第261話 西京

「わー、すごーい!」


 アクリルは目の前に広がる港町を見渡し、興奮で目をキラキラと輝かせた。内海湾の港町はトウハイとの交易を結ぶ玄関口にして、日照の首都である西京せいきょうの御膝元でもあるが故に、大国の都市に勝るとも劣らぬ規模を誇っている。

 長屋造りの建物が大通りを挟み込むように軒並みを連ね、その合間を和装した大勢の犬人達が賑やかな活気を引き連れて渡り歩いていた。街並みと人情が合わさった光景は、さながら江戸時代にタイムスリップしたかのようだ。

 しかし、その喧騒も私達が大通りに足を踏み入れた途端にピタッと止まった。物珍しそうな視線が左右から張り付き、じっくりと舐めるように全身を這っていく。明らかな注目の的にクロニカルドは辟易し、アクリルも貝殻中央の火山にギュッとしがみ付いた。

 私達を護衛してくれている日照の御奉行が「見世物ではないぞ!」と叱責すると、民衆は蜘蛛の子を散らすように慌てて視線を逸らした。だが、直ぐに隙を伺ってはこっそりと覗き見し、その効果は極めて限定的なものであった。


「申し訳ない」先導役である伊達がすまなさそうな顔を肩越しから覗かせる。「町民達は物珍しさに飢えておるのだ……」

「気にせんといて下さい。町中を貝が練り歩けば、誰だって目を向けるんは当然ですし」

「そう言って頂けると此方としても助かる。それに今は彼等も不安を抱いているのだ。こうして面白そうな物見を楽しむことで気分を紛らわそうとしているのだろう」

「不安ですか?」


 角麗は懸念の襞を眉間に刻み、こっそりと民衆を盗み見た。民衆の殆どは私達に対する好奇の眼差しを投げ掛けているが、一部の者は此方など眼中に無いと言わんばかりに背を向けてヒソヒソと小声で何かを話し合っていた。

 試しに聞き耳を立ててみれば、聞こえてくるのは日照を取り巻く情勢。東から攻めて来ようとしているドレイク帝国の脅威、後ろ盾であるトウハイに深刻な問題が生じたという不安、そして――


『トウハイの後ろ盾が無いとしたら、俺達だけでやるしかあるめぇ』

『ああ、そうだな。トウハイに任せっきりじゃ日照の民としても立つ瀬がねぇや。それに帝様を守る盾ぐらいにはなれらぁ』

『だけどよ、帝様の方も大変みたいじゃねぇか。御家騒動ってヤツでよ……』

『バカ……! 滅多な事を言うんでねぇ……! 御奉行様に聞かれでもしたら不敬罪で牢獄行きだぞ……!』


 ――帝の個人的な問題も民衆に落とす不安の影の一つとなっているみたいだ。しかし、伊達の口からは帝の御家騒動に付いて一切触れられず、『ドレイク帝国とトウハイの事で……』と御茶を濁すような口振りで説明するに留まった。

 民衆達の手前で流石にソレを公言するのは憚れたのか、それとも組織内で緘口令が敷かれているのか。どちらにしても、その帝から直々に呼ばれたのだから、御家騒動と無縁ではいられないだろう。そんな確信が私の中に芽生えていた。



 日照に上陸して大通りを進み続けること30分後、私達は西京にある帝の城へ辿り着いた。侵入者避けを目的とした深い塀が城を取り囲み、更に塀の周りを城壁で囲んでいる様は、戦国時代に築かれた天下人のみが持つことを許された城そのものだ。

 城門を潜り抜けて敷地に足を踏み入れると、正装をした侍達が私達を出迎えてくれた。通路の脇に沿って並び立つ彼等が一斉に深々と頭を下げて出迎えてくれる様は圧巻であり、その様相に誰もが思わず息を呑んだ。

 そこで御奉行達の案内は終わり、今度は彼等が私達を城の中へと案内してくれた。流石に私のような大型の魔獣は城内には入れず、敷地内にある庭園で留守番する他なかった。が、今までと異なり今回ばかりは代価案がある。

