第265話 強襲

 夜も更けて寝静まった西京の町は、まるで明日の活気に向けて力を溜め込んでいるかのように静寂に満ちていた。通りには油を用いた行燈が等間隔で置かれていたが、通常の街灯と比べると光量は弱々しく、殆ど夜闇に呑まれ掛けて照明の意味を成していなかった。

 そんな薄明りに触れるのすらも拒むように、黒衣を纏った忍衆は影と一体化しながら、暗がりに沈んだ真夜中の街中まちなかを音も無く駆け抜けていく。屋根から屋根へと飛び移り、影から影へと滑り込む。

 当初は方角を除いてバラバラに進んでいた忍衆だったが、やがて目的地に近付くにつれて進化のルーツを辿るかのように互いの間隔が狭まっていき、そして辿り着いた頃には一塊の集団となっていた。

 彼等の目の前には誠真の住まう屋敷が鎮座しており、他の家々と同様に夜の静けさに抱かれながら深い眠りに落ちていた。忍衆は軽々と門を飛び越えて敷地内に侵入すると、頭に叩き込んだ間取りを頼りに寝室を目指す。

 賊が忍び込んだにも拘らず、屋敷は静寂を維持したままであった。忍衆の気配の断ち方が巧妙というのもあるのだろうが、やはり善徳の工作によって誠真を守る家臣や護衛を引き剥がした事が功を奏したと言えよう。

 そして忍衆は最短の距離と時間で寝室に辿り着き、そっと障子を開けて中を覗き込んだ。明かりも消えて真っ暗に等しい闇が室内を覆い尽くしているが、闇夜でも見通せるよう訓練された彼等の眼にはハッキリと室内の様子が映し出されていた。

 部屋の中央に敷かれた布団には人一人分の膨らみが見て取れ、誠真に違いないと誰もが確信を得た。忍び衆は布団を取り囲むと、それに向けて懐から取り出した短刀を一斉に振り下ろした。

 鋭利な刃は易々と布団を貫通し、膨らみの元となっているソレを貫いた。確かな手応えが短剣に伝わって――来ない。違和感に気付いた忍び衆が短刀を引っこ抜けば、血で濡れている筈の刃先に血糊は一滴も付いていなかった。

 まさかと思いパッと布団を捲ってみると、そこに誠真の姿は無く、あったのは紐で縛らられて棒状に丸められた夏布団だけだった。身代わり――それ即ち、此方の奇襲に気付いて事前に用意していた事に他ならない。


「居ない!? まさか、感付かれたのか!?」

「もしや、既に屋敷の外に出たのか!?」

「監視をしている者達は何をしていた!」


 戸惑う仲間達を他所に、忍衆の一人が丸められた布団を蹴り飛ばし、その下にある布団に手を置いた。掌越しにじんわりと伝わって来る人肌の温盛が、彼に真実を授けてくれた。


「いや、まだ布団が温かい」そう言って立ち上がると、忍は仲間達へと振り向いた。「どうやら此処を離れてから然程の時間も置いていないようだ」

「だが、此処を見張っている者達から誠真が逃げ出したという情報は来ておらん」

「となれば、まだ此処に隠れている可能性があるな」

「そうと分かれば屋敷中を徹底的に家探しするのだ! こうなった以上は多少強引になっても構わん! この事を善徳様にも報告し、人手を此方に寄越してもらえるよう要請しろ!」

「「「はっ!」」」


 これ以上、忍ぶ必要も無いと判断した忍達は慌ただしく寝室を飛び出し、標的である誠真の姿を探し求めて屋敷中を走り回った。しかし、彼等は知らなかったし、知る由もなかった。


 その一部始終を寝室の床の間に飾られた稚貝がこっそりと見守っている事に。そして誠真の行方に、この稚貝が関わっている事に……。



「有難うございます、貴方達の助けがなければ、今頃は命を落としていました」

「気にせんで下さい。こうなる事は事前に織り込み済みやったんで」


 感謝と共に深々と頭を下げる誠真に対し、ヤクトは苦笑いを浮かべながら首を横に振った。だが、命辛々と言わんばかりの台詞とは裏腹に、誠真の身形は着の身着のまま寝間着ではなく昼間の和装のままだ。即ち、彼自身もこの事態を見越していたという訳だ。

