第264話 政変の前触れ

 世代交代の儀が不測の事態で幕を下ろしてから早くも三日が経過した。玄徳が倒れるという事実は風の噂となり、瞬く間に山を越えて谷を越えて日照の津々浦々に広まっていった。

 流石の民衆もトップ不在という事実に動揺を隠せないらしく、何処も彼処も玄徳の話題で持ち切りとなった。憂いを帯びた空気が西京の町を覆い尽くし、人々の活気と喧騒を鈍くする。

 だが、それでも人々の興味のタネは世から尽きる事が無く、玄徳の身を案じる傍らで必ずと言っても良い程に次代の舵取りを担う人物が誰なのかという話題が上がっていた。

 但し、それは只単に賭けが目的――中にはソレが本命だという人も居るだろうが――ではなく、純粋に国家の未来を気に掛けてという意味合いでだ。だからだろう、以前のような秘密を保った内緒話ではなく、堂々と人目も憚らずに語る人々の姿が見受けられるようになった。

 だが、民衆の心変わりはさて置きとして、それが良い方向に進んでいるかと言えば答えは否だ。何故ならば――。


「まさか玄徳様が倒られるとは、それほどに心労が募っておられたのか……」

「無理もない。トウハイからの援護が無くなり、加えてドレイク帝国が迫っているという噂もある」

「あと御本人が無類の酒好きだと言うからなぁ。そういった不摂生も祟ったのだろう」

「で、次は誰になるんだい?」

「そりゃ善徳様だろう。今や父上に代わって内政はあの人が全部取り仕切っているらしいぞ」

「長兄の進徳様は武闘一筋の剛人だからな。政は流石に無理があるか」

「三男坊の誠真様はどうなんだ? 父親を救ったという噂もあるし、政治においても善徳様に勝るとも劣らぬ秀才と聞くが?」

「それらが事実だとしても所詮は側室の子だ。世代交代において本妻の子が有利である事実に変わりようがないさ」

「それに政治の中枢は保守派が完全に掌握しちまっている。ここで武闘派と改革派が手を組んで反旗を翻せば、そりゃ国政に支障を出す反逆行為にも等しい」

「二人とも国を思う心がある分、下手に手なんか出せやしないさ」


 ――そう、玄徳が次代の国主……誠真を指名する前に倒れてしまった事が原因で、当初の思惑が全て狂ってしまい、皮肉にも後継者に選ばせたくなかった善徳の一人勝ちという真逆の結果になってしまったのだ。

 しかも、内政の一切合切を取り仕切られてしまっている上、その運営手腕が優れている事から民衆からの信頼も上々という完全無欠っぷりだ。盾突こうにも隙が無く、仮にあったとしても下手に衝突すれば国政を悪化させかねない。

 当然、保守派は改革派に政治の一切を担わせないよう睨みを利かせているし、武闘派に所属していた家臣達も治安維持という名目で方々に左遷させられ、主と仰いでいた進徳から切り離されてしまった。

 そして政権を掌握しつつある保守派の敵対派閥への妨害工策は関係者のみならず、進徳や誠真に協力する私達にも及んでいた。



 誠真の屋敷――ポカポカとした穏やかな日光が注ぐ晴天日和だが、それとは裏腹に屋敷の中庭には憂鬱な雰囲気が充満していた。


「――で、あるからして其方達には近日中に日照から離れて頂きたい。無論、物資などの補給に関しては我々の方でも支援を致すので心配は無用である」


 長々とした口上が漸く終わりを告げ、如何にも絵に描いたかのような嫌味ったらしい役人達は踵を返した。そして彼等の後ろ姿が閉ざされた門によって隔てられると、ヤクトは盛大に疲弊に富んだ溜息を吐き出した。


「やれやれ、いよいよ俺っち達を日照から追い出すつもりやな」

「やはり進徳や誠真の傍に居る我等が邪魔なのだろう」

「となれば、やはり……」

「ああ、俺っち達を二人から離した隙に粛清する気やろうな」


 如何に全てにおいて善徳が有利とは言え、私――アイランドシェルを引き連れたアクリルの存在は極めて厄介なのだろう。ましてや、それが進徳や誠真の傍に付きっ切りだから猶更だ。だからこそ、尤もらしい理由を添付して私達を一刻も早く日照から追い出そうと躍起なのだ。