 新たに手に入れた分身のスキルは魔力と引き換えに貝の魔獣を生み出せるというものだ。その力を駆使して私が転生した当初の肉体であるリトルシェルを生み出し、ヤクト達に持たせたのだ。こうしておけば直接話を耳に入れられるし、万が一の場合は本体であるアイランドシェルを動かすことが出来る。

 あくまでもリトルシェルなので攻撃力こそ皆無だが、リトルシェルの……いや、分身体の真骨頂は別の所にある。とは言え、今回はソレを使う機会は無いだろう。寧ろ、その機会があってはならない。そう祈りながら私はリトルシェルの分身体に意識を落とした。



 ヤクト達は武士達に護衛されながら城内の長い通路を渡り、最奥にある大広間へと案内された。しかし、そこに帝の姿はない。あるのは中央の部屋に置かれた巨大な和紙に描かれた転移魔方陣と、その傍らに佇む数人の巫女装束の女犬人だけだ。


「これは……?」

「帝様は最上階にある天守閣にて待っておられます。貴方と話がしたいと」

「私達だけでですか?」角麗は意外な面持ちで案内役の武士の一人を見遣った。「護衛の者達は?」

「生憎、帝様は人払いを命じておいででして……」


 如何に私達がトウハイからの使者とは言え、一対一で会うだなんてリスクが大き過ぎる。勝手知ったる仲で信頼を築いているだけならまだしも、初対面の私達と帝の間に信頼はおろか面識すら無い。

 そう考えると家臣達でさえも聞かせたくない話――例の御家騒動が関わっていると見るべきだろう。無論、それを知る由もないヤクト達は困惑で互いの顔を見合わせるが、答えなど見つかる筈がなく疑念が深まるばかりであった。


「申し訳ありませんが、武器の類は此処へ置いて頂きたい」


 一国の主に武器を突き付ける気など更々無いが、かと言って申し出を拒んで印象を悪化させる理由も無い。ヤクトが外套の下に隠し持っていた銃器を手渡すと、武士達は物珍しい火器に目を丸くしてしげしげと観察するように凝視した。

 日照の技術力が如何程のものなのかは分からない。しかし、この国の出身である『闇夜の狼王ダークネス・フェンリル』の話によれば、土地が狭いが故に採れる魔石や鉱物に限りがあるそうだ。なので、この手の技術の発展力に縛りがあるのは致し方ないのかもしれない。


「た、確かに受け取りました。では、あちらの陣にお乗りください」


 武士に勧められるがままに私達は和紙に描かれた魔法陣へと足を踏み入れた。すると、待機していた巫女達が魔法陣の周りを取り囲み、手に持っていた鈴の付いた榊を振り下ろした。

 シャランッと耳触りの良い鈴の音色が鳴り響き、それが部屋の隅々にまで広がって溶け込むまでに新たな鈴の音色が被せられる。回数を費やすごとに鈴の音が部屋中に反響し、それに合わせて魔法陣の光輝が強まっていく。

 やがて足下の魔法陣から光輝の濁流が噴き上がり、それに呑み込まれた私達は天へ吸い上げられるような浮遊感に囚われた。だが、それも一瞬だけで再び重力が働き出すと、瞬く間に光輝が薄れて視界は晴れ上がった。

 既にそこは魔法陣が置かれていた広間ではなく、最上階にある天守閣の中だった。一国を束ねる城というだけあって技巧に凝った装飾や襖絵など豪奢な内装が施されており、足下も板張りではなく丁寧に畳が敷かれている辺り見栄えの良さを意識していることが窺える。

 また天守閣は戦となれば司令塔の役割を果たす重要な場所とも言える。故に四方を見渡せるように広い間取りとなっているが、今は四方の雨戸が解放されて吹き抜けとなっている事もあって余計に広々と感じられる。