 今、彼等が居るのは私――アイランドシェルの貝殻上だ。どうやって誠真が屋敷を抜け出し果せ、尚且つ遠く離れた内海湾に停泊していた私のところに辿り着けたのか。その答えはアクリルから手渡された稚貝のおかげだ。


 この稚貝は私の分身というスキルで生み出したものだ。但し、如何に私の能力で生み出したものとはいえ、その性能や力は元となった魔獣に大きく起因する。つまり、この稚貝は私が生み出した分身の中でも最弱という事だ。

 だが、肝要なのはソコではない。この分身体の注目すべきところは、その全てが体内にシェルターを持っているという事だ。しかし、それは只の入り口に過ぎない。そのシェルターを介して辿り着く先は、アイランドシェルの中にある無限に等しいシェルターだ。

 そう、誠真は稚貝のシェルターを通って私のシェルターへと脱出したのだ。私の能力を知らぬ刺客達は、てっきり屋敷内の何処かに彼が隠れていると思い込み、今尚血眼になって屋敷中を必死に探索している。途方に終わるだろうが、一応ご苦労様と言っておこう。

 とまぁ、今回は脱出に用いられた訳だが、その逆パターンも可能だ。例えば、この稚貝を秘密裏に敵地へ先行・侵入させて、そして目的地に辿り着いたところで私の体内から誰かを送り出すという隠密潜入がだ。

 今は数人しか居ないのでやったところで大した効果など無いのだが、これがもしも軍隊規模の数になれば……それはもう恐ろしい事になる。恐らく既存の戦略や戦術が大幅に変わるんじゃないのかって自分でも時々思う。


 話しを戻し、そうして無事に脱出を果たせた誠真だが、私達は即座に行動を取らなかった。そもそも取る必要などない。ここで不用意に動き出せば向こうに勘繰られて気付かれる恐れがある。今は只、状況の推移を見守るばかりだ。


「あとは進徳殿だけですが……宜しかったのでしょうか?」

「ガーシェルの分身を渡さへんかった事かいな?」

「ええ」


 実を言うと進徳の方にも分身体を渡す予定だったのだが、彼本人からやんわりと断られてしまったのだ。彼曰く――


『自分が死んでも誠真が生き延びててさえくれれば、日照の未来は安泰である。何より、拙者は弟と決着を付けねばならん。矜持だけは人一倍強いあやつの事だ。きっと拙者にだけは他人の手ではなく、己の手で粛清しようと挑んでくるだろう』


 ――との事だ。兄として弟を戒めなければならないという使命感なのか、それとも武人として勝負から逃げる訳にかいかないという本能なのか、あるいは両方なのか。どちらにせよ、進徳が善徳との勝負を望んでいるのは確かだ。

 私は未だに寝静まっている西京の町に目を遣った。宵闇に覆われた町の一角で、一国の未来を左右する戦いが繰り広げられている事を知る者は一握りを除いて居ない。



 進徳は寺の境内で座禅を組み、その瞬間が訪れるのを大人しく待ち続けていた。温かな季節とは言え流石に夜は冷え込み、僅かに覗いた項を夜風が幾度となく撫でる。されども胸中に滾る闘気の炎が薄らぐ気配を見せない。

 今の彼は剣道の胴着に似た衣装に身を纏わせていた。但し、半分に切り取られた外套が隻腕を覆い隠すように右肩越しに羽織られている。だが、どちらにしても今の彼が臨戦態勢である事に変わりはない。

 程無くして寺に近付く複数の気配を感知し、瞑想していた目をパチリと開く。数は三十人ばかし。気配から察するにどれも腕利きのようだが、常に最前線を張る武士達と比べれば一歩か二歩劣る。

 彼等の殆どは御家や血筋を守る事に終始し、武を磨いたり名声を馳せたりすることは二の次だ。だからこそ、外へ出るのも消極的で、保守派が推し進める内向的な政策に傾倒してしまったのだろう。

 集団は階段の途中で止まり、暫しして一人だけが向かってくる。やはりか……そう思いながらゆっくりと立ち上がり門扉へと向き合った。ギィィィッと木造の門が撓りを上げて開き、弟である善徳が境内に足を踏み入れた。

