第270話 日照攻防戦 ③
強襲揚陸用のボートが次々と入り江へと入り込み、ドレイク帝国の兵士達が日照の大地を踏み締める。砲撃によって入り江の入り口を抉じ開けられた今、ドレイク帝国の侵攻を阻んだ狭き門という印象は最早何処にも見当たらなかった。
「進め! 獣擬きを一掃するのだ!」
傾斜の厳しい斜面を登るにつれて、鼻を擽っていた草木の焼けた匂いが徐々に強まっていく。やがて兵士達の目の前に黒々と焼け焦げた焦土が広がった。そこにあった生物の気配は完全に死滅しており、残されたのは徹底した破壊の爪痕のみ。
辛うじて砲撃の業火から生き延びた森の方へ目線を遣ると、此方の動向を窺うように影に潜む日照の犬人達が見受けられた。積極的に攻撃して来ないのは此方を臆してか、はたまた何かの策なのか。
「突撃だ! 奴等は我々の力に臆している! 勝機を得るは今ぞ!!」
前者の可能性を信じてやまない指揮官の命令に従い、兵士達は森に向かって殺到した。それに合わせて犬人達も森の奥深くへと後退しつつ、少しでも帝国軍の足を止めようと矢と魔法で応戦する。
だが、それらは兵士達に命中する直前で見えない壁に阻まれて無力化されてしまう。帝国軍の兵士達が身に纏う防具は魔具であり、着用者の魔力を用いて個人用の結界を展開する機能を持っているのだ。
相手が碌な反撃をしてこない事と、此方の結界が優れているという思い込みも後押しし、帝国軍は一気に間合いを詰めようと速度を上げた。初戦で喫した手痛い敗戦を帳消しにする勢いで、兵士達が勇猛果敢に見ず知らずの土地へ踏み込んでいく。
最初の内は周囲の勢いもあって何の気兼ねなく進んでいたが、ある疑念に気付くと一人また一人と足を止め、瞬く間に感染するかのように全員が立ち止まった。その時点で森の奥深くへと入り込んでいた為、周囲は不気味な静寂と木陰の暗闇で押し包まれている。
それが彼等の復讐心に似た闘志を削ぎ、不安と緊張に拍車を掛けた。そして誰もが抱いているであろう疑念を一層と強めた。
どうして何も起こらないのか――?
此処が日照の地であり、犬人族にとってホームなのは理解している。だからこそ、自分達の侵攻に対して相手が何のアクションを起こさない事に疑問を抱いた。本当に相手は自分達に臆して逃げ惑っているだけなのか、それとも――その答えは暗闇から襲い掛かった凶刃が教えてくれた。
犬人の侍達が暗闇に紛れて次々と飛び掛かり、兵士との間合いを詰めるや刀を振り抜いた。鋭利な輝きを纏わせた太刀筋は美しい弧を描きながら、結界諸共に兵士を切り捨てて血の雨を盛大に降らした。
夥しい血が雨水の川に乗って自然の中を流れていく。それは距離が長くなるにつれて紐状に細くなり、やがて端々から解けて微細な糸となり、最後は雨と同じ透明度となって見分けが付かなくなってしまう。
切り捨てた直後に匂い立っていた血生臭さも、降り注ぐ雨に洗い流されて掻き消されてしまう。だが、顔に浴びた返り血が首を伝って身体へと流れ込むのを感じた瞬間、兵士達は戦慄を抱き、侍達は闘士に火が付いた。
「「「うおおおおおお!!!!」」」
腹の奥底から怒声を上げると、侍達は血に酔い痴れた狂犬のように兵士達に襲い掛かった。凶刃が煌めく度に血飛沫が噴水のように吹き上がり、重奏のように折り重なった断末魔と悲鳴が森中に響き渡る。
半狂乱に陥りながらも兵士達は魔具を腰溜めに構えて引き金を絞った。実弾のものと比べると軽い爆竹のような音を立て、打ち出された魔法の弾丸が侍達目掛けて飛来する。
しかし、侍達は素早く頭を下げて弾丸を紙一重で遣り過ごすと、そのまま兵士に肉薄して刃を切り上げた。パッと鮮血の花弁が飛び散り、新たな死体が戦場に晒された。
「狼狽えるな!」指揮官が声高に叫ぶ。「相手の戦力は大幅に消耗している! 加えて、元々の数は多くない! 数では此方が上だ! 臆せず数で対処するのだ! さすれば生き残れる!」