 そして一段と高くなった上座の畳には一人の犬人が腰掛けていた。穢れを知らない白雪のような毛色、冬の青空を連想させる透き通った青い目。けれども、その美しさに勝るとも劣らぬカリスマ的な覇気を纏っており、最早犬人ではなく気高い狼のようにも見える。

 その姿を見るや角麗とキューラ、そしてヤクトは慌てて畳の上に正座した。前世が日本人である私にとっては馴染みのある場面だがしかし、異国の慣習など知らないアクリルとクロニカルドは皆が正座をした理由が分からず不思議そうに目を丸くするばかりだ。

 だが、人生経験が豊富な後者は空気を察して端の方に腰を下ろし、前者は「姫さんも皆のように御行儀良く座るんや」とヤクトに促されてちょこんと彼の隣に正座した。因みにリトルシェルとなった私は、そのアクリルの膝上に鎮座している。


「そう堅苦しくする必要はない」犬人は年季の入った声色で優しく呼び掛けた。「さて、儂を知らぬ者も居るであろうから自己紹介をしよう。日照の統領、犬之神いぬのかみ玄徳げんとくと申す」

「犬之神様」角麗が深々と頭を下げる。「この度は邪龍との戦いで甚大な被害を受けたトウハイへの多大な支援、誠に有難うございます」


 犬之神は『気にするな』と言わんばかりに角麗に手を突き出しながら首を横に振った。


「いいや、トウハイとは昔から血の絆で結び合った血盟の仲よ。それにドレイク帝国の侵略に抵抗するにあたって、トウハイからは多大な軍事支援を受けている。あれぐらいの支援では、まだまだ恩を返し切るには至らぬよ。カッカッカ!」

「それでも感謝を申させて下さい。おかげでトウハイの復興は早まりました。何れ本来の国の有り様を取り戻すのも時間の問題でしょう」

「うむ、時間の問題だ。だが、その時間が問題なのだ」


 何処か含みを持たせた言葉を述べると、犬之神は上座から降りて格子の備わった西側の窓へと歩み寄った。そこからは日照の首都である西京の街並みが一望する事が出来、街を知り尽くしている人間ならば情景だけで活気や喧騒が目に浮かぶに違いない。

 だが、その一人であろう犬之神の横顔に懐古の念は無い。あるのは今後の未来を不安視するかのような深刻なまでの懸念であった。


「たった今、密偵から報告が入った。オーク達が暮らすヴィクレクト王国がドレイク帝国の猛攻を受けて陥落したとの事だ」

「ヴィクレクト王国が!?」


 ヴィクレクト王国は農業国家であり、その食料自給率は複数の国を余裕で賄える程の高さを誇る。その恩恵は王国と協力関係を結んでいた日照やトウハイも少なからず享受していた。

 だが、ドレイク帝国の支配下に置かれたとなれば兵糧事情が大幅に改善され、兵の士気も底上げされ侵攻を支える原動力にもなる。そういった深刻さ故に角麗を始めとするヤクト達の反応は大仰なものであった。


「どうやらトウハイ軍が撤退した事を感知しおったようだ。二週間程前に総攻撃を開始し、あっという間に決着をつけおった。この件は今しがたトウハイに伝えたが、恐らく入れ違いとなった其方達の耳には入っておらんだろうと思い、この場を借りて報告する事にしたのだ」

「ですが、余りにも早過ぎませんか? 如何にトウハイ軍の戦力が引き揚げられていたからとは言え、ヴィクレクト王国のオーク達は陸戦において無類の強さを誇ります。それがどうして二週間足らずで……」

「どうやらドレッドセブンを本格的に投入してきたようだ」

「ドレッドセブンを!?」


 その名前に聞き覚えがあるのか角麗のみならずヤクトでさえも目を丸くする。だが、ドレイク帝国の事情なんて皆目知らぬ私やクロニカルド、そしてアクリルは何のこっちゃと不思議そうに遣り取りを追い掛けるだけで精一杯だ。