「もー、皆で仲良くすれば良いのにー」

「確かに仲良く出来れば越したことはあらへんけど、姫さんの言うように世の中は単純やあらへんのや」


 ぷんぷんと頬を膨らませるアクリルを宥めるように、彼女の頭に優しく手を置いたヤクト。しかし、このまま素直に『はい、さようなら』と日照を離れる訳にはいかない。私達が居なくなれば相手は嬉々として二人を抹消しに掛かるであろう。

 そうなれば善徳の指示の下、日照は他国との繋がりパイプ(パイプ)を極力閉ざして完全な鎖国国家となってしまうであろう。ドレイク帝国に少しでも対抗する力や味方を増やしたい今、時代に逆光するような真似だけは阻止しなくてはならない。

 幸いにも私達がトウハイから遣わされた使者という事を理解しているからか、向こうも無理に事を荒立てる気はなさそうだ。だが、此方も旅路を急ぐ必要があるので、何時までも居座り続ける訳にはいかない。


「さて、どうするべきか」クロニカルドが顎に手を添えながら気難しい声色で呟く。「我々が堂々と割って入れば、内政干渉だと訴えられてトウハイとの関係が悪化してしまう。それだけは避けなくてはならないな」

「ええ。今は味方が一人でも多く必要です。何かしらの打開策があれば良いのですが……」


 どうにかして国主を誠真に出来ないかと誰もが考えあぐねていた時、中庭に面する居間の障子がカラッと開いた。パッと振り返れば噂をすれば何とやら、屋敷の主人である誠真と、その兄である進徳が姿を現した。

 何時もなら誠真の傍には数人の家臣が付いているのだが、今は彼一人という無防備な姿を晒している。何故なら、反旗を翻す可能性を懸念した善徳の差し金によって謹慎という名の軟禁状態に置かれてしまっているからだ。


「皆さん、お待たせしました」

「玄徳様の具合は如何ですか?」


 あの世代交代の儀以来、玄徳は西京にある自身の屋敷で安静の日々を送っている。だが、それはあくまでも表向きの話しだ。実際には屋敷の周りを善徳の兵士達が取り囲んでおり、事実上の幽閉状態にあると言っても過言ではない。

 当然ながら私達はおろか息子である進徳と誠真でさえも面会謝絶であり、彼の安否に関する情報は一切合切が不明のままだった。しかし、進徳が今ある伝手を使い尽くし、どうにか玄徳の現状を知ることに成功したのだ。


「幸いにも大事には至らなかったそうだ」進徳が代わって答える。「しかし、無理は禁物であり暫く療養が必要とのことだ。どちらにせよ、親父が国政に口を挟める状態ではないという事は確かだ」

「つまり、事実上善徳の一人勝ちという訳か……」

「ええ。そして善徳兄様は近々行動に移されるでしょう」

「既に勝利は確定してんのに、態々追い打ちを仕掛ける必要があるんかいな?」


 ヤクトが驚きを露わにしながら疑問を訴えるも、誠真は首を横に振って否定した。


「善徳兄様は疑心の御強い人なのです。もしも私達のどちらかを放置しておけば、何時か自分の政策に反対する勢力の御旗となると考えておいでなのです」

「だから、今の内に排除しておこうと……そういう訳か」

「はい。それに世代交代の儀は父上が御存命であれば何時でも行う事が出来ます。表向きは療養という形で幽閉しているのも、その儀を執り行わせたくないという善徳兄様の本心の表れとも言えます」

「やれやれ、徹底的やな。で、どないするんや? 何か良い策でもおありで?」


 ヤクトの問い掛けに二人とも口を閉ざし、場に嫌な沈黙が降り注いだ。どうやら万事を好転させる手立てが見当たらないようだ。しかし、このまま何もせずに出立する事も出来ない。


「しんちゃんとせいちゃんも一緒にアクリル達と来るー?」

「これ、姫さん! 馴れ馴れしい呼び方をしたらあかへんって!」


 ヤクトが慌ててアクリルの口をパッと抑え込むも、しんちゃんと呼ばれた進徳は口角を軽く釣り上げてクックックと笑いを零した。懐かしさを含んだ笑い方にヤクト達が怪訝そうに眉を顰めるも、進徳は手を振って「個人的な事だ」と彼等の目線を払い除けた。


「折角の申し出も有難いが、それは無理だ。我々は腐っても日照の後継者だ。密出国しようにも既に其処彼処に善徳の息が掛かった者達が目を輝かせているだろう。それらの目を掻い潜るのは至難の業だ」