『勝てる』ではなく『生き残れる』という言葉をチョイスしたのが功を奏し、希望と活路を見出した兵士達は奮起した。半ば陥り掛けたパニック状態から脱すると同時に崩壊し掛けた戦線を立て直し、そのまま持ち味である物量を活かした反撃に打って出た。
無数の魔弾が横殴りに雨のように次々と押し寄せ、姿を晒した侍達をハチの巣に変えていく。奇襲に成功したとは言え、その最大の強みは相手が混乱している時にこそ発揮される。立て直しに成功したドレイク帝国の前では、数の暴力で蹂躙されるのは当然の結果であった。
「退け! 退けぇー!」
「追撃の手を緩めるな! ここで見失えば、また不意打ちを喰らうぞ! 今ここで息の根を止めるのだ!」
森の奥へと逃げ込む侍達に反撃のチャンスを与えぬと言わんばかりに、帝国軍は息も付かぬ内に追撃を開始した。手痛い不意打ちこそ受けたものの、それを退けた事で自身の優勢を確信した兵士達は勢いに乗っていた。
微かに肉眼で捉えられる侍達の後ろ姿を
兵士達が辿り着いた場所は、森を抜けた先にある平原だった。そして三kmほど先では侍達が布陣を敷いて待ち構えており、森から出て来た兵士達に敵愾心の籠った眼差しを投げ掛けていた。
流石の兵士達も思わず足を止めたが、そこに先程のような不安は微塵も見当たらない。既に彼我の戦力差が揺るぎない事と、それを起因とした勝利への確信が彼等の気持ちを安定させていたからだ。
「そこまでだ! 獣擬きめ!」帝国の指揮官が嘲笑を浮かべながら叫ぶ。「貴様達は此処で死に、この島国は帝国が世界の覇権を握る為の礎となってもらう! 光栄に思うが良い!」
前線で壁を張っていた侍達がパッと左右に分かれ、その合間を潜り抜けるようにして善徳が前に出てきた。他の兵士や侍とは一線を画す立派な甲冑姿からして、彼が総大将だと見抜いた指揮官は警戒するように目付きを鋭く尖らせた。
「私の名は善徳! ドレイク帝国の者達よ! 此処から一刻も早く立ち去るが良い! さもなくば、我が刃は無慈悲に貴様達を切り捨てよう! また貴様達が誇る帝国最強の艦隊も無残な運命を辿る事になるぞ!」
「愚問だな! 我々が獣風情に後れを取るとな!? 獣の戯言にこれ以上付き合えるものか!」
指揮官がサッと腕を振り下ろすと、最前線に立っていた兵士達は銃を突き出すように構えながら前進を開始した。じわじわと圧を掛けるようにゆっくりと距離を詰めていくが、侍達が敷いた布陣に動きらしい動きは見当たらない。
いや、動ける筈がない。既に戦力を減らしている以上、これ以上数を分散させるのは愚の骨頂。となれば、相手に残された手段は残存した兵力を終結させ、徹底抗戦を図る他ない。
だが――指揮官はニィッと口角を釣り上げる――、この拓けた平原を戦場に定めたのは、間違いなく相手のミスだ。障害物の多い森の中でなら兎も角、見晴らしの良い戦場ならば魔銃は最大火力を発揮出来る。
やがて魔銃の射程範囲内―― 一km以内――に足を踏み入れるや、指揮官は腕を振り上げた。兵士達が引き金に指をかけ、侍達に銃口を定める。向こうも武器を構えて反撃の構えを見せるが、その殆どが近接戦でしか使えない刀か、帝国軍の物よりも性能で劣る魔銃ばかりだ。
(勝ったな――)
そう内心で呟きながら攻撃を命じようと腕を振り下ろそうとして――背後から野太い雄叫びがやって来た。一瞬、血気に逸った一部の兵士が功を焦ったのかと勘違いした。しかし、振り返ると目に入ったのは最後尾の兵士に襲い掛からんとする侍達の姿だった。
「な!? 伏兵だと!?」
正直、この時の指揮官の胸中では『馬鹿な!』という驚きの叫びが上がっていた。森の中を横断する際、一緒に連れて来た魔法使いに索敵を命じてあった。もしも伏兵が居れば彼等が感知して報告する手筈となっていた。