「あー、話の腰を折るようですまんが……ドレッドセブンとは一体何なのだ?」

「ドレイク帝国の伝統に則って作られた七人からなる精鋭部隊や。一人一人が三獣士みたいなS級ハンターに匹敵する凄腕か、あるいはレアスキルの持ち主で構成されているんや。せやけど、本来は国家防衛に専念している筈やなかったんか……?」


 ヤクトが最後に付け足した一行は、自問自答にも等しい独り言のつもりだった。だが、犬之神は耳聡く拾い上げていたらしく、彼の呟きに応じるように受け答えてくれた。


「どうやら向こうも遅々として進まぬ侵略行為に業を煮やして懐刀を使う気になったようだ。されど、それによって帝国がどうなるかは知った事ではないがな」

「全く、無茶な真似をしおるわ……」


 そう愚痴を零して呆れの詰まった溜息を零したヤクトを、クロニカルドは不思議そうに見遣った。


「無茶とはどういう事だ? 強い者を戦場に送り出すのは当然の事ではないのか?」

「ドレッドセブンは国家直属の部隊なんや。その任務は主に国家の治安を守る事が大前提とされとる。とは言え、向こうにもナイツみたいな治安維持組織があるさかい、彼等が請け負うのは組織でも手に負えない案件……魔獣の大量発生ビッグバンみたいな非常事態やな」

「しかし、ビッグバンは発生する事自体が稀だぞ? 何時起こるか分からぬ災害に備えて温存されるよりかは、積極的に戦場へ出した方が得策なのではないのか?」

「確かに、俺っち達が暮らしているラブロス王国ならばビッグバンは稀や。せやけど、ドレイク帝国は違う。大昔の大戦で大陸が滅茶苦茶に破壊された事で、其処彼処で魔素溜まりが発生してビッグバンが頻発し易い環境になっているんや」

「成る程な」漸く得心がいったかのようにクロニカルドが鷹揚に頷く。「ビッグバンが何時起こるかも分からんのに、唯一対処出来る部隊を国から遠ざけてしまっていると……。確かにソレは向こう見ずと言わざるをえんな」

「では、態々人払いをして話したい事とは……ドレイク帝国の事だったのですか?」


 角麗が確認するかのような慎重な口調で尋ねるが、その声色は些か疑問めいた響きが含まれていた。何故ならドレイク帝国に纏わる話を出すのであれば、態々人払いをする必要は無い筈だ。寧ろ、国家の一大事として重鎮も交えるべきだろうに、それも居ないのだから余計におかしいと思えてしまう。

 恐らく、この時点で誰もが話はこれで終わりではないと悟っていたに違いない。果たして私達の予想は的中し、犬之神は首を横に振ると本題を切り出してきた。


「いいや、それはあくまでも次いでに過ぎん。本命は我が犬之神家に関わることだ」

「犬之神の……?」


 犬之神は自分の醜態を晒すかのように苦笑いを浮かべながら後頭部を撫でた。


「実を言うと、そろそろ儂も隠居を考えておってな」

「隠居をですか?」角麗は思わず目を瞬かせる。

「左様。儂もいよいよ七十の爺の領域に足を踏み入れようとしている。このまま頑迷な老いぼれが政治でのさばるよりかは、後世に託して若い風を送り込んで貰う方が遥かに良いであろう」

「言いたい事は分かるが、それと我々とどのような関係があるのだ?」

「まぁ、年寄りは話が長いからな。もう少しばかり付き合ってくれ」


 犬之神は軽く手を突き出してクロニカルドの逸る気持ちを押し留めた。彼の不躾な口調に内心冷や冷やだったが、幸いにして犬之神は器の大きい人物だったらしく気に障るどころか、それさえも楽しむようにニヤッと口角を釣り上げて笑みを浮かべた。だが、それも束の間で直ぐに気難しい顔に取って代わられてしまう。


「とまぁ、隠居する予定の儂だったが此処に来て問題が起こった。誰が跡継ぎになるべきか……犬之神の家督を巡って家臣達の間で揉め事が起こっている。所謂、御家騒動というヤツだな」