 赤と黒を基調とした大鎧を身に纏い、両腰には打刀と脇差が一本ずつ、そして背中には大弓が背負われている。完全武装の上に鋭い殺気が全身から迸っており、自分を仕留めに来ている気なのは間違いない。だが、進徳は穏やかな笑みを浮かべて弟を出迎えた。


「やはり来たか。お前なら拙者とは一騎打ちで勝負を決めると思っていたぞ」

「当然だ。貴様を倒さない限り、俺は前へ進むことが出来ん」


 善徳は両腰の刀をスラリと引き抜き、二刀流の構えを取った。そこに微塵の隙が無く、彼が兄に負けじと武芸を磨き上げていた証拠であった。

 それに応じるように進徳も右腰に差した刀に手を添え、居合切りの構えを取った。とても腕を失ったとは思えぬ迫力に満ち溢れており、彼が日照における武の頂点を極めた男である事を物語っていた。

 両者から発せられた気迫で空気が膨張し、丁度互いの間合いの限界点で激突して鬩ぎ合う。最早、両者の間に言葉は要らなかった。兄弟の血の繋がりが生み出す絆も、そこから生まれる悲哀や嘆きすらもない。


 あるのは只―――武人としての矜持と意地のみ。


「はっ!」


 先に動き出したのは善徳だった。石畳を蹴って間合いを詰め、両手に持った刀を間断なく流れるように振り抜く。進徳は素早く振り抜いた太刀で一太刀目を弾き飛ばし、すかさず横に構えて二太刀目を受け止める。


「片腕になっても尚、これ程とは……流石だな! 兄者!」

「お前こそ腕を上げたな! その二刀流、最後に手合わせした頃とは比べ物にならんぞ!」


 文字通りの真剣勝負の筈なのに、双方ともに自然と血気盛んな獰猛な笑みが浮かび上がる。そして互いに見計らったかのように笑みを掻き消すと、二人は鍔を競わせていた刀を弾き合って距離を置いた。

 善徳が前へ飛び出して距離を詰めようとするのに対し、進徳は後ろへ蹴って距離を開けようとする。善徳が扱う二刀流は攻撃の手数が増えて攻防における選択肢も増えるというメリットを抱えているが、一方で一撃一撃の威力が両手持ちに比べて劣るというデメリットも抱えている。

 その為に手数で圧倒しようと考えた訳だが、向こうも二刀流の弱点は理解しており、結果的にあしらわれてしまった。いや、片方の腕しか使えないという点においては同じ条件の筈なのに、まるで一刀流と同等かそれ以上の威力を繰り出せる進徳の膂力が異常なのか。


(やはり兄者は一筋縄ではいかんか……! なれば!)


 善徳は両手に握っていた刀をそれぞれの鞘に納めると、タンッと地面を蹴って軽々と跳躍した。そして背中に背負っていた半身を裕に超える大弓を構え、進徳に向けて立て続けに紫電を纏わせた三本の矢を放った。

 初速から稲妻に匹敵する勢いで空を切り裂く矢に対し、進徳は居合の刀を全力で振り抜いて応じた。目にも止まらぬ神速で刃と矢が接触した途端、火花を超越した閃光が溢れ返り、辺り一面が眩い白光に包み込まれる。

 しかし、進徳は閃光に惑わされる事無く、すかさず刃を左右に振り払って後続の矢を次々と叩き落とした。同様の閃光が二度続き、彼の視界を真っ白に焼き払う。そして眩い光の中から逆光を帯びて漆黒に染まった善徳が飛び込んできた。

 進徳はすかさず刀を横に構えて防御の姿勢を取るが、その反応の速さが命取りとなった。また視界が焼かれて不明瞭朧げだったこと、相手が二刀流だと思い込んでいたことも災いした。

 懐に飛び込んだ善徳は打刀を両手で握り締め、地面すれすれに切っ先を走らせるかのように切り上げた。鉄を穿つ甲高い音が鳴り響き――空に舞うは進徳の刀。完全なる無防備を曝け出した兄を見て、善徳の心は歓喜で震え上がった。


(この好機瞬間をどれだけ待った事か!!)


 好機を勝機にすべく、歓喜をより一層と甘美なものに仕上げるべく、善徳は凶刃を振り抜き無防備な兄の右脇腹を切り裂いた。

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