 だが、せめて誠真だけでも……と、進徳は弟に望みを託すように目線を遣った。しかし、その望みを受け取った弟も困難に直面したかのような気難しい面持ちで俯き、またしても場に沈黙が訪れた。

 何処をどう見ても八方塞がり。打つ手は無く、このまま善徳の思い通りに事が運ぶのを見守る他ないのか――そんな不安が見て取れる彼等に対し、私は一つの提案を述べた。


『すみません、一つよろしいでしょうか?』


 私が出した泡の吹き出しにヤクト達は興味本位の眼差しを、進徳と誠真は言葉を操る魔獣に驚きの眼差しを向けた。



「それは確かか?」

「はっ、間違いございません!」


 密偵の任務を受けた部下が深々と頭を下げて断言すると、善徳は天守閣から西京の街を見渡した。彼が部下からの報告を受けたのは、一日の終わりを意味する日没が刻一刻と迫りつつある夕刻の佳境だった。

 水平線の彼方に沈みつつある夕日が最後の悪足掻きのように紅蓮に燃え上がり、城下町を目に刺さる赤々とした輝きで染め上げる。されども、西京の背後にある山脈を跨いだ先には夜の藍色が訪れており、夕日に焼かれた空が宵闇に沈むのも時間の問題であった。


「そうか、あの余所者達が二人から離れたか」


 部下が齎した報告とは余所者――ヤクト達の動向に関するものだった。それによれば少し前に彼等は進徳達に別れを告げて、内海湾に停泊している島のような超巨大な貝の魔獣に戻っていったとの事だ。

 最後の仕上げ――兄と弟の粛清――をする前に目障りだった厄介者が立ち退いてくれた事は喜ばしいが、だからと言って手放しで喜ぶという真似は彼の中にある強い猜疑心が許さなかった。


「兄者と誠真に余所者達は何かしたか?」

「いえ……」


 と、言い掛けるも直ぐにある事を思い出し、「ああ」と呟いて表情を閃かした。それに釣られて善徳が街に向けていた視線を切り上げて部下の方へと顧みる。


「そう言えば別れ際に少女から小さい貝を手渡されておりました」

「貝?」

「はい、大人の手からやや食み出す大きさの稚貝です。何でも、向こうの故郷で貝は幸福を守る御守りだとか……」

「御守り……」


 本当に只の御守りなのか? その貝に何かしらの仕掛けがあるのではないか? しかし、大人の手に余る程度の稚貝で何か出来るとは考え難い。彼の疑心が手渡された貝とやらに向けられるが、それに対して脅威となり得る要素が一点も見当たらない。

 情報が少ないというのもあるのだろう。だが、一つの不安要素に対して徒に時間を取られるのも好ましくない。また『自分には物事を複雑に考え過ぎるきらいがある』という自己分析も働き、これ以上思考を巡らすだけ無駄だという結論に至ると善徳は決断を下した。


「隠密衆に伝達せよ。今夜、誠真の粛清を結構せよと」

「ははっ!」

「そして一部の精鋭衆は私と共に兄者がいる山寺へ向かう」

「ぜ、善徳様手ずからですか!? し、しかし、最早状況の利は我々に転がりつつあります。善徳様が出る必要はございません」


 如何に武人の宝である片腕を失ったとは言え、未だに日照一の剣の使い手は進徳だという噂が絶たない。善徳も武を積んでいるとは言え、日照最強と謳われた進徳と戦うのでは危ういのでは。そんな老婆心にも似た懸念が働いたのだが、それが却って善徳の矜持を傷付けた。


「貴様、片腕だけとなった兄者に俺が劣ると言いたいのか?」

「い、いえ! 滅相もございません!」


 善徳の地雷を踏み抜いたと悟った部下は、蒼褪めた顔を慌てて畳に擦り付けるように土下座した。重々しい圧迫感が背中に圧し掛かり、部下の顔から冷や汗がダラダラと流れ落ちていく。


「この戦いは只単に国主の座を掛けたものではない。これは俺にとって試練であるのだ。武勇に優れた兄にばかり脚光が当てられ、弟の俺には兄の次いでと言わんばかりの弱い光しか当てられなかった。だが、この戦いで俺は兄を討ち取り、名実共に日照一は俺なのだと民達に知らしめる」


 善徳は土下座したまま固まった部下の隣を素通りして天守閣を後にした。圧迫感から解放されると、部下はホッと息を吐き出してゆるりと立ち上がった。そして胸中で独り言ちる。よもや彼の御仁の中に、あのような憎悪に等しい信念が宿っていたとは――と。

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