「確か日照は世襲制でしたね?」キューラが日照の政治体制を思い出しながら尋ねる。「でしたら、順当にいけば長子が受け継ぐのが妥当なのでは?」

「その通りだ。しかし、生憎と長子の進徳しんとくは剣の道を究める事しか頭にない、根っからの武闘派だ。とてもじゃないが政治の世界には不似合いだ。そして本人も後を継ぐ事に乗り気ではない」

「でしたら、次子の善徳ぜんとく様でしょうか?」


 犬之神は残念そうに溜息を吐きながら角麗の言葉に首を横に振った。


「善徳は武術こそ兄に劣るが、政治を心得ている。しかし、あやつは愛国心が強過ぎる。国に害成す者は全てを悪と断罪し、己の信奉を理解しない者は異端者と切り捨てる。アレが国の舵取りとなれば、日照は粛清の嵐が吹き荒れるであろうよ」

「では、誰が後継者になっても望ましい未来は訪れないと?」

「少なくとも儂はそう考えておる。しかし、後継者を選ばぬ訳にはいくまい。既に家臣達の間では進徳派と善徳派に分かれ、水面下で派閥争いを行っていると聞く。とは言え、長男が乗り気でない以上、このままでは次男が家督を受け継ぐ流れになるであろう」


 この国の舵取りが誰になるかは日照が内々で決める事であり、私達が彼是と口を出すべきものではない事は分かり切っている。しかし、独裁者が生まれようものならば周辺国は神経を尖らすのもまた自明の理だ。

 しかも、話しを聞く限りでは善徳なる人物の為人は過激的なまでの愛国主義者のようだ。その矛先は国外だけでなく国内にも向けられ、反対意見は容赦なく叩き潰すと父である玄徳本人も認める程なのだから余程に苛烈なのだと見て取れる。

 ドレイク帝国の侵略に断固として立ち向かうという意味では心強いかもしれないが、自国第一主義を前面に押し出せば各国との連携で足並みが乱れるのは前世の世界で目の当たりにしている。だからこそ、玄徳は次男に日照を継がせる事に抵抗を覚えているのだろう。


「だが、まだ八方塞という訳ではない」


 そこで犬之神は都市の風景を望むのを切り上げて私達の方へと振り返った。蒼い目を横切る光には真摯な輝きが宿っており、まるで私達次第で国の未来が変わると訴えているかのようだ。


「実を言うと、もう一人息子が居るのだ。武芸は空っきしだが、政治においては優れた手腕を持っている。それに良識と良心も兼ね備えており、国の政を任せるにはあやつ以上に相応しいものはおらん」

「では、その人を推薦すれば宜しいのでは?」

「生憎、そうは問屋が卸さんのだ」玄徳は呆れ交じりの溜息を吐きながら首を横に振った。「その子は側室が生んだ子なのだ。それに位も高くはない」

「ハーフって事でっか?」

「そうだ。儂としては才能があるのならば正妻だろうが側室だろうがどちらでも構わんと考えているのだが、家臣達の中には未だに生まれだの血統だのとに拘る頭でっかちが多くてな。そのせいで三男坊の派閥は絶対少数派だ。

 もしも儂が二人を差し置いて三男の誠真せいしんを後継者に命ずると公表すれば、それぞれの派閥に分かれていた家臣達は反発するであろう。特に次男の善徳は余所者の血が混じっている誠真が日照の帝になる事を許すまいて」

「……して、私達に頼みたい事とは一体?」


 いよいよ本題が切り出される気配を察知して、角麗が皆を代表して質問を切り出した。それに釣られて皆の表情が一掃と引き締まり、冗談を許さない真剣な空気が辺りに漂い出す。


「其方達に二点ばかし頼みたい事がある。一つは世代交代が完了するまで誠真の護衛を頼みたい。誠真にも武勇に長けた新進気鋭の忠臣達が居るが、その数は少なく真っ向から襲われれば流石に荷が重過ぎる」