指揮官が怒りと疑問の入り混じった眼差しでジロリと睨み付ければ、傍に控えていた魔法使い達は困惑した面持ちで狼狽えるばかり。純粋に虚を突かれたのか、索敵に抜けがあったのか、どちらにせよ魔法使いに詰め寄るのは後回しだ。
「突撃ぃ!!」
浮足立った帝国軍に追い打ちを掛けるように、前方に布陣していた侍達が抜刀したまま殺到してきた。指揮官が「応戦しろ!」と命じると、前線の兵士達は一斉に魔弾を発射する。だが、その魔弾も侍達が振り抜いた刃に切り捨てられて無力化されてしまう。
どうやら魔法を切断するエンチャントが刀そのものに施されていたようだ。加えて銃弾と変わらぬ速度を付与された魔弾を容易く切り落とす辺り、彼等が戦い慣れしている侍達である事実が読み取れる。
指揮官がチラッと肩越しから後方の戦況を窺うと、既に敵味方が入り乱れた乱戦状態が形成されていた。この状態では同士討ちの恐れもあって魔銃など使える筈がなく、ましてや接近戦において無類の強さを誇る侍相手では分が悪い。
「左右に展開しろ! 挟み撃ちにされるぞ!」
まるで細胞分裂を引き起こすかのように大隊が綺麗に二手に分かれ、その間に前後の侍達が合流を果たす。これを好機と見做した指揮官は即座に反転を呼び掛けて、今度は此方から挟み撃ちにしようとするが――。
「し、指揮官殿!」
「何だ……!?」
指揮官の叫びは自分を呼んだ部下への返答ではなく、目の前でボゴッと盛り上がった大地の膨らみに対するものであった。やがて膨らみを突き破って地表に飛び出したのは、巨大な岩塊を彷彿とさせる巨大な貝――ロックシェルだった。それも一体だけでなく三体もだ。
「ま、魔獣だと!? 何でこんな時に――」
ロックシェルがガパッと貝殻の口を開くと、兵士達は反射的に武器を構えた。貝殻の中には奥行きの見えない洞窟を彷彿とさせる暗闇が内包されており、見詰めている内に吸い込まれてしまうような錯覚に囚われてしまいそうになる。
その暗闇の奥からトンネルで叫ぶかのような響きを孕んだ声がやって来た。当初はロックシェルの唸りだと思われたソレは、時が経つにつれて徐々に明瞭になっていく。まるで音源が少しずつ出口に近付いているかのように。
そして暗闇の奥から人影の輪郭が現れ、次の瞬間には大勢の侍達がドッと躍り出て来た。兵士達は半狂乱に陥りながら発砲を繰り返し、次々と侍達を撃ち抜く。だが、全体的に見れば押し寄せる津波に撃っているようなもので、大した効果は期待できなかった。
「「「うおおおおおお!!!」」」
殺気立った
帝国軍の強みは数ではあるが、それは裏を返せば個々の未熟な技量を物量で誤魔化しているとも言える。よって高い技量を有する侍達が相手では、一対一はおろか一対多数でも荷が重いと言わざるを得なかった。
ましてや相手は近接戦のプロフェッショナルだ。魔銃や魔具に頼り切った帝国軍に成す術など無く、一方的に蹂躙されて血祭りに挙げられるのがオチであった。
「指揮官殿! 既に我々は挟まれております! このままでは全滅してしまう恐れが……!」
「後続の増援達はどうした!? 先発隊である我々とそろそろ合流しても良い頃合いだぞ!」
魔法使いは引き攣った顔で指揮官を見上げながら首をフルフルと小刻みに振った。そこから読み取れるのは甚だしい困惑と――もしやという恐怖。
「れ、連絡が取れません!」
「何だと!?」
指揮官は慌てて肩越しに森を見遣った。先程の伏兵が現れた理由が分からなかったが、もしも今みたいにロックシェルから現れたのだとしたら納得がいく。そして侍を搭載したロックシェルが他にも何匹か居り、同様に地中に潜んでいるとしたら?
その可能性に気付いた途端、指揮官の背筋に冷たい戦慄がゆっくりと流れ落ちていった。奴等が敢えて広い場所を戦場に指定したのは単純なミスではなく、此方の戦力――先発隊と後発隊――を分断して各個撃破する為の策略だったとしたら!
