は世界中のあらゆる植物が同じ病にかかって死滅してしまいソレどころではなくなると思いますわ」


 クスクスと笑いながらドライアドはそんな事にはならないとライズの心配を笑い飛ばす。


「ですからそんな心配は考えるだけ無駄ですわ」


「そ、そうかな。対策は練っておいた方が良いと思うんだが」


 植物には薬が無い、それはアルラウネたち植物型の魔物にも適応する薬はないという事。

 可愛い魔物達が原因不明の病気で倒れる事をライズは恐れた。


「そうだ! もしもの時の事を考えてさ、アルラウネ達のような植物の魔物にも効果のある薬を研究しよう!」


 ライズはナイスアイデアだと考えた。

 

「まぁ、素敵ですわ! さすがはご主人様!」


 自分達を気遣うライズの優しさに喜ぶドライアド。


「となるとやっぱりトレント達の樹液の成分を研究した方が良いのかな」


「あとは薬草なども加えて見るのも良いですわね」


「やる事は色々あるなぁ」  


 ライズはこれからの事を考えて苦笑いする。


「そういえばさ」


「はい?」


「さっきの薬でトレントの樹液を薬にしたけどさ、蜜も薬になるって言ってたじゃないか。その蜜ってドライアドも持ってるのか?」


「……はい、持っていますよ」


 なぜかドライアドが頬を染める。


「それって、一体どういう蜜なんだ? ドライアドには花が無いよな?」


 ライズが疑問に思っていると、ドライアドは彼にしなだれかかりながら、艶やかな声と共に耳元で囁いた。


「ご希望でしたら、いつでも提供いたしますわ」


「……そのうちお願いします」


 なんとなく知らないほうが良いと感じたライズであった。

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