「成る程な、確かに我々には打って付けの以来だな。して、もう一つは?」

「長男を説得してほしい」

「説得?」ヤクトは片方の眉を跳ね上げる。「政治に関心を寄せるようにって言うんでっか?」

「いいや、今更アレを政治に関わらせるのは無理だ。寧ろ、役立たずの傀儡になるのがオチだ。なので、家督争いを辞退して三男を後継者として推薦すると公言してもらう。さすれば、進徳に付いていた家臣は誠心側へと付くであろう」

「そう簡単に行くのか?」クロニカルドの瞳の鬼火が懸念で翳る。「如何に長男が三男に仕えるよう命令するとは言え、そう易々と家臣は主君を乗り換えられるものなのか?」

「ああ、それに関しては心配ない。そもそも今回の御家騒動で各々の派閥が浮き彫りとなった。長男を祭り上げる武闘派、次男を祭り上げる保守派、そして三男を祭り上げる改革派。

 ドレイク帝国の侵略に抗って国外へ出る機会が多かった武闘派と、内政を重んじる保守派は立場の違いもあって以前からいがみ合っていた犬猿の仲だ。そして改革派は自国の技術を海外に開放して更なる発展と協力を訴えている為、保守派との相性は抜群に悪いものの、武闘派とは比較的に反りが合っている」

「あの……」キューラがおずおずと手を挙げる。「御言葉ですが、玄徳様の口から直接に説得するのは駄目なのでしょうか?」

「儂も最初はそうしようとしていた。しかし、何時の頃からか間者の目が必ず何処かに潜んでいるようになっていてな。下手に身動きが取れんくなってしまったのだ。まぁ、恐らく保守派の手先だろうがな」


 成る程、派閥は異なれど似通っている未来思想――強大な敵に対して他国と積極的に手を結ぶことを良しとする――を思い描いている分、武闘派と改革派は組し易いという訳か。そして二つの派閥が近付かないよう、保守派が目を光らせているのも納得がいく。


「それに……進徳とどのように接すれば良いのか分からん」


 犬之神は迷いと憂いに満ちた目で天を見上げた。そこに何かがある訳ではなく、木目調の天井が広がっているだけだ。しかし、彼の眼は明らかに救いを求めているように見えた。


「進徳は昔、国を出奔してある者達と旅をしていたのだ」

「犬之神の長子が国を出奔!? そんな話は聞いた事がありません……」

「無理もない」犬之神はフッと笑う。「そのような話が国の内外に広まれば要らぬ不安や動揺を与えるだけだからな。此方側で情報が流出せぬよう手を尽くしていたのだ。だが、儂は我が子が国を飛び出した事に後悔はしておらん。

 アレは鳥籠でジッと留まるに相応しい男ではない。外の世界へと羽搏き、磨き上げた剣の道を世の為に存分に生かす。それこそが長子に相応しい道だと思った。いや、思っていた」


 敢えて完了刑から過去形に戻した犬之神の一言に私達は眉を傾げた。しかし、それは疑念を意味するものではない。長子の身に何かが起こったと察し、一種の不安を抱いた反応のソレであった。


「今から5年程前に息子は旅から戻ってきた。武人にとって一番の武器である利き腕を失い、抜け殻となった状態でな。それ以来、アレは世俗との接触を断ち世捨て人のように剣にのめり込むようになってしまった。何が起きたのかと聞いても仔細は教えてくれなんだ。しかし、そなたにならば教えてくれるやもしれん」


 犬之神の希望を託すような眼差しを当てられ、会話に入り込めず暇を持て余していたアクリルはきょとんと目を丸くした。しかし、周囲の眼差しが自分に刺さった事で状況を理解すると、天敵に見つかった小動物のようにビックリして背筋を伸ばした。


「姫さんがどうして……って、まさか――」


 ヤクトだけでなく勘の鋭い何人かは犬之神が言わんとしている仲間の正体に気付いたようだ。そして彼等の考えが正しかったことが程無くして犬之神の口から明かされる事となった。


「その通りだ。息子と共に旅をした仲間のリーダーの名はアレックス、彼女の父親だ」

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