「い、いかん! 退却するぞ!」
その時、一人の犬人がタンッと地面を蹴って、混乱犇めく兵士達の頭上を飛び越えた。そして指揮官の前に降り立つと、腰に差していた刀を居合のように抜き取って真横へ一閃。
刹那、指揮官の視界に映る世界が天地逆転し、そのままドンッと大地に倒れ込んだ。少し遅れて首から下の肉体が目の前に倒れ込み、そこで自分の首が切って落とされたのだと気付き――瞳から輝きを失った。
☆
指揮官という頭を潰した途端に帝国軍の士気と戦意は崩壊し、その後の殲滅戦に至るまで日照軍が優位に展開を進めていった。如何に装備が優秀だろうと、圧倒的に数が勝っていようと、統制の欠けた軍隊など烏合の衆も同然であった。
また兵士達の間で意志の統一が成されていないせいもあり、抵抗する者と撤退する者とで二分化してしまった。その結果、徹底抗戦するにせよ撤退戦にするにせよ中途半端な戦力で対応するしかないという愚の骨頂を犯してしまった。
そういった向こうのしくじりもあって、戦いは最後まで日照軍が主導権を握り続けられたのだ。
「兄者」
「おう、終わったか」
戦いを終えて一息付いていた頃、進徳は声に釣られて弟を振り返った。
善徳の全身は敵兵の返り血に塗れており、本来の武具や毛の色がドス黒い赤だったのかと思えるほどに染まり切ってしまっている。だが、それは進徳とて同じであり、毛の一部がこびり付いた血でカビカビになっていた。
「何とか生き延びたな」
「ああ、兄者が指揮官の首を取ったのが決定打になったな」
「将を射んとする者はまず馬を射よ……だが、幸い向こうが馬に乗っていなかったから狙い易かったぞ」
「だとしても敵陣に単独で乗り込み、指揮官を討ち取るなどという真似をするのは兄者ぐらいだ」
「おかげで家臣達からは怒鳴られたがな。将たる者が兵を置いて先陣を切ってどうするのですか――とな」
二人は暫し目線を交差させ、遂には耐え切れなくなったようにフハッと噴き出した。それだけで二人の間にあった――厳密には善徳が一方的に抱いていた――執着や柵が無くなっている事実が読み取れる。
「しかし、よもや死んだと思っていた侍達が実は生きていたとはな……」
「ああ、これも全部ガーシェルとやらのおかげだ」
実は戦いが始まる前に進徳が各部隊に配っていたのは、ガーシェルが生み出した分身――リトルシェルだった。そして敵艦の砲撃で殲滅させられる前にガーシェルがスキルを発動させ、リトルシェルを経由してアイランドシェルのシェルターへと彼等を保護したのだ。
またガーシェルは事前に請け負っていた進徳の命に従い、ロックシェルの分身を戦場各地に潜ませていた。そして生き残った兵士達はガーシェルのシェルターを通ってロックシェルから出撃し、こうした今回の奇襲作戦は成功したという訳だ。
「……どちらにせよ、俺は帝国の力を侮っていた。日照だけでも戦えると思っていたのは、俺の思い込みだったようだ」
「間違いが気付けたのならば、それでよかろう」
「いいや、今回の戦で己の視野の狭さを痛感した。このような男が一国の主となっても、先の未来など見通せずに国を没落させるのがオチだ」
そう断言すると善徳は兄の方へ向き直った。自分を映す眼は憑き物が落ちたかのように透き通っており、そこから弟が何を言おうとしているのかを進徳は手に取るように予測できた。
「俺は後継者争いから潔く身を引こう。そして――」
「弟の誠真に譲るのだな」
「ああ」
「……本当に良いのか?」
進徳の問いは善徳を思い止まらせると言うよりも、その覚悟が本物であるかどうか確かめる意味合いが強かった。そして善徳が何の躊躇いも無く「ああ」と頷いた事で、漸く進徳は今回の不毛な争いに終止符が打たれたことを察して安堵を覚えた。
「なら、今日は祝いだな」
「後継者が決まった事か? それとも――」
弟がもう一つの可能性を言及する前に、進徳は東の彼方を見据えながら答えを告げた。ほぼ通過した暗雲の切れ間から夕陽が顔を覗かせており、それはまるで混迷極まる戦乱の終結を暗示しているかのようにも思えた。
「無論、この戦いに勝利した事も含めてだ」
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